第40話

 二日後。

 約束の時間より少し早目に到着したにも関わらず、門の前でエルナトさんがすでに待っていた。


「すみません、早く来たつもりだったんですが……」

 馬車から降りてすぐ頭を下げたが、エルナトさんは首を横に振る。

「……いや、ボクが早く着き過ぎただけだ」

 そう言いながらエルナトさんは白い息を吐きつつマフラーを巻き直した。

 ……レオニス領は山が近いから冷え込みがカノープス領より強い。着込んではきたけど、それでも感じる寒さに少し身震いした。

「……とりあえず移動するか」

 エルナトさんはそう言って歩き出す。

 ……徒歩で行ける場所なのか。と思ったけど。先に聞かないといけない事があったので彼女を呼び止めた。

「すみません、妹からレオニス領で売ってるレモンチーズケーキとガトーショコラを頼まれてまして。先にそちらを購入したいのですが行きがけに売ってるお店ありますか?」

「…………」

 その言葉にエルナトさんは立ち止まってしばし考え込む。


 ……昨日、レダに事情を話したら

「じゃあ頑張ります! その代わりレオニス領で売っているレモンチーズケーキとガトーショコラが食べたいです! それから後で詳しく話を聞きたいです!」

 と、非常に協力的な態度で取り組んでもらい、きっちり一日で勉強を終わらせてくれた。そのお礼とご褒美も兼ねてケーキをねだられたので買って帰らないといけない。


「その種類を指定ならたぶん、ポルックス洋菓子店のやつだと思うが……行きがけにはないから、お願いして持ってきてもらおう」

「すみませんがお願いします」

「少し待ってろ」

 そう言うとエルナトさんは詰所に立っている衛兵の所に向かい、言葉を交わしてから戻ってくる。

「お昼過ぎには届けてもらえるそうだ」

「有難うございます。お代はその時にお支払いでいいですか?」

「別にいいよ。お土産として持って帰ってくれ」

 首を横に振ってからエルナトさんは再び歩き出す。その後を追って十五分程歩き。市街から離れた、外れにある建物に到着した。

 ……あれ、お店じゃないんだ。

「ちょっと周りを気にしないで話がしたかったからな。食事もお昼に合わせて配達をお願いしているから心配しなくていい」

 レオニスの別宅だ、と説明しながら鍵を開けて中に入る。

 ……自分で鍵を開けてるって事は、仕えの人とか誰もいないって事だ。内密の話だろうか。

 ……というかエルナトさん、普通だな。

 年末最後にやった事を考えると、出会い頭に怒られるかなと思っていたんだけど。

 そんな事を考えながら僕も中に入った。


 誰もいなかった室内はひんやりとしていたが、エルナトさんが暖炉に火を入れてからじんわり暖かくなる。

「お茶淹れてくるから座って待ってろ」

 ソファを指差し、エルナトさんは居間を出て行く。

 言われた通りソファに座って、ぱちぱちと燃える暖炉の火をぼんやりと眺める。

 ……すごい静か。

 市街からも離れているから街の喧騒も当然聞こえない。……時間の流れが違う感じ。

 ソファに深くもたれて天井を見上げた後、ふっと目を閉じた。


「……待たせた」

 人の気配と聞こえた声に目を開ける。

 そちらを見れば正面のテーブルにお茶のカップが置かれ、一人分距離を置いた横にエルナトさんが座るところだった。

「有難うございます」

 お礼を言ってカップに手を伸ばす。

 ……温かいお茶が美味しい。

 ふー……、と少し長めに息を吐いてから横を見る。

 ……その先にいる相手はこちらを見ず、手に持ったカップに視線を落として俯いていた。

「…………」

 小さく息をついた後、エルナトさんは顔をこちらに向けながら手の平サイズの箱を差し出してきた。

「まずは年末のお返しだ」

「有難うございます」

 それを受け取って箱をじっと見る。小さなアルミ缶。……何だろ。

「ブレンドしたお茶だよ」

 あっさり中身を言われた。お茶か……楽しみだな。鞄にそれを大事にしまって、改めてエルナトさんの方を見る。


「……それで、したい話ってなんですか?」

「…………」

 スッと視線をまた逸らされた。……けど、沈黙はあまりなく、すぐにエルナトさんは口を開いた。

