第7回『砂に潜む恐怖の鋏・アイアンクラブ』
この世界にはさまざまな生き物――モンスターが存在しています。山と見紛うほどに巨大なドラゴンをはじめとして、陸海空を問わず人間よりもはるかに広大な範囲に生息するモンスター達。
しかしその生態を知っている人は、意外と多くありません。私たちにとって身近な存在でありながら最も遠い存在。
そんなモンスター達の生態に、迫っていきましょう。
第7回では、浜辺で出会うモンスターの代表格と言ってもいいアイアンクラブに注目していきます。
カニをそのまま大きくした姿をしているアイアンクラブは、カニと姿かたちこそ似ていますが、実際にはカニとは大きく違う生態をしているモンスターでもあるのです。
そして彼らは、夏の海水浴シーズンが訪れるたびに討伐依頼が出されるほど、浜辺に多く生息しています。
海辺で見かける有名なモンスターとして多くの人に知られていながら、生態そのものは意外と知られていないアイアンクラブ。そんな彼らはどのような生き方をして、そして我々との間にどのような関係性があるのでしょう。
レナード博士をはじめとした、多くの研究者によって日々判明しているアイアンクラブの生態。
解明されているその生態について、今日はさまざまな角度から迫っていきましょう。
それでは世界モンスター紀行、はじまりです。
●世界モンスター紀行
第7回『砂に潜む恐怖の鋏・アイアンクラブ』
今回の舞台となるのは、日本でも有数の海水浴場として有名なオキナワにある浜辺です。
主役となるのは体長100㎝という、大きな体を持ったカニ型のモンスター……アイアンクラブ。
アイアンクラブはオキナワ全域で見ることができますが、彼らがメインの生息地としているのは海のそばに広がっている浜辺となっています。ですが、一見すると浜辺のどこにもアイアンクラブの姿を見つけることはできません。
浜辺で見ることができる代表格とも言われるアイアンクラブ。一体彼らはどこにいるのでしょうか?
そこで、カメラを少しズームして浜辺をよーく観察してみると……いました。
浜辺の砂に埋もれるように姿を隠し、細長い目だけを器用に動かして辺りを観察しているカニ型のモンスター、アイアンクラブです。
アイアンクラブの目は、カニというよりカタツムリに似ています。伸縮することで砂の中から遠くまで見渡すことができ、さらに刺激を受けた時にもすぐに大事な目を守ることができるようになっているのです。
アイアンクラブがいるあたりの砂浜を見てみると、実によく隠れていますが少しだけ模様が違うのがわかるでしょう。
彼らの甲羅は迷彩模様をしており、砂浜に体を埋めることでカモフラージュすることが可能になっています。このカモフラージュは、今の皆さんもその目で見た通りとても巧妙なもので、注意深く観察しないと見つけることができません。
ですから浜辺を歩く時には、気を付けておかないと彼らにいきなり襲われてしまいます。
「ちなみに彼らは1日のうち大半を砂の中で過ごします。もちろん、これには彼らなりの理由があるんです」
アイアンクラブの体は大柄です。ですからシルバーベアのように、その体を維持するためには相応の魔力が必要となりますが、それを砂の中に潜って動かないことで消耗を抑えるようにしています。
そしてカモフラージュに気付かないまま獲物が自分の近くを通りがかった時、いきなり襲いかかることで効率的に狩りをすることもできるのです。
「彼らが狩りで使う武器は、アイアンクラブ最大の特徴でもある大きな左手のハサミです」
アイアンクラブの手は普通のカニと同じ形をしています。ですがその大きさは左右でとても違っており、右手が30㎝ほどなのに対して、左手はなんと体長とほぼ変わらない70㎝程の大きさとなっています。
体の大きさとほぼ同じくらいの左手は、一見すると取り回しが悪いようにも思えます。
しかしアイアンクラブは、その大きな左手を器用に動かして獲物を捕まえ、そして捕食するのです。
一説には、彼らは獲物を捕まえる時に左手だけに集中して身体強化をすることで、体と同じくらいの大きな左手を素早く動かせるようにしているとも言われています。
実際、左手を支える腕の部分はその大きさを支えるには心もとない太さですから、その説が唱えられているのも納得です。
「アイアンクラブの左手が持つ挟む力は、その大きさに比例するように強く危険です。
