第十二話 少し、疲れたから。
翌日、学校にて。
教室のドアを開けるや否や、私はドアの裏側に潜んでいた幽霊少年にぐい、と手を引かれた。
「おねえちゃん、遅いよ! 遅刻ギリギリじゃん」
少年は呆れ混じりにため息をついてから私を先導していく。一方私は
教室の後方の席へ向かって歩いていく。
幽霊少年に手を引かれる私は、傍から見たらどう映っているのだろうか――今更ながら、私は当たり前の事実に気がついた。
二階の教室の外から夏の空気が入り込む。
風に吹かれて木の葉がサラサラと音を立てている。
後方にある彼女の席には、カーテン越しに柔い陽射しが差し込んでいた。
「おっはようー満咲! そして、今日は誕生日おめでとう!」
私は親指を立てながら顔をキメる。
一方満咲は、困ったように苦笑するだけだった。
「ねぇ満咲、せっかく誕生日なんだからさ。もっと大袈裟に喜んだっていいんだよ?」
「いいよ。未玖じゃないんだから」
「そうそう、私じゃないんだから。って、ちょっと! 私いつもそんなに大袈裟じゃないよ?!」
「………………」
慌てて抗弁する私をよそに、満咲は不思議そうに小首を傾げるのみであった。
教室の席に座る満咲と、その横に立つ私。
傍から見る人間には、私達のすぐ傍にいる
予鈴が鳴る時刻まであと少し。
私はミタや幽霊少年と目を合わせてから、本題に入ることを決意した。
―――――――――――――――――
第十二話 少し、疲れたから。
―――――――――――――――――
昨晩考えた、幽霊少年の想いを満咲に伝える方法。
当初挙がっていた案は、私が少年の言葉を代弁して伝えるというものだった。
しかし、以前私が「死にたくない」と願って力を手にして死神が見えるようになったように、満咲が「会いたい」と願えば少年の姿が見えるようになるのではないか。その可能性が過ぎった時、私はこれしかないと思った。
満咲に「弟に会いたい」と強く願ってもらうしかない。
ミタには安直だと呆れられたが、やると決めたら最後、そんな些事を気にする私ではないのだ。
「昨日の前祝い、あのアイス美味しかったね。満咲のダブルトッピングなんて本当に贅沢で」
「うん」
「あ。いや別にね、羨ましいってわけじゃなくて! あ、あはは」
君は本当に演技が下手だな、とミタが呟いた。
幽霊少年がガッツポーズで私を励ましている。
「それにしても花のチョイスは中々攻めてたよね。えーっと、なんだったっけ」
「抹茶アイスと……激辛ソース……?」
「あ、そうだったそうだった! あの後の花、凄かったよね。アイス食べてるのに汗びっしょりなんだもん」
どんどん話が遠ざかってるぞ、とミタが呟いた。
幽霊少年も残念そうに肩を落としている。
「あーいやぁ。実は私の弟が辛いもの大好きでね。食べさせてあげたかったなー。なんちゃって」
やっと話が見えてきた、と呆れるミタ。
幽霊少年は真剣な眼差しでこちらを見守っていた。
一方「弟」という単語を耳にした満咲は、俯いて黙り込んだ。
「満咲ってその、弟、
満咲は黙っていた。
「その。やっぱり、もう一度会いたいとか思ったりする?」
カーテンの隙間から白い陽射しが入り込み、彼女の机を照らす。
彼女は何も言わなかった。
「なあなあ、死神。もしかして俺、姉ちゃんに嫌われてんのかな……」
満咲の後ろに立つ少年は、青褪めた顔で弱音を零した。横にいる死神はぶっきらぼうな口調で「さあ、どうだろうな」と応えた。
刻々と、予鈴の時刻が近づいてくる。
机上を照らしていた光が次第に弱まっていく。
暫くの沈黙の後、押し黙っていた親友は下を向いたまま重々しく口を開いた。
「どうして、そんなこと聞くの」
いつになく冷たい口調だった。
「どうして、未玖にそんなこと話さなきゃいけないの」
