第32話

 医務室に着いたが先生はいなかった。おそらく音楽祭の方に行っているんだろう。

 中に入り、エルナトさんをベッドに座らせるように降ろして。……そのまま彼女の体を抱きしめる。

「……おい」

 少し非難めいた声がするが無視しておく。

「……動かなかったからそのまま死んじゃうのかと思いました」

「…………」

 腕に少し力を込めれば、エルナトさんは息をついてから僕の頭を撫でた。


「心配させたのは悪かった。……魔封じの魔法で何も出来なくてな。その後吹っ飛ばされて気絶してた。……でも、だからってお前があの二人を叩きのめす必要はなかっただろ」

「…………頭にきたので」

 エルナトさんの肩に額を当てて言葉をこぼす。

 ……何か駄目だ。感情がぐちゃぐちゃになってる気がする。いつもみたいに言葉選びが出来ない。

 それが伝わったのか、エルナトさんが意外そうに「へぇ」と呟いた。

「お前はリゲル王子以外の事でそういう風にはならないと思ってた」

「……そうですね」

 あの時は勢いまかせで動いていたけど、少し時間をおけば自分でもそう思う。確かにエルナトさんへは恩義があるけど、ここまで感情で動きが出るとは思ってなかった。……本当、ちょっと変だ、僕。


「おい、そろそろ離れろ」

 しばらくして再び非難を含んだ声が響く。

 その言葉にエルナトさんから離れようとして……ふと考えが頭を過ぎり、動くのを止めた。

「……おい?」

 動きを止めた事に対して怪訝そうに眉をひそめてこちらを見てくる。少し逡巡した後、僕は小さく笑って彼女へ視線を返した。

「……嫌だって言ったらどうします?」

「は?」

 その反応を見る前に、僕はエルナトさんを引き寄せて抱きしめ直す。

「お前、いい加減に……」

「……僕、エルナトさんが好きかも」

 相手を遮り、浮かんだ言葉をそのまま口にする。

 それを聞いたエルナトさんはピタッと動きを止めて──目を丸くして僕を見上げた。


「……今まで、リゲル様や家族以外は正直どうでも良くて。嫌いかそうじゃないかくらいにしか思ってなかったけど……エルナトさんはどうでも良くなかった。……さっき、あの二人にはどうしようもなく怒りがわいて……リゲル様が来てなかったら、あれ以上の事をしていたかもしれない」

「…………」

 エルナトさんは何も言わずに僕の呟きを聞いている。

「正直いうと、リゲル様と比べたら少し優先度は下がるけど……エルナトさんも大事だなって思うのは変わらなくて……」

「……お前は普段適当だけど、一部分で義理堅すぎだな」

 肩を軽く叩きながら、エルナトさんが自嘲気味に微笑んだ。

「リゲル王子との事は知らないけど、少なくともボクに対しては力を引き受けた恩義からそう思ってるだけだろ。……考えてくれるのは有難いが、そこまで気を使う必要はない」

「…………」

 ……微妙に伝わっていない気がする。


 天井を仰いで少し考えて──視線を眼下へ戻した。

「リゲル様は人として尊敬していて、あの人のためになるなら僕の命なんていくらでも差し出していいと思うくらい、主人として仕えたい存在ですけど……エルナトさんはちょっと違って。何て言えばいいかな……」

 これを言ったらドン引きされるかな。

 でもこれが一番ストレートに伝わりそうな気がするし……。

 気合を入れてから少し身を屈めてエルナトさんの耳元に口を寄せた。


「大切な存在なのは変わらないけど、それとは別で……押し倒して色々したいな、と思う感じの好きです」

「………………」

 その言葉にエルナトさんはしばし考え込み。


「…………は⁉」

 意味に気付いて一気に顔を赤くした。

「お、お前、何言って……」

 動揺して言葉が出てこないのかモゴモゴしている。顔も真っ赤にしちゃって可愛いなぁ。

「……押し倒して良いです?」

「今の流れで良いなんて言う訳ないだろ! 馬鹿か!」

 ツッコミはすぐ返ってきた。良かった。

 ……まぁ、まかり間違ってOKが出ても具合悪い状態なんだし何もしないけど。

「やだもうコイツ……訳判らん……」

 エルナトさんは俯き、両手で顔を押さえてぶつぶつと呟いている。

「……エルナトさん」

「今度は何だよ」

 その反応に苦笑いが浮かぶが、言わない訳にもいかないので言葉を続けた。

「……今のは僕がただ言いたかっただけで、別にエルナトさんにどうしてほしいとかは考えていないので聞き流してもらって結構です。……欲を言えば、僕がそう思ってる事だけ覚えてて欲しいとは思ってますけど……それだけです」

 そう言いながら腕を解いてエルナトさんから離れる。

「…………」

 エルナトさんは何も言わず、頭からシーツを被り、僕に背中を向ける形でベッドに横になった。


 ……そうして、遠くから走ってくる足音がこちらに近付いてきて。

「……エルナトさん! 大丈夫ですか⁉」

 ドアが開かれると同時にアリア様の声が飛んだ。

「お待ちしてました」

「…………」

 アリア様はまず、ベッド横に座っている僕に目をやり。それからミノムシみたいに丸まっているエルナトさんに視線を向けた。

「……エルナトさん、どうしました?」

「ちょっと色々ありまして、その……」

「お前それ以上喋るな」

 説明をしようとした僕を、エルナトさんの不機嫌そうな鋭い声が遮ってきたので黙って口を閉じる。

「…………?」

 アリア様が怪訝そうに首を傾げたけれど、その疑問に答える人間はいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る