カニのハサミと同じですから物を切り裂くことはできませんが、挟まれてしまえば人間の背骨など鉄の鎧越しでも簡単にへし折られてしまうでしょう」
実際、浜辺においてアイアンクラブは生態系のトップグループに位置しています。
海岸にいるモンスターの大半は彼らの擬態を見抜くことができませんし、一度捕まってしまえば逃げるすべもありません。つまりアイアンクラブは、狙う相手さえ間違えなければまず食料に困ることはありません。
しかも、ああして砂に潜って節約もしていますから、無駄に狩りをするというリスクを冒す必要もないのです。
我々が見つけたアイアンクラブも、最初の場所でみじろぎひとつせずジッとしています。
注意して見ていなければ、先ほど発見した我々も再び砂とアイアンクラブの区別がつかなくなってしまいそうです。
「おや、運がいいですね。ちょうどアイアンクラブの獲物が向こうから来ていますよ」
博士が指す方向にカメラを向ければ、これまた浜辺ではよく見かける海洋モンスター、ドッグフィッシュがアイアンクラブが隠れている場所に向かって歩いているのが見えました。
ドッグフィッシュは魚系のモンスターでありながら、体を犬に寄せることで肺呼吸を手に入れた両生類に近い生態をしているモンスターです。
そんなドッグフィッシュは、自分が向かう先にアイアンクラブが待ち伏せているなんて思いもしないのでしょう。
暢気な顔をして何かを探すように浜辺をウロウロと歩き続けています。
そしてドッグフィッシュがアイアンクラブが隠れている場所に近づいた瞬間――。
勝負は一瞬でした。いえ、あまりに一瞬すぎて勝負とすらいえないでしょうか。
アイアンクラブはその大きな左手を、言葉通り目にもとまらぬ速さで動かしてドッグフィッシュの胴体を挟み込み、一瞬で掴んだ部分をへし折ってしまいました。
捕まったドッグフィッシュはもがく素振りすら見せることなく、息絶えてしまったのです。
「彼らの持つ挟む力は、ワニの咬合力よりも強いと言われています。もっとも強いワニの咬合力が1700㎏と言われていますが、アイアンクラブの挟む力は2000㎏以上という調査結果がでています。
恐らく、一部の上位種モンスターを除けば耐えられる生物はいないでしょうね」
アイアンクラブが浜辺で出会うモンスターの中でも特に恐れられているのは、やはりその強力すぎる左手の挟む力です。捕まれば最後、逃げようとするよりも先に殺されてしまうのですから、警戒されるのも当然でしょう。
しかもカモフラージュも上手く、慎重に歩かなければ見つけることすら難しいのです。
アイアンクラブは浜辺に生息するモンスターとして、特に駆除の優先度が高くなっているのは、これが大きな理由です。
しかもその際に、探索者たちが犠牲になることも多いのですから、危険度が高く設定されているのも納得でしょう。
「アイアンクラブは獲物を仕留めると、砂の中に潜ってから捕食をし始めます。
これは他の個体に獲物を横取りされないように、そして食べている無防備な姿を隠して安全に食事をするためという理由があると言われています」
博士の言葉の通り、アイアンクラブはたった今仕留めたドッグフィッシュの死骸を地面に落とし、その上に覆いかぶさるようにうつ伏せになりました。
そして大きな左手を横にして平たい状態にし、その大きな鋏の上に砂を載せてから、器用に頭上まで動かして自分の上に被せていきます。それを何回も繰り返して、アイアンクラブは再び砂の中へと埋没していきました。
手慣れた動きで、自分と獲物の両方を砂の下に埋めてしまったアイアンクラブ。ここまでにかかった時間は、わずか5分たらず。なるほど、確かにこれだけ短時間で再び砂の中へと戻れるならば、下手にその場で捕食するよりも安全です。
「その食事の性質上、彼らはあまり遠くまで移動することはありません。彼らは生涯、ほぼ同じ場所で生活をし続けます」
そして彼らは特に縄張りを持たないモンスターでもあります。
そのため、場所によっては1km四方という狭いエリアに数十匹のアイアンクラブが生息しているという、過密地域が発生する場合もあります。
しかしそんな状態になったとしても、彼らは住む場所を変えようとはしません。
砂があるからこそカモフラージュが有効になるわけですから、彼らはそもそも砂の無い地域では生きていけないでしょう。
