第8回『死を呼ぶ羽ばたき・吸血蝶』

 この世界にはさまざまな生き物――モンスターが存在しています。山と見紛うほどに巨大なドラゴンをはじめとして、陸海空を問わず人間よりもはるかに広大な範囲に生息するモンスター達。

 しかしその生態を知っている人は、意外と多くありません。私たちにとって身近な存在でありながら最も遠い存在。

 そんなモンスター達の生態に、迫っていきましょう。


 第8回では舞台を山岳地帯へと移し、そこに生息しているモンスターに注目していきます。

 今回注目するのは、山岳地帯を移動する際にもっとも気を付けなければいけないモンスターの吸血蝶。蝶という名前で可愛い、美しいものだと勘違いしてしまいがちですが、その実態は非常に恐ろしいモンスターなのです。

 山岳地帯に数多く生息し、生物だけでなくモンスターも問わず被害をもたらす吸血蝶。


 探索者ギルドにおいてその危険度は最上級とも言われており、毎年の被害者数はそれこそ数万単位にのぼるほどの危険さを持っている吸血蝶。その生態は、いったいどのようなものなのでしょうか。


 見た目の美しさと危険さで、多くの人々に知られている吸血蝶。

 今まで紹介したどのモンスターよりも危険とされるその生態について、今回は迫っていきたいと思います。

 それでは世界モンスター紀行、はじまりです。




●世界モンスター紀行

 第8回『死を呼ぶ羽ばたき・吸血蝶』




 次元融合が起きてから、ニッポンにはそれ以前にはなかった山岳地帯が多く出現しました。

 現在、首都とされているトーキョーをはじめ、オーサカやアオモリへと移動する際には、必ず険しい山岳地帯を超えていかなくてはいけません。

 ですがこの山岳越えは非常に危険度が高く、現在はギルドから依頼を請けた中級以上の探索者、あるいは専門の輸送業者しか立ち入ることができないようになっています。

 何故、山岳地帯へ入ることが許可制となっているのか……その理由こそ、今回その生態に迫っていく吸血蝶なのです。


 今回我々は特別に許可を貰い、レナード博士や歴戦の探索者のアドバイスのもと、対吸血蝶用の装備を整えて撮影に臨みました。これだけしっかりと対策をしてもなお、特殊な魔法を施した望遠カメラを使って、2km以上離れた遠方からの撮影しか許可されないほど、吸血蝶は危険視されているのです。



 吸血蝶の主な生息地は、山岳地帯の麓付近です。山道に入ってから30分ほど歩いたくらいの場所、そこに広がる岩場を見ると――岩場のあちこちにとまっている吸血蝶の姿を見つけました。

 蝶という名前から、昆虫の蝶と同じ小さな姿を想像してしまいますが、吸血蝶の横幅は羽を広げれば30㎝から40cmほどで、さらに頭から腹部までの長さは40㎝ほどと昆虫にしてはとても大きな姿をしています。

 そして何と言っても我々の目を引くのが、虹色に光るその大きな羽です。

 見た目こそ普通の蝶を大きくした姿ですが、その虹色に光る羽が彼らはモンスターだと教えてくれています。



「吸血蝶の羽は、羽そのものが光っているワケではないんです」



 ガスマスクのレシーバー越しに、博士がそう教えてくれました。

 吸血蝶の羽そのものは、薄い黄色をしています。しかしそこには厚さ5㎜ほどになる鱗粉がくっ付いており、この鱗粉が光を反射して虹色に光っているように見えているのです。

 そしてこの鱗粉こそが、吸血蝶が危険だとされている最大の原因にもなっています。

 では、どういった理由で鱗粉が危険だとされているのでしょうか。



「吸血蝶の鱗粉は、わずか0.1mgでシルバーベアを2日間はマヒし続けることができるような、強力なマヒ毒なんです」



 シルバーベアと言えば身長は3m以上、体重も1t近くに及ぶ大型のモンスターです。

 そのシルバーベアを、わずか0.1mgで2日間マヒさせることができるのであれば、人間であればそれこそ死に至るマヒを起こしてしまうでしょう。

 ですから、対吸血蝶用の装備として特殊な加工を施されたガスマスクは必要不可欠です。

 それでも吸い込まない可能性はゼロではないので油断できないというのが、吸血蝶の恐ろしいところでもあります。

 彼らはこの恐るべき鱗粉を、どのように使っているのでしょうか。



「吸血蝶の鱗粉は、基本的には魔法によって羽に吸着している状態となっています。

 そして食料となる生き物が近くに来たのを確認すると、鱗粉が羽から離れて風に乗り、あたり一面へ広がるのです」



 彼らの触角は非常に正確な熱センサーとなっており、1km先にいる熱源でも正確にその形を探知することができます。山岳地帯には血液を持たないモンスターも多くいますが、そういったモンスターはそもそも体温を持たないため、熱センサーで見分けることができるわけですね。

