第四話 死神

 翌朝。

 目覚まし時計が鳴り響き、寝ぼけた頭が次第に現実へと引き戻される。


 朦朧としていた視界が次第に覚醒していくにつれ、吐き気のするような現実が襲い掛かった。


 《僕と一緒に――天国で、永遠になろう。未玖》


 必死に頭を横に振ってみたところで、昨日の出来事が頭から消えてくれることはなかった。現実はいつだって、無情にも目の前に立ちはだかる。


 ――ジリジリジリジリ。


 目覚まし時計のアラーム音が鳴り響く。

 布団から這い出る気力はなく、私はただぼんやりと無機質な天井を眺めていた。現実逃避を試みるも、気を抜いた瞬間すぐに昨日の映像が脳裏を過ぎる。


 蘇る光景。

 雨の中、こちらを見下ろしていた彼の瞳はやがて天を向く。次第に、剥き出しの白い眼球が露わになっていき――


 (どうして……)


 あの時、彼は突然目の前で息絶えた。

 どれだけ掻き消そうとしたところで、彼の最期の顔が頭から離れない。


 ――ジリジリジリジリ。


 そろそろ、起きなければ。

 使命感が私を奮い立たせた。


 行かなくては。

 朝食を用意して待っている家族の元へ。

 学校で待っている友人の元へ。


 そう思っているのに、身体はベッドに縛り付けられたかのようにピクリとも動かすことが出来なかった。


 (起きたくない)


 窓から差し込んだ朝日が両目に染みた。一階のキッチンから、母が朝食の準備をする音が聞こえた。

 耳元のスマートフォンが振動し、ロック画面にコミュニケーションアプリの通知が表示される。


 『おはよう、未玖』

 『あのね……今日、数学のテストがあるって聞いたんだけど』

 『未玖のことだから、忘れてると思って……』


 画面の向こう側に居るであろう、心配性の満咲の姿が目に浮かぶ。

 彼女の私に対する評価は相変わらずではあったが、それに対して指摘する気力すら湧かなかった。


 (返さなきゃ、なぁ)


 私はベッドからゆっくりと起き上がり、先程からジリジリと大きな音を響かせている目覚まし時計を止めた。

 それから大きく一つ伸びをしてみたが、気分は依然として重怠いままで、垂れ下がった表情筋が元に戻ることはなかった。



 のそのそと、ベッドから降りる。

 立ち上がりパジャマを脱ごうとした――その時。


 ようやく部屋の異変に気がついた私は、思わず息を呑んだ。


―――――――――

第四話 死神

―――――――――


 (…………!!)


 部屋の中に、知らない人影があった。


 全身の血液がサーッと引いていく。

 心臓がバクバクと鼓動する音が聞こえた。


 勉強机の前の椅子にもたれかかり、すやすやと寝息を立てるその不法侵入者は、明らかに異様な雰囲気を醸し出していた。

 何より驚いたのは、その姿。

 外套を纏った、全身の黒一色。


 に、見覚えがあった。


   蝋燭の炎に照らされ、

   暗闇の中、彼女は笑っている。

   浮かび上がる、黒一色。

   黒いマントを羽織った、その姿は――。


 「だ……誰……」


 何故、を着ているのだろうか。

 突如現れた謎の人物から目を離すことが出来なかった。


 警戒心を引き上げる。

 寝ぼけていた頭は一瞬にしてハッキリと冴え渡った。


 咄嗟に部屋の入口まで移動し、私は少し離れたところから様子を窺うことにした。


 突如現れた謎の不法侵入者。

 と同じ黒いコート。醸し出される異様な雰囲気。

 しかし、その人物の特異さはそれだけではなかった。


 すうすうと寝息を立てたまま、起きる気配がない。

 その寝顔を形容するならば、悪魔というより――天使に近かった。


 彫刻のようになめらかな白い肌、華奢な手足、艶のある短い黒髪。それから、ふんわりと長く伸びた睫毛まつげ


 (お、お人形さんみたい)


 歳は同じかそれ以下といった具合で、見た目は、正直判断がつかない程に中性的な顔立ちをしていた。

 実に可憐で、整った造形をしていた。


 その人物からは何故か全く害意を感じなかった。


 (どうして、私の部屋に……)


