第19話 捨てる神あれば拾う神あり


スポットライトの当たらない深淵の客席。その後方で、それは大仰に手を振り上げていた。

ただでさえ真っ黒な出立ちゆえに、輪郭ははっきりしない。が、徐々にそのシルエットが大きくなる。

人垣が割れる。モーセもかくや、気おされてた民衆の海を不出来なヤタノカラスが推し通る。

「あーきたきた。やっと来たわね」

女社長が囁く。

冷酷経営者モードが一瞬だけ解けて、安堵を浮かべるも、男と目があってすぐに顔から表情を消し去った。

「……何かしら?私の出した結論に、何か不満でも?三郎クン」

高圧的な物言いの上司に睨めつけられ、三郎は壇上手前の階段で僅かに凄む。

地上に落ちたカラスは神を見上げた。

「不満も何も……俺は不満だらけだ」

一歩、階段に足をかける。

向けられる視線、周囲の動揺。初めてのスポットライトを一心に受け止めて男はステージに上り詰める。

「ここはフェアなジャッジの場だろう?それが何だ。人ひとりを蹴落とすふるいだと?馬鹿も休み休み言えよ」

「馬鹿ではないわ。これは天秤よ。経営者として、少しでもリスクを回避するのは当然。この企画、協賛も多いから失敗は許されないのよ」

「それで、弱点がある奴はいらないってか?それまでの努力は、一切評価されないのかよ」

「努力が報われないことなんて、この世にはごまんとある。いい大人なんだから、貴方だってわかってるはずでしょう」

「あぁ、そうさ。わかってる。わかってるがな!」

語気を強めて、三郎は自らに言い聞かせる。

ここまで我慢してきたが、無理だ。もう我慢の限界だ。

この悪辣で傲慢極まる神に物申さねば、俺は生涯永遠に後悔する。

慈悲なんて仏心ではない。自分は高徳な人格者などではない。

これは、ただひとりのエゴから発散される内なる叫びだ。

「……わかった。そうまで言うなら……お前がそうまで言って、彼女をこのチームから外すというなら、俺が彼女をプロデュースする。人前に出しても恥ずかしくない………いや、誰からも愛されるトップアイドルに俺が育て上げてみせる!」


誰かのマイクが一羽のカラスの宣言を拾ってエコーが轟く。

客席最後方、舞台袖まで隅々、満遍なく。

会場は静まり返った。壇上の少女たちも、そして、見捨てられた一羽のすずめも。

言った本人はアドレナリン全開で、日々の激務も手伝って目が充血している。

頭の片隅に一抹の不安はある。しかし考えてはいけないと自分を律した。今はとにかく、感情の赴くままに剥き出しの敵意をぶつけるべきだと強く決めた。




静寂を打ち破ったのは、神の高らかな囀りだった。


「よく言った、三郎!その言葉をずぅぅぅっと私待ってたの!」


黄色い指先が交錯して、華麗な指パッチンが場内に響く。

途端、暗闇は消え去った。同時にアイドルファンたちの姿も霧散して、代わりに折り重なる羽音が世界を埋め尽くす。

方向性のないつむじ風が押し寄せて、少女たちはパニックに陥った。

「えっ!?なに???」

「きゃあああ!!!」

渦中のカラスも狼狽える。這いつくばり、かろうじて腕の隙間から外を覗く。

途端、飛び込んできた光景に唖然となる。

「は?」


それは、椋鳥の群れだった。

キューイキューイと錆びた歯車のような甲高い鳴き声で旋回している。

ライブ会場といっても、大人100人でいっぱいになるような広さだ。

そんな狭い空間に群れが突如現れれば、風は狂気となり轟音が耳を劈く。

「……いや、待て待て、おいまさか!嘘だろ麗子ぉ!どういうつもりだ!!」

こんな芸当を披露できるのは、いまこの時ひとりしかいない。

かつて神だった男には理解できた。

記憶はなくとも、神がなせる業はどうしようもなく規格外で、それでいてトリッキーなのである。

真意はわからない。荒御魂のような破壊衝動ではない、と思う。

思うというだけで、確信はない。

自分は関麗子という女神について何も知らない。向こうが一方的に知っていたにすぎない。

ただ、八咫烏一族の頭領、実の兄から女神の真名だけは報されていた。

「お前は……何なんだ……何を一体企んでるんだ!答えろ!鶺鴒少納言せきれいしょうなごん!」


「合格よ」

イタズラ好きな女御が微笑む。

世界が揺らぐ。赤子の入った月の揺籠が右へ左へ振れてゆく。

壊れないよう、怯えないよう、優しく柔らかく抱擁する。

歌を詠み、琵琶を奏で、悠久の宴に興じ続ける憂の瞳が、今一度光を得て地を蹴った。

かの国生みの鳥。最初の神話に現れて天地創造に関与した気ままな天女は、いまなお地上に奇跡を起こしてみせた。



「ここまでお膳立てしたのよ。お願いだから、今度こそあの子から目を離さないであげてね」

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