第3話 蠟梅とバラ御殿
蠟梅とバラ御殿
薄甘い香りに後ろ髪をひかれて振り返ると、蠟梅がいた。
腰の曲がった老婆を思わせる何十年と生きたその枝ぶりは低く控えめに広がり、その先に小さなそぼろ卵のようなかわいらしい黄色の花を咲かせる。
どのくらいそこに佇んでいたのだろうか。
背後に気配を感じて振り返ると、作業着を着た初老の男性が見守っていた。
「すみません。あまりにいい香りだったもので」
「お嬢さん、蠟梅が好きなのかい?」
「はい。いい香りですよね。枝にそぼろ卵みたいでかわいい」
「そうかい。そんなに好きなら一枝持っていくといいよ。ついでにこの辺にあるスズランやらなんやらも好きなだけ掘り起こして持って行ってもいいよ」
「えっ。でも、掘り起こして持って行ってしまったら来年は楽しめなくなりますよ」
よくみると、蠟梅の他にも、冬桜、梅に山茶花と冬のこの季節に珍しく、畑は花盛りで澄んだ空に誇らしく咲かせていた。足元にはツワブキや水仙が品よくあしらわれている。
「どうせ、春にはこの畑は潰してしまう予定だ」
初老の男性は冬の空のように清々しく言い切った。勿体ないですねなんて言葉は野暮だ。
「では、お言葉に甘えて少し畑に入らせてもらってもいいですか?今はシャベルもポッドもないので持って帰ることはできませんけど、家に帰って育てられそうなものがあれば検討します」
「あぁ。お嬢さんのように花がわかる人にもらってもらえれば、婆さんも満足だろうよ」
「奥さんにも許可を得なくていいんですか?」
「婆さんならそこにいるよ」
と、蠟梅を指して初老の男性は笑った。その後、スマホのカメラでひとしきり気になる植物を撮影させてもらい、連絡先を交換した。
「大和木曾田マンションに住んでいるのかね。美鈴ちゃんは」
「大和木曾田マンションをご存じなんですか?」
「ご存じも何も隣の木曾田ガラスでわしの顔を見たことはないのかい?」
と初老の男性の顔をまじまじと見て思い浮かんだ。隣にある木曾田ガラスの正面玄関の横にそっぽを向いたような銅像。
「社長!」
「いやいや…役職もないただの先代社長だがな。とはいえ、元社長だ。多少の伝手は残っている美鈴ちゃんが掘り起こすのに手を貸すよ。いつにするかい?」
掘り起こしの日時を定めて、その日は解散となった。自転車を走らせると、前かごにパンパンに膨らんだ洗濯物を見て思い出した。あぁ…コインランドリーに行っていたんだった。幹線道路に密集したスーパーや牛丼やハンバーガーのチェーン店にふいに現れた畑に、興味をそそられてフラフラと立ち寄ったのだ。冬の花ばかりを集めた畑。集客の多い道沿いにポツンと残された畑。
「美鈴ちゃん、仕事帰りかい?」
会社帰りに聞き覚えのある声に振り返ると、ひょこっと顔を出したのは泰造さんだった。作業着が土で汚れている。木曾田ガラスのはす向かい、大きな角地が泰造さんの自宅だ。
「はい」
「誰もいない離れだから、遠慮せずにどうぞ」
瓦屋根の大きな門と塀に囲まれたそこは時代がレジンで固められたように止まっていた。
小さな平屋の建物。玄関扉を引けば黒い玉砂利の埋まった土間と、磨き上げられた上がり框が現れ、美しい竹細工の靴入れの上に置かれたガラスの容器に鈴の付いた鍵を落として泰造さんは履いていた長靴を脱いだ。パチリと電気をつけると、いくつかの扉と、短い廊下があり、突当たりの扉を開くと、中央にこたつのあるLDK。さまざまな模様のすりガラスが組み合わされた引き戸に室内の穏やかな白熱灯の光が反射している。私の目がそこに釘付けになっていることを察して泰造さんが答えた。
「昭和ガラスだよ」
皺枯れた歪に曲がった指で一つ一つの枠に愛おしそうに撫でながら
「梅、桜、竹、ツツジ、あじさい、ひまわり、朝顔、葡萄…」