「……年末にスピカ様とお話する機会があってな」

 視線を落としたまま、静かに話すエルナトさん。あー……年末の事、スピカ様に伝わってるな、これは。

「やりとりして、ずっと考えてて……ひとつ、自分でもあまり意識していなかったけど気付いた事がある」

「…………?」

 何だろう。

 少し首を傾げれば、エルナトさんは自嘲しながらこちらに顔を向けた。


「……カイトスの時、お前に嫉妬してた」

「え?」

 その言葉に思わず眉をひそめる。一方、エルナトさんは軽く伸びをした後、改めて僕に向き直った。


「嫉妬っていうと少し語弊があるかな。羨みとか、そういう感じ。……リゲル王子の従者としてこっちは必死に役目を果たそうと努力してるのに、何かあればお前はあっさり物事をこなして、リゲル王子からも信頼されてて。……やろうと思えばボクよりも余裕で出来るのにやらないし。そういうところがカイトスの時は苛ついたし腹立たしかったね」

 イライラされてるのは判ってたけど、そんな事を思っていたのか。でも……。

「……リゲル様はちゃんとカイトスさんを認めてたし、頼りにしてたと思いますけど」

「そう思って頂いてたのは判ってる。そうじゃなきゃすぐにお役御免になっていただろうから。お前に対してどうこうっていうのはボクの気持ちの問題だ」

 エルナトさんはそこで一度言葉を切り、天井を仰ぐ。


「魔王様の力を隠していたとか、一部から都合の良い道具扱いを受けていたとか……色々状況を考えれば、お前がそういうスタンスになるのも判らなくはない。ただ、カイトスの時はそんな事知らないから苛立ちが強かった」

 こちらに目を向けず、天井を見上げたまま。エルナトさんの淡々とした言葉が続く。

「……スピカ様と話した時、お前にされた行為よりも発言の方を気にしていると言われた。……その理由を年末ずっと考えていて、そういう結論になったんだが……」

 ……そこでエルナトさんはフッと笑い、視線を僕に合わせた。


「発言の方を気にしているっていうのは、結局のところ……お前からそういう事を言われて嬉しかったんだろうな、ボクは」

 ……思っていなかった、唐突にもらった好意的な発言に申し訳ないがちょっと驚く。

「はっきり言って少し前まで男だったやつに告白するとか、正直意味が判らないが」

 上げて落とすスタイルだなエルナトさん。

「……でもまぁ……羨んで嫉妬してた相手から、真っ直ぐ好意を向けられるっていうのは……単純に、嬉しいもんだろ」

 小さく笑って言葉が途切れたのを見計らい、今度は僕が口を開く。

「……一応言っておきますけど僕、カイトスさんは嫌いじゃなかったですよ? ……頑張ってるの、判ってましたからね」

「それを『カイトス』は判ってなかったんだよ」

 エルナトさんはそう言って自嘲気味に笑った後、僅かに目を伏せて視線を逸らした。


「……とにかく、だ。そういう意味でボクは……お前の事、好きなんだろうな。きっと」

「…………」

 目を合わせないエルナトさんに手を伸ばしてそっと頬を撫でるが、くすぐったそうにしながらも動かない。

 体を動かして少し近づき、もう片方の手で肩を抱き寄せる。……エルナトさんは何も言わず、背中に腕を回して身を寄せてきた。


「……エルナトさん」

「……ん」

 耳元で呼びかければ、その相手は短く反応をした。体を抱きしめながら、そのまま言葉を続ける。

「……キスしていい?」

「…………」

 返事はない。……けど。

 背中に回した腕を少し緩め、体を離してこちらを見上げてきた。もう一度頬に手を添え、少し撫でてから。

 額に唇を落とした後、唇を重ね合わせる。エルナトさんの肩がびくりと跳ねたが、腕を動かして身を寄せた。


 ……何度か啄んだ後、顔を離す。

 ふ、と息を吐いたエルナトさんの顔は赤くて、少し息も荒くなっていたからちょっと色っぽくもあって。

 気持ち強めに抱きしめ直しながら、再び耳元で囁く。

「……今なら押し倒しても良いです?」

「それは駄目」

 ……取り付く島もない感じでばっさり切られた。ちぇっ。

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