 吸血蝶という名前の通り、彼らは生き物の血液が主食となっています。

 ストローのようになっている口を使って、生き物の血液を吸うことが彼らの食事方法なのです。



「吸血蝶の生息する山岳地帯の低層部分には、岩が多いためあまり血液を持ったモンスターや生物が存在していません。

 そんな場所で生きることを選んだ彼らは、正確に獲物を見つける必要性があったんですね」



 血液を持つ生物は、イコールで体温を持っています。吸血蝶の持つ高性能の熱センサーである触角は、どれだけ微妙な温度の変化であっても見逃さず、獲物が近づいてきているかどうかを感知することができるのです。

 今まで温度を感じなかった場所に、新しい熱源が近づいてきたら獲物が来たという事。

 それを判断した吸血蝶は、その自慢の鱗粉を撒き始めるというわけですね。



「彼らは獲物がマヒしたかどうかを確認してから、とまっている岩場から飛び立ちます。

 こういった判断も、全て熱センサーで行っています」



 吸血蝶の持つ触角の熱センサーは、ちょうど私たち人間がサーモグラフィの映像を見ているように熱源を見ることができます。獲物が倒れているかどうか、そしてそのまま動いているかどうかまで、しっかりと観察してから吸血蝶は捕食を始めるのです。

 僅かな量で相手の全身をマヒさせることができる、吸血蝶のマヒ毒。それだけ強力な毒を持っていながら、彼らがここまで慎重なのにはきちんとした理由があります。



「吸血蝶たちは、昆虫として見れば体こそ大きいですが、同時に非常に脆いという弱点も持っています。

 特に羽の部分は非常に繊細で、例えば強風で飛ばされた小さな石が当たっただけでも破れてしまうほどです」



 マヒ毒が効いていたとしても、最初のうちならば相手がもがいたり、痙攣で激しく動くことがあります。そうした相手の手足が当たれば、それだけで自分の羽や体にダメージが入ってしまうかもしれない。

 自分の体の脆さを十分すぎる程に理解しているからこそ、彼らは慎重に慎重を重ねて行動するのです。



「マヒが中途半端で獲物に近づき、相手が動いたことで死んでしまう吸血蝶は、決して少なくありません。

 特に輸送業者の間では、マヒして倒れているモンスターと、その側で死んでいる吸血蝶の目的情報というのは、驚くほど多く報告されているんですよ」



 特に鋭い爪などを持つモンスターの場合、ちょっとした痙攣による動きでも彼らにとっては十分殺傷能力を持った攻撃へと変わります。

 高精度の熱感知ができる触角は、それを防ぐための彼らなりの防御手段なのでしょう。


 ちなみに、彼らは自分たちのマヒ毒が効いていないことを確認した場合、大急ぎで逃げ出します。

 当然ではありますが、吸血蝶は攻撃らしい攻撃をするだけの体の強度を持たず、相手の些細な行動ですら致命傷になりかねない脆弱さを持つモンスターです。

 例え食料となり得る相手であっても、マヒ毒が効かなければ逃げる。

 そういう判断ができるという意味で、非常に賢いモンスターでもあります。



「昆虫型モンスターは、総じて知能が低いと言われています。それは頭が小さく、それに比例して脳も小さいからです。

 ですが吸血蝶は頭が小さい割に、熱センサーの処理ができたり、判断力も高いと知能が高い部分が多く見受けられる。この謎は、いまだ解決されていない彼らの不思議な部分です」



 脳が小さければ、それだけ知能は低くなるというのが普通の考えです。しかし吸血蝶は、そんな普通の考えに逆らうような高い知能を垣間見せている――その理由は、現代科学では説明できないことなのだそうです。

 更に言うならば、吸血蝶の目は通常の昆虫と同じ複眼となっており、広い範囲を見渡すことができるようになっています。

 この目からの情報と、触角の熱センサーからの情報。


 これらを総合して判断を下すためには、それなりの知能が必要となります。しかしそれは、人間の手のひらほど……だいたい10㎝前後しかない頭部にある脳では処理しきれないハズなのです。

