第二十六話 白百合の占い師

 小ぢんまりした喫茶店の扉が開き、カランと乾いた音が鳴る。

 入店した客はをチラリと一瞥すると、慌てて視線を逸らし奥の席へと足を運んだ。


 「ここのお店、私の行きつけなんです」

 「…………」

 「さあ、遠慮せずに」


 入口付近のテーブルにいるのは、どこにでも居そうな普通の男子中学生と、白いワンピースの外国人。

 一軒家のリビングとダイニングを繋げたくらいのレトロな空間には、常連客しかいないのか二、三人の客がちらほら見えるだけだ。「何でも好きなものを頼んでいいですよ」という彼女の言葉にメニュー表の上で目線を泳がせていた拓也ではあったが、「金髪美少女と男子中学生」の組み合わせを訝しむ周囲の視線に気がついた途端、顔を覆い隠すようにして分厚いメニュー本を立てた。

 誰だってこの組み合わせを見ればその反応になるのは当然だ。好奇心やら何やらを痛いほどに浴びながら、彼は気恥ずかしさに目を伏せた。


 注文してから暫くすると、珈琲とココアを持ったウェイターがにこやかに「どうぞ」と微笑み、無言のまま戻っていった。

 目前に座る彼女が軽く会釈をする一方、拓也は恥ずかしさに目を泳がせることしかできなかった。心の落ち着くジャズの音色も、今の彼の耳には入らない。


 「あの……」


 目の前に置かれたホットココアが白い湯気を立てる。

 テーブルの下で指を弄りながら、彼は意を決したように顔を上げ、口を開いた。


 「あの、どうして」

 「ふふっ、分かります? 似合っているでしょう、この服!」

 「え。えっとあの、そうじゃなくて」

 「大丈夫、分かってますから。私、何でも似合っちゃうんですよね。えへへ」

 「………………」


 少女は得意げに鼻を鳴らすと、白い手を頬にあて「ふふ」と嬉しそうに顔を綻ばせた。

 その後も彼女が早口で次々と言葉を並べていくので、彼は口を挟む余裕もなくあっけにとられるのだった。


――――――――――――――――

第二十六話 白百合の占い師

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 店内に流れるジャズがバラードからアップテンポな子気味の良いものに変わる。

 占い師、と名乗った彼女はあらかた喋り終えると、ふぅ、と一息ついた。


 「あの……どうして、姉貴のことを」

 「ふふ。私こういうお店、よく来るんです。落ち着いたレトロな喫茶店で、珈琲を片手に読書。素敵ですよね、!」

 「ですから、あの」

 「実はですね。私、こっそり仕事を抜け出してこの街に遊びに来たんです。仕事が多くて多くて。たまにはこうして羽根を伸ばさないと」


 (全然話聞いてくれないな、この子)


 出会い頭にあんな事を言われたにも関わらず、いつまで経っても本題に入ることが出来ないため、彼の心中は穏やかではなかった。それに、多少大人びて見えはするものの、未だ少女に過ぎない彼女が日本で占い師をやっているというのにも違和感がある。


 《のです。何故なら私は占い師ですから》


 幾つもの疑念が彼の心を支配していく。

 警戒体勢を崩さぬまま、彼は「占い師」と名乗った目の前の怪しい少女を観察した。


 彼女はテーブルの上に視線を落とし、手元の白いカップに指を掛けた。右手に嵌めた金の指輪がキラリと輝く。

 カップを口元に運びながら、彼女は「私がここに来たこと、誰にも言っちゃダメですからね」と続け、悪戯っぽくくす、と微笑んだ。


 (……苦そうだな)


 白い天使は口元に運んだ珈琲を一口すすった途端、眉間にしわを寄せ小顔をしかめた。それを見た拓也は、少なくとも少女がことを確信した。


 彼もココアに手を伸ばし、先程から優しい香りを運ぶそれを口に含む。

 ほのかな甘みと優しい温度が身体を巡った瞬間、ピンと張っていた緊張の糸がほんの少しだけほぐれた気がした。


 「あの、占い師さん」

 「ヴィータ、で構いませんよ」

 「……ヴィータさん。その、姉貴の話なんですけど」


 占い師はチラリと顔を上げ、緩く微笑んだまま彼に続きを促した。

 彼女の口元で、珈琲から湯気が立ち上がる。


 「どうして姉貴の事を」

 「ふふ。良い質問ですね。気になります?」


 珈琲をテーブルに置き、彼女はくす、と微笑んだ。


 「言ったでしょう。貴方のことなら何でも分かると」

 「は……」

 「詳しい事はお話出来ませんが、私は少しだけ世の中のことわりに詳しい占い師ですよ。ただ――貴方のお姉さんとを持った、ね」


 (それってどういう……)


 疑問が喉まで出かかったところで、拓也はその先の言葉を口にすることが出来なかった。


 「ですから、貴方の秘密は必ずお守りします」

 「どうして……」

 「貴方のお姉さんのことが、でしょうか」


 白いワンピースの彼女は、華奢な両手を赤らんだ頬にあて照れくさそうにはにかんだ。

 白い睫毛の下で、透き通った碧の瞳がキラキラと輝く。宝石を散りばめた様な輝きを放つその瞳には一切の曇りが見当たらなかった。


 「だから、私はお二人の味方です」

 「……っ」

 「それで、悩んでいるんでしょう? お姉さんのことで」


 彼女は緩やかに目線をテーブルの上へと落とした。

 真ん中に置かれたミルクに手を伸ばし、黒い珈琲にコポコポと注いでいく。ミルクのたっぷり入った茶色のコーヒーを口に運んでから、彼女は「お話くらいなら聞きますよ」と、彼を促した。


