第6回『泳ぐ刃物・ナイフフィッシュ』
この世界にはさまざまな生き物――モンスターが存在しています。山と見紛うほどに巨大なドラゴンをはじめとして、陸海空を問わず人間よりもはるかに広大な範囲に生息するモンスター達。
しかしその生態を知っている人は、意外と多くありません。私たちにとって身近な存在でありながら最も遠い存在。
そんなモンスター達の生態に、我々と共に迫っていきましょう。
第6回では、島国であるニホンの周辺一帯に存在する海に目を向けてみましょう。
当然ですが海にもさまざまな海洋モンスターが存在しています。それらのモンスターは漁師たちの大きな障害となっていますし、漁業そのものにも深刻な被害をもたらすことが多くあります。
今回紹介するのは、そんな海洋モンスターの中でも最もポピュラーな存在である、ナイフフィッシュ。
一般の人々には買いやすい食用モンスターとして知られているナイフフィッシュですが、実は漁師たちからは蛇蝎の如く嫌われています。一般人と漁師とで評価が真っ二つになってしまうこのモンスター、その理由は何なのでしょうか。
海洋モンスターの代表として世界中で知られ、海のスライムと言われるほどにポピュラーなモンスター。
ナイフフィッシュという名前の由来は何なのか、その生態はどういったものなのか、そこに迫っていきましょう。
それでは世界モンスター紀行、はじまりです。
●世界モンスター紀行
第6回『泳ぐ刃物・ナイフフィッシュ』
海のモンスターと言えば、やはり最初に誰もが思いつくのがナイフフィッシュです。
海ならば深さに関係なくどこでも見つけることができるナイフフィッシュは、まさに海洋モンスターの代表ともいえる存在です。我々取材班は、彼らの生態を観察するために船に乗って海へと繰り出しました。
ナイフフィッシュは最大でも10㎝ほどにしかならない、小さなモンスターです。
しかし、その最大の特徴は何と言っても背びれと胸びれでしょう。
ナイフフィッシュの体は、正面から見ると正三角形となっており、それぞれの頂点からヒレが生えています。
この3つのヒレはわずか0.1㎜と非常に薄く、包丁のような形をしています。そして0.1㎜という薄さでありながら、鋼鉄のような強度を誇っているので、触れたものを容易に切り裂くことが可能です。
そして3つのヒレはどれも6~8㎝となっており、体長とほぼ同じと中々の長さ。いうなれば、刃渡り6~8㎝のナイフが3つ備わっているようなものなのです。
名前の通りナイフと同じ切れ味と硬度を持ったこのヒレこそ、ナイフフィッシュという呼び名の由来となっています。
海洋モンスターとしては最も生息数が多く、海ならば場所を選ばず生息しているナイフフィッシュたち。
今回我々取材班は、そんなナイフフィッシュの生態を観察すべく、モンスター研究者たちの間で使われている海洋モンスター観察用の船舶を使わせてもらうことができました。
海洋モンスター観察用船舶は、海の中をよく観察できるよう、普通の船とは大きな違いがあります。
それが船の底の部分が全て硬化ガラスで作られており、さらに深くまで見渡せるようライトも設置してあるという点です。このライトは非常に光量が強く、水上からでも水深100mくらいまでなら観察することができるという優れもの。
そして海洋モンスターに襲われても大丈夫なように、ガラスはマリンゴーレムの破片を混ぜることで、海に触れている限り自動修復機能を持つという優れもの。それでいて非常に透明性も高いため、しっかりと海の中を観察することができます。
これらはとても貴重な物であり、現在この観察用船舶以外には使用されていません。
そしてこの観察用船舶自体も、世界に数隻しか用意されていないとても貴重な代物です。海洋モンスターの調査に、国がどれだけ期待しているのかが伺えます。
「私もこの船に乗るのはまだ両手で数えられる程度しか経験がありません。海洋モンスターの研究は危険が伴いますし、船のメンテナンスも必要なので、頻繁には行えないんです」
一度海洋モンスターの調査に向かうだけで、船はしっかりとメンテナンスをしなければいけない状態になります。
これは海に出ることがどれだけ船に負担をかけてしまうのか、その証拠とも言えるでしょう。漁船もそうですが、海洋モンスターが多く生息する海を船で移動すれば、傷や故障が多く発生してしまいます。
そしてその傷を作る大きな原因こそ、ナイフフィッシュなのです。
それを証明するかのように、我々取材班が船で出発してからものの数分もしないうちに、ナイフフィッシュが船の周りに現れたことを示す、硬い物同士がぶつかり合う音が船に響いてきました。
この音――つまりは船底にナイフフィッシュのヒレが当たる金属音。我々が乗っている船の場合はガラスですが、漁船の場合当然ナイフフィッシュたちが衝突する船底は金属製です。金属同士がそれなり以上の速度でぶつかり合えば、当然ながら傷が付いてしまいます。
