第8話

 それからほどなくして、アリーシャを薔薇園に迎える日がきた。

 天気も良く、庭園を歩くには気温も穏やかで過ごしやすい日だった。

 先に俺とアルバートが庭園で待ち、ルドルフがアリーシャを連れてくる運びになっていた。

 ルドルフの少し後ろを歩いて現れた彼女と目が合ったと思ったが、すぐに視線はアルバートの元に移される。


「アルバート王太子殿下、マルクス様、本日はお招きいただきまして心よりお礼申し上げます。」


 カーテシーで淑女の礼をすると、アルバートに向かって微笑みかける。


「お待ちしていました。アリーシャ嬢。今日は天気にも恵まれてよかった。

 薔薇も今が一番の盛りのようです。約束がかなって私も嬉しく思います。」


 アルバートもいつものニヤニヤ顔ではなく、心からの笑顔なのか?アリーシャに向けられる。


「今日は手紙でも書いたようにマルクスも一緒です。婚礼前のご令嬢と二人というわけにはいかないですからね。今日のエスコート役は婚約者のマルクスにお願いしました。」


「殿下、お心遣いありがとうございます。庭園の遊歩道は道が悪い。アリーシャ手を。」


 そう言って彼女の前に左手を差し出す。


「マルクス様、よろしくお願いします。」俺の手に彼女の手が添えられるが、その手がとても冷たかった。


「アリーシャ、手が冷たいがここは寒いだろうか?何か羽織るものを?」


 すると、アリーシャは俺の手から手を引き抜き


「申し訳ありません。寒いわけではありませんので、どうかお気になさらないでください。」


 そのまま自分の胸の前で両手を握りしめ、俯いてしまった。


「いや、やはりまだ少し時期的には寒いかもしれない。侍女に言ってなにか羽織るものを持たせよう。」


「いえ、本当に大丈夫でございます。それよりも殿下をお待たせしてはいけませんので、先に行っております。」


 するりと俺の側を通り抜けると、先に前をあるくアルバートの元へ小走りで駆け寄る。


 何やらアルバートに話しかけ、二人並んで歩き始める。

 少し離れて歩く俺の耳には庭園の薔薇や花の話、最近の彼女の学園でのことや友人の話。

 アルバートも聞かせて良い範囲での執務の話など、近況を語りあうようにしか聞こえない。

 並んで歩く後ろ姿は初々しい恋人のようだが、その会話からは色恋のようなものは何ひとつ感じない。

 それなのに、二人の笑顔はまるで思い合っている者達のようで、時折俯きながらはにかんでいる姿などは見る者の心を温かくするのだろう。

 なのに、俺にはそれが感じない。心が温かくなるどころか寒気すら感じる。

 どうしたのだろう?疲れているのか?自分でもわからなくなってきた。


「マルクス。しっかりしろ。あまり離れてしまうと二人の仲が怪しまれてしまう。もう少し側にいた方がいい。」


 ルドルフからの助言で


「ああ、そうだな。」と気が付き、急いで二人の側に近づく。


 ただ、この二人の側にいたくないと思ってしまうのはどうしてだろう?


「ルド、侍女に言って今日のお茶会は四阿ではなく奥の温室に変えてくれ。

 アリーシャの手が冷たかった。暖かい場所の方がいいだろう。」


「手が?ふーん。わかった、伝えてくる。少し場を離れるが頼んだ。」


 そう言ってルドルフが離れると、わざと歩幅を緩め二人から少しづつ距離をおく。

 二人の声を聞きたくない。会話を知りたくない。どうしたのだろう?

 自分で自分がわからない。

 そんな風にぼんやりと二人を眺めていた。


 ルドルフが戻り温室へ向かう途中、ルドルフがアルバートに話しかけ一緒に向かっている。

 きっと、俺に気を使っているのかもしれない。


「アリーシャ、久しぶりだね。変わりなく元気だった?」


 彼女の隣に並び様子を見ようと近況を確認する


「はい、おかげさまで変わりなく過ごしております。マルクス様もお変わりないようで何よりです。」


 この前の茶会以来実に2か月近く経つ。その間、なんの連絡も取っていない。

 彼女から距離をおきたいと言われていたので、敢えてこちらから声を掛けずに様子をみていた。


「先日の茶会の後は大変失礼なことをしました。あなたの気持ちも考えずに私が先走りすぎたようです。謝ってすむことではないが、申し訳なく思っています。」


 ルドルフの助言を受けて謝罪をしてみる、これで彼女も少し落ち着いてくれればいいのだが。だが、彼女からは思ってもいない答えが返ってくる


「マルクス様。私はどうすればよろしいのでしょう?

 あなた様の今の謝罪をそのまま受け入れればいいのでしょうか?あれから色々考えました。でも、答えが見つからないのです。」

 

 アリーシャは少し俯きながらとつとつと話し始める。




「この婚約は家同士によるものだというのは理解しております。

 あの日のことはマルクス様のご意思であると、殿下からお聞きしました。

 それが本当なら、私から父に報告することはありません。もし、この婚約を破談になさりたいのであれば、マルクス様より進言していただきたいと思います。」


 そうか、彼女はここまで考えていたのかと少し驚く自分がいた。

 俺は何をしようとしていたのだろう?


 あの時は本当にアルバートの恋を成就させてやりたいと思っていたのは間違いない。そのために自分の婚約者を裏切ることになろうとも。

 なのに、そこには主役であるはずの彼女の気持ちがまったく含まれていなかった。


 俺は何をやっていたんだろう?


「アリーシャ、私の勇み足だったことは認める。後で殿下とももう一度よく話あうつもりです。どうかあの日の事は忘れて、今日は楽しんでもらえたら嬉しいのですが。」


 足を止め、アリーシャと向き合う。

 アリーシャは足を止め、うつむいたまましばらく考え込んでいた。


「マルクス様。私にはあの日のことを忘れることは出来そうにありません。

 やはり、もう少し距離をおかせていただいても?どうか考える時間を私にいただけないでしょうか?」


「もちろんだ。あなたの気のすむように。」


 もう何も言えない。何も考えずに事を起こした自分のせい。

 こんなことになるとは思ってもいなかった。なぜだろう?

 もうどうして良いかわからない。



 こんなことは生まれて初めてだ。


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