第5話

「……蛍か」

「ふむ、良いのう……。豊かな証拠じゃ」

その声に、平蔵はハッとして振り返る。


そこにいたのは、山口宗長である。

彼の手には杯、そしてただぼんやりと湖畔を見つめている。

「どうかしたか?」

「いえ……、少し酔いが回っておりました……。その為、少し夜風に当たろうと……」

「さようか。まあ、長旅で体も疲れておるじゃろう?」

「ええ、まあ……」

「正直で結構じゃ」

宗長は笑って言う。


「さてと、そろそろ戻るとするか……」

「宗長様……?」

「ああ、喧騒に少しうんざりして静かな場所に避難しておっただけよ」

「な、なるほど……」

「ワシも一隊を率いる将として殿に重用されておる身じゃ。そろそろ戻らねば、臆病者、逃げたなどと心なく言われてしまうわい」

宗永はわざと真面目な顔をして言う。

平蔵は思わず笑ってしまった。


「……なんじゃ?」

「あ、いえ……。も、申し訳ございません……」

「じゃあ、ワシは先に戻るからの」

宗永はそう言って宴会場へと歩いていった。


「……ほんに、良き男よのう。まるでせがれのようじゃ……。この先の戦でも、あやつは生かして帰してやりたいところじゃ」

宗永はそう思いながら、杯に残った酒を飲み干した。


宗永は平蔵に対して父性にも似た気持ちが湧き出るのを感じた。

平蔵は若くして父親を亡くしたせいもあってか、秀秋に対してはもちろんのこと、宗永にも非常に素直だし、言葉使いや教養を教え込んだところ、めきめきと育っていく様は、見ていて心地よく思ったものである。


「この先、大きな戦がないことを願いたいのう……」

宗永はそう言って、杯を空に突き上げた。


平蔵が夜風に当たりたい、そう言って出かけて行ってすでに一刻(現在で二時間)。

「平蔵はまだ帰っておらんのかぁ?」

秀秋は誰でも関係なくそう言って不機嫌そうにしている。


「宗永……! お主は平蔵を見ておらんのか? お?」

「ええ、湖畔のところを歩いているのをすれ違って、少ししゃべった程度でございまする」

秀秋は酔っぱらって真っ赤な顔をしながら宗永の腕を掴む。

「湖畔に落としてきたのではあるまいな?」

「ご冗談を、殿。彼は私にとってもせがれ同然の可愛い部下でございます」

「う、うむ……、それはそうであったな……」

秀秋は宗永の腕を離した。


「一体、どこへ……」

秀秋は千鳥足になりながら、宴会場から飛び出そうとして秀元と輝元に抑えられた。

「お主は酔いを醒ましてからじゃ!」

「危ないことこの上ないのう!」

二人は厳しく秀秋を注意した。


ズッ、ズッ、と濡れたものが動いてくる音がした。

「な、なんじゃ……!?」

秀秋は驚いたあまり尻もちをつく。

宗永はさすがに秀秋を守ろうと前に出た。


「……お主」

「平蔵ではないか! どうした?」

「それが、うっかり足を滑らせてしまいましての……」

秀秋はその言葉に呆然とする。

「湖畔に落っこちて、何とかもがいて這いあがって参ったのでございまする」

「何をやっておるんじゃ、お主は……」

秀秋より先に、宗永は呆れたように言う。

「風邪を召そう……、湯につかって参れ」

輝元は笑いながら風呂へと案内した。

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