「せっかくですから、ぶつかる様子を見に行ってみましょうか」
そう言う博士に促されて、我々取材班は博士の後を追ってガラス張りの船底へと向かいました。
全長24mにもなる中型船であるこの船の底一面がガラス張りになっているというのは、実際に自分の目で見てみると驚きの一言です。さらに博士がスイッチを入れたことで一斉にライトが照らされ、周辺の水の中が明るく照らされます。
「ほら、見えますか? 前の方からナイフフィッシュが何匹もぶつかっていますよ」
博士の指さす先……船が進む方向から無数のナイフフィッシュが向かってきて、ガラス張りの船底にヒレをぶつけて去っていくのが見えます。
当然ですが、ナイフフィッシュが故意に船へとぶつかっているワケではありません。
彼らはただ泳いでいるだけで、そこに船が向かっているので避けきれずにぶつかってしまうのです。そもそも、ナイフフィッシュのヒレが固く切れ味の良い物となっている理由は、そういった衝突をした際に身を守るためだと言われています。
三角形の体の頂点から硬いヒレを伸ばすことで、柔らかい体に衝突する可能性を少しでも下げているんですね。
まあ、彼らにとって生き残るために取った方法こそが、皮肉なことに漁師たちから蛇蝎の如く嫌われる原因となってしまっているのですが。
「ナイフフィッシュがぶつかったところを見てください」
ちょうどぶつかったばかりの部分を見てみれば、硬化ガラスであるはずの船底に薄い傷がついています。マリンゴーレムの体を混ぜ込んだこの硬化ガラスを傷つけられるというのは、かなりの硬さがある証拠です。
なるほど、これでは普通の金属製の漁船が傷だらけになってしまうのも納得できる話でしょう。
特殊な硬化ガラスで作られたこの船底は、このくらいの傷ならばすぐに海中のマナを使って修復していきます。しかし金属製の装甲ではそうはいきませんから、船底に何回もナイフフィッシュによって傷がついてしまえば、そこから錆て行くことになり、なにより複数の傷がつくことで船底全体の強度が低くなり、穴が空いてしまう危険もあるのです。
「実際、今までにも何回かナイフフィッシュの傷が原因で船が沈没したという事件が起きています」
ナイフフィッシュによる海難事故は、全体数は多くないものの年に1~3回程度の頻度で起きています。ナイフフィッシュはそこまで速く泳いでいるわけではありませんが、漁船はかなりの速度で海の上を移動していますから、当然ぶつかれば大きな傷がつく場合も少なくありません。
ですから彼らのいる場所を通るということは、ナイフが浮かんでいる海域を猛スピードで進んでいるのと同義なのです。
当たり方が悪ければ、一回ぶつかっただけで穴が空いてしまう危険もあるため、漁師たちからすればたまったものではないでしょう。
「ですからそういった事故を防止するために、現在ほとんどの船は船底に対ナイフフィッシュ用の装甲を付けています。
ただ、この追加装甲のせいで船の維持コストが増えてしまい、出費がかさんでしまうんですよね」
海の中ならどこでも存在していると言えるほど大量に生息しているナイフフィッシュとぶつからないよう、彼らを避けながら海を進むことは不可能です。
そのため対策として、海を行く船は必ず船底に追加装甲を付けることでナイフフィッシュの対策としています。追加装甲といっても、分厚い鉄板などを付けてしまえば船の運航に支障をきたしてしまいますし、今回我々が乗っているような特別仕様にするには莫大な資金が必要となります。
ですから、ほとんどの漁船は厚さ3㎝ほどの薄い鉄板を船底を覆うように付けることにしています。しかし薄い鉄板ですから、数回漁に出るだけでナイフフィッシュのせいでボロボロになってしまい、そのたびに交換する必要があります。
ただの金属板とはいえ頻繁に交換するとなれば、それだけ出費がかさむのも納得です。
とはいえ追加装甲を付けていなければ、船そのものがダメになってしまうので付けない訳にもいかない。
追加装甲そのものは海洋モンスター全般への対策にもなっているとはいえ、遭遇を回避できず、そのうえすぐ鉄板をダメにしてしまうナイフフィッシュは、漁師にとって頭痛の種になっているのです。
「ちなみに、船にぶつかったナイフフィッシュも当然ですが無事ではすみません。
大半の場合はヒレが壊れてしまい、泳げなくなってそのまま死亡するという事がほとんどです」
いくら鉄と同じ強度があると言っても、船と小魚であるナイフフィッシュでは質量に大きな差があります。
そのため衝突した部分のヒレは必ず割れたり欠けたりしてしまい、ヒレの一部を失ったナイフフィッシュは普通に泳げなくなってしまい、他のモンスターに捕食されたり、泳げず呼吸ができなくなって死亡してしまいます。
もちろん、体の部分が衝突すればそのまま死亡することもあるので、彼らが望んで漁船にぶつかっていないことがわかるでしょう。
漁師たちにとって天敵ともいえるナイフフィッシュ。
