第三章 九神編

第34話 命、栞

 


  *



 5月23日(月) 午前7時56分。


 オレは定期券を利用することで駅の改札を抜ける。


「あれ、統也くん……マフラーは?」


 地下鉄の改札奥に設置されているベンチに座っていた森嶋もりしまみことが立ち上がりながら、モデルのような所作でオレの顔を覗き込む。


 モデルのような、と直感的には言ったが、科学的な観察論ではただみことの長い髪が揺れただけなのかもしれない。

 彼女はゆるやかで落ち着いたような目をしていて形は美しいという字そのもの。まるで女優のよう。

 加えてバランスの整った鼻と、適度なふくらみを持った柔らかそうな唇。

 顔だけじゃない。

 あまりジロジロと見るわけにはいかないが、彼女の紺の制服スカートから伸びている二本の白くて滑らかな曲線を描く脚は、スタイルが良いことをそのまま象徴している。


 アイドルの仕事に手を付けていると聞いたが、この容姿なら納得できる。


「あー、マフラーは……」


 3日前の金曜、里緒と共に討伐依頼を受けていたとき、彼女を助けるため咄嗟に影目掛けて投げたマフラーだったが、そのまま拾う機会を得ず撤退してしまった。


 紺色無地というシンプルで素朴なデザインだったが、オレ的にはかなり気に入っていた物だった。


 だが今更あの場に取りに行くわけにもいかず……。

 かといって土日で新しいマフラーを買いに行く暇もなく……。


「今日の放課後あたり、新しいのを買いに行くつもりだった」

「さすがに暑くて外したんでしょ」


 8時に一緒に登校する日課なため、木下しおりもいつも通り合流する。

 確かに栞の言う通り、季節はもう初夏と言っていい。

 が、外気が暑くても体は冷えるのでオレには関係のないことだった。

 

「いや、そういうわけじゃないんだが……。さすがに北海道でもある程度気温は上がるんだな。てっきり年がら年中寒いのかと」

「うん、まぁ元々は寒かったんじゃない?」


 栞が言うとみことが。


「青の境界の内側……IWインナーワールドでは地球温暖化が急速に進んでるみたいだからね」

「らしいな。原因は巨大な境界に囲まれていることで気流や全湿度、海流に温度ポテンシャル、顕熱・潜熱などといった気温を左右する要因を複数変動させてしまっていることが挙げられるらしい。……というのが気象学者の見解だそうだ」


