第46話
「……とりあえずここにいても仕方ないから移動しよう」
馬車が見えなくなってからエルナトさんが僕の方に顔を向ける。
うーん……移動するのは賛成だけど……。
「帰国したばかりで疲れてるんじゃないですか? 帰って休んだ方が良いんじゃ……」
会えて嬉しいのは嬉しいんだけど、あまり無理はしてほしくないなぁ。そう思って話したが。
「…………」
エルナトさんは眉をひそめ、それから手を伸ばして僕の胸ぐらを掴むとぐっと引き寄せた。
「……言っておくがボクは別に、妹君の気遣いだけを考えてお前に残ってもらった訳じゃない」
そう言ってエルナトさんは手を離し。背中を向けて歩き出す。
……ええと……。
たった今言われた言葉を頭の中で繰り返して……含まれた意味に気付き、顔に熱が上ったのを感じて口元に手を当てた。あ、ヤバい。……たぶん今、顔赤いな。
「……さっさと来い。置いていくぞ」
一度立ち止まり、振り返らずにエルナトさんが声を投げてくる。
こっちの返事を待たず再び歩き出したので、置いていかれないように慌ててその後を追った。
エルナトさんが向かった先は前にお邪魔した別宅だった。
「流石に鍵持ってなくて中には入れないからテラスでな」
そう言って玄関前を通り過ぎ、中庭へ向かう。
木々と建物の間でうまい具合に影になっているテラスのテーブルを簡単に拭いた後、お菓子と飲み物を置いてベンチに並んで腰掛けて。行きがけに買ったお茶を一口飲んでエルナトさんは小さく息をつくが何も言わず……それから、レダにもらった小袋からシュークリームを取り出して食べ始めた。
「……あの、エルナトさん」
「…………」
言葉を発する事なく、視線だけこちらに向けてくる。
その間もシュークリームは食べていて。最後の一欠片を口に放り込んでからお茶を飲んだ後、指と口を紙ナプキンで拭いてから「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
「……で、何」
紙ナプキンをまるめて近くのくずかごに入れながら、ようやく口を開いたエルナトさんに対し僕は様子を伺いながら相手を見る。
「いえ、あの……ちょっと怒ってます?」
「怒ってない」
若干の間を置いて小さくそう呟いたエルナトさんは一度視線を落とし……そのまま体を傾けて僕の肩に頭を乗せた。
「……ただ、シャウラから帰って来たのに何も言わないなコイツ。と思ってはいる」
「…………あ」
その言葉にエルナトさんが不機嫌な理由に気付き。
「……すみません」
謝罪を口にしてからエルナトさんの方へ僕も頭を傾けた。
「……お帰りなさい」
「……ただいま」
僕の出迎えの言葉に、少しだけ柔らかくなったエルナトさんの声が小さく聞こえて。僅かに動いて体をこちらに寄せてきたので、それに合わせて肩を抱き寄せる。
「ピーチパイもありますけど、良かったら半分ずつ分けて一緒に食べません?」
「……食べる」
僕に身を寄せたまま答えた彼女にちょっと笑って、置いてあった紙袋に手を伸ばした。
「それにしても随分と早く帰国しましたね。予定では一週間後じゃなかったですか?」
サクサクのパイを食べながら横に座るエルナトさんを見る。それに対してエルナトさんは視線を上に向けて「あー」と声をもらした。
「シャウラについて四日目くらいだったかな。急にアリア様がすごいやる気を出して……予定を全部前倒しで、一日で一日半から二日分の仕事をこなしてたから……」
思い返すようにしながら話すエルナトさんに、僕も少し思考を巡らせる。
……その頃ってたぶん、休み後半を空けるために僕もあれこれ詰め込んで予定を組んでた時期だな。レダとアリア様が何かしらの方法でやりとりしてたならその辺りだろうか。
「……で、予定を全部終わらせて。余った期間はシャウラの観光や懇談の話も出たけど、アリア様はそれを断って帰国したって訳だ」
パイを食べ終わったエルナトさんが口を拭きながら言葉を続けたので意識がそちらに戻される。
「だから追加で一週間、予定が空いたんだけど……シリウス、お前丸一日予定が空いている日はあるか?」
「……えーと……」
その問いかけに僕は明日からの予定を思い返す。
……エルナトさんが戻って来るの一週間後だと思ってたから……昨日までみたいに詰め込んではいないけどちょこちょこ予定入れてるんだよね……。
「……すみません。丸一日だと一週間後からしかないですね」
「一週間後ならいつでも都合つくか?」
「はい」
それなら即答出来たので迷わず返事をすると、エルナトさんは少し俯き加減に考え込んでから視線をこちらに戻した。
「なら一週間後の朝にカノープス領に行くから一日付き合ってくれ。メラクさんの所でまた装飾品作りがしたい。予約はこっちで入れておくから」
「判りました」
……今度は何を作るんだろ。
以前の凝ったデザインのブローチを思い出しながら返事をする。
「…………」
会話が少し途切れ、間が空いた時にエルナトさんはじっと僕を見て。
それから頭を僕の肩に押し当ててきた。
……あー……これ、確定だなぁ。
「エルナトさん、やっぱり疲れてるでしょ」
「…………」
何も言わない彼女の頭を撫でながら苦笑いを浮かべる。
……婚約して一緒にいる時間が少し増えてから気付いたんだけど。エルナトさんって疲れがたまると甘えてくるというか……スキンシップが増えるんだよね。
普段甘えてこない分、正直な事をいうと嬉しいではあるけど……休める時はちゃんと休んで欲しい。
「ほら、レオニス邸まで送りますから。行きましょう」
「…………」
呼びかけるが返事はなく、代わりに背中に腕を回してくっついてきた。
「……エルナトさん?」
「良いだろ、もう少しくらい。……久しぶりなんだし」
眼下から聞こえる拗ねたような声。
いちいち言わすな、と言葉が続いたので流石に口元が緩む。
「満足したら帰ります?」
「……ん」
抱きしめ返しながらそう言えば、腕の中から短く返事が聞こえた。
それからしばらくそのまま過ごし、エルナトさんが自分から離れるまで待って。
馬車が来る時間まで雑談をしながら過ごした後、レオニス邸に彼女を送り届けてレオニス領を後にした。……馬車に揺られながら、落ちていく夕暮れ空をぼんやり見る。
……早く一週間が過ぎれば良いのになぁ。今更言っても仕方ないが予定をバラけさせないで詰めていたら、別でもう少し早く会う約束取り付けられたかもしれないのに。
そんな事を考えている時、ふっと蝙蝠が何匹か飛んでいるのに気付いてそちらに視点を合わせた。進行方向からしてレオニス領に向かっているようだ。エルナトさんの蝙蝠だろうか。
レオニス邸でも蝙蝠を有効活用しているようだし……今度、僕も蝙蝠使ってやりとりさせてもらえないか聞いてみようかな。
蝙蝠から視線を外し、再び夕暮れ空を見ながら僕は帰路についた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます