第三十話 話し相手

 夕食後。お風呂を出ていつものパジャマに着替えた私は、自室へ向かって階段を上った。

 吹き抜けの空間に、ペタペタと、一人分の足音が響く。

 部屋の前まで辿り着くと、いつもは聞こえてくるテレビの音が今日は全く聞こえなかった。


 自室の部屋の扉を開けると、真っ暗な空間が待っていた。


 壁のスイッチに手を伸ばす。

 誰もいない部屋はいつもより広く感じた。ベッドに腰掛け、傍にあったクマの縫いぐるみを抱きかかえながらため息を一つ。


 《そっ、そうだよね。いきなりごめんね。ミタは死神で、私は人間なのに》

 《わかってる! わかってるよ。私なんか、そんな資格がないことくらい》


 「やっぱり、寂しいな」


 表情筋に無理やり力を籠めて、口の角を持ち上げる。

 乾いた笑い声が部屋に響く。


 縫いぐるみを抱き締める腕に、無意識のうちにギュッと力が籠もった。


 《だったら、私が死ぬときはミタに隣にして欲しいな》

 《一人で死んじゃうのは……怖いから》


 どうして、急にいなくなってしまったの。


 ――クスクス。


 ひとりは、怖いよ。


 ――クスクス。クスクス。


 ひとりになると、の声が聞こえてくるから。


 《あなたは私から逃れられない》

 《だってあなたは――“私”なのだから》



 窓をコンコン、と叩く音がした。

 もしかしたら。思い立った私の身体はすぐさま立ち上がった。


 テディベアを片手に窓際に歩み寄る。カーテンを開けると、ガラスの外側に一人の少年の姿があった。


 見慣れた少年の姿を目にした途端、私は安堵に胸を撫で下ろした。

 気を抜くと涙が溢れ出しそうになるのをどうにかして堪えながら、私は「おかえり」と微笑んだ。


 「いやあ、ごめんね。急にいなくなったりして」


 紐の革靴を片手に、窓枠に足を掛けひょい、と中へ入る。

 昨晩何も言わずに私の元から姿を消した死神は、頭を掻きながら謝罪した。申し訳なさそうに苦笑する彼の小さな背中には、一体どれ程の重荷が圧し掛かっているのだろうかと思った。どうしてその重荷を私に分けてくれないのだろう、と思った。そうすれば私はひとりにならずに済む気がするのに……なんて、我儘なことを考えてしまう自分の情けなさに心底辟易する。

