幕間1〜リゲル〜

 リゲル=ギウス=アルデバラン。

 その名が示す通りアルデバラン王国の王族であり、この国の第二王子。

 それが俺の立場。


 とはいっても生まれてから今迄、王位に就きたいなどと考えた事はない。何故なら俺よりもずっと王に相応しい存在がすでにいたからだ。

 俺の兄上であるベテル=ギウス=アルデバランは誰よりも賢く、誰よりも国と民の事を考えている。

 単純な武術の腕であればはっきり言って俺の方が上だけれど、人の上に立つ人間として大切な資質と信念を持っているのが兄上だ。

 俺はそんな兄上を誇りに思っていたし、そのために様々な鍛錬を積んだ。兄上が王位に就いた時、下支えが出来るようにと。

 ……周囲の一部貴族は俺を王位に就けようと一時画策をしていたが、それも兄上が王位継承問題や水面下で動いていた内乱の種を治めた事で誰も何も言わなくなった。


 国を導き繁栄をもたらす先見の聖女。

 彼女が兄上を助け、導き、ガタガタだった国を立て直した。

 腹の内では別として聖女が認めた人間に表立って異を唱えるなど誰が出来ようか。そもそも異を唱える輩がいたら俺が断罪していただろうが。

 ……とはいえ、兄上を一番に支えたかったのは俺なので。

 いきなり現われて横からあっさりとその立場を掻っ攫ったアリアに対してあまり良い印象がないのは仕方がないと言わせて欲しい。

 そして今、彼女は俺の親友でもあるシリウスも助けようとしているらしくあれこれ話を伝えてきている。

 ……先見の聖女というのは人が大事にしている存在を片っ端から横取りしようとしてるとしか思えない。いや、シリウスを助けたくない訳ではないしむしろ何とかしないといけないんだが、良い所だけ持っていこうとしてる感じがして……我ながら狭量だとも思うが。

 そういう嫉妬心のような感情を奥に押し込みながら俺はアリアと今後どうするかの話を延々としていた。


「……あのー、御二方。半刻程で寮の門限時刻になりますが……今日はこのくらいにしては?」

 会話に加われず、完全に飽きた様子のシリウスが声をかけてくる。その言葉にアリアも時計を見て、熱中しすぎていたのが恥ずかしくなったのか少し顔を赤くした。

「……申し訳ありません。話に夢中になっておりました。リゲル様、この件はまた日を改めてお話しましょう」

「そうしよう」

 流石に初日から門限破りをする訳にはいかない。話を切り上げて俺はシリウスに向き直る。


「シリウス、お前は先に戻っていろ。俺はアリアを送ってから戻る」

「え」

「かしこまりました」

 驚いて意外そうな声を上げるアリアに反し、シリウスは一礼をしてそれを了承した。

 日も落ちて周りも暗いし、兄上の婚約者に何かあっては申し訳が立たない。そうでなくても今日、サルガス皇太子がちょっかいを出しているのだ。一人にするのは避けた方が良いだろう。

 兄上も認めているだけあってアリアも頭は悪くない。皆まで言わずともこちらの考えを察したらしく「では、お言葉に甘えまして」と一礼を返してきた。


 ……シリウスと別れ、女子寮に向かう途中。周囲に誰もいない事を確認しながら、俺は口を開いた。

「ひとつ聞きたい事があるのだが」

「はい、何でしょう?」

 ふわりと笑みを浮かべるアリア。

 ……ただし、その微笑みは社交辞令のそれだ。

 兄上の前でどうかは見た事がないから知らないが、これまで彼女が気持ちに準じて笑っているのを見た事はない。

 しかし今日。

 シリウスの前で彼女は社交辞令ではない笑みを浮かべていた。

 ……それについて、どうしても聞き出す必要があった。


「随分とシリウスの事を気に掛けているようだが……本当は兄上ではなくシリウスに好意を抱いていたりするのか?」

 まどろっこしいのは好きではない。

 単刀直入に問いかけた質問に対し、アリアの顔からスッと笑みが消え──それから、その表情を僅かに崩して小さく笑った。

 ……社交辞令ではない、微笑みで。

「……ベテル様を一番に考えてらっしゃるリゲル様からすれば、それも気になるのは仕方ない事でしょう。そうですね、どう言えば良いでしょうか……」

 アリアはしばし考え込むように口元に手を当てて俯き、それから顔を上げる。


「上手く伝わるか判りませんが、シリウス様は私の『推し』なのです」

「オシ?」

 聞き慣れない単語に眉を潜めれば、彼女は若干困ったように笑った。

「はい、推しです。リゲル様がベテル様に対して抱いてる感情みたいなものと言ったら判りやすいでしょうか。単純な好意ではなく、その人を支えたいとか尊いとか……そういう色々入り混じった気持ちです。私はシリウス様についてはっきり言うと表面上の事しか知りませんが、それでもシリウス様には平穏無事に過ごして頂きたいですし、そのためなら協力を惜しみません。……ただ……」


