幕間4 〜エルナト〜
「……あの野郎……」
走り出した馬車の中、離れていくカノープス邸を見ながら憎々しげに声をこぼし、それから座席に腰を降ろした。
今からカノープス邸に戻ったとして、食事にいく準備をしている他の方々の邪魔をするだけだ。流石にそれはしたくない。
……というか、あいつは本当に何なんだ、一体。医務室での一件、忘れろとか言ってたのにまたこんな……。
先程囁かれた言葉を思い出し、耳に手をやって押さえた。少し顔の熱が上がったのが自分でも判る。
……年明け、顔を合わせるのがちょっと怖い、が……。
「……約束どうしよ」
反故にしても文句は言われなさそうだけど……それをやるのは何か嫌だ。
すでに交わしてしまった約束に頭を痛くしながら屋敷に戻る事になった。
……その翌日。
レオニス伯爵と嫡男であるアルカイド様がベテル王に年末の挨拶をするのに合わせ、ボクもアリア様に謁見するため王宮に来ていた。
伯爵達と別れ、アリア様の部屋に案内されたボクはノックをして主の返事を待つ。
「はい、どうぞ」
部屋の中から聞こえた声に「失礼します」と言ってからドアを開けて──そこにいた人物に驚いて一瞬動きを止める。
「あら、思っていた以上に女性らしい」
「……お久しぶりです、スピカ様」
部屋の中にはアリア様ともう一人──リゲル王子の婚約者であるスピカ様が座ってお茶を飲んでいた。
「驚かせてごめんなさい。アリアに貴女が今日来ると聞いて。一度は会っておきたいと思ったものだから同席をお願いしたの。アリアと内密の話があるなら席を外すから遠慮なく言ってちょうだいね」
話すのに合わせて淡い水色のふわふわした髪が揺れる。
「……いえ、本日は暮れのご挨拶にお伺いしたまでですので、そのままいてくださって問題ありません」
……見た目は可愛らしいが実際は洞察力に秀でていて人や物事を見極める力がすごく高い方だ。アリア様がどちらかというと感覚的に物事をみる方なら、スピカ様は論理的に物事をみる。
……元々リゲル王子も直感的に物事をみる方だったそうだが、スピカ様と知り合ってから多角的に状況判断をするようになったらしいのでリゲル王子にこの方が与えた影響は大きいだろう。
二人に対して最敬礼のお辞儀をしてから口を開く。
「本年はこの上ないお気遣いを戴き、誠に有難うございます。次年も誠心誠意お仕えさせて戴きますので、どうぞ宜しくお願い致します」
「……こちらこそ侍女になって頂いてからすごく助かっています。来年も宜しくお願いしますね」
「はい」
ふわりと微笑むアリア様に短く言葉を返す。
「……やっぱり性別や見た目は変わっても基本的な性格は変わっていないのね。相変わらず生真面目」
「流石に性格はそのままで過ごしていましたので……」
アリア様に着席を勧められて椅子へ腰掛けると、スピカ様が感心した様子でこちらを見てきた。
「でもカイトスの時より雰囲気が丸くなったかしら。女性の見た目分印象が柔らかいのもあるけど……カイトスはもっとずっと気を張りっぱなしだった感じがするわ」
……本当によく見てらっしゃる。
カイトスの時は魔族である事や性別なども隠していたし、気を許せる人間は一人もいなかったからずっと気を張っていた。
今は隠している事も減ったし……それを知っても態度が変わらない人達がいるから、気が楽になっているのも確かだ。
「……良い事ではあるけどね。……リゲルは自分で出来る事は自分でやる前提で動く分、周りは振り回されやすいから……そういう意味で今回、カイトスから変わったシリウスはリゲルについていけそうだし、従者として適任じゃないかしら」
……あまり聞きたくなかった名前が出たので一瞬動きが止まり──その瞬間、スピカ様がこっちを見た。
あー……目ざとい……。
「……シリウスがどうかした?」
「……いえ……」
スピカ様から視線を逸らすが、流石に黙ってじっと見られたままだと逃げられない。
「…………ちょっと、ですね…………」
観念して二人に昨日の事を話す。
アリア様はパッと目を輝かせ、スピカ様は口元に手を当てて少し考え込んだ。