 途中から言い直す。栞がオレの説明に若干引いていたからだ。


「なんか詳し過ぎない?」


 と。


 だが事実「青の境界」が設立されてから、その温暖化はさらに加速の一途をたどっているらしい。

 世界気象機関(WMO)の開示情報によれば、世界全体の平均気温は僅か三年で推定「3℃」上昇したと考えられている。

 一昔前ならば、こんな情報は衛星熱源カメラやサーモグラフィカルセンサーから観測できた。だが今は人工衛星の厳格な規制によりそう簡単にはいかなくなったと言える。


「この間ニュースで見たんだ」

「どんなニュースよ、それ」

「なんか統也くんらしくていいじゃない? 博識な感じとか……」


 こうして見ると「栞とみこと」両名がこうの言う校内三大美女(?)……であることに納得がいく。

 とりわけ女性的魅力に関して言えば、栞もみことに負けていない。

 全体的に若干カールしている髪は後ろでポニーテール状に結ばれていて、女子の群れた中にいても後ろ姿ですぐに栞だと認識できる。

 また、眼鏡メガネをかけているにもかかわらず、大きく見える冴え冴えとした目は多くの男子が虜になるものだろう。知らんが。

 これはオレだけの視点だろうが、バスケをしていると分かる引き締まった体も彼女の魅力の一つかもしれない。


「というか、こうはどうしたんだ?」


 駅前からの徒歩距離は基本的に四人で登校する(今は香がいない+栞はたまにバスケ部の朝練)のが習慣になっているため、聞いてみる。


「なんか少し遅れるみたいだよ」


 みことが控えめに教えてくれた。


「そうか」

「あいつはいつものことでしょ。なんだかんだで時間通りに来る日が週に3回あればいい方だよね」


 確かにそれは言えている。結構な頻度でギリギリ登校をしてくる。

 四人で登校するはずが、結局ほとんど毎日、女子二人に囲まれて男一人で登校しなければならなくなる。

 しかも学校屈指の美人に。


「そんなことより今日の体育さ、なんか合同らしいよ?」

「え、そうなの? どことどこが組むのかなー」


 みことも微かに興味を持った様子。


「うちのクラスと、統也とーやのクラスがでしょ。先生そう言ってたけど。あーでもなんか他の2クラスも入ってくるだとかなんとか」


 今日の昼にある体育の授業は、どうやら栞のクラスとオレのクラス+他の2クラスで合同のようだ。


「えっ……」


 みことが放心状態で目を丸くする。

 彼女は、そんなにも香のクラスと組むことに緊張してしまうのだろうか。

 どうやらここから察するに、香とみことの二人は両想いということらしい。

 周りから恋愛にうといと言われているオレでも分かってしまった。


 良かったな、香。

 そんなことを考えていると呆けた表情のみことを見て栞が何かを企んだような顔つきを。


「ははーん、だいじょーぶ! 任せておきなって!」

「ちょっと栞? 全然大丈夫じゃないよ。何もしなくていいからね?」

「え~、んー、どうしよっかな~♪」


 栞は誰よりも楽しそうだ。

 どうやら会話的に、香とみことをカップリングする作戦を企てているらしい。

 オレが左で歩いている栞に耳打ちする。


「体育のとき、香をそっちに行かせればいいのか?」


 オレも手伝おうと思いそう言ってみたが……何故なぜか栞が白けたような、そしてテンションを下げたような顔をする。

 まるで嫌いな食べ物を食べているときの顔だ。


「はぁ……なんでここでこうが出てくるの?」

「いや、香とみことをくっつけるんだろう?」


 オレが言うと数秒間沈黙した後、栞が口を開く。


「はぁーこれだから男子は……」


 呆れたように言われてしまう。

 オレと栞がコソコソ小声で話していることが気になったのかみことが。


「ね、ねぇ……二人で隠れて何を話してるの?」 

「だーめ、教えない」


 悪戯っぽく微笑みながらポニーテールの結ばれた髪を手の甲で払う。

 栞、随分と意地の悪そうな言い方するな。


「ねー、どーして? 二人して絶対内緒話してたでしょ!」

 

 いじけたように軽く両頬をふくらませるみこと

 狙ってやってるわけじゃないんだろうが、オレではない他の男子が見たら多分イチコロだろうな。


「いや、別に? そんなことないよね?」

「オレに振るなよ」


 実は栞が話していることの意味をオレは理解できていなかった。


「でも、やっぱりなんか話してたんだ!」


 みことはふくれっつらを継続中。


「んーまぁ話してたけど、とーやが想像以上のニブチンだと分かっただけ」

「統也くんが……ニブチン……? それって鈍いってこと? でも何に対して?」

「あーダメだ。ミコまで……。ニブチンに囲まれてうちまでニブチンになりそう……」


 栞は困ったというように頭を抱える。

 ミコ、というのはみことの愛称だ。結構前からそう呼ばれてことは知っていた。


「言っておくがオレはかなり敏感な方だ」

「それ、どの口が言ってるのさー」


 そう言われてしまうが、本当にオレはお世辞にも鈍いとは言い難い。

 それが恋愛のことになるとそうとは言えないかもしれないが。


「いや本当なんだ」

「……敏感って言ってるけど、その敏感とうちの言ってる敏感は別物だからね? わかる?」

「そうなのか? すまん。分からん」


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