お姫様抱っこ
「間宮こそ、なんでここにいるんだ」
間宮君の登場により、駿河君のたくましい腕がひるんだ瞬間を私は見逃さなかった。いやもう私自身を見逃してほしい。
「ごめんなさい!」
彼の厚い胸板を力強く押し、反対側のドアから素早く脱出し、また駆けた。まさか二人からターゲットにされているだなんて。謝ってはみたものの、あれで果たして許してもらえるのだろうか。このまま学校生活を乗り切れる自信は全く無かったが、とりあえず謝るしかなかった。技術室はこの建物の2階だ。このまま教室へ入ればきっと二人はもう手出し出来ないはずだ。そう思いながら息を切らし階段を駆け登り、踊り場を曲がった瞬間だった。焦り過ぎて自分のいつものドジさが出てしまった。誰かと思いっきりぶつかり後方へ仰け反った。その時、見覚えのある顔が視界に映った。まるでスローモーションのようだった。ぶつかった相手は秋の遠足の際、私のせいでダンプカーへ衝突しそうになった隣のクラスの海堂壮太君だった。ああ、なんでこんなにも今日は――。
彼はアメリカからの帰国子女で有名なバイリンガルな男子だった。親戚にアメリカ人の血が流れているらしく、癖がゆるやかに残り、輝くような髪は金色に近かった。だけど体は小柄で細く、愛らしい容姿を持っていた。人懐っこく誰にでもすぐに仲良くなり、アメリカの文化が抜けきれてないのか、ジェスチャーやボディタッチも多い。思春期な女子達にとっては気が抜けない存在のようだった。だが彼から頭をなでられても、ハグをされてもみんな悪い気はしていないようだった。彼は私がぶつかったのに少しよろめいただけで、驚きもせずに丸い瞳で私を眺めている。まるでそのまま落ちればいいよ、と言う風に。実際に私は今、階段から落ちている。ああ、彼もまた私の被害者だった――。
その時、ふわりとした感触が私の全身を包んだ。大きくて熱を持ったものだった。
「あぶねっ!」
この声はとてつもなく聞き覚えがあった。先刻、渡り廊下で私に呼び止めたあの怒りに満ちた間宮君の声だ。
「さぁ、来い!」
次に届いた声は、私に人生初の壁ドンを繰り出した野球部の部長、駿河君だった。次の瞬間、衝撃は訪れた。一体何が起きているのだろうか。まさか、落ちる私を庇っている? そんな妄想染みた声が脳内から響いた気がしたが、そんなことはないはずだ、と言い聞かせた。だってこんなにもみんなの命を危険に晒しているのだから。きっとみんな私が階段から落ちて大怪我をすればいいと思っているはずだ。いやそれだけでは到底済ませられないことを私はみんなに与えた。こんな状況でまたみんなの命を危うくしたくない。こんな現実なんて見たくも感じたくもない。
「痛っ……」
「腰えぐっ……」
衝撃が過ぎ去った後、間宮君と駿河君のうめき声が背後から聞こえ、ぎゅっと閉じていた瞳をそっと開けた。学校の天井が見えた。私の身体は背中から大きな体に覆われ、まるで守られるかのように背後から強く抱き締められている。恐る恐る顔を斜めにねじって振り向くと、痛烈な顔をした間宮君と、その彼をまた抱きかかえるようにして床に全身を預けている駿河君がいた。3人仲良く階段の下で川の字になっていた。サンドイッチ状態でだ。
「うっそ……」
私は思わず声が漏れ出た。
「柊木、……やっと捕まえた」
バレー部の間宮君が、かすれた声のまま、私のすぐ耳元でASMRを吐き出した。ゾワゾワと全身に虫がはったような感覚と共に、鳥肌も走った。背中から腕をきつく回され、私を強く抱き、いつまでも離してくれない。全身が強張った。これは間違いなく、――締め付けの刑。
その時、階段から慌てる様子もなく軽い足取りで降りてきた海堂君がいた。
「また派手にやっちゃったね~。す・ず・ねちゃん!」
愉快そうに私達を眺めて、私の下の名を愛らしく呼んだ。そして耳元で囁くようにこう言った。
「君の事はずっと忘れていないよ。ボクにあんなことをしたことも」
