幕間3〜リゲル〜

 ……どこか判らない、埃っぽいがそこそこ広い部屋の中。

 少し離れた所にあるテーブルには男が三人。ドアの所に一人。いずれも覆面で顔を隠している。おそらくは部屋の外にも何人かいるだろう。……面倒な事になった。

 息をつき、壁に背中を預けて天井を仰いだ。

「……う……」

 不意に横からうめき声が聞こえ、意識をそちらに向ける。両手をロープで縛られ床に転がされていたバスクが身動ぎしながらうっすらと目を開けたところだった。


「起きたか」

「……リゲル王子……ここは……」

「さぁ、どこだろうな」

 こちらの名前を呼んで周りを見回したバスクに軽い返事を口にした後、俺は視線を正面の三人組へと戻す。

「それよりあまり動かない方がいい。急所は外れていたが腹を刺されて出血していたからな。……傷は魔法で治しても失った血までは流石に戻せない」

「…………」

 その言葉にバスクは自らの腹を見て──服に穴が空き周辺が赤黒く染まっているのに気がついて小さく息を呑んだ。

「リゲル王子は大丈夫でしたか」

「……問題ない」

 実をいうと頭を殴られて気絶してしまってはいたが。若干のこびり付きはあるだろうが、魔法で治したし出血した部分は粗方拭き取っているから見た目の問題はないだろう。


「……ふぅ」

 バスクは何とか身を起こし、じりじり動いて壁にもたれかかると深い息を吐いた。

「横になってた方が良いんじゃないか?」

「……いえ、寝転がっていると反応が遅くなりますから」

 息は荒いが思考はしっかりしているようだ。……さて。バスクも起きたところでこれからどうするか。

 バスクと同様に俺の両手もロープで拘束されている。とはいってもそれだけだ。

 魔法は使えるし足は自由に動かせる。

 ……とりあえず、三人組の誰かから腰のサーベルを奪えれば何とかなるだろう。問題は少し距離がある事か……。

 頭の中で動きをいくつかシミュレーションをして──それから、片膝を立てて動こうとした瞬間。


『待て小僧。動くな』


 何の気配もなく耳に入ってきた低い声に俺はビクッと体を震わせた。

「リゲル王子?」

「……あ……」

 その様子を見て、怪訝そうな表情を浮かべるバスクに返答をしようとして──

『この声はお前にしか聞こえておらん。声の事は話すな。黙って聞いておれ。……アリアの指示じゃ』

「……いや、何でもない。一瞬寒気がしただけだ」

 付け加えられた言葉に俺は言いかけた事を呑み込んで誤魔化した。

「……そう……ですか」

 少し眉を寄せてこちらを見ているバスク。……兄上やシリウス達にもよく言われるが、顔に出てるらしいからな……ちょっと疑われてそうだ。

 しかしバスクはそれ以上突っ込んでくる事はなく、壁にもたれかかったまま息を吐く。


 内心胸を撫で下ろしたところで、低い声がまた耳に入ってきた。

『そのまま何もないフリをして聞いておれ。……お前はクリアランスを使えると聞いておるが、周囲に気づかれない無詠唱発動は出来るかの? 出来るなら視線を上へ。出来ないなら下を向くのじゃ』

 クリアランス……一定時間、対象者一人の状態異常を防止する魔法だ。無詠唱だと持続時間は短くなるが出来なくはない。

 口を閉じたまま天井を仰ぐと、短く『よし』という満足そうな呟きが聞こえ、不思議な声の指示は続けられる。

『では今の位置を維持したままですぐに発動させよ。何があっても動くでないぞ』

 それを最後に声が聞こえなくなり。疑問を抱きながらも言われた通りにクリアランスを発動させた瞬間。


 ──突然、部屋の中央に巨大な水色のドラゴンが出現した。


「……うおっ!」

 流石に驚いて声が出る。

「な……⁉」

「ななな、何だ!? ドラゴン⁉」

 横にいたバスクもぎょっとして目を見開いていたし、ドラゴンのすぐ近くにいた三人組の動揺は当然ながら俺達以上だった。

 ドラゴンはその場で大きく咆哮し、建物全体がビリビリと震えた。

「何だ! どうし……うわっ⁉」

 部屋の外にいた他の奴らも集まって来たが、その光景に動きが止まる。その場にいた全員の視線を集めたドラゴンはひとしきり咆哮した後、今度は牙の覗く大きな口から薄紫色のブレスを吐き出す。それは一瞬にして部屋の中と視界を埋め尽くして──そのまま、開いたドアから廊下へも勢いよく広がっていった。

