第十話 目に見えぬ

 帰り道。

 暗くなった夜空には無数の星が浮かんでいた。


 友人達と別れた私は、電車を降り、自宅へと続く路線沿いの道を歩いていた。私の横では死神が嬉々とした様子で「テレビ、テレビ」と繰り返している。


 「ああ、やっとだ。やっと、この時間がやってきた。昼間は君に話し掛けてもろくに返事してもらえないからな。俺にもこういった娯楽が必要なんだ」

 「あ、あはは……。ごめんごめん」

 「未玖、本当にごめんって思ってないだろ? 話し掛けても返事を貰えない俺の気持ち、君は考えたことがあるのか?」

 それはその、不可抗力じゃないですか……。

 「フン。どうせ君には俺の気持ちなんて……」

 「あ、じゃあ分かった。今日は二人で一緒にテレビ見ようよ」


 私は「ね?」と付け加えてから、彼の方を向き笑ってみせた。死神は思わぬ返答に目を丸くしたかと思えば、ハァ、とため息をつき首を横に振る。


 「何を言っているんだ。俺が一人で好きなやつを見るに決まってるだろ? 君は一人でトランプなりオセロなりしていればいいじゃないか」

 トランプもオセロも、一人じゃできないよ?

 「いいじゃん、私の部屋なんだから! 一緒に見ようよ」

 「えー。君がいると集中して見られないじゃないか」

 あの。一体君は、女の子の部屋で何を見る気なんだい?

 「一緒に見ないなら、ミタにテレビ見る権利与えない!」

 「そっ、それは……!」


 ミタの頭上にガーン、という文字が浮かび上がる。

 整った人形のような顔がぐにゃりと曲がったかと思えば、次の瞬間、彼はまるで究極の選択を迫られたかのような様相で思案を始めた。


 「うーん……むむ……」


 そうして苦悶すること、数分間。

 悩みに悩んだ挙句、死神はようやく一つの答えを導き出した。


 「一緒に……見てもいいけど、その代わり…………俺の好きなやつを見る権利を……与えろ!」

 「悩み過ぎじゃない?」



 帰宅した途端、彼はに踏ん反り返っては、早速リモコンに手を伸ばした。


 「じゃあミタが好きなやつ見ていいよ」

 「うむ、実は見たい番組は既にリサーチ済みなのだ」

 「うん。だと思ったよ」


 いつも私がお風呂から出て部屋に戻るとリモコンを握りしめて「何でもないよ」と誤魔化すバレバレの真犯人は、今回の私の発言にまるで真実を突き付けられた事件の犯人のような形相で「何故分かった?!」といった表情を浮かべている。


 「で、何が見たかったの?」


 私が促すと、ミタは照れくさそうに頬を赤らめたまま、口を尖らせた。


 「お笑い番組だよ。あっちの世界でいつも見てたから、下界のはどんなものかと思って」

 「へぇ、なるほど。お笑いね。いいんじゃない?」

 一つ思ったんだけどさ、お笑いって一人でこっそり楽しむタイプのものだったっけ?


 私はミタが何故このジャンルのテレビを一人で見たがっていたのか皆目見当もつかなかったが、それよりも、


 「あっちの世界のお笑い番組って、どういうやつなの?」


 天界のお笑い番組とやらの内容や形式が気になってしまうところであった。


 彼が特等席を牛耳っているため、私は向かいのベッドに腰を掛ける。回転式のチェアを左右に揺らしながら、黒コートの死神は驚くべき答えを返す。


 「天界では『あの人』がプロデュースしてるお笑い番組があるんだけどさ、すっごい面白いんだよ」

 「ふーん、そうなんだ……って、え?!」

 あの、「神様」がお笑い番組をプロデュースしてるっていう理解で合ってます?


 思わず開いた口を塞げないままでいる私をよそに、ミタはこちらの世界とさほど変わらない内容のその“お笑い番組”について熱弁を始めた。

 その、「あの方」主催のお笑い番組について。その番組の天界での人気ぶりについて。


 「えっと。話をまとめるとつまり、あちらの世界では皆さん全員『あの方』がプロデュースしたお笑い番組を欠かさず見ている、と」

 「というか、番組のほとんどが『あの人』プロデュースの番組なんだよ。ほぼお笑いだけど」

 「で。皆さんお笑い番組を見ている、と」

 「当たり前だろ。俺達死神にとっても、お笑い番組は無くてはならない存在なんだよ」

 どんだけお笑い好きなんだよ。


 私は天界の住民が揃ってお笑い番組を見るシュールな光景を想像し、思わず苦笑せざるを得なかった。

 じわじわと込み上げる笑いを何とかして抑えることに成功したタイミングで、ミタが「そろそろつけるぞ」とリモコンのスイッチを入れた。


 ――が、テレビがつかない。


 「あれ、何でつかないんだ? 未玖、君のテレビ壊れてるんじゃないか?」

 「そんなことないよ! まだ買ったばっか――」

 「ん。どうしたんだよ」


 不思議そうに首を傾げる死神。

 一方「それ」の存在に気がついた私の顔からは、みるみるうちに血の気が引いていく。


 「ちょっ、ミタ、誰かいるよ……!」


 私が顔を引き攣らせるので、死神は訝しげに私の視線の先へと目をやった。そして、その先にあったものを目にした瞬間――死神様は驚きのあまり腰を抜かし、特等席から転げ落ちたのだった。


 ぼんやりと浮かび上がっていく輪郭。

 それは、普段は目に見えるはずのない――。



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