第11話 記憶喪失のカラス、光りを知る
つくづくこの世界は残酷だと思う。
やりたいこと、目標を持つ若者たちの目の輝き、バイタリティに反して、大人が用意した受け皿はごく限られている。
ステージに上れればまずは御の字。
この時点で相当に運がいい。
運も実力の内とはよく言ったものだが、事実、幸運な人間は自分の引きの良さを誇っていいと俺は思う。
そこにすら辿り着けない人間は、ごまんと存在するのだ。そこで遠慮したり、引き目に感じたりするのは、かえって無礼な振る舞いだ。
いやしかし、これはどうしたものか。俺は己の主義主張を否定したくなった。
「アレってアリなのか?」
時は遡り-
新人アイドル発掘オーディション、その一次審査。
そこに、とんでもない新星が飛び込んできた。
エントリーシートを手渡された時点で本当なのか目を疑ったが、彼女のパフォーマンスがすべての疑念を払拭させた。
演出家・虎狛達也の一人娘。
劇団にも芸能事務所にも所属はしていないものの、その才能は親譲の化け物級だった。
「『芸歴なしの完全素人だけで構成する新規アイドルプロジェクト』って名目じゃなかったか?なんだ、アレ。ひとりだけずば抜け過ぎだろ」
「そうは言ってもねぇ。芸能事務所には彼女たしかに入ってないし、芸能活動歴だって1年未満。募集要項にはバッチシ当てはまってるのよねぇ」
このプロジェクトの発起人でもある弊社社長・関麗子が、ため息混じりに説明する。
麗子にとっても予想外のエントリー者であったのは間違いない。けれども、それはどちらかといえば嬉しい誤算といった具合で、先ほどから興奮を隠しきれない様子だ。
特別審査員席の背もたれに体を預け、歌の余韻に浸っている。
「まさか、アレを採る気か?当初の企画とかけ離れるぞ?」
多くの人間が関わるプロジェクトのコンセプトが、そんな曖昧模糊でいいのか。
真面目に品定めをする上司に、小声で耳打ちする。
「三郎。今回ばかりはあの子の勝利よ。私たちの用意した舞台に、彼女は条件を満たして挑んできてる。であれば、企画側の我々は、他の子と等しく彼女を扱うわ」
一理ある。しかし、それは他の連中にとっては酷いことではないのか。
雛鳥の小屋に虎を放つみたいな、えげつない行為。人の心がないのか。あ、そういえばこの人、人間じゃなかったわ。
「言いたいことはわかるわ。周りの子にはいい迷惑って話よね。でもね、このプロジェクト、唯一恐れていたのはマンネリなの。何者にも染まってない素人の集まりって一見して美しいけど、その分意識がまだまだ低いの。それを育てるのが大人の役目だけど、最終的にどう受けとるかは本人次第。虎狛ナナは起爆剤としては十分よ」
恐ろしい神だ。いや、神でなくても芸能界、ひいては経営者はみんなそうなのか。
競争の世界。ある種、この世全体の真理でもある。
生き残るため、真価を発揮する。
社長はそれを、引き出させようというのだ。
にしたってー
「よりにもよって、打順悪すぎだろ君は……」
俺の視線はすでに虎狛ナナから外れ、その隣に向いている。
あからさまに顔面蒼白の、先ほどまでの威勢が消し飛んでしまった哀れな挑戦者。
唇を震わせながら、天才の歌をじっと聴く羽山すずの姿は、居た堪れないにもほどがあった。
あぁ、見てられない。このままだと確実に落ちる。いや、落ちるどころか、パフォーマンスをする前に泣き崩れるかもしれない。
たかだか名刺を渡しただけの間柄なのに、俺は心がざわついた。
「それでは次、52番の方。お願いします」
残酷にも彼女の番が回ってくる。
静かに立ち上がった少女の目は、側から見てても泳いでるのがわかる。
いけない。そんな状態では最高のパフォーマンスどころか、最悪のコンディションで挑むことになる。
おそらく君にとって一世一代の大事な日が、トラウマを植え付ける形で台無しになる。
息を飲む。
吹曝の軒先で蹲る雀みたいな少女に注目が集まる。
静寂が緊張感を助長していく。
いまや彼女の夢は風船だ。
風に煽られ、手を離せばそれまで。バラバラとなって空の彼方に消えてしまう。
「……羽山すず。高一、15歳です。私は、誰からも見つけて貰える一番星みたいなトップアイドルに憧れています」
けれども、それは違った。
いつ何時飛ばされるかもわからない、不安定な風船ではない。
夢には翼があった。確固たる意思と折り重なる願いを持っていた。
