第二十九話 カゾク

 翌日、午前。

 警察署の建物裏、ひっそりと設けられた喫煙スペースで煙草を吸う上司を見かけた宮田は、困ったように肩を落とした。


 「あーいたいた、門田さん」


 会議始まっちゃいますよ、とため息を一つ。

 喫煙スペースには二人の他に姿はない。宮田は煙たそうに顔をしかめながら、ふと浮かんだ疑問を上司に尋ねることにした。


 「そういえば、奥さん煙草の臭い嫌いだったんじゃないですか」

 「ああ、そうだよ。だからこうして家の外で吸ってるんだろ」


 いやあ、スーツに臭いついてますって。宮田は心の中でそう思ったが、口には出さないことにした。



 会議が始まるまであと少し。

 依然としてその場を動こうとしない上司の姿に、一人戻ることも気まずくなった彼は諦めて上司の隣に並ぶことにした。


 ふと頭上を見上げると、雲一つない真っ青な空が広がっていた。

 日差しの届かない建物の影は、秋の空気が些か肌寒く感じた。


 「門田さん」

 「…………」

 「例の二人、門田さんのお嬢さんと同じ学校に通っているんですよね」

 「………………」


 脳裏に、先日の調書資料に書かれた重要参考人の名前が浮かぶ。

 先日の。突如原因不明の死を迎えたの傍にいたという、夏目なつめ満咲みさき

 不審死を目撃し恐ろしくなって逃げ出したという、蒲田かまた未玖みく


 この二人は県内の同じ高校に通っていたことが分かった。

 そしてその学校には――


 「お嬢さん、もしかしたら何か知ってるんじゃ……」

 「アイツは何も知らねぇよ」


 彼は宮田を遮るように言葉を挟み、低い声で溜息を吐いた。

 宮田は「でも」と言葉を続けようとしたが、上司の虚ろな表情を目にした彼はその先を口にすることを止めた。


 煙草の先がぽろ、と崩れ落ちる。

 紫煙が溜息に混じり、ゆっくりと立ち上っていく。


 「だからもう、アイツは関係ねぇんだ」


 虚ろに言葉を吐きながら、再び紫煙をくゆらせる。

 顔色を曇らせた上司の横顔は、刑事としてのものではなく、一人の父親のものとして映った。



 会議が始まるまで、あと少し。

 上司は煙草を取り換えてもう一本に手を伸ばした。宮田は内心「まだ吸うのか」と思ったものの、白箱に残された本数から彼の心境を思い図ることの出来ない部下ではなかった。遅刻を覚悟しつつ、彼は門田の心境を推し量り黙って項垂れる。


 「吸ってねぇと、やってらんねぇよ」


 立ち上った薄煙はゆるやかに形を変え、やがて青空にとけて消えていく。

 宮田は黙ったまま空を見上げ、ただ何も無い快晴の空を眺めていた。


――――――――――――

第二十九話 カゾク

――――――――――――


 夜、食卓にて。

 金属製の食器がカチャリ、と音を立てる。私はほかほかと湯気を立てるクリームシチューを一口運んだ。


 「どう、未玖? 今日は母さんのシチューよ。美味しいでしょ?」


 母の唐揚げは逸品だと、私は思う。しかし、三ツ星レベルなのはそれだけで、その他は至って普通の家庭の味だと私は思う。

 何でも「特製」とつければいいという代物ではないのだ。


 「お母さん、何でもかんでも『特製』にしたら、お母さんの本当に美味しい料理の価値が薄れちゃうんじゃない?」

 「あら。母さんの料理はいつだって特別なのよ」


 親指を立てて顔をキメる、斜め前の母親。

 相変わらず点けっぱなしのテレビからドッと歓声が上がったが、レトルト仕様のシチューに「特製」も何もない訳で、流石にフォローしきれなかった。

 特に組み合わせが良くない。餃子とクリームシチューの組み合わせは控えめに言ってどうかしている。私は渦巻く違和感を押し殺しながら、調子に乗った母に合わせて「美味しいね」と愛想笑いを浮かべることにした。右隣の拓也は黙ったまま食べ進めていた。


 母の料理の腕が光るのは、いつだって唐揚げの時だけだ。

 天は人に二物も三物も与える訳ではないのだろう。母に与えられたのは三ツ星レベルの唐揚げを作る唯一無二の才能であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ、きっと。


 それでも母は、私達家族を支えてくれた。


 「二人とも、よく聞きなさい。父さんもね、母さんのシチューが好きって言って結婚してくれたのよ」

 「あれ。この前は、唐揚げが好きだから結婚した、って」

 「何言ってるの拓也。母さんそんなこと言ってないわ」


 可笑しそうに笑ってから、齢五十手前の母は頬に手をあて顔を赤らめた。

 懐かしそうにうっとりと目を細める母の目元で皺が寄る。最近、また少し増えただろうか。


 それから来るのはいつだって父の自慢話だ。

 私と拓也は嫌という程聞き飽きている話題ではあったものの、黙って食べ進めることにした。


 「父さんね、本当に格好良かったのよ。いつもご近所の自慢だったの」

 食器がカチャリ、と音を立てる。餃子を箸で掴む。


 「拓也は父さん似ね」「未玖はどちらかというと母さん似かしら」

 食器がカチャリ、と音を立てる。クリームシチューをすくい、口に運ぶ。


 「ドラマチックで素敵な恋愛をして」「幸せだった」「母さん、のよ」



 彼女は懐かしそうに零した。

 幸せな当時を思い返している彼女の姿は、年甲斐もなくうら若き乙女のそれだった。



 テーブルと、四つの椅子。私の前は空白の席だ。

 この席が空白でなければ、彼女は今とは違っていたのだろうか。


 、母は過去ではなく今を、未来を見ていたのだろうか。



 「あなた達に寂しい思いはさせないわ。父さんの分も、母さんが


 一人で頑張り過ぎないで欲しいと言えたら、どれだけ良かっただろう。

 母には私達がいると言えたら、どれだけ良かっただろう。


 臆病者の私は、渦巻く感情を押し殺しながら、調子に乗った彼女に合わせてただ「ありがとう」と愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。

 右隣で拓也も黙って食べ進めていた。


 テレビの音だけがひとりでに賑やかな音を垂れ流していた。


 「安心なさい二人とも。私が母であり、父でもあるのよ」

 「母であり父……?」


 拓也がボソリと突っ込みを入れたが、彼女は意に介することなく言葉を続ける。


 「だから大丈夫。大丈夫だからね、未玖。拓也。


 母はニコリと笑ってみせた。

 キメ顔はあんなに自然に出来るのに、その笑顔は如何にも不自然で極まりなかった。


 本当に寂しいのは、母なのだろう。


 一人で頑張り過ぎないで欲しいと言えたら、どれだけ良かっただろう。

 母には私達がいると言えたら、どれだけ良かっただろう。


 たまには私にも手伝わせて、と――喉まで出かかった言葉が、寸でのところで止まってしまう。

 それは母の頑張りを否定してしまう言葉のように思えて、私は親子揃って不自然極まりない笑顔を浮かべることしか出来なかった。

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