 こういったスペックに見合わない性能を見せるあたり、やはりモンスターということでしょう。



 ◇◇◇◇◇



 取材班が岩場にとまっている吸血蝶を観察しはじめてから数時間。

 その間、我々が見つめている岩場には何匹もの吸血蝶が、入れ替わりながら休みなくとまり続けています。彼らは6本ある足も脆く、あまり同じ場所に長時間泊り続けていると自重に耐えられず、根本からもげてしまうのだそうです。

 それを防ぐために、おおよそ30分周期でとまっている岩場から飛び立ち、足を休ませてから再び違う岩場にとまるということを繰り返しています。



「彼らは常に鱗粉を羽にまとわせていますが、羽の面積が大きいのでそれに比例して重くなってしまうんです。

 もちろん重さで言えば200mgほどと大した重さではありませんが、彼らの脆い体にとっては十分に危険すぎる重さになっているわけですね」



 吸血蝶の足は通常の昆虫と同じ構造をしており、ちょうど胸の部分から6本生えています。彼らにとって足がもげるということは、自分の脆い体が裂けてしまう危険も孕んでいます。体の脆い吸血蝶にとっては、岩場にとまることすら命がけになってしまうのです。

 そうまでして彼らが岩場に垂直となるように静止しているのには、何かしらの理由があるのでしょうか。普通に考えれば、岩場の上に伏せるような恰好でいるほうが、安全のように思えますが。



「彼らが危険を冒してでも今の恰好で岩場にいる大きな理由は、鱗粉を効率よくばら撒くためだと推測されています。

 吸血蝶が生息している山岳の低層では、基本的に岩は大きなものばかりになります。ですから、岩の上からだと獲物が通れる道に向けて、効率的に鱗粉が広がっていかないのです」



 山岳部では当然ながら通れる道は限られています。吸血蝶たちがとまっている岩場を改めて観察してみると、その通路に面している岩場にだけとまっていることが分かります。

 そして彼らがいる岩場はどれも大きく、通路となる部分から見れば壁のようになっているものばかり。

 確かにこれでは、岩の上にいては鱗粉が獲物まで届くかどうか怪しいですね。


 しっかりと自分最大の武器を活かすため、自分の体に鞭打ってでも今の生き方をしているらしい。それが研究者たちの間では通説となっているようです。



「彼らは鱗粉をばら撒く際には、風の魔法を使ってより遠くまで届くようにしています。

 それもあって、風が無い時でも遠くまで鱗粉を届かせることができるんですよ」



 1kmという遠くにいる獲物も感知することができる吸血蝶。

 その獲物のところまで鱗粉を届かせるために、そよ風を吹かせる程度の風魔法を使うことができます。この風は指向性を持たせることができ、一直線に獲物のいる付近まで鱗粉が届くというわけですね。

 もちろん場合によっては獲物まで一直線に届けるのではなく、あたり一面に鱗粉を広げるということも可能です。

 彼らは扱う魔力こそ大きくはないですが、その扱いには長けており繊細な魔法の使い方も得意としています。



「これは吸血蝶にとって、一度の食事がどれだけ重要かというのを表しています。

 もともと岩場では彼らの餌となるような生き物が少ないですから、その少ない獲物が現れた時、確実に仕留めることができるように進化したのだろうと考えられています」



 食事の機会が少ないからこそ、その機会を逃さないようにする。彼らが細かな風魔法の操作を得意としているのは、そういった生きるための必死さからきたものなのです。

 こうして見えると、吸血蝶は生きるために必要なことへと特化した生態をしているのがわかります。

 山岳地帯は、モンスターこそ多いですが血液を持っているモンスターはほとんどいません。数少ない獲物をどうやって手に入れるか、どうやって逃げられないようにするか、そのための努力の跡が見えるようです。


 さて、今回我々は吸血蝶の食事風景を観察するために、事前に平原地帯でディグラビットを数匹捕獲しておきました。

 本来は山岳地帯で見ることがないモンスターですが、吸血蝶にとってはそんなことは関係ありません。そのディグラビットを、事前に雇っておいた探索者の皆さんにお願いして、現在我々が観察している吸血蝶の近くへと放してもらいます。



「探索者の皆さんには、特殊な布を渡して体温を感知されないようにしています。ガスマスクは当然装備していますが、こうすることでより吸血蝶からの被害を受けにくくするわけです。