指を追うガラスの一つ一つに繊細な凹凸で模様が描かれている。引き戸を開くと、
「見せたかったのはこれだよ」
タマリュウに石畳敷の小さな庭に、盆栽棚に置かれた三つの盆栽が月明りに照らされていた。裏庭に出てまじまじと観察すると、五葉松と紅葉、けやき。盆栽のことはあまり詳しくはなかったが、弱弱しい儚げな立ち姿だった。
「元々は、いくつもあったんだけど、今残っているのがこれだけなんだ」
家の裏手に回ると、園芸用の支柱や、育苗ポッド、大きな和鉢から小さな盆栽皿までが無造作に積まれていた。
「必要なものだけでもいいから、美鈴ちゃんが引き取ってくれないかな」
部屋に戻ると、和箪笥の中から古いアルバムと、スケッチブックを取り出した。
「この家は、昔、妻の母親の隠居屋敷として建てたんだ」
アルバムの一枚目には、ほっかぶりをしたもんぺ姿の老婆と、作業着に手ぬぐいを巻いた婦人が映っている。背景には手入れの施された盆栽や、和鉢に桔梗、芍薬、オダマキ、アヤメなどが所狭しとその美を誇っている。
「この方が奥様なんですか?」
同じく作業着姿の男たちに囲まれて一人だけ作業着姿の婦人が快活な笑顔で映っている。
「このガラスの柄は彼女が描いたんだよ。あの頃は高度経済成長期で、昭和ガラスは飛ぶように売れた。妻が作る繊細で独創的なデザインガラスは次から次へと注文が入ってな。工場は毎日フル稼働で、いい職人もたくさん入った」
大きな煙突と、広い工場の前にトラックが整然と並んで出荷を待っている。写真は飴色に歴史を重ねていたが、その後ろの背景には見覚えがあった。
「この川、この場所って」
「あぁ。今の大和木曾田マンションの場所だよ。元々は木曾田ガラスの敷地だった。昭和ガラスは高度経済成長期を過ぎると次第に需要が減って洋風の透明ガラスが建物に利用されるようになった。安価で大量生産される大手のガラス工場がシェアを覇権するようになると、うちのような小規模なガラス工場は立ち行かなくなったって、工場を売却したんだ」
アルバムをめくると職人たちが工場内のガラス制作をしている姿の所々に、更地に植樹している作業着姿の婦人の姿がある。
「あの畑は、元々は妻の実家があった場所だったんだよ。妻は一人娘で継ぐ者がいなかったから妻のお母さんが、一人になったときにこちらに越して、空き家は潰して跡地に妻が好きだった冬の花を植えていった。妻は冬の花が好きでな。とくに蠟梅やボケ、枝に小さな花をつけるのが愛らしいと、工場が閉まってからはよく畑で手入れしていた」
工場の仕事を終えたころなのだろう。鍬を支えに満開に咲いた蠟梅を背景に向ける笑顔は、工場時代と違って小さく自然な笑みだ。
「奥様、とても綺麗ですね」
「あぁ。工場を背負ってたころはきっと無理をさせていたのだろうな。工場の売却とともに、妻も引退して家にいるようになったのだけど、本来は穏やかで慎ましい人だったんだろう」
立ち入ったことと思いながらも、聞かずにはいられなかった。
「奥様との思い出を失うのは、お辛くはないのですか」
一瞬、泰造さんの目はスケッチブックと、すりガラスに向けられた。
「昭和ガラスと一緒さ。時が来たということなのだろう。時流には逆らえない、ただあるのは今残ったこの老いた残り少ない自分という器だけだ」
家に帰ると、木曾田ガラスのHPを見てみた。今は輸入ガラス製品の卸販売をしているらしい。社長の名も顔も、泰造さんの姿ではなくなっている。
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春の息吹に誘われて、うろうろと徘徊していると、鼻に押し込まれるような芳醇な香りに引き寄せられに足が向かう。そこはバラ御殿だった。壁面と、門扉に見事に誘引されたピエール・ロンサール。玄関へつづくピースとリンカーンの大輪のバラ。バルコニーからモッコウバラがこんもりと洋風の建築を彩っている。圧巻され、立ち尽くすと