全身がカチリ、と固まって動かせなかった。
僅かに怒気を含んだ声。目の前で俯く満咲の肩が、小刻みに震えていた。
いつもの彼女らしくなかった。
「ご、ごめんごめん。そうだよね。あ、あはは。変な事聞いてごめん」
「……誕生日なんて嫌い」
彼女は顔を上げて、キッと私を睨みつけた。
「どいつもこいつも、こういう時だけ無駄に構ってくる」
拒絶。
私は咄嗟に笑顔を貼り付けてみたものの、心臓が潰れてしまいそうな心地がした。
私はこの時初めて、彼女の中の踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまったのだと理解した。
「ご、ごめんね、満咲。私……」
「いや。私の方こそごめん、未玖。今日嫌な事があって、少し一人にしておいて欲しいの」
少し、疲れたから。
彼女はそう言って目を伏せた。
幽霊少年の願いを叶えたいがために、いつの間にかあたり前のことを見失っていた。私はこの時点でようやく自分の愚かしさに気がつき、そして後悔した。
私は彼女の気持ちを何一つ考えていなかったのだ、と。
☆★☆
放課後。
友人の誘いを断り、満咲はその日一人で帰宅した。
少しずつ陽が暮れていく。
最寄りの駅を降りた彼女は、あてもなく彷徨っていた。
生暖かい風。人混みがやけに煩く耳元に纏わりつくようだった。
人気のない方へと足を運ぶ。
真っ赤な夕暮れの空を、少しずつ藍色が侵食していく。吸い込まれそうな深い夜の空に、真っ白な月が浮かび上がった。
《もう一度会いたいとか思ったりする?》
「会いたい、か」
《今日も姉ちゃんかよ~》
《もう。私じゃ不満?》
《そういう訳じゃないけどさ! なあなあ。それより、今日のお見舞いは?》
《はいはい。買ってきたよ、ほら》
「……そんなこと出来るわけないのに」
《おはよう、満咲。今日はあなたの誕生日ね。お母さん、あなたのためにケーキを買ってきたのよ》
《父さん、今日はお前のために仕事早く切り上げて来るからな》
「どいつもこいつも、こういう時だけ無駄に構ってくる」
家になんて帰りたくなかった。
帰ったところで、また味のしないケーキが待っているだけなのだから。
いっそこのまま、何処かへ消えてしまえたら――。
藍色に染まった空を見上げながら、彼女はそんなことを思った。
人気のない細い路地を冷たい夜風が通り抜ける。満咲は身震いを一つした。
《姉ちゃん、俺、宇宙飛行士になる!》
「会いたい、か」
それも悪くないかもね。彼女は小さく唇を震わせ、自嘲気味に口角を上げた。
このまま空の彼方に消えてしまえたら、どれだけ楽だろうか。
煩わしい
死んでしまった弟ともう一度会えるだろうか。
人気のない夜道を歩きながら、満咲は
星一つない空は何処までも深くて、不意に涙が零れ落ちた。
そんな折。
「おやおや、こんな時間に一人で出歩いたら危ないですね。お嬢ちゃん」
背後から誰かが彼女の肩を叩く。
満咲が振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。
サラリーマンだろうか。スタイリング剤できっちりと整えられた髪に、銀色の細縁眼鏡。灰色のスーツから、少し強いミントの香りがした。
人気のない薄暗い道路に、女子高生とサラリーマンが二人だけ。夏にしては嫌に冷たい風が吹き、満咲は身震いを一つした。
次第に男の目つきは獲物を捉えた肉食獣のそれへと変わっていく。男は撫でるような声で「大丈夫、大丈夫」と呟いてから、ゆっくりと口角を吊り上げた。
「いいですか。私についてくれば怖くないですね?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます