第二十三話 かくしごと

 窓に腰掛けた死神の姿をまじまじと眺めながら、私は「改めて見ると整った人形だなあ」などと心中で言葉を漏らした。

 上向きの長い睫毛に、さらりとした指通りの良さそうな黒髪。愛らしい天使のような小顔は中性的で、下手をすれば女子と見紛うほど。白雪姫を思わせる柔肌は、スキンケア云々以前に遺伝子単位で天から授かったとしか思えない。全くもって羨ましい限りである。


 私の視線に気がついた彼は眉をひそめ、不審げに目を細めた。

 やがて何を得心したのか、面白いものでも見るように私をジロジロと眺めてから、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて一言。


 「未玖。さては、ずっと俺のこと待ってくれてたんでしょ?」

 「…………!」


 ミタは得意げな様子で顔を綻ばせながらははーん、と鼻を伸ばした。そのままのけぞり窓にもたれかかるので、橙色のカーテンが少し揺れた。

 一方完全に言い当てられてしまった私は、慌てて「調子に乗らないでくれます?」とつけ加えてから、ベッドの上で毛布にくるまって反論した。天むすのごとく布団に埋もれる私を隣にいるクマのぬいぐるみが呆れた目で見ている気がしたが、無視する。


 「さっきも言ったけど、私はミタの居ない快適な暮らしを送っていたんですぅー。ミタのことなんて、これっぽっちも待ってなかったんだからね?」

 「えー、そんな寂しいこと言うなよー。俺達の仲じゃないかー」

 「私達の仲とは一体」

 「そりゃあ、俺達はなんだし……」

 そんな乙女みたいに照れたってダメ。困っているのは私なのよ?

 「照れるなよ、未玖。俺達もっと色々さ……仲良くしようぜ?」

 ”仲良し”の響きがなんか嫌!

 「そうと決まれば未玖、仲良しの一環として今から一緒にテレビを見よう。本当は俺一人で溜まった録画見るつもりだったんだけど……特別だからな?」

 「いやあの、別にお笑い番組はいいです」

 「………………」

 あからさまに悲しそうな顔!

 「……未玖」


 彼はおもむろに立ち上がり、ぽすん、と私の傍に座った。彼のコートから少し外の香りがした。

 毛布にくるまる私の横で、死神ミタは虚ろな表情で前を見据え、安堵の表情を浮かべた。


 「良かった。君が元気で」


 聞こえるか聞こえないか程度の小さな声。

 横に腰掛けた彼が少し大人びて見えた気がして、私は思わず呼吸を忘れてしまった。


――――――――――――――

第二十三話 かくしごと

――――――――――――――


 「……未玖?」


 こちらを向いたミタが驚いたように目を丸めるので、私は咄嗟に彼から目を逸らした。


 (今少し見てたの、バレてないよね)


 ぶわっと顔に血が集まっていく。汗ばんだパジャマをぱたぱたとさせながら、火照った身体に風を送った。咄嗟に誤魔化してみたけれど、何故だか今日は上手く呂律ろれつが回らなかった。


 「え、いいいいや別に何も? や、やまっやましいことは何も考えてないし、私はしし至極普通の一女子高生として……」

 「どうしたの、未玖。今日本当に変だよ?」


 「さては何か隠してるのか?」と小首を傾げてから、ぱちくりと瞬きを数回。

 死神ミタはそれから、ずい、と私の顔を覗き込んだ。


 バクバクと耳元で心臓の音が聞こえた。パーソナルスペースって知ってる、と問いかけても構わないだろうか。

 鼻先が数センチのところで触れ合いそうな至近距離。コートを纏う夜の香りに混じって、僅かに肌の匂いがした。吐息が掛からないか不安になり息を止めようとしたところで、彼がスゥ、と息を吸う音が聞こえた。慌てて息を止める。密着しているわけでもないのに僅かに彼の温もりを感じて、私は唾を呑み込むことも出来ずに両目を瞬かせた。

 いやそれより待って、そろそろ息掛かっちゃうよ。ていうか、近いよ! 近い……って、あれ。


 「ミタ、その目……」


 至近距離で彼と見つめ合ったところで、異変に気がついた。

 久しぶりに見た彼の瞳の色が、いつもと違うような気がしたから。


 「あ……あぁ、これは……疲れちゃって」

 「……え?」


 彼は私から顔を逸らし、小さく、弱々しく零した。

 彼の視線があちらこちらに泳いでいるのを見て、幾つもの疑問符が頭に浮かんでいく。


 (それって、どういうこと)