「な……っ」

 戸惑いの声があちこちから発せられ、間を置かず倒れるような音がいくつか聞こえる。すぐ横……おそらくバスクだろうが、そちらからも音がした。……麻痺毒っぽいな、このブレス。


 その音すらしなくなった頃、近くの窓ガラスが勢いよく蹴り破られ──ブレスが外に流れ出ていくのに逆らうような形で部屋に入ってきたのはサルガス皇太子だった。


「うわ、何も見えねぇ」

 入ってくるなり視界の悪さに顔をしかめてはいるが、ブレスの影響を受けている様子はない。

「……少しお待ち下さい」

 窓の外からアリアの声が聞こえたのとほぼ同時に部屋が光に包まれて、それが消えるのに合わせて視界が戻ってくる。

 ……部屋の中は自分と後から入ってきたサルガス皇太子以外、全員床に突っ伏して動けないでいた。

 いつの間にかドラゴンの姿も消えている。


「……アリア嬢、入ってきて良いぞ」

「有難うございます。リゲル様は……良かった、ご無事ですね」

 蹴破られた窓からアリアが顔を出し、俺の姿を見てホッと安堵の表情を浮かべる。

「……大きな怪我はなさそうだな」

 ロープを切ってもらい、ようやく両手が解放された。両手首を軽く振りながら立ち上がり、改めて周りを見回す。

 床に突っ伏しているのはバスクを除いて全員覆面の男達だった。先程のドラゴン騒ぎで建物にいた人間は全員集まって来たのだろう。他に誰も来る気配がないのを確認してから俺はアリアとサルガス皇太子に向き直る。

「こちらのせいで要らぬ手間を取らせてしまった。申し訳ない」

「いや、客人に対して無礼を働いたのはシャウラの方だ。すまなかった」

 首を横に振りながらそう言った後、サルガス皇太子はうつ伏せになった状態のバスクへ視線を落とす。

 ……そうだ、解毒してやらないと。

 そう思ってバスクに近寄ろうとした時。

 サルガス皇太子が遮るようにその進路を塞いだ。


「……?」

 その行動を怪訝に思ったが、サルガス皇太子はそのまま倒れているバスクに近付き──髪を掴み、強引に顔を上げさせた。

 流石にうめいた彼を冷ややかに見ながら、サルガス皇太子は表情と同じくらい冷たい声を向ける。

「……先見の聖女とは凄いもんだな。今回の襲撃とリゲル王子の誘拐の件。お前が計画して手引したっていう証拠も証人も全て教えてくれたよ。……お前には洗いざらい全て話してもらう。覚悟しとけ」

 言いたい事をいって、サルガス皇太子は掴んでいた手を放す。麻痺で動けないバスクはそのまま床に顔を強かに打ち付けてまたうめき声を上げた。


「──さて、後は憲兵に任せて帰るぞ。あまり遅くなるとどっかの狂信者が暴れ出すからな」

「……待て。どういう事だ」

 流石に内容が掴めない。

 説明を求めれば、サルガス皇太子は床に突っ伏したままのバスクをちらりと一瞥してから口を開いた。

「どうもこうもない。今回の件、全部バスクが計画して実行したというだけだ。……失敗した時の事を考えて自ら怪我をするのも……急所を外した怪我であればリゲル王子かアリア嬢が治してくれると見込んでな。そうでなければ王子が魔法を使えるままにしておくものか。リスクが高すぎる」

「…………」

 至極もっともな説明が腑に落ちる。

 武器を持っていないにしろ、俺に対しての処遇は確かに甘かった。


「……リゲル様、詳しい事は後でご納得頂けるまでお話致します。……夜明け前までに戻るとシリウス様と約束していますので、一度戻って頂けませんか」

 懇願するようにこちらを見ているアリアに、俺がいなくなった間の出来事を何となく察する。……さっきサルガス皇太子も狂信者とか言ってたしな。シリウスが何かしたんだろう。

「……判った」

 ここで説明を求めて時間を取るのはあまり良くなさそうだ。問い質したい気持ちをぐっと呑み込んでそう言えば、アリアは心の底からホッとしたような表情になった。

 ……何をしたらアリアにこんな顔をさせられるのか……。

 後でシリウスも問い詰めようと思いながら、俺はその場を後にした。

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