「よかったら、中に入ってみていきますか?」
上品な声に振り返り、分厚いバラ用グローブをつけ、ヴィンテージ風の如雨露を手にした婦人がにこやかに笑っている。
「すみません。勝手に人の庭を覗いたりして」
恐縮すると、
「いいのよ。こんな風にうちのバラに見惚れてくださる方は久しぶりだわ。ぜひゆっくりしていって」
重厚な門扉を開くと、そこは秘密のバラの園だった。
「これは黄色いバラの代表格グラハムトーマス、純血と清楚アイスバーグは白雪姫とも呼ばれているわ」
広い庭に、樹勢を生かして仕立てられ植えられているバラは、どれも勢いのよいシュートが出ていてその手入れの良さが伺えた。
「どれも、丁寧に手入れされているのがわかります」
バラの下草には、ジキリタス、アネモネ、サルビアと、それぞれのバラの色に添える空間がまた一枚の絵のように美しい。こんなに大きな庭をこれほどまでに完成された状態に整備するのにどれだけの情熱が必要だったのだろうか。
「ありがとう。ここに植えられているバラたちは、この家を建てたころから植えられているのよ。もうどれも私の娘たちと同じくらいの熟女なの。ねぇ、よかったらバルコニーからの景色も見て行かない?上から見下ろすバラもなかなかなのよ」
「折角ですからお言葉に甘えてもいいですか?」
大きな鉄製の玄関扉を開くと、劇中に出てきそうな大きな階段と吹き抜け天井。
「バブル期の建物なの。15年前に亡くなった夫がね、建築士で。バブルの時代に、金回りのいい人たちがこぞって洋館を模倣したものや、一風変わった建物を好んで注文してくれて、夫は富裕層をターゲットに商売をしていたのよ。羽振りが良かったころはそうしたお客様を我が家に連れて来て、いまでいうモデルハウスみたいにお招きしていたのよ」
そういうと、奈緒美さんは豪奢な細工がされている手すりを撫でた。二階の一番日当たりの良い部屋が客間になっている。あまり覗いてはいけないと思いながらも、客間の輸入物らしき大型の家具や、レンガを積んだ立派な暖炉にはそれぞれ布が掛けられ、もう何年も使用していないのか埃が被っていた。それでも大きな白い木枠のバルコニーに繋がる扉だけは、蠟が塗られているらしく鍵を外すときしむ音もせずにすぅっと外側に開いた。
「わぁー」
眼下に広がったのは、花の作り出す美しい絵だった。バラの花の鮮やかさ、葉っぱの緑、下草の淡い色色々。思わず断りもなくバルコニーの淵まで駆け寄ると、目の中に留めておきたい景色を閉じ込めた。しばらく動けずに眺めていることしかできず、ふと我に返ると、後ろでガーデンチェアーに座った奈緒美さんがいた。
「すみません。勝手に…」
「本当にお花が好きなのね、でもうれしいわ。こんなに庭を褒めてくださる方なんて久しいもの」
いつの間にか、お茶やら菓子まで用意している奈緒美さんは、慣れた手つきでティーカップに紅茶を注いだ。
「よかったら、もう少しお話を聞いていって」
という奈緒美さんの言葉に甘えて、向かいの席に座る。落ち着いて眺めると、このバルコニーにもナツメヤシやユッカの木などの観葉植物や、ペチュニアやゼラニウムなどで南国の洋館のような雰囲気を作り出している。
「このバルコニーも素敵ですね」
「そうでしょ。夫のお気に入りだったの。よくここでパイプをふかしながら、ウィスキーを手にアイディアを練っていたものだわ」
奈緒美さんの目にはここにはないいつかのバルコニーが映っている。その景色が消えないように私は音を立てずに紅茶を啜った。
「この景色ももうこれが最後なのよ」
ポツリと奈緒美さんが呟いた。相変わらず微笑は上品で美しいが、少しだけ目の光が小さくなったように思えた。
