第十八話 欠けた穴

 後日。

 警察から事情聴取を受けた私は、満咲との関係や彼女の証言の信憑性などが尋ねられたが、「私があの男を殺したという事実」について尋ねられることは無かった。


 本当は途中で何度も、何もかもをさらけ出してしまいたかった。その度に、怖くなって言い出せない自分が直前になってそれを邪魔した。

 結局自分は臆病なのだという結論に達しては、そんな弱い自分の心に「どうせこのまま黙っていても気づかれることはないんだ」と言い聞かせ、自分を擁護するための理由を次々と付け足していく。


 人間が相次いで原因不明の突然死に見舞われる、奇妙な事件。

 「不可解な死」を遂げた人間はこれで二人目となり、警察の間では「呪い」だとか「霊の仕業」だとか言う声さえ上がる始末であった。


 メディアでは男の詳細な死亡理由については伏せられ、同じく「不可解な死」を遂げた人間である堀口優との繋がりも伏せられた。



 事件の後、私は親友のことを案ずるも、直接会いに行くことが出来なかった。

 もし、あの男を殺したのが私だと満咲にバレていたら――そう思うと怖くて足が竦んだ。


 私は、臆病な人間だ。

 親友を心配しながら実際に会いに行くこともできない、弱い人間。 


 週末の時間は刻々と過ぎていき、何も出来ないままただ時だけが経過していく。


 そして次の月曜日から、満咲は学校に来なくなった。


――――――――――――

第十八話 欠けた穴

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 カーテンが揺れ、教室に淡い光が差し込む。

 私は窓際の席から外の景色を眺めていた。


 悠々ゆうゆうと空に浮かぶ夏の雲。

 時折風が吹いては枝葉が揺れ、キラリと輝いた木漏れ日が目に染みる。


 午前授業の終了を告げるチャイムが教室に鳴り響く。

 私は後ろの席の花に小突かれてから、ようやく、授業が終了していたことに気がついた。



 満咲が学校に来なくなってから数日。

 私達三人は昼食のため、いつも通り机と机を突き合わせた。


 私の前の席は相変わらず今日も欠けている。

 ガランと穴のあいた隙間を、冷たい風が通り抜けた。


 「だから、そこで三角関数を使うのはんだって、未玖。人として生まれたからには、もっと洗練された……」

 「花、説明が分かりづらいよ……」

 「おいおい未玖さんや。キミは早く数学とお友達にならないと、またにどやされるぞ?」

 「あ、新しいあだ名だね……」


 苦笑交じりにお茶に手を伸ばす私をよそに、花は「芸術家たるもの、常に新しいものを生み出していかなければならないのだよ」と一人頷いてから、弁当のブロッコリーを頬張った。大き過ぎるその塊が口の中で存在感を放っていることは、彼女の頬を隣から眺めていれば容易に想像がついた。

 そんなに大きいの、一口で食べるからだよ。


 「未玖、その……傷は大丈夫、なの……?」



 一瞬、空気が凍りついた。


 私をジッと見つめたまま、小首を傾げる永美。

 くりりとした大きな目が、真っ直ぐにこちらを向いている。


 ここ数日間、誰も触れて来なかった話題。

 耳元でドクンと胸を打つ音が聞こえた。


 先日の事件が想起され一瞬ドキリとしたものの、次の瞬間には咄嗟に笑顔を貼り付けることに成功した。

 いつもの癖だ。


 「あ……はは、こんなのどうってことないよ! うん、生きてれば大丈夫、大丈夫。なんちゃって、はは……」

 「未玖……」

 「顔も、この前までは○-1グランプリに出たら優勝出来るレベルに面白いくらい腫れてたんだけど、それも今朝、ようやく可愛い少女らしさを取り戻したところかな!」


 人差し指と親指で顎を挟み、顔をキメる。

 隣で花が呆れたように「○-1グランプリはそんなに甘くないぞ」と嘆息を一つ。


 永美は黙ったまま、弁当箱の中のオムライスを口に運んだ。

 透き通ったほうじ茶色の瞳に、薄っすらと影が掛かった。


 「満咲はどうして、学校に来られないのかしら」


 神妙な面持ちでボソリと一言。

 永美は口の端についた赤いケチャップを舌で舐め、目を伏せたまま「満咲が心配ね」と続けた。


 「そりゃそうだよねぇ。未玖はともかく、満咲は繊細さんなんだ。誰だって怖いだろうさ――目の前で突然、を目の当たりにしたら」

 「事故死……」

 「満咲にとって必要なのは時間なんだよ、永美。あたしらは待っててあげようよ、大人しくさ」


 花は腕を頭の後ろに組みながら「満咲が心配なのは、あたしも一緒だ」と続けた。

 太いフレーム眼鏡の奥で、彼女の瞳が微かに揺らいでいた。


 「未玖も、あんまり無理して笑う事ないんだぞ」

 「花……」

 「人の心はガラスと同じだ。小さな傷が積み重なれば、簡単に壊れてしまうものなんだよ」


 薄暗い雲が空を覆い隠し、教室内に差し込む陽射しが弱まっていく。

 花は珍しく静かに黙り込んでいた。

 目の前の弁当に箸を伸ばす。先程から寂しそうにこちらを見つめていた「たこさんウィンナー」は、すっかり冷えていてあまり美味しくなかった。


  ☆★☆


 放課後。

 部活のある花を除き、私と永美は帰路を共にしていた。


 電車に揺られる女子高生が二人。西陽が差し込み、隣に立つ永美の顔を照らしていた。


 彼女の横顔にチラリと目をやる。

 整った鼻筋。上向きの長い睫毛。こうして二人で帰るのは、初めてだろうか。どこか憂いに満ちた表情。黙っていれば美人なんだよなあ、と改めて認識したのも束の間、彼女は私の視線に気がつき、照れくさそうにはにかんだ。私は慌てて目を逸らした。