「そういえば知っていますか? 海洋モンスターだと思われがちなアイアンクラブですが、実際には海のない地域でも見ることができるんですよ」
これは驚きです。砂の無い地域では生きられないからこそ、浜辺に生息していると思われていたアイアンクラブ。
しかし彼らは海が近くにない地域であっても、生息している場所があるのだそうです。それは、一体どのような場所なのでしょうか。――その答えは砂漠です。
彼らが必要としているのは、海ではなく砂。
それを考えれば、砂漠は十分に生息条件を満たしている場所と言えるでしょう。ですから、いつ、どのように住み着いたのかは判明していませんが、世界各地の砂漠でもアイアンクラブを見つけることができます。
カニの姿をしているから海が必要とばかり思われていましたが、通常のカニとは違うため、水分などなくても生きていくことができるのです。
「過去に行われた実験では、1ヶ月近く水分を取れない状態にしても生存し続けていたと記録されています。
つまりアイアンクラブにとって必要なものは、水ではなく姿を隠せる砂なんですね」
水に依存していると思いきや、実際には砂に依存して生きているアイアンクラブ。
そんな彼らですが、実はその砂のせいで困っていることも存在しているのだとか。
「アイアンクラブは本来、そこそこ素早く移動できるモンスターなのです。しっかりとした地面でなら、成人男性が全力疾走するくらいの速度で移動することができます。
しかし、メインで生息している砂の上では、自重で足が砂の中に埋まってしまうため、移動速度が子供が歩くくらいの速度マで落ちてしまうのです」
100㎝ほどの大きな体と、その体に匹敵する大きさの左手を持っているアイアンクラブは、体重が1t近くになる個体も少なくありません。そんな重さで砂の上に立てば、沈んでしまうのは自明の理。
アイアンクラブにとって砂とは、移動を阻害する邪魔者であるのと同時に、姿を隠すために欠かせないと、相反する存在なのでしょう。
◇◇◇◇◇
さて、獲物を砂の中に隠して食事をするというアイアンクラブ。
その食事方法とは、どのようなものなのでしょうか。砂の中で自分の体で押しつぶしている状態ですから、普通に考えればそんな状態での食事はしにくいのではと思ってしまいます。
実際、砂の中に隠れて過ごす彼らの食事風景を見たという経験がある人はほとんどいないのではないでしょうか。
今回我々は、そんなアイアンクラブの食事風景を観察するため、特別なカメラを用意しました。
用意したのは透過カメラと呼ばれる、特殊な魔法を付与したカメラです。透過カメラには、名前の通り透視魔法がかけられており、狭い範囲ではありますが特定の被写体だけを移すことができるようになっています。
このカメラを使って、これから食事をし始めるアイアンクラブを撮影してみましょう。
「……あ、見えましたね。ちょうど食べ始めるところのようです」
カメラが捉えたのは、先ほど砂の中に潜ったアイアンクラブと、そのお腹の下あたりに下敷きになったドッグフィッシュの死体。砂に潜る前に我々が見ていたのと同じ格好をしています。
そこで我々取材班はふと、アイアンクラブの口がどこなのか知らないということに気付きました。
実際、彼らはわかりやすくここが口だという部分を見つけることができないので、知らないという人も多いのではないでしょうか。
そういった事情もあり、取材班は興味津々でアイアンクラブが食事し始めるのを待ちます。すると、すぐに我々は驚きの光景を目にすることになりました。
なんと、アイアンクラブが少しだけ体を上に動かしたかと思えば、ちょうどお腹のあたりにある殻がバックリと縦から2つに割れ、割れた部分から丸いコップのような形をした胃と思しき内臓が露出したのです。
そしてアイアンクラブは、右手のハサミでドッグフィッシュの死体を小さく切り裂いてから、そのかけらを露出した胃の中へと放り込みました。そして死体を取り込んだ胃は、再び殻の中へと戻っていきます。
「今飛び出していたのは、まさにアイアンクラブの胃です。
彼らには口が存在しないため、ああして直接胃に獲物を取り込んで食事をします」
なんと、我々が口を見つけられないのではなく、そもそも口が存在していなかったようです。