「バラってね。育てるのに、どうしても消毒や剪定、肥料が必要でしょ。今の時代、牛糞やら鶏糞の匂いとか、消毒の危険とかって…。蜂や害虫も呼び寄せてしまうし」
このバラ御殿にたどり着くまでの道のりを思い返した。川からかなり離れた平たい土地で、似たような景観の建売の家が多い地域、いわゆる新興住宅地というやつだ。
「そうなんですか…」
残念とはいえなかった。きっと多くの人の言葉や態度に肩身の狭い思いをしても何年も守ってきたものを手放すだけの決意をしたのだから。
「美鈴ちゃん、よかったら、欲しいものだけでもいいから私の庭の子たちをもらってくれないかしら?それから…」
「でも、旦那様との思い出のものを私みたいな通りすがりだけの人間が受け継いでいいものなんでしょうか」
「バブルが弾けてから、この家にお客様が来ることはなくなったの。でも、私は最後まで庭を守ったことが、あの人の慰めになったんじゃないかって信じているの」
失われた時代を生きる私には、過去の栄光はない。でもこの庭は、奈緒美さんにとっての生きた証なのだ。傾いた夕日に照らされた庭を何枚もスマホのカメラで保存した。
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海を目の前にした大浴場は、夕日を浴びて少し赤く染まる。
「夕方の海沿いの散歩の後には、ジャグジーにサウナ。お肌のキメがよくなってきた気がするわ」
そういう、奈緒美さんの肩は確かにモチモチしっとりとしている。日々、シャワーで済ませボディクリームも気が向いたときにしかしない私の肌は初めてのサウナで、ベタベタどろどろの汗にまみれている。
「私、先に上がりますね」
というと、シャワーを浴びてこそこそと脱衣所の隅で着替えをする。私のような年代の娘が入ってくるのが物珍しいのか、不躾な視線がちくちくと痛い。
ノックをすると、スリッパと作務衣というこちらも湯上りなのか頭のてっぺんまで血行が良くなっているのがわかる泰造さんが出迎えてくれた。
「美鈴ちゃん、いらっしゃい。あれっ奈緒美さんは一緒じゃないのかい」
「奈緒美さんは、あとで来ると思いますよ。お風呂先に上がってきちゃったから」
と、手土産を差し出した。
「これこれ。ありがとう美鈴ちゃん。あそこの酒蔵の新酒を毎年呑むのが楽しみでな…」
と、備え付けの小さな食器棚から、見事な細工のされた切子グラスを3つ取り出した。リビングテーブルには、すでに三人分の夕食が届けられていた。化粧箱から、早速新酒を取り出すと、控えめなノックの音が響いて
「鍵は開いているからどうぞ」
と泰造さんが声を掛けると、浴衣姿の奈緒美さんが現れた。手にはワインボトルを抱えている。
「あら、私も新酒のワインを持ってきたのよ」
「ワイングラスもあるから」
と戸棚に再び戻った泰造さんが、こちらも切子ガラスのワイングラスを持ってきた。
「珍しいですね。色付きのワイングラスって」
「もちろん、バカラやイッタラなんてのも好きなんだが、日本のガラスがやっぱり性に合う。この狭い戸棚に持ってきたのは和ガラスばっかりだよ」
「そうね。そういうところが泰造さんと意見が一致するわ。私もこの備えつけの棚に入る量って思って持ってきた食器は、ノリタケやナルミなんかの日本食器ばかりだわ」
この二人は感性も合うらしい。恋人というわけでもないのだろうが、友人というには色っぽい関係だ。二人の会話に耳を傾けながら、切子のグラスに注がれた新酒を味わう。
「美鈴ちゃんは、お酒も嗜むのね」
「嗜むというほどは…自分では買いませんし…でも、この日本酒はとてもおいしいです」
「そうだろう。今は若い杜氏が作っているんだが、それだけに舌が鋭敏で繊細なんだろうな。新酒の時期には酒蔵で直営販売しているんだけどそれ以外では地元の酒屋でしか手に入らないから、こうして美鈴ちゃんっていう友達ができて助かったよ」
