第29話

 それから数日。

 アルゴルさん達によるエルナトさんの監視は続いていたようだが、彼女が何か問題を起こすはずもなく、むしろアリア様の補助をしっかりこなしていたので周りからの評価は右肩上がりだった。

 そのためアルゴルさんとレサトさんは大っぴらな行動はせずにいたけれど……僕等以外にもエルナトさんを見ている事に気付いた数名の人間に注意を受けていたようなので、頻度は段々と少なくなっている。

 ……このまま落ち着くといいんだけど。

 そんな事を思いながら、僕は意見が飛び交っている教室内に視線を移す。


 今、教室内では来月行なわれる音楽祭について話し合いをしていた。

 クラスで『声楽』『楽器演奏』の代表者を誰にするかで、声楽はアリア様に決定、楽器演奏はミルファク様に決まっている。楽器演奏はリゲル様を推す声もあったけど、実行委員もしているからという理由で辞退していた。

 現在はそれぞれの選曲をどうするかを話し合っているところだ。

 まぁ、どの曲になってもアリア様もミルファク様もそつなくこなしそうだからあまり心配はしていない。そんな訳で……話し合いにあまり興味がないものだから、正直退屈だった。

 フッと窓の外を見れば爽やかな青空が広がる良い天気。

 ……外で昼寝したら気持ちよく眠れそうだなぁ……。

 ぼんやりそんな事を考えていたら、ポカッと頭を叩かれた。


「随分と退屈そうだな、シリウス」

 そちらを見れば引きつった表情のリゲル様。やば。

「そんなに暇なら裏方のリーダーをやってもらおうか。機材の手配に他のクラスと出演順の打ち合わせ、やる事は色々あるぞ」

「え。あ。ええと……」

「決定だ。頑張れよ」

 それだけ言って教卓に戻っていくリゲル様。アリア様が若干苦笑いを浮かべ、エルナトさんは呆れ顔でこちらを見ている。

 ……あー……これは駄目だな、拒否出来ない。

 反論しようにもこの状況でそんな事が出来るはずもなく。

 他の役割分担もあれよあれよという間に決まり、話し合いは終了する。


 ……そこからの一ヶ月、忙しくて目が回りそうだった。

 ていうか回って倒れそうだった。

 他のクラスのリーダーと打ち合わせをしつつ、分担して楽器含む機材の手配、声楽の伴奏者探しと出演依頼、タイムスケジュール決めや舞台演出など……これ全部学生にさせるとかおかしくない……?

 音楽祭を三日後に控え、一区切りついた時。僕は疲れ切ってぐったりしていた。

 周りは音楽祭を目前にしてすごい楽しそうだけど……正直そんな余裕ないんだけど、こっちは。

 食堂の隅の席でテーブルに突っ伏しながら楽しそうな人達を見ながらそう考えていると、目の前にスッと飲み物が置かれる。

 顔を動かして対面を見れば、少し苦笑いを浮かべたエルナトさんが向いの席に座るところだった。


「お前がそこまで疲れているのを見るのは貴重だな」

「……それはどうも。飲み物有難うございます」

 体を起こしてお礼を言い、飲み物を手に取る。ほかほか湯気をたてているコーヒーを一口飲んだら身にしみて、深く息を吐いてから天井を仰いで姿勢を正した。

「何ていうかもう、一生分動いてる気分です」

「心配するな、それはない」

 僕の言葉をばっさり切り捨て、エルナトさんは自分の飲み物に口をつける。

「大体、普段がやらなさすぎなんだよ。……本当は出来るくせにやらないからな、お前」

「いやいや。出来るからやるっていうのは間違ってますよ」

 流石にそこは首を横に振って否定する。


「本当にその人しか出来ない事なんだったらするべきですけど。大抵の事はそうじゃないです。誰だってやろうと思えば出来るのに、やってくれる人がいるからやらないだけ。……そのうち、やってもらうのが当たり前になって感謝もしなくなりますからね。……馬鹿馬鹿しいじゃないですか。率先してやる人間ばかりが割を食うなんて」

「……それは出来る側のやらない言い訳じゃないか?」

 エルナトさんの眉間に皺が寄る。

 ……ホント、真面目で真っ直ぐだなあ、この人。

 内心で小さく笑いながら相手を見つつ、僕はコーヒーを一口飲んだ。

「誤解されるのは嫌なので一応言っておきますけど、頑張って色々やろうとする人は嫌いじゃないですよ。……やってもらうのが当たり前みたいな考えの人間が嫌いなだけです」

「…………」

 エルナトさんは何か言いかけたけれど、思い留まったように口を閉じる。

「……まぁいい。当日はまた忙しくなるんだろ? それまで休んでおく事だな」

「そうします」

 飲み物を一気に飲み干して立ち上がったエルナトさんへ微笑みを返せば、一瞬微妙な顔をして──それから何かに気付いたようにフッと窓の外を見る。


「どうしました?」

「……ん……蝙蝠がきたみたいで……」

「え?」

 その言葉に窓の外を見るが、蝙蝠の姿は見あたらない。

「流石に人のいるところには来ないように指示してある。……何だろうな。ちょっと見てくる」

「……僕も一緒に行っていいです?」

 何となく不安になって声をかけるが、エルナトさんは首を横に振った。

「たまに来るけど何かあった事はないから大丈夫だ。……そんなに心配なら、三十分経っても戻って来なかったら旧学生会館裏に来てくれ」

 旧学生会館……ここから十分くらいの場所だ。そこが蝙蝠が来た時の待ち合わせ場所か。

「……判りました」

「それじゃ、ちょっと行ってくる」

 そう言ってエルナトさんは食堂を出て行って──二十分後、何事もなく戻って来た。

 さっきは持っていなかった紙包みを手に持って。


「……レオニス伯爵からの届け物だった」

 聞けば蝙蝠を数匹、伯爵の屋敷に常駐させていて、何かあったら伯爵のいう事を聞くように指示しているらしい。

「……伯爵も順応してますね……」

「頂き物のお菓子が余ったから送ってくれたそうだ。ひとつやる」

「有難うございます」

 そう言って手を出せばミニカップのチーズタルトを渡された。美味しかったです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る