幕間5~エルナト~

 ……ふっと意識が戻り、ボクは目を開ける。

 ぼんやりとした頭と目で周りを見回すが、そこは見覚えのない部屋だった。薄暗くて明かりは壁の蝋燭だけ。床も壁も石造り。……部屋というか、ここは……。

 壁にもたれかかり座った状態から立ち上がろうとして──


 ガチン。


 固い金属音が部屋に響く。

 動かない左手を見れば、壁の拘束具に左手首が固定されていた。

「……もう起きたか。思っていた以上に術の耐性があるようだな」

 正面から突然聞こえた声。……聞き覚えのある声にぞわりと寒気が走る。

 ……この声、は……。

 蝋燭の明かりが届かない奥の暗闇。

 何かがゆらりと動き、コツコツという足音がこちらに近付いてくる。

 ……暗闇の向こうから姿を現したのは足元まで隠れる丈の長いマントを身に着けた若い男だった。

「おおよそ十年ぶりか。久しぶりだな、エルナト」

「……ギエナ……」

 久しぶりという割に何の感情も感じない、仮面のような表情。……いや。昔と一緒で目の奥には侮蔑の色が見て取れる。


 ……かつて自分がいたヴァンパイアの集落。

 その長い歴史の中で始祖と同等の力を持つとまで言われていたのが目の前にいるギエナだった。

 力をほとんど持たないボクとは天地程の差があり、ギエナからはいつもゴミを見るような冷たい視線を向けられていて……それがとても嫌で、すごく怖くて。

 いつも視界に入らないよう、隠れるように過ごしていたのが記憶に蘇る。

「……どうして、ここに……」

 ギエナは力が強く集落から出なくても眷属を使って何でも出来る。……アルデバランは集落から距離もあり、わざわざギエナが……しかも蔑んでいたはずのボクの前に現れた理由が判らなかった。

「…………」

 ギエナは何も言わず目の前までやってきて──グッとボクの髪を掴み、無理矢理に顔を上げさせた。

「……っ!」

 引っ張られた痛みに呻くがギエナは表情を変えずに顔を近付けてボクをじっくり品定めするようにじっくり見て……それから一気に興味を失ったような目になった後、手を放して距離を取る。

「蝙蝠達の噂話でお前が魔王様の力を手に入れたと聞いたが……手にしながらこの程度か。所詮落ちこぼれは落ちこぼれだな」

「…………」

 その言葉にボクは項垂れたままギエナがやってきた理由を理解する。

 これまで蝙蝠すら従えていなかったボクが急に蝙蝠を使役するようになれば、何かあったと思われても仕方ない。

 ……集落から遠く離れているからと考えが甘かったみたいだ。眷属化している蝙蝠でも、より力の強い彼に問われればきっと答えるしかない。……ボクだって、ギエナに詰問されたらそうなるはずだから。


「……魔王の力を奪いに来たのか」

「それもある」

 ギエナは何の感慨もなく淡々と答える。

「お前から力を奪うのは簡単だが、どうせならもうひとつ有効活用してやろうと思ってな」

「…………?」

 他に何がある……?

 浮かんだ疑問に顔を上げる。……ギエナは冷ややかな瞳でボクを見下ろしていた。

「魔王様の力を持った状態のお前の血を使って子を作って、その後で力を奪う。お前が母体だと下らない個体しか出来ない可能性があるが、魔王様の力を手に入れた俺が母体になれば……魔王様を復活させる事が出来るかもしれん。そうでなくとも俺自身が魔王になるだけの力を手に入れるから問題はないがな」

 ……そういう事か……。

 ぐっと拳を握って力を込める。

 ボク自身の力が弱いといっても抱えているのは魔王の力だ。相応の力を持っている魔族との子どもなら魔王として覚醒する可能性もあるだろう。

 ……そうなれば、ヴァンパイアの集落には魔王の力を持ったギエナと魔王が揃う事になり……人間はおろか他の魔族だって太刀打ち出来なくなる。

 カノープスの力の引き継がれ方を考えると仮に魔王として覚醒するような子どもが生まれた場合、ギエナの持つ魔王の力は子どもに全て引き継がれるかもしれないけど……それでもギエナと魔王が揃えば太刀打ち出来ない。どっちにしろ非常にまずい状況なのに変わりはなかった。


「……日が落ちて新月が高くなるまでもう少し時間がある。その間、俺と子が作れる名誉を噛み締めておけ」

 そう言ってギエナは背を向けて闇の中へと消えた。……完全に気配が消えて一人になったところでボクは今後どうするかを必死に考える。

 この部屋に窓はないから予測しか出来ないが、先程のギエナの発言から察するにまだ日は落ちていない。ボクの意識がなくなったのはカノープス領を出てすぐだから……場所は判らずともカノープス領からそう遠くはないはずだ。

 ボクは右手を床につけて意識を集中させた。……眷属にしている蝙蝠一匹くらいならボクでも召喚出来る。


 一瞬床に魔法陣が浮かび、蝙蝠を一匹喚び出した後ですぐに消えた。

「キィ……」

 喚び出された蝙蝠はキョロキョロと首を動かして周りを見てからボクの方を向く。ボクは親指を自分の牙で噛んで傷をつけてから蝙蝠に声をかけた。

「こっちおいで」

 呼びかけに対してぴょんと跳ねるようにしながら近くへやってきた蝙蝠にボクは血の滲む指を差し出す。

「……ほら、少し飲んで」

「…………」

 蝙蝠はこちらを見上げて──少し間を置いて指に口をつけた。

 ……滲む血にほんの少しだけ魔王の力を混ぜる。正直上手くいくかは判らないけど、これで蝙蝠がギエナに会ったとしても命令には多少抵抗出来るはず……。


「……たぶんカノープス領が一番近い。すまないがシリウスをここまで連れてきて欲しいんだ。出来るか?」

 ボクの問いかけに蝙蝠は「キィ」と一声鳴いて。

 それからパタパタと翼をはためかせ、壁の小さな空気孔から部屋を出ていった。

 ……残り時間がどのくらいかは判らないけど。血を取られたとしてもギエナに魔王の力を奪われる前に何とか出来ればいい。……情けないがボク一人では到底無理。シリウスが来てくれればまだ見込みはあるだろう。

 ……この拘束、外れないかな。

 そう思って左手に力を込めてみたが、ガシャガシャと音を立てるだけでビクともしない。

「……駄目か……」

 落胆の声が口をついて出る。

 ……対策を練るなら最悪の事態も想定しておくべきだ。そうなった場合の覚悟を決めておかなくてはならない。


「……シリウスが間に合わない場合は……その時は……」


 呟きが口をついて出るが、後半はかすれてしまって声にならなかった。

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