第四章 トモダチ
第四十二話 欠けた日常
高校の授業は退屈だ。
閉じかけた両瞼を辛うじて保ちながら、私は
窓の外で色とりどりの葉が風に舞う。雨上がりの校庭にところどころ水が溜まり、水面は舞い降りる秋の葉を映している。
窓際の席に座った私は頬杖をつきながら、心中で国語の教科書に載っていた秋の短歌をそれっぽく並べてみせた。
昼休みを告げるチャイムの音が教室中に響き渡る。
私は友人達と席を隣り合わせにしてから、今朝早起きして用意した橙色の弁当包みに手を掛けた。
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第四十二話 欠けた日常
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「しかし今年のクラスの出し物が劇に決まった時は興奮したな~。遂にこのあたしが、我がクラスのために一肌脱ぐ時代が来たようだねぇ」
隣に座る友人は得意げに鼻を鳴らすと、弁当箱の中で些か存在感を放っていたブロッコリーを口に放り込んだ。
大き過ぎる塊を頬張る隣の彼女――神崎花は誰もが知っての通り、事あるごとに教師に妙なあだ名をつけたり、アイスクリームに激辛ソースをトッピングしたりと、私の友人の中でも随一を誇る変人である。
今日も彼女のショートヘアは毛先がところどころ外側にはねている。これが彼女なりのカジュアルスタイルだとか。悪く言えばぼさぼさともいえる。
金色混じりの髪や日焼けした小麦色の肌は中学時代にテニス部で犠牲になったものらしい。よく生徒指導の教師に髪色のことで目の敵にされては芸術だ何だと争いになっているのを見かけるが、常に自然体で自由奔放な彼女に対し、その対極に位置する私はある種の尊敬の念すら抱いていた。
(文化祭といえば芸術の秋、か)
因みに彼女が「ゲイジュツセイ」とやらに固執するようになったのは、テニスを辞め高校から演劇部に入部したことが原因らしい。これは、小学校以来の彼女の幼馴染である神峰君から得た情報である。
一見するとギャルに見えなくもない彼女に多少なりとも知性的な印象を与えているのは、高校デビューと同時に身につけているという灰色の眼鏡のお陰だろう。
彼女曰くこれがゲイジュツセイらしいが、私にはよく解らなかった。勿論伊達眼鏡である。
「今回の脚本にはあたしの魂の全てを注ぎ込んだんだ。ようやくあたしの芸術センスが表舞台に出るとは、感慨深いものがありますなあ」
「あはは。でも花のセンスはいつも表舞台に出てるし、むしろ少し大人しくした方が良いような」
「ん。何か言ったかね蒲田君」
「い、いいえ。何でもございません……」
私は喉まで出かかった言葉を押し込むべく麦茶を流し込んだ。隣に座る花は横目でジトリと私を睨んでから、何事も無かったかのようにお弁当のおかずへ箸を伸ばした。
今年の文化祭、うちのクラスの題目は劇に決まった。
演劇自体は小学生の頃の恥ずかしい大失態が原因で得意ではないのだが、革命を起こせるだけの力を持ち合わせていない私は、クラスの方針に大人しく従うことしか出来なかったのだ。
「で、未玖の役は何だっけ」
「ええっと、村人Q……だったかな? Sだったかも」
「村人の数増やし過ぎたかなー。どんな台詞だったっけ」
「あはは、ちょっと待ってね」
鞄の中に仕舞っていた白い紙束を取り出す。表紙にはポップなフォントで「ロミオとジュリエット」と印字されていた。
お察しの通りこの無駄に洗練された脚本は、演劇部代表として花が作成したものである。いつ用意したんだろう。
「それにしてもこのストーリー、何か私の知ってるロミジュリと違うような気が……」
「残念ながら苦情は受け付けておりませんので」
もう委員長の許可は降りてるんだよ――花はバックに政治家でもつけたかのような物言いで揚々と付け加えてきたが、私も負けじと反論する。
「で、でもここ。ジュリエットがスマホに出会い系アプリインストールしちゃってるんだけど……」
「現代っ子にはその方が親近感が湧いて分かりやすいじゃないか」
「親近感」
むしろ犯罪の香りがするよね。
苦笑交じりに台本を机の上に置く。本パロディが一体どれだけ御本家様に喧嘩を売るのかと思うと頭が痛んだ。
目の前に視線を移すと、先程から黙々と弁当を口に運んでいた彼女――夏目満咲と目が合い、彼女はふわりと微笑んだ。
(満咲さんは何も気にしてないのかな)
先日の事件から紆余曲折はあったけれど、満咲達はこうして私のことを受け容れてくれた。
目の前にいるのは、サイドテールにシュシュの清楚系担当である。ふわふわとウェーブのかかった黒い髪を青い髪飾りでまとめ右肩から流す彼女の姿は、まさに蝶や花そのもの。垂れ下がった眉毛やほんのりと赤みがかった頬、つぶらで
いつも通りの彼女の笑顔に内心ほっとしたのを誤魔化すべく、私はさりげなく「そう言えば満咲は何の役なの?」と尋ねてみることにした。
「ジュリエットのお友達のシンデレラだよ?」
「シンデ……え?」
有名作品同士が喧嘩してるよ!
「フフン。どうだ、見事な脚本だろう」
私が両腕を伸ばし「最早突っ込みが追いつかないよ……」と項垂れていたところで、男子生徒二人組が横を通り過ぎた。
一人が通り際にチラリとコチラを見やる。すぐ隣を通り過ぎる彼の視線に気がつくや否や、花は男子生徒の制服のネクタイをぐい、と引っ張った。癖のある柔らかな髪がふわりと舞う。両目に掛かった彼の前髪が揺れ、驚いたように開いた二重瞼の黒い瞳がチラリと覗いた。
彼の隣を歩いていた男子は咄嗟に事情を察したかのようにポン、と手を叩き「夫婦仲良くしろよ」と爽やかな敬礼を飛ばして見捨てるのだった。
「お、お前。僕を見捨てるのかこの薄情者!」
「まあまあ。ちょっと付き合ってくれよ神峰くーん」
「ななな、何の用ですか花ちゃん」
「大した用じゃないんだけどさ、ちょっくら女子トークに付き合っていかないかい?」
「女子怖い女子怖い女子怖い……」
「ほれほれ。それを克服するためにあたしがこうして気を効かせてるんじゃないか」
朗らかに笑いながら、早速彼女は幼馴染の彼――
それからというもの、時折チラチラと怯えた様子でこちらに視線を泳がせる彼。何を話していいか分からないのだろう。同じように散々友人達の玩具として弄ばれてきた私は、思わず同情するように苦笑を浮かべる他なかった。分かるよ神峰君。君の気持ちは痛いほど分かるんだ。
「花ちゃんに何が分かるんだ。僕には分かったんだよ! やっぱり女子は嘘つきばかりだって」
「ああ、未玖と満咲には言ってなかったか。コイツこの前女子に告白されたんだってさ、罰ゲームで。ウケるよね」
花が可笑しそうにつけ加えると、神峰君は悔しそうに続けた。
「全くタチが悪いよ! 一瞬、ほんのちょっぴりだけ嬉しくなっちゃった僕の気持ちを返せ!」
「う、うん……」
嬉しくなっちゃったんだ。
「可哀想に神峰君。酷い女子だね。嘘つきなんて……滅びればいいのにね」
満咲の言葉が一瞬理解不能に陥るが、彼女は構わず言葉を続ける。
「このままじゃ神峰君、童貞拗らせてるどころか、冗談じゃなく女性恐怖症になっちゃうもんね……?」
机を挟んで対極に位置する彼女は相変わらず清楚な微笑を浮かべたまま。彼女は机上の500mlペットボトルを口に含んでから、聖母のような優しい眼差しで「ね?」と促した。
満咲と私が変質者に襲われたあの事件以来、彼女は周囲の人間に対して素直になった、と思う。
《私がいなくなっても、嘘つき共はどうせ悲しまないから》
《けどやっぱり、もう少し……生きてもいいかなって》
それは良い意味でもあり、悪い意味でも。
素直になった彼女は「重度心配性」が加速して「毒舌特性」が追加された気がしてならない。この後待ち受ける展開が予想された私は思わず頭を抱えたくなった。
「それで、誰にやられたの?」
満咲が首を傾げると、彼はヒッと顔を引き攣らせ唾を飲み込んだ。やがて無言の圧力に屈したのか、恐る恐る教室の隅で盛り上がる女子達に視線をやる。
その視線の先を見据える満咲の笑顔に一瞬だけ影が差したのを、私は見逃さなかった。
「ふぅん。……クソが」
笑顔が怖いよ満咲さん……。
「まあまあ満咲、コイツが真に受けなくて良かったんだからいいじゃないか。将、分かっただろ? あたし達はあんたの味方なんだってさ」
「み、みみみ、味方って」
快活に振る舞う神崎花の傍ら、幼馴染の彼は青い顔をさらに青くしていた。
残念ながらこの調子では女子恐怖症がさらに加速するのも致し方なかろう。満咲さん、あなたの正直な思いやりが逆効果になってるんですよ。澄ました顔してる場合じゃないですよ。
「それにしても神峰君……花ちゃんとは普通にお話出来るのは何でなんだろうね……?」
満咲が首を傾げると、恐らく悪気はないのだろうが、神峰君も神峰君でとんでもない爆弾を繰り出すのだった。
「だって、花ちゃんは女子にカウントしてな」
「あああ!」
私は箸を右手に持ったままガタン、と立ち上がった。寸でのところで続きを遮ることには成功したが、してはいけない話題を再び持ち出した当の二人――満咲と神峰君は、何のことか分からないといった表情できょとんと私を見つめるのだった。
「え、っと、あはは……急に宿題忘れてたの思い出して」
苦笑混じりに再び椅子へ腰を下ろしながら、心中でハアと深い深い溜息を零す。
まったく、空気の読めない正直者のお二人は今すぐに反省文でも提出されてはいかがでしょうか。澄ました顔してる場合じゃないですよ。
やがて午後の授業開始を告げる予鈴が鳴り響く。窓の外から風が吹き込んで髪が靡いた。
廊下の扉が開き永美の姿が現れると同時に、私は一瞬だけ息を止めた。
「永美、あの……」
言い掛けた言葉が宙に舞う。永美は私達の姿を視界に入れるなり、慌てて視線を逸らした。
色づいた紅葉が教室に舞い込む。小さな葉は窓際にいる私の机の上にはらりと落ちた。
あの日から、永美は私達と顔を合わせても話をしてくれない。
満咲も花も黙ったまま昼食を片付けるだけで、何も言うことはなかった。
永美がいなくなった理由を、二人は教えてくれない。
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