第5話 現在〜カラスside part2〜


時は流れて、一年後。

俺は女神こと敏腕社長・関麗子が経営する芸能事務所、セキプロダクションのマネージメント部で働いている。


主に業務は所属タレントのスケジュール管理、CM起用などを働きかける営業、さらには新人発掘まで。

用は何でもやる科といった体裁で、やることは富士の山のように積み上がっていた。

社会的ブランクのある俺にとって、負荷の大きなハードワークなのは明白だった。

ようやく歩き出したばかりの人間が、人に指示を出したり逆に要望を聞いたり、適応力を求められ、都度最適な答えを出さねばならない。

選り好みはしないとは言ったが、それにしたってあまりに酷くね?と振り返れば吐き気を催すレベルの過酷さだった。


しかしながら、神仲間というだけあって、たしかに麗子は俺の性格をよく熟知した理解者であったらしい。

俺は頭がよかった。伊達に東大レベルなだけあった。

事実として、俺という人間には状況判断能力とそこから導き出される推察力が十分すぎるほど備わっていた。


気づけば、平穏無事な窓際族から苛烈極まる事務所の前線部隊に駆り出されている始末。

社長の配慮で、誰かひとりのマネージャーという固定的な立ち位置は逃れたが、それでもサブマネージャーとして、やれあっちへ行けこっちへ来いとパシリ……いや、アシスタントとして重宝された。


とはいえ、相変わらず、己の第二の人生にみじんも意義は見出せなかった。

褒められれば素直に嬉しいが、だからってどうということはない。

冷たい水に氷を落としたみたいな感じで、最初こそ涼は取れるが、いずれはすべて溶けて同じ水になるだけ。無意味に帰してしまう。


しかし、前にも言ったように人間は働かねば飯が食えない。

俺の場合は兄のおかげで問題なく食えたのだが、だからって人におんぶに抱っこは自己都合がすぎる。

だから、俺はがむしゃらに働いた。仕事のことを考えている間は自分に向き合わなくて済むのだから、ある意味楽だったということもある。

そんなだからか、仕事詰めの俺を心配した麗子が、趣味のひとつでもと唐突にバドミントンのラケットを手渡してきた。


「知り合いからもらったんだけど、わたしこれ苦手なのよねぇ。なんか小鳥を叩いてるみたいで居た堪れないのよぉ」

「それ、単にゴミ押し付けてるだけじゃねぇーか!」

この頃になると、ふたりっきりの時に限り、俺は社長を麗子と呼び捨てにしていた。

最初こそ、よそよそしく距離を取っていたのだが、彼女の方が我慢の限界だとキレ散らかしたのが原因だ。

昔の俺は彼女を呼び捨てにしていたらしく、さん付けとかマジキモいらしい。

やめないと解雇だと理不尽を言うので、ひとまず過去の自分を踏襲した。

まぁ、慣れていけば割とすんなり馴染むもので、かつての友人に形ばかりは戻れたというわけだ。


さて、仕事もプライベートも、多少なりとも箔がついた。

一応、あの時押し付けられたラケットは、仕事のストレス発散と日頃の運動不足解消のために振ることにしている。

そのせいか、若干、右の二の腕まわりが太くなってきている。出来れば、両腕を均等に鍛えられるスポーツにシフトしたいものだ。

貸し会議室の入るビルのトイレ、鏡の前でムチムチとおのれの腕を摘んでいると、外から麗子の催促が聞こえてくる。


「遅いわよぉ三郎ぉ!何時間お花摘んでる気なのぉ?」

そんなに滞在した覚えはないので、誠に遺憾だ。

腕時計をチラリと見やる。

開始時間まであと6分。時間に余裕はあるが、せっかち屋な性格の社長には耐え難い時間らしい。

「はいはい、もう出ますよ。出ますって」

「『はい』は一回!上司相手なんだからもう少し真面目な態度取りなさいよ、まったくぅ」

「へーいへーい」

「あーまたそうやってーーー」

1000歳を超えている女神だが、俺はあまり彼女に対して怖い印象を持っていない。

見た目は40ぐらい。バッチリの化粧。白と黒のコントラストな長髪に黄色い差し色。黄色いネイル。

奇抜な容姿はいかにも芸能界という感じで、この業界にいればさほど違和感はない。

グリム童話に登場する悪い魔法使いの老婆なら話は違っただろうが、年齢4桁詐称という規格外のスケールながら美魔女である麗子は十分にマイルドの類だ。


「聞くまでもないとは思うけど、貴方、手は洗ったでしょうね?これからアイドルの卵たちに会うんだからね。汚い手で触るとか絶対ありえないんだからね!」

「人をなんだと思ってるんだ、あんたは。それぐらい常識……つーか、オーディションで女の子に触れるとか、それただのセクハラじゃねぇーか」

「男は狼だからね。どんなに律しても、結局はケダモノなのよ。そうやって外面だけいい顔して、泣いた女の子がどれだけいたことか……」

「あんた、一体どんな神人生送ってきたんだよ……」

時々、この神が心配になる時があるが、俺はあえて深く聞かない。

生きた歴史の長い者ほど、愚痴は長くなると相場は決まっているからだ。臭いものには蓋を。いい言葉ではないが、便利な言葉だ。

それより今日は気合を入れねばいけない。

弊社が兼ねてから力を入れてる、新人アイドル発掘企画。その一次審査が開催される。


「おっ余裕はあると思ったが、もう3分切ってるな。早く会場向かいましょ、社長。社会人なら5分前行動っすよ」

「貴方がそれ言うか!」

「まぁまぁ細かいことは気にせず。ウチでアイドル企画なんて10数年ぶりって話だし、いやぁどんな子が集まってるか、ふつーに楽しみっすネー」

「あのぉ」

廊下を並んで歩く俺たちの後ろから、誰かが呼び止めた。

おそらく会場で迷子になった今日のエントリー者だろう。

この期に田舎から上京してきたという話は鉄板ネタだし、慣れない都会の歩き方に四苦八苦する若手を、この一年何度も見てきた。

広い会場でさぞ心細い思いをしたのではないか。

ここは紳士的に、あたたかく対応せねば。

「おや、迷子かい?私たちも同じ会場に行くから、案内してあげるよ…………」

怖がらせないスマイルを心掛け、振りかえった俺は、少女の姿を認めてピキッと硬直する。


小柄で髪はボブカット。まんまるの瞳。両の目の下にホクロが点々。まるで雀の足跡みたいな遊び心ある顔だ。

一度見たら忘れられない外見的特徴は、この業界では最大の武器だと俺は考える。

ゆえに、一度目をひいた人間は頭の中でファイリングする癖をつけているから、少女の顔はすぐにヒットした。

暗闇の公園。ダンスをしていたあの子。筋金入りのアイドルオタクの彼女が、俺たちの目の前に立っていた。

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