 「未玖?」一晩離れていただけなのに、「どうしたの、何かあった?」久し振りに彼と会えたような感覚がして私は、


 「あ、あはは。ううん、全然! 大丈夫だよ、ミタ」


 ――どうにかして平静を装うので精一杯だった。


 「もしかして、俺のこと心配してくれた? なんて」

 「しっ、心配なんかしてないんだから! 私、ミタがいないおかげで一人伸び伸びと過ごせてたんだからね?」

 「えー。少しくらい寂しがってくれてもいいのになあ」

 「そ、そんな訳ないでしょ!」

 「はは、冗談だってば。揶揄からかってごめんね」


 ぽん、と私の頭に手を乗せる。

 年上だと主張する小柄な彼は、あどけない小さな顔を綻ばせた。少年が申し訳なさそうに笑うのを見るだけで、私は何だか胸が苦しくなって目を伏せた。


 《俺だって……君が死ぬのを見るのは、嫌なんだ》


 嘘つき。


 《ほら、帰るぞ。君の家に》


 嘘つき、嘘つき。

 本当は私なんて、どうでもいいくせに。


 そんな優しい顔で「ごめんね」なんて、言わないでよ……。



 「良かった、今回は無理してないんだね」


 再びベッドにぽすん、と腰掛けた私は、どうにかして安堵の表情を貼り付けることに成功した。代わりにテディベアをギュッと抱き締める。

 窓を閉めたミタが「え?」とこちらを振り向くので、私は感情を押し殺し、笑って続けた。


 「瞳の色。いつもと同じ色だから」

 「あ、ああ……まあ、ね」


 ちょっと散歩してきただけだから。

 彼は誤魔化すようにして笑った。


 「ミタは普段運動不足なんだから。あんまり遠くに行き過ぎちゃダメだよ」

 「俺ってそんなに引きこもりに見えるの」

 「何言ってるの。典型的なテレビっ子でしょ」


 彼につられて私も笑った。

 本当に聞きたいことは喉の奥に詰まらせたまま。



 ミタが私の隣に座り、ベッドが僅かに沈む。死神の黒いコートから相変わらず外の匂いがした。

 暫しの沈黙。

 緊張を紛らわすべく、私は咄嗟に思いついた疑問を投げ掛けることにした。


 「ていうか、前から思ってたけど、やっぱり死神は皆その服装なの?」


 今は考えるのはやめにしよう。

 今ミタがこうして私の隣に居る。それだけで、十分なんだ。


 「そうだよ。これが死神の装束だし」

 「へぇ。そうなんだ」


 初めて会った時から季節感を無視した仕様だと思っていたが、振り返ってみれば彼が暑がるような素振りを目にしたことは一度もない。

 私が「そういうものか」と思案を巡らせていると、右横に座る彼はやれやれといった様子でため息を漏らした。


 「この服を考えたのは総督様らしいからね。ああ、君達は天界の一番偉い人を『神様』って呼ぶのかな」

 「神様……」

 「いや本当、ってセンスがないんだね。何で黒一色にしたんだよ、って感じ」


 私は「ツッコミどころは色じゃなくて」と思ったものの、黙っておくことにした。

 というか、神様にそんなことを言ったらバチが当たるんじゃなかろうか。彼の身を案じていた私ではあったが、次々と愚痴を並べていくその姿を横目に、やがて案ずる気も失せていく。


 (何か……神様って思ったより威厳ないのかなあ)


 彼に聞く話からは一向に「威厳」が感じられない気がするが、実際はそんなものなのだろうか。

 私は見も知らない天界の父君を想像し、無礼な彼に代わって心の中でせめてもの謝罪をした。


 「それより、未玖」


 すぐ隣で、ぱちりと開かれた大きな瞳がこちらを向く。

 彼は私の手元に視線を落とし、些か呆れを含んだ声で続けた。


 「前から思ってたけど、そのクマもう捨てたら?」

 「なっ、何言ってるの。この子は私とずっと時を共にしてきた子で――」

 「現実をよく見ろ、未玖。そのクマはもう死んだ目をしているぞ」

 縫いぐるみの死んだ目って何。

 「捨てないからね? それに、この子を抱いてると落ち着くの。寂しい時だって……」


 そこまで言い掛けたところで私はハッと気がつき、言葉を止めた。

 危ない危ない。これじゃあミタがいなくて寂しいから抱いていたと言っているようなものだ。


 私が胸を撫で下ろしていると、彼は得意げに両腕を広げるのだった。


 「大丈夫。ほら、寂しい時は俺を抱けば――」

 「な、何言ってるの?!」


 突然の発言に思わず赤面する。

 一方彼は、そんな私を揶揄うようにケラケラと笑い声を上げるのだった。


 (やっぱり、これが私の日常だ)


 私の元に戻ってきた死神は、隣でふざけたように笑っていた。

 ようやく戻ってきた日常に、私も不安を押し殺して笑った。


 お互いに、大事なことを胸に隠したまま。


 本当は今すぐにでも泣き出してしまいたいのに、強がって笑ってしまう。

 いつもの癖だ。私の、悪い癖。


 「さあ、いつでも飛び込んでくるがいい」

 「遠慮します!」


 ねえ、ミタ。

 私、おかしいよね。


 「ははーん。さては未玖、この俺を前にして正直になれないとかいうアレだな?」

 「その微妙にツッコみづらいボケ、嫌!」


 死神に傍にいて欲しいって思っちゃうなんて、

 私、きっと変な人間だよね。


 「ああもう。悪かったな、どうせ抱きつくなら高身長のイケメンが良かったよな。悪かったな、こんな背が低い、女みたいな奴に抱きつくことになるなんて」

 「抱きつく前提で話進んでるの、おかしいからね?」


 でも、私。

 本当は、ミタと、ずっと――



 ガチャリ、と部屋の扉が開く音がした。

 目線を入口の扉へ向けると、そこには弟の姿があった。


 (拓也が来るなんて、珍しいな)


 弟が部屋に来るのはいつぶりだろうか。

 要件を尋ねようとしたところで、弟の発した一言に私は――言葉を失った。


 青ざめた顔。

 丸くした目を真っ直ぐにこちらに向けたまま、弟は真剣な表情で私に訊ねるのだ。



 「姉貴、誰と話してるんだよ……?」


                             第三十話 話し相手

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