 「疲れると、何か俺の目の色って変わっちゃうみたいなんだよね」


 彼は苦笑交じりに私の横から立ち上がった。

 私もつられて「たかがお散歩で疲れちゃうなんて、運動不足なんだよ」と、おどけたように笑ってみせた。



 ――本当はどこに行ってたの。



 喉まで出かかった言葉がどうしても出せなかった。

 私は今日もまた、情けなく当たり障りのない笑顔を浮かべることしか出来なかった。


 いつもの癖だ。


 《もし俺の帰りが遅くなっても、気にしないでくれ》

 《もし、俺が……帰ってこなくても》


 彼が何かを隠していることくらい分かっていた。

 パチリ、と部屋の明かりを消した私は、そのままベッドにもぐりこんだ。


 掛け布団にくるまり、そのまま枕に顔を埋める。

 布団の中で、私は自分に言い聞かせた。


 《待ってるよ、ミタ》


 私はただミタのことを待っていれば良いんだ。

 ミタが私に全部話してくれるときまで、笑顔で、ずっと……


 ずっと――



 小さな棘に胸が刺されていくような心地がして、私は枕に顔を埋め、ギュッと両目を瞑った。

 気を抜くと瞼が熱くなりそうだった。喉の奥がツンとして、胸が苦しくなった。


 (寂しいな)


 ミタと出会ってから、どれだけの時が経ったのだろう。


 《一緒に……見てもいいけど、その代わり…………俺の好きなやつを見る権利を……与えろ!》

 《悩み過ぎじゃない?》


 時にはバカみたいな話をして、


 《生きてくれ。君が奪った、その力で》


 時には落ち込む私を励ましてくれた。


 ずっと一緒に過ごしてきた。

 でも、ミタにとってはそうじゃなかったのかもしれない。


 ミタは私に何かを隠している。

 それは、私に言えない理由があるから?

 それとも、私には言う必要がないから?


 ミタにとって、私はただの「人間の一人」でしかないから……?


 (何でかな)


 心中で乾ききった笑い声を零しながら、私は布団の中で自嘲気味に口角を持ち上げてみせた。



 いつの間にか、ミタが隣にいるのが当たり前のように感じていた。

 けれど、私には話してはくれないのだろうか。


 ただの「人間の一人」では、ミタの力にはなれないのだろうか――



 暗がりの中、布団から起き上がり彼の方を見やる。少し目が慣れてきて、カーテンの隙間から青白い月光が差しているのが見えた。

 乾いた唇を震わせか細い声で「ねぇ」と呼び掛けると、椅子に腰かけていた黒いシルエットが僅かに動いた。


 「そういえばミタって、天界から追い出されたんだよね」

 「……うん」

 「どれだけサボってたら追い出されるの」

 「俺のサボり癖を舐めるなよ、未玖? まあそうだな……『あの人』の怒りを買うくらいには、下々しもじもの死神に仕事を押し付けてたかな」

 「それ誇らしく言えることじゃないでしょうに」


 「下々の死神って何」と思いながらも、気がつけば私は咄嗟に笑顔を貼り付けていた。

 表情はよく見えないけれど、向かいの黒いシルエットも同じように笑っていた。


 (どうして本当のこと、言ってくれないのかな)


 暗がりの中で必死に口角を上げて、強くギュッと瞼を閉じた。

 核心に触れれば彼がどこかへいなくなってしまうような気がして、震えた声が零れてしまわないように喉の奥に力を籠める。


 (そっか。私……)


 私は、「ひとり」になるのが怖いんだ。


 《誰かを傷つけないで生きてる奴なんて、いないだろ?》

 《頼むから……死んだ方が良かったなんて、もうそんな事言わないでくれ》


 私がまた道に迷ったときに、隣で支えてくれるミタがいないのが怖いんだ。


 《こんな奴、死んじゃえばいいのに》

 《いい? あなたはその力から逃れられない》

 《だってあなたは――“私”なのだから》


 「ひとり」になると、の笑い声が聞こえてくる。

 その声は私を嘲り笑い、怨嗟の籠ったような低い声で囁くのだ。


 ――次は、誰を殺すの?

 ――滑稽ね。滑稽だわ。

 ――誰もかも、全員、


 コロシテ シマエバ イイノニ。



 窓の隙間から入り込む風が皮膚の熱を奪っていく。

 カーテンの隙間から、青い月明かりが音もなく部屋を照らしている。


 すぐ隣から、感情の無いぬいぐるみの瞳がジッとこちらを見つめていた。


 (結局、ミタに聞けなかった)


 布団にもぐりながら、私は自分の無力さに歯噛みする。

 次第に薄れゆく意識の中、私はただ自分の不甲斐無さを痛感することしかできなかった。



 小さくキィ、と扉が軋む。

 そのとき部屋の中をじっと見つめていた人影に、私もミタも気がつかなかった――。

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