 そしてギリギリまで気づかれないよう、ディグラビットを捕獲してあるケースもまた、断熱性の素材性です」



 吸血蝶の高精度な熱センサーを搔い潜るには、準備をしすぎるということはありません。何せ僅かでも彼らの鱗粉を吸ってしまえば、それだけで危険な状態になってしまいます。

 安全に十分すぎる程気を付けて用意をしてきた我々も、ディグラビットを放す探索者たちの様子を息をのんで見守ります。

 その見守っている先で、吸血蝶がとまっている岩場からおよそ600mほど離れた場所に探索者が捕獲ケースを開け、閉じ込めていた数匹のディグラビットを放ちました。

 探索者たちはそのまま早足で撤退、それを確認しながら取材班は吸血蝶の動向を注視します。


 ディグラビットが放たれてからわずか数秒。

 彼らが周囲の状況を慌てて確認している間に、既に吸血蝶はディグラビットの存在を感知したようです。今まで閉じていた羽を広げ、鱗粉を撒く準備をし始めています。



「魔力視カメラに切り替えてみてください。恐らく羽の周りに魔力による風の流れが見える筈です」



 博士に言われて、魔力の流れを捉える特殊なカメラを起動しました。このカメラを使えば、例えば魔法を使って起きた風など魔力が使われた場合、そこにしっかりと魔力の流れを見ることができるようになります。

 それを使って吸血蝶を撮影すると、広げられた羽の周りを覆うように始まり、そこからディグラビットの方向に向けて魔力が流れているのが見えました。


 しっかりと観察すれば、羽の周りの魔力は弱く、ディグラビットの方向へと流れていく魔力は強くと強弱がつけられていることがわかります。これは自分の脆い羽を傷つけてしまわないよう、羽から鱗粉を運び始める風は弱く、獲物へと流れる風は強く速くしているためです。

 このような繊細な魔力操作ができるのが、吸血蝶の大きな特徴と言えるでしょう。


 そして鱗粉の乗った風はディグラビットたちがいる周辺までいくると、ドーム状に渦を巻いています。まるでそこから鱗粉が外に出ないようにしているかのように。



「ドーム状に風を回すことで、獲物がいる一帯に鱗粉を停滞させ濃度を濃くしているんですよ」



 この不自然な風の流れは、鱗粉の濃度を濃くしてより早く効くようにしているのだそうです。

 実際その効果は驚く程高く、放たれてからものの10秒もしないうちに、ディグラビットは身体がマヒしてしまったらしくその場にうずくまり、口から涎を垂らしてぐったりしています。

 彼らのマヒ毒は非常に強力なため、ディグラビットのように小型のモンスターでは、マヒ毒が効きすぎて心臓が止まってしまうことも多々あります。


 とはいえ、我々人間はマヒ毒で死ぬということはありません。ですが僅かでも吸ってしまえばマヒしてしまうのであれば、それこそ車のエアコンや窓の隙間など、少しでも入ってしまえばマヒしてしまう危険があるという事。

 車の運転中に体がマヒしてしまえば……あとは言うまでもないでしょう。

 そういった意味で、吸血蝶は人間にとっても非常に危険なモンスターなのです。


 もちろん、獲物がマヒしたあとにどうなると、それこそ死んでしまおうと関係ありません。

 彼らにとっては血を吸うことができ、その血に含まれている魔力を吸収することさえできればいいのですから。



「さあ、獲物が完全にマヒしたのを確認した吸血蝶が動き出しますよ」



 ディグラビットたちがマヒしてから10分ほどが経過し、ピクリとも動かなくなったのを熱センサーで確認したのか、安心して捕食できると判断した吸血蝶たちが岩場から飛び立ちます。

 すると、私たちが観察していた一匹が飛び立つのを契機としたように、岩場にいた他の個体も後を追うように次々と飛び立っていきます。そしてその全てが、ディグラビットへと向かって飛んでいきます。



「獲物が複数いるので、ああして他の個体もおこぼれを貰おうと集まってきていますね。

 ですが、この後獲物を取り合ってお互いに攻撃し合うということは、吸血蝶はしないんです」



 吸血蝶の知能が意外と高いという話は先ほどしましたが、それは食事をする際にも際立って現れます。

 何故なら彼らは、獲物をマヒさせた個体が最優先で食事を行い、それ以外の個体はあくまでおこぼれを貰うというスタンスでしっかりと順番を守るのです。現に今、鱗粉をまいた個体と一緒に飛び立った他の吸血蝶たちも、ディグラビットの近くまではやってきましたが、その場で対空して最初の一匹が食事を始めるのを、今か今かと待っています。



