第26話 ギア
「なぁ影……オレと取引しないか?」
オレは数メートル先にいるであろうS級影の赤い眼を見つめながら、言い放つ。
「えっ、ちょっと、は? ……何言ってるの?」
少し小さめの声量で彼女が言う。
また、身体が痛むためか辛そうにしている。
辛そうなのとは関係ないが、この里緒の反応は当然と言える。
影は人間との意思疎通はできないとされているからだ。
影相手に話かけるというオレの行動は不可解でしかないだろう。
極端な話をすれば昆虫のアリに向かって真面目に話しかけているのと同じようなもの。
体中を痛そうにしている里緒に対して、オレはあることをした。
……これでもう大丈夫だろう。元々この程度の出血で即死はないが、それでもこの処置はしておいた方がいい。
「あれ……体が軽くなってる……。痛みまで引いていく……これは……名瀬、あたしに何をしたの?」
「心配するな。それはオレの特殊な
異界術とはマナを利用し筋力強化や人間の非力な防御力を向上させてくれる技のことだが、その中には人間の自己回復能力を飛躍的に上昇させるものもある。
ま、これは別物だが。
「そんなものまで……名瀬、あんたほんとに何者……?」
そう言いながら、里緒は体を起こす。
「座るくらいなら問題ないかもしれないが、立ち上がるのはまだ止めておいた方がいい」
「うん……分かった」
任務が始まる前の調子とは異なり、控えめにそう言う。
オレは里緒に忠告したあと、再び影に向き直る。
「やっぱりな。お前、オレの言葉が分かるんだろ? もし分かんないならオレと里緒が会話している最中にオレに攻撃を仕掛けて来る。普通の影ならそうするはずだ」
「名瀬、何してるの? あいつは影だよ? 言葉なんか理解できるわけ……」
里緒はまだこの状況が呑み込めていないらしい。
「ああ、分かっている」
「分かってるって……分かってないでしょ、どう見ても。影に話しかけるなんて」
そう話す里緒を無視し重ねて影に話しかける。
「影、オレはやろうと思えば今すぐにお前を殺せる。だから大人しく引き下がってくれないか?」
「…………」
影からの返事や回答はない。
「オレの話している意味が分かるなら引いてくれ。オレが今のあんたを殺せないのは、里緒を『檻』で防御している分、そっちに脳のリソースを回さなければいけないからだ。異能演算の関係上『檻』の囲みは三つまでしか展開出来ない。オレの場合は訳あって二つが限界だ。だが里緒のために一つ『檻』を使用してしまっている。この状態では『檻』は一つしか出せない。『瞬速』も使えない。でも仮にオレが里緒のガードを止めればオレはお前を殺せるだろう」
「待って名瀬。それは取引にすらなってない」
「いや、なってるんだよ。オレの見立てではな」
今の里緒は軽く治療したとはいえ怪我人であり足手まとい。その里緒を囲う『檻』を取り除いて戦闘すれば確実に影は里緒を狙う。
つまり、普通に考えればオレのほうが不利な状況からの交渉となる。
一般的に交渉や取引は始めから対等の状況からスタートするのがマストであり、重要な要素にもなる。
だがそれは一般的な状況下での話。
もう一度口を開こうかと思った次の瞬間、オレはとんでもないものを目撃する。
「影が……笑った……? そんな……」
どうやら里緒も見えたようだ。
里緒が激しく動揺しているのが分かる。
影のその上がった口角は夜の闇の中でもひと際目立った。
しかしこれで確定した。コイツ……この影には何かしらの意思がある、と。
人間の社会性や感情面までも理解しているととれる。
一部の影だけがこうなのか、それともすべての影がこうなのかは知らない。だがこれは異能世界での大きな進歩と言える。
オレも右側の口角を少し上げる。
「おそらくオレの速度なら里緒の『檻』を解いた瞬間にお前を斬り殺せる。だがオレにもリスクはある。万が一、オレがお前を斬りそびれた場合、里緒が
「あっ……それであたしが殺されたときに、その隙を狙えば統也があの瞬速を使って影を殺せる……」
どうやら里緒も気付いたらしい。
結論から言えば、最終的にはオレは影を
このまま戦えばどちらにせよ影は死ぬのだから、奴に利点はない。
これはオレの瞬速を直に感じたこの影に対して取引するから成立するもの。
「…………」
相変わらず影は喋らなかったが、こちらを向きながら後ろ歩きで離れていく。
そのあと何回か跳ね上がることで廃墟の家の屋根上にあがり、その上を走り去っていった。
「取引成立、のようだな」
どうやら、日本語がしっかり通じたようだ。
取引が上手くいって良かった。
正直に言うとオレは奴を殺せた。だが、里緒が殺される可能性が残るようでは意味がない。
里緒はオレのギアになる人物。彼女が死ぬのは困るからな。