 電車の吊り革がキィ、と音を立てる。


 「ねぇ、未玖」


 そう言えば、永美と二人で帰るのはこれが初めてかもしれない。二人だけの帰り道は少し、寂しい気がする。ここには満咲がいない。私は満咲の命を助けた。けれど、満咲の心はどうだろうか。私は満咲の心を――


 吊り革を握る手に汗が滲んだ。


 「私ね、知ってたの。満咲が何か私達に隠してることがあるって」

 「…………」

 「誕生日のことだって。本当は嬉しくないかもしれないって、分かってた」


 電車がガタン、と大きく揺れた。


 「でも私には、満咲が本当に考えてることなんて、分からないから」

 「…………」

 「未玖」


 電車の中がじわりじわりと暮れ色に染まっていく。やがて電車は、永美の最寄り駅の一つ前に到着した。

 ドアが開き、ぞろぞろと人が降りていく。黄金色の光が一瞬車内を包み込み、


 ようやく彼女の呼び声に気がついた私は、ハッと横を見やった。


 「あのね。本当は」


 発車ベルが鳴り響き、ドアが閉まる。すぐ横に彼女の顔があった。

 焦茶色の瞳が僅かに揺らぎ、瞳のガラスに私の顔が映った。


 紫色の痣の残った痛々しい女子高生の顔が、そこにあった。


 「いや、何でもない」

 「えええ、言ってよ永美! むしろ気になっちゃうよ!」

 「ふふ。やっぱりまだ顔腫れてるな、って少し心配になっただけ」

 「むぅ。絶対何か隠してるな?」

 「その傷口に塩化ナトリウム水溶液を含ませたコットンをあてたらどういう反応を示すのか、一度実験してみてもいいわね」

 「……動物愛護団体に訴えるよ?」


 電車の窓に内側の景色が映り、そこには学生二人の姿があった。

 先程の駅で大勢が降りた車内は、人がゆったりと座れるくらいには空いていた。ふと隣のドアに視線をやると、少し離れたところからこちらを見つめるミタと視線が合った。


 もうすぐ、永美の最寄りの駅に到着する。

 電車がゴトンと揺れ、吊り革が一斉に乾いた音を響かせた。


 次の瞬間、下ろしていた右手に温もりを感じた。


 「未玖」


 驚きその方を見やると、永美が両掌で私の手を包み込むようにして握っていた。


 数センチ開いた窓の隙間から風が入り込み、艶めいた彼女の黒髪がなびく。頬は西陽の色に染まり、丸い瞳が真っ直ぐにこちらを向いていた。いつも凛々しく吊り上がっている眉毛は珍しく垂れ下がり、縋るように私を見つめる瞳は僅かに潤んでいた。


 クラス一の美人の表情に一瞬ドキリとして、私は思わず目を見開いた。


 「満咲に、会いに行ってあげて欲しいの」

 「永美……」

 「花はああ言ってたけど、きっとその、怯えてる……だろうから」


 彼女は下方に目を泳がせた。私の手を握り締める両手が小刻みに震えていた。

 クラス一の秀才門田永美は、決して完璧人間ではない。飄々ひょうひょうとしていて、時には頭のネジがおかしな方向に緩んでいるとしか思えないような発言をするけれど、そんな彼女もこうして時折不安げな仕草を見せることがある。


 「私には、その……上手く話せる自信がないから」


 その度に私は、お腹の底からグッと熱いものが込み上げてくる感覚がして、

 思わず、こんな風に強がってしまうのだ。


 「任せてよ永美。満咲の一人や二人、簡単に励ましてみせるからさ」


 親指と人差し指を伸ばし、いつも通り顔をキメてみせる。

 危うく右目から星を飛ばしそうになるのを、何とかギリギリのところで留まった。右頬がピクピクと痙攣し不完全なキマり顔になってしまったのが悔やまれる。


 電車が駅に到着する。

 永美は握りしめる手に再度力を籠めてから、真っ直ぐに私を見つめた。


 一瞬、彼女の瞳にが混じって見えた気がした。


 「信じてるよ。未玖」

 「あはは、もう。永美は大袈裟だなぁ」


 私は照れ臭くなって頭を掻いた。

 ドアからぞろぞろと人が降りていく。永美は私に感謝を告げてから、鞄を手にドアへと向かった。


 降り際、彼女の背中に向かって言葉を零す。


 「信じてよ、永美。私が必ず、満咲を連れ戻してみせるから」


 発車ベルが鳴り、ドアが閉まる。

 その途端、押し殺していた恐怖が一気に押し寄せた。


 心臓がドクン、ドクンと耳元で脈を打つ。


 (もしも。あの男を殺したのが私だって、満咲にバレてたら――)


 ゆっくりと電車が動き出した。

 車窓から広がる景色は移り変わり、やがて電車は真っ暗なトンネルに吸い込まれていく。


 吊り革に掴まる女子高生が一人、黒い窓に映った。

 すっかり人のいなくなった車内で、私はひとり別れ際の笑顔を貼り付けたまま、顔を強張らせていた。


 保身から来る恐怖に打ち勝とうと、自分に言い聞かせる。

 何度も。何度も。


 ――このまま黙っていれば、誰にもバレる筈はないのだ、と。

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