第四十五話 ようやく会える
事件の捜査は一貫して難渋していた。
門田刑事は目の前の相手をよく観察する。
相手は一見するとごく普通の女子高生。
必ず、何か聞き出す糸口があるはず――熱の籠もりかけた思考を冷やし、彼は口を開いた。
「君は前に『この事件の犯人に感謝している』と言っていたね。どうしてその犯人との繋がりを話してくれないのかな?」
相手が誰であろうと、油断せず、焦らず、慎重に。
ようやく辿り着いた好機に、彼の語気は無意識のうちに強くなっていく。
「お願いだ、何か言ってくれよ。何でも良いからさ」
彼女はこちらを見ない。先程から一貫して、机の上の一点を見続けている。
何を考えているのかは分からないが、必ず聞き出さなければならない。門田は自分を奮い立たせた。
狭苦しい部屋の中央に置かれた無機質な灰色の事務机。古びたパイプの椅子がギシリと音を立てる。机を挟んだ反対側には俯いた重要参考人が座っているが、彼女は依然として無言を貫くのみであった。窓のない鬱屈した部屋に重たい沈黙が流れる。
門田は机に爪を立てリズミカルに音を鳴らしてみせるが、目の前の女子高生は唇を固く結んだまま。
「それとも、君とその犯人との間には誰か人には言えないような関わりがあったりするのかな?」
「…………」
「答えて欲しい。何でも良いんだ」
パーテーションの向こうから廊下の喧騒が聞こえてくる。そろそろお昼時なのだろう。
やがて沈黙を貫いていた彼女がふと口を開いたかと思えば、彼女は机上の一点を見つめたまま小さく呟いた。
「繋がりなんてありません。わ、私はただ、弟と私を救ってくれた神様に感謝しているだけです」
「……そうか」
門田はスゥ、と息を吸い込んでから、溜息と共にゆっくりと吐き出した。
怒鳴らない。冷静さを欠いてはならない。先日、単刀直入に攻めて躱されてしまった以上、同じ質問を繰り返したところで先に進めないのだ。
(ようやく辿り着いた糸口だ。そう簡単には手放す訳にはいくまい)
証拠が出ないなら、彼女の口から直接聞き出せばいい。
白髪混じりの刑事は再び覚悟を定めるのだった。
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第四十五話 ようやく会える
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これは事件だ。
最初の犠牲者は、堀口優という男だった。
現場に残されていたのは、傷一つない被害者の遺体と、彼の握っていたナイフ。ナイフには被害者以外の指紋は見つからず、何より、死に至るための決定的な要因が見つからなかった。その後いくら調べてみても、死因はおろか、被害者の身元すらはっきりとわからないままであった。
堀口優の両親は既に他界している。人間関係が淡泊だったのだろうか、彼と繋がりを持つ人間を探ることは困難だった。通っていた大学やアルバイト先。彼を知る人間を手当たり次第に探してみたが、全て無駄に終わった。事件性の有無にかかわらず、全てが謎の事件であった。仮に彼を殺した犯人が存在したとしても、犯行の明確な証拠を見つけ出すことは限りなく不可能に近かった。
警察は為す術を失い、この事件はそれ以上先に進むことができなくなった。
そして、再び事件は起きた。凶器は愚か、死因が分からなければ何も手の施しようがない。警察は再び捜査不能に追い込まれ、実態を隠蔽すべく「事件性がない」として捜査中止を決定したのだ。
証拠裁判主義を確立した近代社会において、警察を操作不能に追い込む程の完全犯罪を成し得る犯人が存在すると仮定するのであれば、その犯行を立証することは証拠を用いて神の所業を証明するに等しい何かであり、最早警察の手に負えるものではない。
しかし、仮にそれが神のような所業であったとしても、
《それじゃあ、意味がないじゃないですか!》
それを実行しているのが神でなく仮に人であるならば、必ず証拠となる綻びは生じ得るのだ。
《これが本当に訳の分からない天災で、人間の手には負えない神の天罰だとでも言うのなら本当に仕方がないでしょう》
《でも、そうじゃなかったらどうするんだよ。我々は、そうじゃないという可能性を完全に否定することができないじゃないか!》
何故なら、人は神には成り得ないのだから。
門田の意見は警察の方針を動かすことはなかった。
当初は門田の意見に同調する者が居なかった訳ではなかった。しかし、捜査を続ければ続けるほど彼についていく者は少しずつ減っていき、気がつけば若い宮田刑事たった一人になっていた。
「聞き方を少し変えよう。君は、あのファミレスで大勢の人間を殺して死んでいったあの男をどう思う?」
「…………」
目の前の女子高生は視線を泳がせる。
あと一歩――門田は逸る気持ちをグッと堪え、奥歯を強く噛み締めた。