ダンプカーに引かれそうにあった瞬間の海堂君の姿が甦る。あの時の青覚めた顔を。今の彼の声は悪寒が走るほどに憎悪と共にあった。やはりだ。私の思った通りだ。彼もまた私を確実に恨んでいる。
「何やっているのですか。もう授業始まりますよ」
そこでやってきたのはクラスのしっかりものである委員長、影山悠馬君だ。私が燃え盛る教科書で危うく黒こげにしかけた人物だ。燃えた紺色の制服のジャケットはパリッとした新品に変わっていた。彼の家へ親と共に慰謝料のような形で制服代+αを包んだお金を渡しに行ったが、「怪我もないですし、結構です」と言われ、彼ら家族は一切お金を受け取らなかった。償いさえまともに出来ておらず、罪悪感100%だ。
彼は銀縁眼鏡の奥からその切れ長の凛々しい瞳をこちらへ向けてきた。表情は相変わらず無く、いつも冷たさのようなものを感じる。黒髪は耳にかかるほどの流さで程良い長さに切り揃えられ、風でさらりと揺れ動くように真っすぐ伸びている。彼も私に果てしない憎悪を持っているに違いない。彼の制服から燃え広がる激しい炎を思い出し、とてつもなく寒気がした。
「……まかさ柊木さん、階段から落ちたのですか」
ああ、またあの時の「信じられない」といった顔だ。今回は大きなため息付きだった。あの時の光景がフラッシュバックのように思い出され、何と言っていいのか分からず押し黙っていると、突然目の前につかつかと歩み出した。床に寝転んだ状態の私達3人の前に立ちはだかると、何を思ったのか、突然私の両足に左腕をするりと入れ、右腕は私の背中を支えた。そしてあれよあれよと言う間に、私は抱きかかえられていた。突然の出来事に声も出せずにいると、下から怒声が響いた。
「おい、影山っ! 何やってんだよっ!」
「そうだ。正々堂々としたほうがいい」
間宮君と駿河君の遺憾の声だった。影山君はその声を難なく受け止めるかのように冷淡に返答した。
「僕はスポーツマンではありませんからね。なのでお二人のようにスポーツマンシップに乗っ取る必要はありません。それにこれは委員長としての仕事ですから」
淡々としたはっきりとした物言いに二人は思わず口ごもった。その時、様子をずっと眺めていた海堂君が軽快に言った。
「さすが、影山君だね~。Fantastic!」
一寸たりとも狂いのない英単語を言ったかと思うと、すぐに彼の側までやってきて、薄い笑みを浮かべ、小声で付け加えた。
「……だけど、そんな余裕見せていられるのも今のうちだよ」
影山君は背の低い海堂君を一瞬見下ろしたが、その声を無視するかのように私を抱いたまま、保健室の方向へ向かってスタスタと歩き始めた。私はやっとこの自分の状況を飲み込み、必死になりながらどうにか伝えた。
「だいじょぶ、私は大丈夫だから、自分で歩けるから、下ろしてっ! はやくっ!!」
「嫌です」
彼は即、拒否の言葉を発した。「無理です」とか「だめです」とかじゃなく「嫌です」と言った。私は彼からもまた強い憎悪の感情を感じた。そんな影山君に担がれている中、廊下で出くわす女子や男子に黄色い声を上げられる羽目にもなってしまっていた。かなり注目の的だ。思わず顔を背けた。なのに、影山君は顔色一つ変える様子もなく、平然と歩き続けている。彼の体から暖かな体温が伝わってくる。これはきっと私の心に消えないものを与えている。私は分かっていた。これはそう、――晒し者、それは羞恥の刑。
直後、影山君の右肩に大きな手が荒く乗った。
「おい、はやく下ろせっての! オレが抱く!」
その間宮くんの一言に顔を真っ赤にさせて、目を丸くしている女子達が通過した。彼もまた私を笑いものとして晒したいと言う。暴力ではなく、精神ダメージに着目するとは。二人とも私に一生癒えぬ傷を付けるのだろう。そう気が付いた瞬間、私の人生はお先真っ暗だと悟った。
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