「抱きしめてそういう事を言うとか……シリウス様、思っていた以上にぐいぐいきますねー」
すごい楽しそうに話すアリア様。……他人事だと思って……。
「……いや……いきなりそういう事を普通言います……? 大体あいつ、普段から無頓着で唐突な発言が多いんですよ……」
ため息混じりにぼやきをもらせば、アリア様は表情を更に緩めてにこにこしている。
……主人だけどそろそろ怒っても良いかな。
と、その時。
黙っていたスピカ様がすくっと椅子から立ち上がったので、驚いてそちらの方に顔を向けた。
「エルナトはまだ時間ある?」
「えっ? ……はい。大丈夫です」
スピカ様の質問に時計を見て──伯爵達の謁見時間がまだだったのでそう答える。
「そう。じゃあ少し待っていて」
そう言ってスピカ様は部屋を出ていき。……しばらくしてリゲル王子を連れて戻って来た。
「……何の集まりだ?」
理由を告げられずに連れて来られたらしいリゲル王子は若干困った様子でスピカ様やボク等を見ている。
「ちょっとお願いしたい事があって」
スピカ様はリゲル王子にぼそぼそと耳打ちをして……それを聞いていたリゲル王子は「……は⁉」とぎょっとした表情で声を上げてスピカ様を見る。
「待て待て。言ってる事もやる意味も判らない」
「別にリゲルが判ってなくていいから。早くやって」
「………………」
有無を言わさぬスピカ様の一声。
リゲル王子はぐっと圧されて言葉を呑み込み……それから、困り顔でこちらを見た。
……中々見ないな、こんなリゲル王子。
「時間もそうある訳じゃないから早く」
先程より鋭く飛ぶスピカ様の声にリゲル王子は大きくため息をついた。
「…………何でこんな…………」
ぶつぶつと呟きながらリゲル王子はボクの前までやってきて。
渋い表情のまま身を屈めて……そのままボクを抱きしめた。
「!」
流石にボクもぎょっとしたし、それ以上にアリア様が「えっ⁉」と口を押さえて声を上げる。ちなみにスピカ様の表情は変わらない。
耳元で小さくため息が聞こえた後。
「好きだ」
と渋々言わされてる感たっぷりの囁やきがあり、パッと体が離れた。
「……リゲル……もう少し心を込めて言えない?」
「無茶言うな! 大体思ってもいないのにそんな事が出来るか!」
呆れの表情を浮かべているスピカ様へリゲル王子が非難の声と視線を向けた。
「……まぁ良いわ。エルナト、リゲルに抱きしめられた上で囁かれてどう?」
「……とりあえず、居た堪れない気持ちでいっぱいですかね」
しゃがみ込んでヘコんでいる元主人を見ながら感想を口にする。
それを聞いたスピカ様が「ほら……」みたいな顔をするので流石にリゲル王子が可哀想になってきた。
「あの……何でリゲル王子にこんな事をさせたんですか?」
「んー……」
先に浮かんだ疑問を聞こう。
そう思って質問を口にすれば、スピカ様は少し天井を仰いでからこっちを見た。
「……話を聞いていると、エルナトは抱きしめられるとかの行為に関してよりも、言われた事の方を気にしているようだったから。人を変えたらどうなるかと思ったの。……あまりやった意味はなかったけれど」
「…………」
小さくリゲル王子が呻いた。
……婚約者の指示で、しかも婚約者の前で別の女性を抱きしめるとか普通ないな……。挙句意味なかったとか言われちゃうとか、もうどう声をかけて良いやら……。
リゲル王子に憐れみの視線を向けつつ、スピカ様の言葉が少し引っかかった。
……そういや、言われてみれば。
抱きしめられた事より発言の方ばかり気にしてずっと考えてる。……何でだ?
「……とりあえず、シリウスに対してどう思ってるかは別として……その理由を考えてみたら良いんじゃないかしら」
「…………」
頭の中で言われた言葉を反芻して。
「……判りました。少し考えてみます」
そう返事をすれば、満足そうにスピカ様は微笑む。
「……ところで……リゲル王子をどうしましょうか……」
「気にしなくて良いわ」
ヘコんだままの王子に視線を落としたが、スピカ様はその言葉を切って捨てた。
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