砂の中で食事をするという生態ある彼らは、砂の中で口を開けば砂も一緒に口の中に入ってしまうことを考え、口ではなく胃の中に直接獲物を放り込むという方法での食事を選びました。
砂の中なのだから、結局一緒に砂も取り込んでしまうのではと思うでしょう。しかし、獲物に覆いかぶさることで砂が崩れてくることを防ぎつつ、一度に獲物を胃の中に放り込むため一緒に食べてしまう砂も最低限にすることができます。
砂の中で食事をするという方法を選んだ彼らは、多少の砂を食べてしまうことは覚悟の上。
けれど少しでもその量を少なくしようと考えた結果、このような食べ方を選んだのだと博士は言います。
「獲物を横取りされることに比べれば、多少の砂は我慢すべきと思ったのかもしれませんね」
ちなみに浜辺でアイアンクラブの競争相手となるモンスターは、同族をはじめとして数多く存在します。
それらを警戒しながら食事をすることを考えれば、確かに多少砂を食べてしまうことは我慢するのが正解だと思えます。それに彼らの手の大きさを考えれば、普通のカニのように少しずつ口に運んで食べるのには向いていません。
この食べ方は、そういった諸々の問題を解決しつつ、かつじっくりと獲物を食べることができる方法なのです。
「アイアンクラブの左手のハサミは、獲物を倒すために掴む事に特化しており切れ味はよくありません。
対して右手は主に食事で獲物を食べやすい形に切り、胃の中へと放り込む役目を持っているので、先端は掴みやすく、それ以外は切れ味に特化しています」
確かに先ほど、アイアンクラブは右手を使ってドッグフィッシュの死体を切り裂き、小さくして胃の中へ放り込んで食べていました。
体の半分以上の大きさを持っている左手では、こういった細かな作業をするには向いていません。
彼らのハサミが左右でここまで大きさに違いがあるには、そのような理由があるのですね。
「そして口ではなく、胃の中に直接獲物を放り込むという食事方法もまた、獲物を効率的に食べるために有用です」
体長100㎝ほどにもなるアイアンクラブは、当然ながらその大きな体に見合うだけの食事が必要となります。
それだけの量の食事を摂取する際に、確かに口で食べていては効率がよくありません。胃の中に直接放り込むならば、自分と同じ体積を持った獲物であっても短時間で食べきることができます。
獲物を他の相手に横取りされることを嫌う彼ららしい、合理的な食事法と言えるでしょう。
ですが、まさか直接内臓を取り出して食べるなど、なかなか大胆な食事方法ですね。
「アイアンクラブたちが砂の中に潜って食事をするのは、そういった直接弱点を曝け出す食事方法だからという理由もありますね。当たり前ですが、外殻と違って内臓は通常の生き物と同じくとても脆いですから」
専門家たちの間ではアイアンクラブが今のような食事をとるようになったのは、餌の横取りや食事中に内臓を攻撃されるなどの経験が多かったからではないかと言われています。
というのも、次元融合が起きた当初の資料によれば、アイアンクラブは確認されたばかりの頃は獲物を仕留めた後に、その場で食べているという記録があるからです。
「効率と身の安全、その両方を鑑みた結果として今の食べ方がある、というわけですね」
モンスターはあまり進化しない、生態を変えることが無いと言われています。それは死んだとしてもいつの間にか再び生まれているからとも、通常の生物が魔力によって進化した姿だからとも言われ、詳細な原因はわかっていません。
そんなモンスターの中にあって、アイアンクラブは数少ない私たち人類が、その生態が変化していったことを確認できている貴重なモンスターなのです。
そういう意味でも、アイアンクラブは今研究者たちの間で注目の的になっているのだとか。
「砂の中での食事は、安全ではありますがやはりあの大きな体では不便な部分も多くあります。
食べている最中に被っている砂が無くなってしまったり、食べている最中に踏まれて内臓を傷つけてしまったり」
そう、アイアンクラブの食事方法は決して完璧に安全というわけではありません。
今でも食事中に襲われて命を落とすアイアンクラブは、全体の2割ほどですが存在しているのです。
「ですから、彼らはこの経験を糧に新しい食事方法を見つけるのではないか、新しい進化をするのではないかと注目されているんですね」