窓のない鬱屈した空間にハァ、と門田の溜息が響く。無言の圧力を掛けながら、白髪混じりの刑事は椅子の背もたれに体重を預けた。古びたパイプ椅子がギシリ、と軋む。無意識のうちに事務机にコツコツと爪を立てる速度が増していることに、門田自身気がついていなかった。
令状が取れていない以上、彼女を拘束することは出来ない。この取調べも、彼女を先日のレストラン強盗殺人事件における被害者として事情聴取する体裁で辛うじて実行出来ている。任意の事情聴取を装ったこの捜査も、肝心の蒲田未玖に出頭拒否されてしまえばそこで終わりになってしまうのだ。
落ち着いて、冷静に。少しずつ、けれど確実に逃げ場を潰していかなければいけない。
初回の事件から直近の事件まで、問い詰める度に彼女が動揺しているのは明らかだったが、肝心なところで口を噤んでしまう。彼女の母にもあたってみたが、気が動転していてまともな情報は得られそうになかった。
「君の弟は何の罪も無いのに殺された」
「…………」
「そして君は憎んだ。それこそ、殺したい程に」
「……ッ!!」
彼女は唇を噛み締めた。小刻みに揺れる瞳孔。荒くなる呼吸。
彼女を追い詰めるまで、あと一歩。
(本当のことを吐け)
門田は目の前の女子高生を強く睨みつける。彼女は両目を大きく開き、肩を震わせ、ただ机上の一点を見つめていた。
コツコツ、コツコツコツ。無意識のうちに爪を立てる速度が増していく。やがて門田は右の拳を力強く握りしめ――
次の瞬間、彼女はスゥ、と息を吸った。
項垂れた彼女の表情に影が差す。肩の震えは止まり、呼吸は元の落ち着きを取り戻していた。
その様相を表すならば、不気味の一言だった。
両腕の毛がゾワリと逆立つ。右拳に籠めたはずの力が緩む。
「…………」
再び目前の女子高生が顔を上げたかと思えば、焦点の合わない虚ろな瞳がこちらを向く。
「『きっと、あの場にいた誰もがあの男を憎んだことでしょうね』」
「『私が犯人だとそんなに
無表情。
何も無いはずのその表情が何故か笑いを堪えているように見えて、門田は思わず腹底から込み上げる吐き気をどうにかして嚙み殺した。
こちらの心中を見透かすかのような台詞に、門田は言い返す言葉が思いつかなかった。
「舐めるなよ、畜生」
自分を嘲笑う連続殺人犯を強く睨みつける。右拳に再び力が籠ったが、辛うじて残された理性で机に叩き付ける手前でとどまった。
白髪混じりの刑事は代わりに奥歯をギリ、と噛み締めた。
☆★☆
警察署内。薄暗い廊下の一角に、男の話し声が響く。
「そう、そう……だから、何かあったらいつでも相談して欲しい」
「僕はあなたの味方だ。――」
通話を終えた男はスマートフォンの通話ボタンを切り、端末をスーツのポケットへしまう。
丁度同じタイミングで、軽やかな声が廊下に響く。男が振り返ると、小柄な女性警官は「宮田さん!」と声を弾ませた。
「ああ、下谷か。どうした? はは、また何かドジでも踏んだのか?」
「ど、どど、ドジなんてしてないですよぅ!」
「おうおう、分かったから暴れるなって」
下谷と呼ばれた女性警官から飛んできた手刀を華麗に受け止めてから、宮田は「相変わらず元気がいいなー」と苦笑を浮かべた。彼女ははわわわ、と奇声を上げてから「ごめんなさいいい!」と勢いよく頭を下げるのだった。
「門田さんに宮田さんのこと呼んで来るように言われたんです」
「そうか。いつも悪いな下谷」
「そっ、そうですよ! 人をいつもパシリみたいに」
「はは、門田さんは人遣い荒いからなー」
下谷は「宮田さんも同じですからね!」と頬を膨らませた。宮田が「悪い悪い」と頭を掻くので、下谷は内心「絶対反省してない」と思ったものの、これ以上の追及は止めることにした。
「そう言えば宮田さん、」下谷は一つ呼吸を置いてから尋ねる。
「今、誰と電話してたんですか?」
廊下の蛍光灯が一瞬消える。静かな廊下に無言の沈黙が流れた。
また何かをやらかしたかと額に汗を滲ませた下谷ではあったが、「ああ。大事な人と少し、ね」再び宮田が言葉を続けたので杞憂に終わったことに胸を撫で下ろす。
「下谷、裁かれなければならない人間は必ず存在する。僕はその使命感で職務に励んできた」
「…………」
《ええ、捕まえましょう。僕達の手で、絶対に》
「ずっと、待っていた」
曇天から降り注ぐ雨粒が窓ガラスを濡らす。
「門田さんのお嬢さんはやっぱり素晴らしい」
「み、宮田さん……?」
《お嬢さん、もしかしたら何か知ってるんじゃ……》
《アイツは何も知らねぇよ》《もう、アイツは関係ねぇんだ》
「門田さんには悪いけど、やっぱり彼女以外に適役は存在しない」
「て、きやく……?」
「はは……ハハハ。ようやく会えるぞ、下谷」
遠くの方で雷が轟く音がした。
「僕の。
温厚な宮田が初めて見せるその表情に、下谷は暫くの間言葉を失ってしまった。
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