 (この子、どうして……)


 彼は膝の上でギュッと手を握り締めた。

 存外悪い人物ではないのかもしれないが、得体が知れないことには変わりがない。


 (でも、この子に聞けば、姉貴の隠してる秘密が分かるかもしれない)


 彼は暫くの間、何を伝えるべきか逡巡した。

 ゴクリと唾を呑み込む。それから、彼は意を決したように顔を上げ、重たい口を開いた。


 「あ、姉貴が、あの日からおかしいんです」

 「…………」

 「誰もいないところで一人で話してたり」


 珈琲をテーブルに置き、少女は「そうですか」と小さく相槌を打った。


 テーブルに置かれた二つの温度が少しずつ冷めていく。

 やがて重たい沈黙を破ったのは、拓也の方だった。


 「姉貴のことを何か知っていたら、教えて欲しい」


 気がつけば彼の口からは言葉が溢れ出していた。


 「あの日のこと、姉貴は一度だって俺に話してくれない」


 彼女は黙って聞いていた。

 彼自身、初対面の怪しい少女相手にこんなにもペラペラと話す自分が不思議に思えてならなかった。それでも、言葉は止まらない。


 「昨日の姉貴、一人で泣いてたんだ」

 「…………」

 「俺はどうしたら……」

 「貴方はお優しいですね。お姉さんに直接訊いてみないのですか? 誰と話しているのか、と」

 「そ、れは」


 拓也は俯いたまま、「怖くて出来ないんだ」と漏らした。


 ココアの表面に、一瞬ゆらりと姉の姿が映ってはすぐに消えていく。

 昨晩部屋の中でうずくまっていた姉の姿を思い浮かべながら、彼は肩を落とし首を垂れた。


 (俺は結局、何も姉貴の力になれてないじゃないか)


 小動物が見栄を張っているのは見るに堪えなかった。けれど、手を伸ばせば何だか壊してしまいそうで、いつまで経っても核心に踏み込めない。小さなプライドが邪魔をして、思ってもない事ばかり言ってしまう。

 本当は姉のことを一番大事に思っているのに。


 「俺はただ、臆病なだけなんです。優しい、なんて」

 「辛かったでしょう。手を差し伸べたくても出来ないのは」


 穏やかな声。少女の瞳の中で、碧い宝石が煌めいた。

 綺麗に笑う子だな、と再び彼は心中で零した。


 「私が貴方に出来ることは、貴方が答えに辿り着く方法をお教えすることです」


 白百合のように清廉な微笑みは、すべてを包み込むような優しさを湛えていた。

 白いワンピースの少女は「これはアドバイスですが」と人差し指を立て、言葉を続けた。


 「お姉さんがいないときにこっそり部屋に入ってみてください。きっとが見られますよ?」

 「…………!」


 思ってもみなかった方法に、拓也は顔を赤く染めながら「そんなことは出来ない」と主張した。

 一方彼女は、何が問題なのか分からずはて、と首を傾げた。


 「何でです? 知りたいのでしょう、お姉さんの隠し事を」

 「いや、知りたいですけど! でも、姉貴の部屋に入るなんて」


 拓也は姉の部屋に一人で忍び込む自分を想像し、気恥ずかしさのあまりココアを一気に飲み干した。

 最近はコミュニケーションアプリを使用しているから、最後に姉の部屋に入ったのはもうずっと前になる。実際、昨晩彼女の部屋を覗いたときも、何だか後ろめたさのようなものを感じて気が気でなかった。


 一方、白い天使は爽やかなスマイルで言い放つ。


 「見たくないのですか、を。知りたくないのですか、お姉さんの秘密を!」

 「いや、そりゃあ知りたい……ですけど」

 「だったら見ないとですよね。――いいえ、お姉さんの隠し事を!」

 「え、ええ……?」


 (この人今、面白いものって二回言ったよな)


 彼女はミルクたっぷりの珈琲を一気に飲み干してから、依然として苦いのを堪えながら笑ってみせた。


 喫茶店に再びゆったりとした音楽が流れる。

 窓際の席を立ち、彼女は「そろそろ行きましょうか」と彼を促した。


 「また悩んだら連絡してくださいね」

 「……ありがとうございます」


 変わっているけれど、存外悪い人では無いのかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、気がつけば彼の中で少女に対する警戒心は幾分か薄らいでいた。


 一方で、依然としてどこか釈然としない思いが腹の奥底を渦巻く。


 《貴方のことなら何でもわかるのです。何故なら私は占い師ですから》

 《私は少しだけ世の中の理に詳しい占い師ですよ。ただ、貴方のお姉さんと特別な関係を持った、ね》


 「この子、一体……何者なんだ」


 駅前で別れた彼女の背中を見つめながら、彼は頭の中で疑問を巡らせた。

 占い師、と名乗った白いワンピースの美少女は次第に遠ざかっていき、人混みに紛れてやがて見えなくなった。

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