「私を見て、みんなに元気になって欲しいです。私がそうだったそうに、夢を持つこと、そして叶えることの素晴らしさを、みんなに伝えたいです。そのために、私は光り輝きたい。アイドルになりたいんです」
「どうか、聞いてください。私の夢を、愛と希望の歌に乗せて歌います」
*
一次審査終了。
俺は社用車の運転席に乗り込み、後部座席に麗子を乗せた。
ちなみに、車体には堂々と若葉マーク。
バックミラーにぶら下げた安全守りを見上げ、俺は気を引き締めて運転せねばならない。
麗子はと言うと、スマホをいじり、忙しなく仕事のやりとりをしているようだが、終始鼻歌混じりで機嫌がよかった。
「面白いことになってきたわね。こうなったら、あれをこうして……そうそう、それがいいわよねぇ。あぁこの感じひっさびさぁ!」
元よりフランクな人格の彼女だが、ことこの時はお転婆娘モード全開。
何やら相当に企みがあるらしく、その顔はさながら悪代官のようだ。
「神の手のひらで踊るって、こういう気持ちなのかもなぁ」
「あらぁ?なにそれ悪口ぃ?聞き捨てならないわね」
身を乗り出してきた上司の親指と人差し指が、無防備な俺の頬を抓る。心底危ないのでやめて欲しい。
「人間社会、日々評価の連続だもの。子供だからって例外はないし、まして神だからって温情はないわ。ま、優劣からの選別、優遇はあるんだけどねぇ」
「アンタらの尺度でモノを見ると、湧き出た清流すら濁って見えそうだよ」
「それ、ブーメランじゃない?」
「わかってる。自虐だ」
大人はいつだって私利私欲で動く。
自明のことわりだ。
かつての俺が通ってきた道だ。記憶は完全に抜け落ちてるが、染みついた経験が俺に語って聞かせる。
子供は傷つきやすい。
だのに、大人は子供の向上心を試すことばかりする。
「アンタの目から見て、羽山すずの評価はどうなんだ?」
「あぁ、貴方のお気に入りね」
その言い方は不本意だ。
しかし話が進まないので、今回はあえてスルーする。
「筋はいいわ。それに機転が利く。でも、今の段階じゃまだまだね。まるでムクドリの群れの中の1羽だわ」
「アレだけやってもか」
「アレぐらい演出家がやるわ。照明だって当ててあげる。でもね、それ以上にあの子自身が輝かないといけないのよ」
「……足りないって言うのか」
赤信号になってブレーキを踏む。思いの外車体が揺れて、前のめりになる。
麗子の唇が綻んだ。
「貴方は、あの子の光が好きなのね」
「別に輝いてないって意味じゃないわ。彼女だって光り輝いてる。でもそれは強い光じゃなくて、例えるなら竹林に差し込む朗らかな朝日なのよ。あの眩しい光がほどよく解けて、優しく注ぎ込むって感じ。私も好きよ、あーいう光は」
傾き始めた太陽に手を翳しながら、経営者は物思いに耽る。
落日を憂い、夜の到来を拒む一握。神とて、落ちる定めの恒星を受け止めることは出来ない。
「ただステージの照明はもっと凄い。まして周りにはもっと眩しい存在がわんさかいる。霞んじゃダメなのよ、アイドルって存在は」
微かに、唇を噛む仕草をバックミラー越しに確認する。
何を想っているのか。俺にはわからないが、人間らしさの消えた眼が、これ以上踏み込んではいけないと物語っていた。
俺は押し黙る。
女性がそういう表情をする時、男は沈黙するに限る。
そう浅知恵を吹き込んだのは、次兄だったと記憶している。
青信号になって発進する。
帰宅ラッシュが間近だった。慢性的な都市渋滞にぶつかる前に、社に戻らねばならない。
その時だ。
「止めて」
外を眺めていた麗子が、鋭利なヒールで俺の座席を蹴った。
「はあぁぁあ!?」
突然の奇襲に運転手の俺は慌てふためく。ブレーキ音を轟かせ、路肩に滑り込む。当然ながら、後続車がクラクションを鳴らし、追い越しざまにものすごい剣幕で睨まれた。
「ちょぉぉ!何なんだいきなり!事故りたいのか!?」
「向こう見て」
「はぁ?」
「反対車線。歩道のところ」
淡白な単語だけ陳列する彼女は横暴にも程がある。
せめて説明をくれ。一体なんだって言うんだ。
「貴方達って、つくづく運命的ね」
麗子は悪戯っぽく笑う。
神の采配は、賽子。規則性がなく、実にきまぐれだ。
昨日の赤が青になり、今日の青が明日には赤になる。
「もうすぐ夕暮れね。さぁ、どうしましょう。この辺りって治安悪いし、可愛い女の子が街でひとり泣いていたら、よからぬ輩が寄ってくるかもしれないわよねぇ」
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