モンスターでありながら生態の変化、そして進化の可能性を持っているアイアンクラブ。
彼らの新しい可能性について、我々取材班もまた見果てぬモンスターの可能性を垣間見て興奮を隠せませんでした。
そんな、モンスターとして非常に珍しい彼らの話を聞いている間にも、アイアンクラブはドッグフィッシュの死体を食べやすいサイズに切ってから胃に放り込む、という作業を繰り返して全て平らげてしまいました。
獲物を平らげて胃を再び殻の中にしまったアイアンクラブですが、ズームしてみると少し大きい個体だったのか少しだけ殻が開いています。どうやら胃が大きくなりすぎて、殻の中にしまえていないようです。
「ああいった状態になってしまう時は意外と多く、探索者たちにとっては狩り時となっています」
アイアンクラブを狩る際に、探索者たちにとってもっともネックとなるのが硬い甲殻です。
その甲殻をどうにかする手間がなく、相手から甲殻に隙間を開けて内臓を攻撃しやすくしてくれるのですから、確かに探索者たちにとっては明確な狩り時と言えます。
ちなみにアイアンクラブのお腹の殻は、普段から開閉しているため少しでも隙間があれば、そこに剣などを指して無理やり広げやすくなっています。普通ならぴったりと閉じているので難しいですが、こういった状態になっている時は簡単に開くことができるのです。
「意外とああなる時が多い理由は、彼らは普段からジッとして獲物を待ち構えているためですね。
食べられる時に食べておいて、後はひたすら地面の下で待ち続ける。そんな生態だからこそ、自分の胃に収まるかどうかは度外視して食事をするのでしょう」
食い意地が張っているというよりは、生きるためにそうしているアイアンクラブ。
今回透過カメラを用いて撮影したその食事風景には、そんな彼らの生きざまのようなものが感じられました。
◇◇◇◇◇
浜辺に生息し、場合によっては狭いエリアに何匹もの個体が群れることもあるアイアンクラブ。
ですが意外なことに、彼らの討伐依頼は頻繁に出されることはありません。その理由は、彼らが浜辺から移動することがなく、よほどのことが無いと一般人に被害が出ることはないからです。
討伐依頼が出される基準は、放置することで一般人へどのくらい被害が出るのかの予想となっています。
アイアンクラブは浜辺にさえ近寄らなければまず出会うことが無いモンスター。さらに、狭いエリアに多数の個体が群れている場合は、共食いをすることもあるなど一般人へ被害が出る可能性が低いのです。
しかし、そんなアイアンクラブが唯一目の敵にされるシーズンが存在します。
それは夏――海水浴が行われるシーズンです。
「海水浴場は存在していませんが、避暑地としてプライベートビーチを持っている人は少なくありません。
そういった人たちが、安心して海を楽しむために避暑地の浜辺に生息しているアイアンクラブの討伐を依頼するんです」
プライベートビーチを持つような人からの依頼ですから、討伐した後の報酬も高く探索者にとっては稼ぎ時です。
さらに再出現した場合に備えて、ビーチから帰るまで同じ場所で過ごすことになるので、避暑地を求める探索者からすればまさに一石二鳥の依頼といえるでしょう。
ですが、もちろん危険が全くないワケではありません。
「アイアンクラブは、討伐難易度が高めなモンスターです。というのも、左手で挟まれるだけで死の危険があり、さらに硬い殻に全身を覆われていますから、討伐するには技術が必要となる場合が多いのが主な理由になりますね」
アイアンクラブを討伐するには、刀剣類ではなく打撃武器が推奨されています。硬い殻は傷つけることが難しいため、打撃武器を使って直接内臓に衝撃でダメージを与える方が有効だからです。
しかし、武器によるダメージを狙う場合はアイアンクラブに近寄らなければならず、左手と右手の攻撃をかいくぐりながら攻撃し続ける高い技術が必要とされます。
高い報酬と避暑地に長期間滞在できるという魅力的な条件と引き換えとはいえ、なかなかどうして命の危険も高いモンスターと言えるでしょう。
「一方で、彼らは極端に魔法に弱いモンスターでもあります。特に雷系の魔法にはまったく耐性が無く、低レベルのマジックユーザーが使う雷魔法ですら、簡単に仕留めることができるほどなんですよ」