「もし、この優先順位を破った個体がいれば、他の個体が一斉に風の魔法を使って体を引き裂いてしまいます。

 群れと言うわけではないのでしょうが、彼らには彼らなりの厳然としたルールがあるようですね」



 ルールに忠実な吸血蝶たちは、人間よりも人間らしい部分を持っていると言えます。

 そして、そんな待機している同族たちを置いて、いよいよディグラビットたちをマヒさせた一匹が食事をはじめようと、倒れているディグラビットの体に降り立ちました。


 すると、吸血蝶は頭から生えている丸く纏められていた長い管――口吻を伸ばします。

 この先端は吸盤のようになっており、獲物の体へと隙間なく密着させることができます。彼らは触角による熱センサーを使い、しっかりと血管の場所を見極めてからその場所へと口吻をくっつけるのです。



「吸血蝶の口吻は、彼らの体とは思えないほど高い強度を誇ります。どのくらいの強度かというと、1tの重りを吊り下げても千切れないほどなんですよ」



 跳ねた石に当たっただけでも致命傷になってしまう程に脆い吸血蝶。

 しかし食事というもっとも大事な行為に関わる部分だからなのか、口吻だけはその限りではないようです。もちろん、それにもしっかりとした理由があります。

 蚊と同じと言われた通り、彼らは口吻を直接刺して血を吸うのではなく、その中に実際に相手の体へと刺しこむ針を持っています。口吻は、この針を守るための外装というわけですね。



「針を突き刺す際には、一緒に血液が凝固しないための唾液も流し込みます。これもまた、蚊と同じ原理ですね」



 食事方法だけを見れば蚊と同一視されてしまいそうな吸血蝶。

 そんな吸血蝶ですが、実に数秒でディグラビットから離れてしまいました。あれでは僅かな血液しか吸うことはできないと思うのですが、なぜ離れてしまったのでしょうか。


 実は、吸血蝶はその細い体を見ればわかるように、あまり多くの血は必要としないのです。彼らが生きるために必要とする血液量は多くても1リットルで、モンスターによってはそこまで問題になりません。

 ただしこれはあくまで1匹の吸血蝶が必要とする量が少ないというだけで、マヒしてしまった獲物には何匹もの吸血蝶が群がってくるということを忘れてはいけません。1匹が1リットルしか吸わないとしても、数匹にも及べば十分死に至るものになるでしょう。


 さらにディグラビットのような小型のモンスターや人間の子供など、対象が小さければ1リットルでも十分すぎるほど死に直結してしまうので、非常に危険です。

 事実、今血液を吸われたディグラビットは、急激に体温が低下……ショック状態を起こしています。

 恐らくあともう1度血液を吸われてしまえば、確実に死んでしまうでしょう。



「彼らはしっかりと熱センサーで獲物の体温を感知し、血液が吸えるかどうかを観察しています。

 その証拠に見てください。次に血液を吸おうとしている吸血蝶は、体温の高い――血液が多く残っている獲物を優先的に襲っていますよ」



 彼らなりの優先準備を守り、順番に獲物を捕食している吸血蝶。しかし博士の言う通り観察をしてみれば、なるほどまだ誰も吸血していない個体をしっかりと選んで、優先順位の高い者から食事をしています。

 彼らの触角は獲物を見つけるためだけでなく、食事を順番で効率よく行うためでもあるのですね。

 それから約10匹ほどの吸血蝶が交代しながら吸血し、ディグラビットの血液はすっかり吸い尽くされました。


 食事を終えた吸血蝶たちは再びあちこちへと飛び去って行き、そのうち何匹かは岩場へととまります。

 私たちが先ほどまで観察していた、一番最初に吸血を終えた個体はと言えば、既に岩場ではなく遠くへと移動してしまったようで姿は見えません。



「これもまた、優先順位の問題となります。一度しっかりと食事を終えれば、体が小さい彼らは1ヵ月近く飲まず食わずで生きていくことができます。ですから、最初に存分に食事をした個体は、岩場に帰らず他の個体へと食事の機会を譲ってあげるわけですね」