――――いや、そんなことじゃないな。
きっとそんな理屈がなくてもオレは彼女を守っていた。
「影が……取引に応じた? もう何がなんだか分からないっ!」
里緒は訳が分からないというように頭を抱える。
そんな彼女の周りにある『檻』を解除しながら伝える。
「里緒、これからオレのギアとして一緒に活動してくれるか?」
道路に未だ座り込んだままの彼女は右側に垂れた髪を耳にかける動作をしながら、立っているオレのほうを向く。
「あたし、あなたがこんなに強いなんて知らなかった。失礼なこともいっぱい言った。ごめん……。あなたの忠告を聞いていれば、あたしはこんなにならずに済んだ。あたし、自分勝手で最低だよ。それでも……あたしでいいの?」
「ああ、いいんだ。オレだって悪いことをした。すぐに助けに来てやれなかったしな」
言いながらオレは無地紺色のマフラーを首に巻き直す。
「……あたし名瀬ほど強くないし、一緒にやっていけないかもよ?」
「徐々に強くなればいい」
「……きっと、さっきみたいに足手まといになるよ」
「かもしれないな……。けど、これで、足手まといになる人間の気持ちが理解できたか?」
「は?……え?」
里緒は困惑した様子。
「足手まといだとあんたが切り捨ててきた人間の気持ちが分かったか、って言ったんだ。足手まといになる側の人間だって精一杯やってる場合がある。中には懸命にやらない奴もいたかもしれない。だが……初めから足手まといになる人と足を引っ張られる人の間にある溝が埋まることはない。だからこそ片方が追いつくために頑張ってみる。だがあんたはそんな人たちを拒んできたんじゃないのか?」
「全部が全部じゃないけど、名瀬の言ってくることは正しい。みんな役に立たないって、そう思ってた」
オレは頷く。
「異能士の人口は少ない。だからこそギア同士のレベルが一致することの方が珍しいだろう。結果的に片方が苦労する。足を引っ張ってしまっている人からすれば、追いつかない壁があるから苦悩する。今の里緒になら理解できるんじゃないのか」
彼女はオレに『檻』の異能演算リソースを割かせただけだった自分を足手まといと感じていることだろう。
「ふっ……」
何かが吹っ切れたように笑いだす。
彼女はオレに初めての笑顔を見せる。
「何がおかしいんだ?」
「いや……なんでもない。ただ、あなたは凄いなって、そう思って。でも、あたしそれでも足手まといになる。今回の件でそれを強く感じ取った」
まだそんなことを言っているのか。
「それは違うと思うぞ」
そう―――――。
それは違う。
ギアとは、そういうものではない。
「違う? 何がかな?」
憔悴した顔で里緒はよくわからないとでも言うように聞き返してくる。
「里緒、ギアという言葉の由来を知っているか?」
「……ギア? 異能士が組むツーマンセルのことなのは知ってるけど、由来は知らない」
「ギアの本来の意味は英語の
里緒はこくりと小さく頷く。
「うん。今までのあたし………だね」
「だから、噛み合わせればいい。噛み合いさえしていれば、片方の歯車を動かすことでもう片方の歯車を動かすことが出来る。もしくは二つの歯車を利用して大きな動力を伝達することまで可能になる」
「なるほど……だからギアって呼ばれてるの」
「ああ。そして、オレたちも同じだ。初めは難しいかもしれない。それでもオレたちは互いに噛み合うまで進むしかない」
オレは彼女に手を差し伸べる。
暗闇の中、僅かな街灯の明かりに照らされていた彼女はオレの右手をじっと見つめる。
彼女は今、色んなことを考えているだろう。
里緒が今まで足手まといと感じていた存在、それが今日彼女自身になった。
どこか心に残る複雑な気持ちがありながらも、オレの語っていることが間違っていないことは認識できるはずだ。
自分は最強だと、誰よりも強いのだと、そう勘違いするのは勝手だ。
だがその思想から勝手に他人を足手まとい、雑魚扱いするのは違う。
和葉さんから聞いた。里緒は異能の強さがすべてだと考えているらしい。
異能が強いなら異能士も強いと――――。
異能さえ強ければ、それでいいと。
どうしてそんな偏った考え方になったのかは知らないが、その思想は間違いだ。
現に影を利用し里緒を襲わせた三宮
しかしながら精度、練度、展開速度、マナの使い方、異能の応用法。すべてにおいて取るに足らない低水準なものだった。
「――——分かった。そんなにあたしとギアを組みたいなら……組ませてあげてもいいよ」
里緒は微笑みながらオレの手を取り、立ち上がる。
オレと里緒は街灯の明かりの下で互いをギアとして認めた。
こうしてゴールデンウィーク初日は幕を下ろした。
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