探索

「…ただいま」

 ネットカフェから帰って、24:00目前の我が家の玄関の扉を開けた。

「お帰りなさい」

 母が出迎えた。

「お風呂ももう入ってきたから、歯だけ磨いて寝るよ」

「…哲基、何か他に言うことはないの」

「言うこと?晩ご飯がいらないっていう連絡はしたと思うけど」

「違う。廻ちゃんのこと」

 廻のこと?何の話だ。ただ他人がいると居心地が悪いからこちらから策を打ったというのに。その方が母さんも廻もやりやすかったのではないのか?読みが外れたか。

 考えたって自分はどうせ分からないので、

「ごめん、何の話かさっぱり」

 と素直に申告する。

「……はあ」

 母は大きくため息をついた。

 俺はまた母を失望させたようだ。まあ別にこういうこともいつもの事なので慣れっこなのだが。

「哲基、お母さんは、心が折れそうなの」

「……」

 急に話された苦手な類の話に身構える。

「お母さんね、哲基がこんなに人の気持ちが分からない子に育つと思わなかった。もう高校2年生なのに、未だにきちんとした心の通った会話ができない」

「お友達もいない、かといって、一人没頭できることがあるわけでもない。家族とだって必要最低限の関わりしか持たない」

「あなたと話していると、人と話している気がしてこないのよ。言ってること、わかる?」

「…分からない。自覚がない」

「……」

 おそらく予想通りだったのだろう。母は表情を動かさずに聞いている。

 玄関を通り廊下を抜けた先のリビングも、台所も、父と母の寝室も、廻の声も聞こえない。みんな寝静まっているようだ。

 少しだけ古い時計の針が正確に時を刻む音だけが聞こえる。

「…俺はその手の話、何度言われても、誰に言われてもよく分からない」

「…そう、そうだったわね」

 もうこれ以上、自分に母の感情を読み取る能力はない。母が何を考えているのか分からない。

 時間が遅い。授業中に寝たら面倒なので早めに就寝したいところだ。

「もう時間が遅いから、寝たいんだけど、その話は今じゃないといけない?」

「…いいえ。いいわ。また今度でも」

「そう。おやすみ」

「おやすみなさい」

 母はそのまま寝室に入って、ベッドに潜る音が聞こえた。

 歯を磨いて部屋の扉を開ける。

 暗い部屋の中、もう寝るのだから多少の暗闇の中は手探りで歩く。

「…哲基くん」

「ぅゎ!?」

 急に聞こえた声に流石に驚いて小さく声を上げ、声のした方を振り返る。

「こんな時間に何してるんだ…脅かすな」

「…ご、ごめん…」

 廻はドアの向こう側で小さく呟いた。

「…はぁ、用事は」

「…あ、さっきの話、ちょっと聞いちゃって…」

 玄関での母との会話だろうか。

「それが?」

「…悪かったかなと思って…ごめん」

「別に。気にするな。あれくらいよくある」

「そうなの?」

「そうだよ。お前は気にしなくて良いから寝ろ。俺も寝たいんだよ」

「…うーん」

 まだ何かあるのだろうか。廻は取るに足らない小さなことを気にしがちだ。話が進まなくてイライラする。

「ねぇ、哲基くん、大丈夫?」

「は?」

 な、何がだ…予想だにしなかった言葉が飛び出してしばらく固まってしまった。