 そこでアリアは一度言葉を切り、柔らかく笑う。

「……ただ、誤解はしてほしくないのですが。私はシリウス様に幸せになって欲しいと心から願っていますが、私が幸せにしたい訳ではないのです。……私が幸せにしたいと思う方は、御一人だけですから」

 上っ面ではない、言葉と表情。

 そして彼女の発言に含まれた意味を察する。……随分とややこしい物言いをする奴だな。

 でもまぁ……なるほど。


 理解は何となく出来て、自然と笑みが口元に浮かぶのを感じた。

「そういう言い方をするのであれば、俺もシリウスは推しだな。一番は兄上だが」

 それを聞いたアリアは一瞬きょとんとした顔になり、それから表情を崩して笑う。

「別に良いと思いますよ。推しが多い方が楽しみも増えますからね」

「そういうものか」

「そういうものです」

 ふふっと楽しそうに笑う彼女は、聖女ではなく年相応の少女に見えた。


 そうやって話している内に女子寮に到着した。アリアは玄関の前でこちらに向き直り、姿勢を正して一礼する。

「こちらまで送って頂きまして有難うございました」

「いや、遅い時間まで付き合ってくれて感謝する。今日はゆっくり休んでくれ」

「はい」

 形式的な挨拶を交わすが、彼女の表情は随分と柔らかい印象を受ける。……昨日までは建前しか見せない女性だと思っていたけど、何のことはない。俺が歩み寄っていなかっただけのようだ。

 これは反省すべき事だな、と自省の必要性を感じつつ、その場を後にしようとした所で再び声をかけられた。

 振り返ってそちらを見れば、アリアが口元に楽しそうな笑みを浮かべている。

「最後にもうひとつ。推しは多い方が楽しいですが……共通の推しを持った者同士で語り合うのはもっと楽しいんですよ。いつか機会があれば、ベテル様やシリウス様についてリゲル様とお話ししてみたいです」

「は?」

 自分でも間の抜けた声が出たのを感じたが、相手は気にした様子もなく。

「それでは、また明日」

 微笑みながら会釈をしてアリアが扉の向こうに消えて。その場に取り残された俺はしばらく動けなかった。


「……お帰りなさいませ。門限ぎりぎりでしたね。……お茶を淹れましょうか?」

「ああ、お願いする」

 戻ってきた俺を見たシリウスは立ち上がり、そのままキッチンの方へと向かう。

 お湯が沸き茶葉のいい香りが部屋に漂う中、先程のやりとりを思い出し。聖女とああいう会話をするとはな、と少し笑みがこぼれた。何においても食わず嫌いは良くないな。気をつけよう。

「何だかご機嫌ですね」

 シリウスに紅茶のカップを手渡されながらそう言われて、改めて顔が綻んでいたのに気付く。

「……まぁ、そうだな……アリアが思っていた聖女とは印象が違っていたからかもしれん。言っている事は少し難解だが、面白い女性だったからな」

「……あー……そうですね」

 何かを思い出すように若干視線を上に向けて同意を返してくる。シリウスも推しだ何だの話をされたのだろうか。……いや、流石に本人に直接は言わないか……。


 紅茶に口をつけ、外灯が照らす庭に視線を移した後、向かいに座って紅茶とお茶菓子を堪能している同居人の名前を呼んだ。

「はい、何でしょうか」

 間を置かずに返ってきた声に対し、逆に俺は言葉を溜めてから口を開く。

「……一週間以内にアリアと今後の対策を練る。それまでは大人しくしていろよ」

「……はい、かしこまりました」

 微妙な間。……こいつ、大人しくしてるつもりは無いな。

 もう十年来の付き合いだ。それくらい聞かなくても態度で判る。


 俺は大げさにため息をついてから正面の相手に向き直った。

「お前は頑固でこうと決めたら梃子でも動かないから、強く言っても無駄だという事は判ってる。ただ、何かする時は必ず俺に言え。俺に言い難ければアリアでも良い。黙って一人で行動だけはするな」

「…………」

 その言葉にシリウスは少しだけ表情を変えて。どこかホッとしたように小さく笑った。

「判りました。……それにしても、アリア様に対しては随分と考えが変わりましたね?」

「ま、兄上が認めた聖女様だからな。俺もそれに倣うだけだ」

「そうですか」

 シリウスは満足そうにこちらを見ている。何か腹が立つな。

 とはいえ、それを口に出すのはただの八つ当たりなので紅茶と一緒にぐっと呑み込んだ。

 空になったカップを置くと、シリウスが「おかわり要りますか?」と聞いてきたので首を横に振る。

 カップを片付けるためにその場を離れたシリウスの背中を見やった後、再び窓の外に視線を向けた。


 ……さて、明日からどうするか考えないとな。


 そんな事を思いながら。

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