泰造さんが、この温泉付き高齢者介護住宅に引っ越しをして間もなく、角地の家は取り壊され、今は建築の最中だ。
「美鈴ちゃん、私の持ってきたワインもぜひ飲んでみてね」
後を追って、奈緒美さんが豪邸を出ると、まだ青々と葉を残したあの見事なバラ園もいとも簡単に更地に変えられ、待っていたかのように建売住宅の建築が始まった。
なみなみと、注がれたワインを口にしながら化粧箱に付属していたワインのパンフレットを開く。障害を持った人たちが、葡萄から栽培しワインを醸造しているという。イタリアの街並みを思わせるワイナリーと、働いている人たちの笑顔が穏やかな気持ちにさせてくれる。
「この地域にワイナリーがあるなんて知りませんでした」
「そうね。この地域は、夏が熱いし、湿気も多くてブドウ栽培にはあまり適していないと思われがちなのよね。でも、そんな土地でこそ作られるあたたかな味がある、難しい作業を、緻密に丁寧に淡々とこなす人たちがいる、毎年、新しいワインの季節にはワイン祭りも行っているのよ」
「それは楽しそうだね、ぜひ行ってみたい」
ワインを傾けつつ、新鮮野菜が宝石のように散りばめられたジュレを口にしていた泰造さんが身を乗り出した。
「じゃあ、今年はご一緒しましょう」
ワイン工房は、建築を奈緒美さんのご主人が手掛けて以来の付き合いだという。こうして、自分の過去も未来も共に認めあえる人に出会えることは本当に奇跡のように思えた。
「ここに越してきて本当に良かったと思えるよ」
「えぇ。初めはもう少し一人で頑張ってみようと思っていたのだけれど、美鈴ちゃんを通して泰造さんと出会えて、ここを知って。あぁ。もう、いいっかなって思えたの。頑張ることも意地を張ることも、人生には必要なことだけれど、人間は自分の意志で生まれてきたのではないのだから、いなくなるときもきっと」
「本当にここはいい場所だよ。知多の海のものも毎日のように食べられるし」
「毎日、何もしなくてもおいしいものが出てくるのだから、体を動かさなきゃって思うわよね」
食卓に並べられたのは、施設でコックが腕を振るった料理なのだという。知多半島の高台に建つ施設には、海も近く、知多牛などの特産品など豊かな食材が届けられる。口にした刺身は、新鮮で歯触りがいい。新鮮な野菜は、この住宅の住人が畑で作っているものだという。勿論、泰造さんや奈緒美さんも畑のサークルに入っている。
泰造さんと奈緒美さんからは、家族の話も、家の話も出てこない。もうそれは過ぎた過去なのかもしれない。
ホテルの一室のような来客用の部屋のベッドに潜ると、酒と食べ物で膨らんだお腹から、いますぐにでも眠るようにという指示が入った。頭がぼんやりとしているようでも旅先の緊張からかなかなかスイッチが切れない。
知多半島にある高齢者住宅は、ジャグジーやジムなどが併設されている高級ホテルのような外観や内装で、閉塞感などがないように思われた。
でも、施設内を見て回れば、車いすに乗った老人がいて、ここが最後の場所だということが次第に見えてくる。日曜だというのに、訪れる家族もなく、現実とは離れた、切り取られた非日常の中で最後の時を過ごしているのだと理解できた。
人生の良き日など、比べる必要はない。たとえ今日が人生で最も良い日だとしても、最悪の日だとしても過ぎてしまえばただの過去の一日だ。
でも、今日が過去の自分があったからこその今日なのだということ紛れもない事実だということを知っている人たちがここにはいる。
Green Jungle Queen ねりを @9648nerio
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