「何のことだか分からないし…別に何も変わらないよ」

「そっか…」

「もう寝ろよ。リズムが崩れる」

「そうだね。変なこと聞いてごめんね!」

「おやすみ!」

「おやすみ」

 そこでふと、こんなに落ち着いたテンションで話ができるんだなと思った。最初からああして欲しいものだ。


「ホントにお世話になりました!」

「いつでも来てね〜」

「体には気をつけてね」

 姉と母が交互に言った。

 廻の入居先の準備が整い、ようやく我が家に平常が戻ってくることに安堵する。

「哲基くんもありがとね!」

「俺は何もしてないと思うけど」

「そんなことないよ〜!」

「廻ちゃん、本当にごめんなさいね。昔からこうなの、許してあげて…」

 母が昨日の延長のようなことを廻に言う。

「あぁいえいえ!全然大丈夫ですよ!全く気にしてないので!」

「けど…」

「大丈夫大丈夫!ね!哲基くん!」

 笑顔でこちらを向かれるものの何が大丈夫なのか分からない。

「普通にスルーするじゃん…」

「と、とにかく!許すとか許さないとかの話じゃないですから!心配しないでください!」

「それじゃあまた何かあったら…!お邪魔しました!」

 廻が玄関を出て、扉が閉まると家に一瞬の沈黙が流れる。

「廻ちゃん相変わらずイイ子だね〜」

 沈黙を最初に破ったのは姉だった。姉はこういうところで一番に話し始めることが多い。

「また来ないかな〜」

「もうごめんだ」

「こら哲基」

「……」

 すかさず母に突っ込まれる。どうせこのくらいのことを言うのはわかっているのだからもう反応しなければ良いのに。


 その後、休日を普通に、何事もなく勉強をして過ごしていた。

「哲基〜」

 この間抜けな声は姉だ。

「何」

「お前さ、昨日帰ってきてからお母さんになんか言われた?」

「聞いてたの」

「うん、あ、いや正確に言うと聞こえたなんだけど…」

「まあ少し話してただけだよ」

「それが何?」

「…哲基がスーパードライ人間なのは今でこそ分かってんだけどさ?お前昔こんな感じじゃなかったくない?」

「え?」

 いきなり記憶にない自分の姿の話をされ戸惑った。一体どういうことだ。

「お前が3歳くらいの頃のことお姉ちゃん結構覚えてるけどさ、あんた普通に幼稚園に友達いたべ?」

「待て、待て、全く記憶にないんだけど…」

「まじ?夢かな…」

「そんな夢あるか?」

 母さんは俺がこうだって言っていた。母さんの記憶が正しいなら、姉の記憶は夢になるが。

「でもさ、それ以外にもあんたがフツーに外で虫捕まえてたりしてたの記憶あるよ?」

「そ、そうなの」

 姉は4つ歳が離れている。確かに年齢差的に、俺の幼少期のことを知っているのは不自然ではない。

「まあそのスーパードライが才覚を表し始めたの小学校上がってからじわじわって感じだったから、お母さんがどんくらい昔のこと言ってんのかはわかんないけど」

「そう…」

「うん」

「いやまあ、それだけ」

「あっそう」

 それだけ言って姉はあっさり部屋を出て行った。あっさりだと感じたのは、廻のしつこさにこの2日弱で慣れてしまったのかもしれない。だとしたら本当に影響力が強すぎて恐ろしい。