通常、魔力を求めて捕食をしているモンスターのほとんどが、魔力耐性を持っています。これは私たち人間も同じで、本人が意識していなくても、無意識のうちに薄い魔力の膜を体中に纏って魔力攻撃に備えているのです。
しかしアイアンクラブは何故かこの魔力の膜を張ることをしておらず、魔法攻撃の威力が減衰されることなく、等倍以上のダメージを受けてしまいます。そのため、初心者が使うような魔法であっても彼らにとっては必殺たり得る魔法となってしまうわけですね。
それでなくとも、内臓を直接攻撃される場合もあるのに、魔法に対する耐性もゼロ。
研究者たちの間では、硬すぎる甲殻を持ったがゆえに魔力攻撃にまで対応することができなかったのではないか、と言われています。
「とはいっても、やはり彼らが討伐することが難しいモンスターであるという事実は変わりません。
実際、アイアンクラブによって死亡する探索者は毎年少なくない数が出ていますからね」
マジックユーザーになる……つまり魔法を使えるようになるには資質が必要です。誰でも魔法を使えるワケではなく、一部の資質がある人のみがマジックユーザーとして魔法を使えるわけです。
探索者全体を見てもマジックユーザーの数は少なく、貴重な存在となっています。
ですから、大半の探索者にとってはアイアンクラブは打撃武器などを使って、命がけで倒すモンスターであることに変わりありません。夏場に出るアイアンクラブの討伐では、マジックユーザーを擁していない探索者パーティーが複数合同で挑むということもよくあることです。
「複数の合同パーティーで討伐を行うのは、安全にアイアンクラブを討伐するための合理的な判断からなんです」
アイアンクラブの攻撃方法である左右のハサミは、背中側に向けることはできません。
そのため誰かが正面で攻撃を引き付けているうちに背後から攻撃することで、安全にアイアンクラブを討伐することができます。合同パーティーでの討伐ともなれば、より効率的に討伐をしていけますから、非常に合理的な判断と言えますね。
この夏になると行われるアイアンクラブの大規模討伐は、多いものでは50人単位になることもあります。
小さな市町村では、このアイアンクラブの大規模討伐をイベントとして、町おこしをしている場所もあるくらいです。
「ちなみに、素材としてのアイアンクラブの価値はほとんどゼロです。
唯一素材となり得る硬い甲殻も、大体は打撃武器で殴られたり、魔法攻撃を受けたことでひび割れたり、壊れてしまっていることがほとんどなので素材としては使えないんですね」
平時のアイアンクラブに対する討伐依頼が少ないのは、素材として求められていないというのも理由のひとつです。
ソロ討伐が難しいモンスターで、かつ食料としても素材としても価値が無いわけですから、邪魔になる時以外で討伐依頼が出ないというのも納得できます。
そして何より大きな問題が、運搬するのが難しいという点です。
体の大きなアイアンクラブの甲殻を大量に持ち運ぶなら、専用のトラックなどを用意しなくてはいけません。わざわざ輸送費を支払ってまで、彼らの甲殻を手に入れようとはする人はほとんどいないでしょう。
一方で彼らの内臓などは、珍味として有名です。
しかし非常に傷みやすいという特徴があり、市場に流通することはありません。アイアンクラブを食べるのは、探索者たちの密かな楽しみとして、シーズンになると多くの探索者がそれを目的に討伐依頼を請けるのです。
浜辺に隠れて獲物を仕留め、独特な食事方法をするモンスター……アイアンクラブ。
何よりも砂に依存する生き方を選んだ彼らは、その中で生きていきやすいように生態を変化させてきた、進化していく非常に珍しいモンスターでもありました。
硬い殻で攻撃から身を守ろうとしているものの、一方では魔法に対してまったく対策をしていない、自分で弱点となる部位の殻を閉めておけない状態にしてしまうなど、どこか生態がちぐはぐな点も彼らの特徴です。
それもまた、砂に埋もれるという安全な生き方を選んだからなのかもしれません。
夏場以外では存在を無視され、ただ砂の下で獲物を待ち続けているアイアンクラブ。
今日もまた、彼らは砂に埋もれながら近くを通る獲物を虎視眈々と狙い続けているのです。
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