 やがて警戒心は崩れ去り、気がつけば、私は子犬でも眺めているかのような心持でその人物のことを眺めていた。


 勉強机の椅子に座る子犬を、部屋の扉近くからジッと眺める。

 数刻の後、子犬は目を覚ましふわぁ。と大きなあくびを一つした。


 「やっべ、寝ちまった」


 子犬は顔を上げ、私の方を見た。

 ぱっちりと開かれた瞼の下に、大きな黒真珠が二つ。季節外れの冬の黒コート。血が通っていないのではないかと錯覚する程の、真っ白な手足。

 白と黒で統一されたモノトーンカラーからは、何故だか「死」を連想せずにはいられなかった。


 「誰、なの……?」


 私は離れたところから恐る恐る尋ねた。

 一方、不法侵入者は目をこすりながら、何故か呆れた口調で告げるのだ。


 「ああ、君。やっと俺のことに気がついたのか」


 少し低めの、包み込むような柔らかい声。

 再びふあぁ、とあくびをしてから、彼は「昨日からずっと傍にいたのに、無視するんだもんなー」と口を尖らせた。


 昨日からずっと傍に。その言葉を聞いて、昨晩微かに聞こえてきた呼び声が思い浮かんだ。


 「まあまあ、そんなに怖がるなって。俺は君の味方だと言っても過言じゃない」

 「み、味方?」

 「そうそう。何てったって、昨日君を助けてあげたのは、この俺だからな!」


 そう言うと、子犬、もとい、不法侵入者は得意げにしたり顔を浮かべてみせた。

 混乱する頭を整理することもままならず、疑問が口から零れ出ていく。


 「助けたって、どうして」

 「たまたま近くを通り掛かったら、見かけたんだよ。可哀想になぁ。痴話喧嘩だろ? 男に襲われるなんて、可哀想になぁ」

 「そ、そんな」

 「まあでも? 俺は初対面の人間を助けてやるほどお人好しじゃない。いいか、君を助けたのは、単なる気まぐれだ」

 「…………」

 「それ以上のことは何もない。この俺の気まぐれに感謝するんだな」


 顔に「ありがとうは?」と文字を浮かべながら、彼は椅子の上でふんぞり返ってみせた。

 一方私は、口をパクパクとさせたまま思考の整理もままならなかった。


 理解が追い付かない。

 この人物は何者なのか。そもそも、何が目的なのか。


 彼を殺したのはこの人物なのだろうか。

 だとしたら、一体どうやって――?


 様々な疑問が頭の中を交錯するが、混乱と恐怖の中で、私は的確な質問などできるはずもなく。


 「どうして、堀口君を殺したの?」


 床を見つめたまま私は尋ねた。


 部屋の時計の音がカチ、コチ、と鳴り響く。

 一瞬、沈黙が流れる。



 「なあ。何か勘違いしてないか? 君」


 静かな声。

 彼は静かに、強い口調で言葉を紡いでいく。


 「あの男を殺したのは俺じゃない。俺は君に力を分けただけだ」

 「ち、力……?」

 「ことで、魂を天界に転送する力――


 突然の宣告に、顔から一気に血の気が引いていった。

 全身の筋肉が硬直し、周りの音が遠ざかっていく。


 理解が出来なかった。


 「なあ、せっかく助かったのにそんなに悲しい顔しないでくれよ?」

 「わ、たしが」

 「あぁもう。分かったわかった、正直に言うよ」


 彼は観念したようにハァ、とため息をついてから言葉を続けた。



 「君が、俺の力をんだ。君が助かったのは、君がだ」



 その瞬間、どこからかの笑い声が聞こえた。

 自分にそっくりな彼女の、

 黒い外套を羽織った彼女の、


 《こんな奴、死んじゃえばいいのに。》


 それは、あの時聞いた彼女の声。

 ――いや、本当はそうじゃない。


 きっと。

 私が、そう思ってしまったんだ。


 ――そう、願ってしまったんだ。


 「そうだ。だからいいか? あの男を殺したのも、君が助かりたいと願ったのも、全部君の意思なんだよ」

 「そんな……」

 「そう、だから。だから…………俺が助けた訳じゃないんだよ、本当は」


 彼は私から目を逸らした。


 黒い雲が空を覆う。窓から入り込む日差しは途絶え、暗い影が差した。

 少年は天井を仰ぎ、ハァ、と深く息を零した。


 「あーあ。正義のヒーローって登場しても良かったのになぁ」

 「…………」

 「って、が何言ってんだろうな」


 彼は小さく呟いてから自虐気味に笑った。

 彼は言葉を続けた。


 「ずっと昔。俺達の仲間が一人、下界に降り立った。その人物は、ある力を持っていた」

 「…………?」

 「魂を天界に転送する力――君が、俺から奪い取った力だ」


 この人は一体何を言っているのだろう。

 混乱する私に構わず、彼は話を続けた。


 「は自らの力に気が付いたとき、自らをこう名乗った」


 彼はゆっくりと、言葉を紡ぐ。


 「『死神』――俺達は、死神なんだ」



 その時の彼の表情が、理解できなかった。

 その姿が、失くしてしまったものを惜しむような、哀しい姿に見えた気がしたから。


 私は、生気を失った死人しびとのような彼の姿をただ眺めていることしか出来なかった。

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