 徹底した優先順位が決まっている吸血蝶たちの社会。

 群れを作っているわけではないものの、そこには吸血蝶という種族全てが生きていくための、厳然たる取り決めがあるのです。



 ◇◇◇◇◇



 さて、マヒ毒で獲物をマヒさせてその血を集団で吸い尽くす吸血蝶。

 だからこそという理由もありますが、吸血蝶はとても討伐依頼の多いモンスターでもあります。ですがそれは、危険だから討伐しなければいけないという理由だけではありません。



「吸血蝶の鱗粉は、実はかなりの分野から需要のある素材でもあるのです」



 マヒ毒を持つ吸血蝶の鱗粉。しかしそれと同時にその鱗粉は、マヒ毒の解毒剤を作るための材料になっています。そのため薬局から需要があり、また鱗粉を凝縮して作成するためかなりの量が必要となるので、大量に需要が出てきます。ひとつの解毒剤を作るために、吸血蝶1匹の羽から採れる鱗粉を全て使うのですから、必要な量の多さがわかろうというものでしょう。

 さらに病院からも、少量で強力な麻酔として使うことができるためかなりの需要があります。


 また、彼らの鱗粉は鍛冶職人たちからも人気のある素材となっています。

 というのも、吸血蝶の鱗粉は別の素材に混ぜたとしてもその毒性を失うことがないため、相手をマヒさせる特性を持った武器を作る際によく使われているのです。とはいっても、剣など近接武器へ混ぜ込むというよりは、どちらかと言えば銃の弾丸や、弓矢の矢じりに混ぜ込むという使われ方がポピュラーでしょう。


 モンスターをマヒさせることができれば、それだけ安全にモンスターを狩猟することができます。しかも彼らの毒は強力ですから、銃弾程度の大きさであっても大型のモンスターをしっかりとマヒさせることが可能なのです。

 命がけでモンスターを討伐する探索者からすれば、安全に討伐を進められる武器はどれだけあっても困りません。

 特殊な製法で作られるので値段は少し高くなりますが、それでも大量生産されている銃弾や矢じりは、毎日のように探索者が買い求めています。


 さらにモンスター研究所でも、モンスターの生け捕りをする際の罠として彼らの鱗粉は使われています。

 少量でマヒさせることができますから、生け捕りに使うのにはとても便利なんですね。



「吸血蝶の鱗粉は、幅広い使用用途で使われます。マヒという単純な効果ですが、だからこそ使い勝手がいいんですね」



 1匹からかなりの量を確保できる吸血蝶の鱗粉ですが、需要が多いのもあり市場価格はそれなりです。

 さらに討伐して素材を確保するためには、専用の装備も必要となりますから意外と高値で引き取ってもらえます。とはいえ山岳地帯をのぼる必要がありますから、あまり好んで討伐にいく探索者はいませんが。


 ちなみに、彼らの討伐自体はそこまで難しいものではありません。

 それこそ細い棒でもいいので、適当に殴って体に当てればそれだけで討伐可能です。


 ただ、しっかりと鱗粉を確保しようと思うと羽を傷つけるわけにはいかず、本体だけを正確に狙わなくてはいけないので、技術面という意味での討伐難易度は高いかもしれません。

 ですから彼らの討伐は、正確に素早く本体だけを攻撃する技術を持った、熟練の探索者が受けることが多いです。

 中には、吸血蝶の討伐を専門に請け負う探索者もおり、そういった探索者は同業者の間では「クライマー」という名前で呼ばれています。


 クライマーと呼ばれる探索者たちは、病院や店舗と専属契約を結び、吸血蝶の鱗粉を毎月決まった量納品することで報酬を得ています。そういった専門業者が生まれるほど、吸血蝶の鱗粉の需要は多いのです。




 山岳地帯で出会うことができる、大きな蝶の姿をしたモンスター……吸血蝶。

 彼らの鱗粉は死に直結する危険な毒でもありますが、私たち人間はさまざまな場面でその毒を有効活用しています。特に医療現場にとっては、彼らの鱗粉はいまや無くてはならない物となりつつあるのです。


 マヒ毒という特殊な毒を持ち、それを活用することで安全に狩りを行う吸血蝶たち。

 脆い体を持ちながらも、多くのモンスターたちを狩ることができる彼らは、一流のハンターと言えるでしょう。そして何よりも驚かされたのは、しっかりと優先順位を守って捕食を行うその社会性です。

 決して低くない知能を持ち、体の脆さを感じさせないほど優雅に獲物を捕まえるハンター。


 彼らは今日も、岩壁にとまってその熱センサーを使いながら獲物を待ち続けています。





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