第5話 BAR

非常階段が無くなってしまい、途方に暮れる私。

放心状態で非常階段があった建物を眺めていると、帽子屋の露店の裏に小さなドアがあるのに気が付いた。

そのドアは恐らく木製で、何か小さな札が掛かっている。

ドアの上には看板らしきものがあるのだが、字が読めないので何て書いてあるかまったく見当もつかない。

非常階段があった建物の一階のドア…もしかしたら、この中に上の階へ行く階段があるかも…そしたら給湯室とかに行けるかも!?


私はそのドアに手を掛け、そ~っと開けてみた。

中は薄暗く、奥にはカウンターらしきものがあって、その向こう側の壁には酒のボトルのような物が並んでいる。

ここ、もしかしてバー?

いや、間違いなくバーだ。飲み屋だ。

中にはお客さんは一人もおらず、店員も居る気配が無い。


店の中に入ってみた。


店内は年季の入った、さながら”隠れ家”と言った感じの雰囲気で、私みたいな薄っぺらい女が一人で入るにはちょっと場違いな感じだ。

その時、カウンター横の出入り口のような所から一人のオッサンが出て来た。

背が低く、丸顔で無精ひげを生やし、頭はこれでもか!という程にハゲ散らかした汚いオッサンが出て来て、私の方にズンズン歩いて来る。

そして私の目の前まで来ると、いきなり大声で叫んだ。


「イラーシャーセー!(いらっしゃいませー)オキャーサーナンメーサーッスカー!(お客様何名様ですか)」


「あ、あの、一名ですけど…」


「アザーッス!(ありがとうございます)シンキオキャーサーイチメーサーゴアンナー!(新規お客様一名様ご案内)アザーッス!(ありがとうございます)」


「は、はい…」


「アーシモックライッスカーオキョーツケークサーイ!(足元暗いですからお気を付けください)タダイマーカンターセキノミゴアンナートナテャースガヨロシャーッスカー!(只今カウンター席のみのご案内となっておりますがよろしいですか)」


「は、はい」


「アザーッス!(ありがとうございます)オキャーサーカウンテャーセキゴアンナー!(お客様カウンター席ご案内)」


い、居酒屋か!?

それに店の従業員って、たぶんアンタ一人だよね?何でそんなノリなんだ?


ハゲはひと通り大声で叫ぶと、疲れたのかハァハァと息をしている。言わんこっちゃない。


私がカウンター席に座ると、ハゲもカウンターの中に入って私の目の前に立った。


「お客様、ご注文はいかがいたしますか?」


最初からそのノリでやれよ。こんなイイ雰囲気のバーなんだから。

注文って言われてもなあ。でもこうして座っちゃったし、何か頼まないと悪いよね。

あ、私まだ勤務時間じゃん。お酒なんて飲めないよ。どうしよっかなあ…


「あの、コーラとか、あります?」


「おねえちゃん酒飲んだらヤバイとか思ってるんちゃうの?でーじょぶでーじょぶ。こっちでいくら飲んだって、向こうに行けば消えちゃうからよ、心配すんなって。飲んどけ、酒好きだろ?ホレ、今日は初めてだろ?ホレ、飲んどけ!奢ってやっからよ!」


ハゲはそう言って私の前に茶色い液体の入ったグラスを置いた。

私はそのグラスに恐る恐る口を付けると…あ、ウイスキーじゃん。

いや、ウイスキーなんて真っ昼間から飲めないよ。


「おねえちゃんさ、その様子だと今日が初めてだろ?こっち来たの。どうよ?面白かったか?」


何?

こっちとか向こうとか、何の話?

またまたワケ分かんない事になって来ちゃったよ…もう…泣きたくなって来た。


「お!その様子だとまだよく分かってねぇな。よーし、じゃあオレが説明してやっから。ありがたく聞いとけ」


「・・・・」


「あのな、おねえちゃんが非常階段のドアを開けたらどえりゃーコトになってただろ?これな、夢や幻じゃなくてな、現実なんだわ。マジなんだわ。非常階段のドアがよぅ、元の世界とこっちの境目なんだわ。今日おねえちゃんはその境目からこっちの世界へ来ちまったんだな、コレが、うひゃひゃひゃ」


「はい?元の世界とこっちの世界?何なんですか、それ?」


「いや、詳しい事は俺も分かんねえんだけどよぅ、なんつーの?最近流行りの?異世界っつーの?」


「い、異世界?」


「おう、あの非常階段のドアがこの異世界への入口なんだわ。でよ、たまーによ、あっちからこっちへ来ちゃうヤツが居るんだわ。おねえちゃんみてーにな、うひゃひゃひゃ」


「う、嘘…そんなバカな話あるわけないじゃないですかっ!人バカにすんのもいい加減にしてよっ!このハゲっ!」


「あ、ハゲは関係ねーだろ!まあいいや…でもな、心配すんなって!ちゃんと帰れるって!」


「本当?帰れるの?マジ?…ねぇ、どうやったら帰れるの?教えて!」


「どうしよっかな~。おねえちゃんさっきオレの事ハゲって言ったよねぇ…」


「言ってません」


「言っただろ!”このハゲ!”って言ったじゃんかよ!」


「言ってません」


「ウソつけ!言った!ぜってー言った!メチャメチャ言った!」


「言ってません」


「ゴマ団子にまぶすゴマは炒るなって言っただろ!」


「炒ってません」


「チーム打率が衝撃の1割台」


「ロッテ打線」


「・・・・・」


「・・・・・」


「付き合ってくれてありがとう」


「どういたしまして」


私はもう一度店内を見回してみた。

入口ドアの横に飾ってある古そうな帆船の模型、左奥にあるビリヤード台。

私が座っているカウンターは八席ほどの長さしかなく、天版は恐らく一枚板の削り出しで作られているのであろう、所々に節目が見える。

雰囲気はメッチャいいんだけど…何でこの店の従業員がこのハゲなんだよ。


「おねえちゃんさ、名前、何よ」


「名前ですか?坂口凛子ですけど」


「そっかぁ、凛子ちゃんか。あのな、凛子ちゃん。俺がさっき出て来たそこの厨房の出入口を入ってな、右側んトコに細い階段があるんよ。その階段を昇ってくとな、凛子ちゃんの見覚えのある鉄の扉があっからよ」


「えっ!ひょっとして、そこから帰れるのっ?ねえ、帰れるのっ!?」


「まあまあそう慌てなくてもえーから。その酒飲んでからでも遅くねぇからよ…」


私はハゲの言葉も聞かず、大急ぎでカウンターの椅子から飛び降りて厨房の出入口へ向かった。

左に狭い厨房、そして右側には薄暗い階段が上へ伸びている。


これだ!


私はその薄暗い階段を、スマホのライトを頼りにゆっくりと昇っていった。

木製の階段は、足を掛けるたびにギシギシと頼りない音を立てる。大丈夫か?この階段。まさか割れたりしないよね?

しばらく昇ると、目の前には鉄製のベージュ色の扉が現れた。これって…あの非常階段の扉だ!

ドアノブを廻して扉を開けると…


きゅきゅきゅきゅ、給湯室!


そこは見慣れた会社の給湯室だった。


「か、帰って来た…帰って来れたよぅ…」


良かった…マジ嬉しい!

あ!?

喜んでる場合じゃない。

夕方から打ち合わせがあったんだ!マズいマズいマズい!

打ち合わせ用の資料、まったく手を付けてない!間に合うのか?

給湯室の壁に掛かっている時計を見ると…


14:03


え?

確か給湯室に来たのって14時ちょうどだったはず。

はぁ?

3分しか経ってない!?

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