その日の事

ゆーすでん

その日の事


 その日、私は会社にも出社せず電車に乗っていた。

 スマホを見れば、午前九時。

 完全に遅刻だ。

 電車はどこへ向かっているのだろう。

 正直、どこへ向かう電車に乗ったかさえ覚えていない。

 疲れた。誰にも会いたくない。

 会社に行かなきゃ生活できないし、仕事が溜まる一方だ。

 私がやらなきゃ終わらない。

 そんなことは分かっている。

 だけど、今日は、行きたくなかった。

 何となく我慢していたものがゆっくりと這い出して、

 普通の生活を送ることを邪魔していた。

 気が付けば、車窓から海が見えた。

 

 いつからか、虚しさだけが心にあった。

 私の息子は、両親に見守られ呼吸を止めた。

 とはいっても、四つ足の息子。

 私が結婚していた時に飼い始めたが、離婚して両親の元へ連れて帰った。

 最初こそ手を焼くやんちゃな孫だったが、段々と慣れて楽しく過ごしてくれた。

 仕事から帰ると、笑顔で迎える息子に安心するとともに結婚生活を

 続けられなかった自分に嫌気がさしていった。

 あの子に構うのもうっとおしくなった。

 あの子には、両親が居るから。

 あの子はずっと私を求めていた。

 分かっていたのに、私は避けた。

 それでもあの子は、私を母ちゃんと呼んでくっついてきた。


 いつまでも、続くわけないと分かっていたのに。その日は、訪れた。

 急激に弱っていく体を止められなかった。

 それでも、仕事に行くしかなくて両親に世話を押し付けて働いた。

 昔も、同じことがあったな。

 小学生の頃にうちに来たあの子。

 大学の時に、呼吸を止めた。

 私は、二人の近くに居たはずなのに最後に立ち合わなかった。

 逃げて、逃げて、見なかったのだ。

 あの子たちを私は、突き放した。


 気が付いたら、電車は最終駅に着いた。

 降りるしかない。

 駅に降りると、潮の香り。

 海辺の小さな無人駅だった。

 とぼとぼと歩きだし、改札を抜ける。

 目の前には小道があり、海に続いている。

 その道を進んでいくことにした。


 小道には、紫陽花が植えられていて手毬の様な丸い形が至る所に見える。

 青やピンク、白となかなかカラフルだ。

 小道の先の砂浜に着くと、波の音しか聞こえない開けた場所だと分かった。

 たださざ波だけが聞こえる場所。

 その場所に座り込むしかなかった。

 しばらくぼーっと海を見つめていた。

 このまま、海に入ってしまおうか。

 そうして、ここで


「あー! 母ちゃん!!」

「こら、違うだろ。お姉さんだろ。」

「あ、ごめん。おじさん。」

「お姉さん! おーい!」


 急に騒がしい声が聞こえてくる。

 騒がしい方に目を向けると、二十代半ばの男性と小学生くらいの

 男の子が並んで歩いてくるのが見えた。

 男の子が両腕をぶんぶん振っている。

 黒髪で丸顔の華奢な青年。

 小学生くらいとはいえ、筋肉質のしっかりした体格の白髪の男の子。

 青年の方が男の子に引っ張られ、よろよろと走ってくる。

 何故か、くすりと笑ってしまった。

 最近、笑う事なんて無かったのに。

 二人に、なぜか懐かしさを感じた。


「お姉さん。今日はどうしたの?

 海見てるの? 楽しい? 

 どうせなら、俺と遊ばない?」

「びっくりして固まってるだろ。

 おい、抱き付くな。落ち着け。」


 私は今、小学生に抱きつかれ質問攻めにあい。小声で叱る青年に、

 何とかしてと目で訴えていた。

 私に近づくなり抱きしめてきた男の子の力が異様に強く、あの子の事を思い出す。

「ごめんなさい。こいつ、力強くて。」

「うん、なんか。お兄さん大変だね。」

「分かってもらえますか? 本当に、大変なんですよ。」

 白髪の少年に抱きつかれながら、黒髪の青年の涙目に同情して頭を撫でる。

「あー! ずるい! 俺も撫でてよお。」

 まさに、カオスとしか言いようがない。

 顔を引きつらせながら、二人の頭を撫でる。

 左手で青年を、右手で少年を。

 両手の感触に、何故か涙がこぼれる。

 二人の感触を、私は知っている。


 二人の頭を撫で続けていると、二人してうとうとし始め私の両腿に収まった。

 温かい日差しが差す砂浜で、二人の体をゆっくりぽんぽん…と叩きながら過ごす。

 規則正しい寝息が、心地よい。

 突如、白髪の少年がうーんと伸びながら仰向けになった。

 伸ばした腕がそのままで、戦隊ヒーローの決めポーズみたいだ。

 かと思えば、青年は眠りながら腕と脚をぎゅっと縮め後ろへ同時に伸ばした。

 ふっと微笑む。

 太陽は、随分傾いた。

 私、帰らなきゃ。

 両腿の重みを確かめる。

 黒と白の二つの頭をゆっくりと撫でる。

 二人は、眠りの中で笑顔になった。


「起きて、二人とも。帰る時間だよ。」


 強めに二人の肩をゆする。

 顔を歪めた二人が、同時に目を開けた。


「ほら、もう夕方になる。

 ご家族が心配するから、帰らなきゃ。」


 本当は、帰したくない。

 私が、帰したくない。

 でも、帰らなきゃいけない。


「お姉さんは大丈夫なの?

 ここに、居たくないの?」


 白髪の少年が寝ぼけた声で聴いてくる。

 黒髪の青年は、じっと見つめている。

 君たちの側に居たいよ。

 でも、そばに居ても離れなくちゃいけない。

 君たちの次の為に。

 

 二人を、両腕でぎゅうっと包む。


「ありがとう。君達に会えてよかった。

 会いに来てくれて、ありがとう。

 大好きだよ。」


 二人の腕が、私を包む。

 涙と鼻水が、これでもかと流れ落ちる。

 二人の頭を撫でて、グッと離す。

 二人と目が合えば、会いたかった瞳。


 二人の頭をぐしゃぐしゃと撫で、後ろを向く。

 会いに来てくれて、ありがとう。

 小道を歩く。

 紫陽花のゲートをくぐる。

 駅に着いたとき、微かに聞こえた。


「「大好きだよ。」」


 振り向きたかった。

 一番聞きたかった言葉を聞けたから。

 でも、そのまま改札を抜けた。

 そして、電車に乗った。

 気が付いたら、アパートの最寄り駅。

 電車を降りる。

 ポケットが震えて、スマホを取り出すと異様な数の着信やら

 メールやらが届いていた。

 私は、まだ、必要とされているらしい。

 部屋に戻る道すがら、コンビニへ寄る。

 チーズとゆで卵とミニトマト。

 ゆで卵は、この際作らずお供えしよう。

 部屋の鍵を開け、明かりをともす。

 真っ直ぐに向かうのは、鼻ぺちゃのワンコたちの写真。

 絹の様に光る黒色の子、そして全身真っ白でゲラ笑いする我が息子。

 会いに来てくれてありがとう。

 私も二人が大好きだよ。


 次に君たちに会えるのはいつだろう。

 楽しみに待ってるよ。

 ありがとう。

 大好きだよ。

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