すっぽり穴

朝、スマホに設定されているアラームで目を覚ます。いつも通りの朝。だったらよかったのに。目を開けても何もする気力が起きない。


だがこのまま何もしないでいたら学校に遅刻してしまう。今後の人生のために…今後の人生…まともな道を歩けるのだろうか?


漠然とそんなことを考えながらだるい体を起こしリビングに向かった。そこにはいつもと同じ笑顔の母さんが俺に挨拶をしてきた。


「あら、おはよう真弥翔」

「…おはよう母さん」


母さん。そう呼ぶことがはばかられてしまう。そう呼びたくない。こんなものが母親だなんて信じたくない。だが事実としてこの人とは血が繋がってしまっている。


「…元気出して?きっと真弥翔にもいい人が見つかるわよ」


俺は思わず笑ってしまいそうになった。何がいい人が見つかるだ。もうそんなことどうでもいい。それより自分のした事を思い返してみてくれ。よくそんな屈託のない笑顔を俺に向けられるよな。よく心配できるよな。俺の心配より妊娠していないかの心配をした方がいいんじゃないか?


ははっ。皮肉が言えるくらいに頭が回転している。どうしたんだ俺。昨日みたいに泣きじゃくって絶望しないのかよ。なんだか感情がごっそりと抜け落ちてしまったような感覚だ。ふわふわしている。


「おはよーお兄ちゃん」

「おはよう紗奈」


紗奈にも普通に返事が返せてしまった。これが俺の妹なのか。前まで可愛い妹だと思っていた存在が今は醜くて穢らわしいものに見えてしまう。違うだろ。紗奈は紛れもない妹だ。違う。これは汚物だ。


あぁ、おかしい。相反する考えが俺の頭の中で蠢いている。まるで脳みそが蛆虫に侵食されているようだ。


学校に行かないと。


なぜ学校へ行こうとしているのか分からない。きっとこれは義務感だ。いつもしていたことだからいつも通りする。それだけの事だ。


「行ってきます」


俺はそう言って母さんと紗奈が言葉を発する前に家の中から出た。


そしていつも通りの道を歩く。しばらくすると美奈との待ち合わせ場所が近づいてきた。そこにはいつもと変わらない様子の美奈が立っていた。


…誰一人として変わってないな。もしかして変わっているのは世界で俺1人だけかもしれない。そんなオカルト混じりの考えをする。


その場所に近づくと美奈は俺に気づいた。


「おはよ、真弥翔」


そして普通に挨拶をしてきた。


「おはよう、美奈」


俺も普通にそう返した。美奈を前にしても特に何も感じなかった。だって美奈と俺は付き合っていなかったんだから。だから美奈があの先輩の告白を受けたって何ら不思議では無いのだ。だから俺はなんでもない事のように昨日のことを聞いた。


「美奈、あの先輩とはどんな感じなんだ?」


すると美奈は笑顔で答えてくれた。


「うん!あんな名前も知らない男となんて付き合ってないよ!」

「ふーん。そうなんだ」


ふーん。そんな程度しか言葉が出てこなかった。だってそれを聞いても何も感じなかったのだから。そっか、別れたんだ。言ってもそれくらいの事だったと思う。


「…何か言うことないの?」


美奈が上目遣いにも似た目線を送ってくる。


「何かって?」


本当に分からなかった。


「…私、あの人と付き合ってないんだよ?」

「うん。それで?」


美奈は何を言いたいんだ?


すると美奈は意を決した様な表情をしてから口を開いた。


「…真弥翔は私のことが好きじゃないの?」


その質問にはどう答えるのが正解なのだろう。


「好きだったよ」


きっとこう答えるのが正解なのだろう。


「…だった?」


美奈は嬉しそうな顔をしていたがすぐに表情を変えて聞き返してきた。


「あぁ、好きだった。過去形だよ。今はもう好きじゃない」


なんだか誰かを好きになるなんて馬鹿らしく思えてきてしまった。これは別に美奈が悪いわけじゃない。だがもう俺は誰も信用出来ない。最も信じられると思っていた人たちに見事に裏切られたのだから。もう笑うしかないだろう。


「…なんで?私が先輩と付き合うなんて言ったから?」


美奈は悲しそうな表情でそんなことを言ってきた。きっと前までの俺なら美奈のその表情を見ただけで胸が傷んだ。多分。でも今は本当に何も感じない。悲しそうだな。それが率直な感想。


「いや?別に」

「じゃあなんで…」


理由を聞かれたので俺は思っていることを口にした。


「ただ、なんだか人を好きになるなんて馬鹿らしく思えてきたからだよ」


だってそうだろ?母さんは父さんを愛していたはずなのに他の男に嬉々として身体を許していた。それが人を好きになるってことなのか?そうなのだとしたら俺はもう何も考えたく無くなる。


「…やっぱり真弥翔の人生には私が必要だよ」

「は?どういうことだよ」


全くもって意味がわからなかった。


「だってそんなことも分からなくなっちゃったんでしょ?そんなの可哀想すぎるよ。私が人を好きになるってことを教えてあげる」


美奈は妖艶な笑みを浮かべながらそう言ってきた。


「あ、そういうのいいんで」


俺はそう言ってスタスタと歩いた。もう考えることがしんどい。何も考えずに日々をこなす人生の方が楽でいい。


「…なんで。なんでわかってくれないの?私は真弥翔の為を想って言ってるのに」


はぁ、今日もしんどい1日の幕開けだ。



【あとがき】


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