 しかし、幼稚園生時代には友達がいたというのが驚きだ。全く記憶にない上に、今の自分の交友関係からすると想像しづらいものがある。

 そういえば、廻とはいつ頃出会ったのだろう。夢に出てきた廻はおそらく5才くらいだろうが、そのくらいにはもう俺と知り合っていたということだろうか。

 なんだかいつもは感じない何かの感覚に襲われて落ち着かなくなる。思考が揺れる。安定しない。

 考えたって仕方ない。それは分かっているし何より無視していたいのだが、上手くいかない。こんなことは生まれてこの方体験したことがなかった。

「…あ」

 そこで思い出す。廻の連絡先を持っていることに。

 このまま落ち着かないままでいるのも気持ちが悪いので、疑問は早めに解決しておきたい。


『廻、俺と初めて会ったの何時ごろか覚えてる?』


 廻の返信は速かった。1分もかかっていないのではないだろうか。


『確か、3才か4才くらいだと思う!』

『なんで?どうかしたの?』


 3、4才…となると、姉が言っていた、「友達のいた」時期と重なる。


『ちょっと気になることを姉さんが言ってた。その事実確認』

『その頃の俺がどんな様子だったか覚えてるか?交友関係とか』


『うーん…あんまよく覚えてない…』


 まあ、同い年ということは、廻もその当時3、4才だ。覚えていることは少ないしあやふやだろう。当然の結果ではある。


『でも、お父さんから仲良くしてねって言われてたのはめっちゃ覚えてる!』

『私も哲基くんと一緒に遊んだ記憶はうーっすらあるよ!』


「え」

 夢の中で廻が言っていたことが蘇る。叔父さんが言っていたという事実もある。


『廻、叔父さんに連絡取れないか?』

『聞きたいことがある』


『いいよ!』

『連絡先送るね!哲基くんから連絡くるかもって言っといた!』


 廻から叔父の連絡先が送られてきた。なかなか仕事が速い。


『ありがとう』


『どういたしまして!哲基くんからありがとう貰っちゃった!』


『そのくらい普通に言うよ、失礼な』


『ごめんごめん!』

『ところでさ、何があったの?』

『私にまでメッセージするって相当じゃない?』


 話すべきだろうか。無視することは容易いが、廻は質問に答えてくれた上に叔父に引き継ぎもしてくれた。これは何かしら彼女を満足させないと割に合わない。


『夢で小さい頃の廻と遊んでた。その時にお前がよくわからない事を言ってたんだよ』

『俺がひとりっ子だとかお母さんがいないとか』

『なんだろうと思ってた矢先、姉さんが昔は俺に友達がいたって言ってきた』

『少なくとも俺自身にそんな記憶はないし、今の交友関係から考えても少し不自然だ』

『それで、何か知ってるかもしれないと思って連絡した』

『そしたら廻が、叔父さんに俺と仲良くするように言われたって』

『夢の中での廻も、同じ事を言ってた』


 考えたことをそのまま書いたつもりではあるものの、何か足りない気がする。でも何が足りないのかがわからない。こんな、何が分からないのかわからないから質問ができない、みたいな事態になるのは初めてだ。少し情けない。


『そーなの!?私そんなこと言ってた!?』

『全然記憶ないや…役に立てなくてごめんね…!』

『でもそれは気になるね…言われてみれば確かにお父さん、哲基くんのこと昔からすごい気にかけてた気がする』


『そうなの?』


『うん、お父さんよく哲基くんはどうしてるかなって言ってるの』

『お父さんなら何か知ってるかもね!私もなんかあれば協力するよ』


 必要ない、と返信しようとして思い止まる。

 廻はなかなか人脈が広い。うまく使えば知りたい情報も簡単に手に入るかもしれない。

 それにまだこの疑問は解決していない。予防線を張っておいてもいいだろう。


『また何かあったら質問するかもしれない。その時は頼む。見返りは用意するから』


『も〜見返りとかいいってば!』

『あとね哲基くん!哲基くんは別におかしくないからね?』

『ちょっと合理的すぎるだけだから!』

『合理的の使い方合ってる?』

『合ってるっぽい!』


 合理的すぎる、か。

 その言葉が真実であれば、俺にもまだ救いようはあるのかもしれないな。

 母さんや廻、姉さん、父さん、クラスメイトや周りの人間たちが当たり前に理解しているが、俺にも理解できる日が来るのかもしれない。


『なんでもいいよ』


 そう返信して、しばらく考える。

 叔父に何から話すべきだろうか。夢がどう、とか言う話は大人にとっては信ぴょう性の無いものに違いない。取り合ってもらえるかどうか…

 でも、話をしなければ何も変わらない。疑問は解決しない。

 最悪この疑問は解決しなくてもいいのだ。昔のことなんて、今の自分には関係のないことだし、今後の自分の人生に、そう多くの影響があるとは思えない。叔父に「わからない」と言われれば、この探索は打ち切りだ。


 気楽に思い直し、叔父にメッセージを送る。


 この叔父との会話で、自分の生活を大きく変えることになるとは思いもせず。

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鬼の子 アイラ @Aira_ogy

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