そんな彼らですが、実は普通の魚の生態とは大きく違っている部分があります。
「実は彼らは、食事をせずに生きていけるモンスターなんです」
モンスターの多くが他の生物を襲うのは、それらが獲得している魔力を自分の中に取り込み、自分の物とするためです。しかしナイフフィッシュは非常に小型のモンスターであり、さらに泳いでいるだけなのでそこまで魔力も消費しません。
そして皆さんご存じだと思いますが、海や森といった自然の多い場所ではマナが非常に豊富で高い濃度となっています。
そうなると、小型モンスターであるナイフフィッシュは他の生物を捕食しなくても、吸収できるマナから変換できる魔力だけで生きていくことができるようになるのです。
「ですからナイフフィッシュは他の生物……それこそプランクトンなどの微生物でさえ捕食する必要はありません。
日がな一日、のんびりと海の中を移動しているだけの無害なモンスターなんです」
直接何かを襲うという訳ではなく、移動している結果被害をもたらしてしまうというのは、ある意味モンスターとしては異端です。しかし食事をしなくても生きていくのに十分なエネルギーを得られるのですから、わざわざ他の生物を襲うという手間をかける必要がないのも頷けます。
さらに言うなら、そもそも彼らには他の生物を捕食するだけの身体機能が備わっていないという部分もあります。
「彼らの正三角形の体は、太さが2㎝ほどしかない非常に細い体となっています。
さらに食物を摂取する必要がないせいもあって、胃や腸といった器官は存在せず、心臓しか確認されていません」
それは元からそういったモンスターとして存在していたのか、長く食べ物を摂取しないでいたから退化したのか、そこのところはわかっていません。
ナイフのようになっている彼らのヒレは、あくまで自分を捕食しようとする相手への対策でしかないのです。
外敵への対策としても、あまり役立っているとは言えないのですが。
そして海中のマナを取り込むだけで生きていけるからこそ、ナイフフィッシュは全ての地域の海に存在することができているのも事実です。
海中に存在するマナは、海であれば地域によって若干の違いはあれどほとんど誤差。
ナイフフィッシュたちが生活していくには、十分すぎるほどのマナが存在しています。
他の海洋モンスターは、そのマナだけでは体を維持することができないため、より多くのマナを確保するため捕食できるモンスターや生物が多い場所を生息地としています。
しかし自分だけで生きていく循環が完結しているナイフフィッシュは、それこそ海の中ならどこでも生きていけます。
さらに水温の変化にも強いモンスターですから、どの海でも元気に泳ぎ続けることが可能なのです。
「まあ、それだけに世界中どこでも漁師を悩ませる種になってしまっているのですが」
ちなみにナイフフィッシュのヒレでは、漁で使われている網が切れる心配はありません。というのも、ナイフフィッシュのヒレはそこまで切れ味が良くないからです。
彼らのヒレは非常に薄く硬いため、スピードがある状態なら切れることもありますが、触れただけで切れるほど鋭いわけではありません。そのため、太く丈夫な網を切り裂くことは不可能で、普通に網漁で捕まえることができます。
「ちなみに彼らは普通に食用魚として扱われています。スーパーの鮮魚コーナーで見たことは多いんじゃないでしょうか」
当たり前ですが、鮮魚コーナーなどで販売されているナイフフィッシュは危険なヒレ部分は取り除かれています。
ナイフフィッシュは三角形をしているため、それぞれの頂点を頭から尻尾に向けて切り取っていくだけでヒレが綺麗に取り除けるので、加工がしやすいという特長があります。
味そのものは平凡で、美味しくも不味くもないという程度。それこそ季節や場所を問わずにいつでも採ることができるので値段も安く、庶民の味方と言える魚です。ですから漁師たちの間では、漁船を傷つける厄介者でありながら、いつでも収入に繋がる魚として重宝もされています。
◇◇◇◇◇
さて、ただ泳いでるだけで場所を問わずに生きていけるナイフフィッシュ。
そんな彼らですが、外敵に襲われた時にはどうしているのでしょうか。普通に考えれば、ナイフのような切れ味があるヒレを使って、外敵を切りつけて反撃するのではないかと思うでしょう。
しかし実際には、彼らは外敵に対して非常に無防備なのです。
「彼らは基本的に外敵に立ち向かうということはしません。それは、自分たちが無力であることを知っているからです」
ナイフフィッシュのヒレは確かにナイフのような切れ味を持っています。
ですが、外敵と真正面から戦うことができるようなものではありません。彼らのヒレは2㎝程しかなく、全力で切り付けても小さな切り傷を付ける程度しかできず、到底相手を倒すことはできません。
それを知っているからこそ、彼らは外敵が現れた時、常に逃げることを選択します。
「とはいっても、ナイフフィッシュの泳ぐ速度はそこまで速くありません」
なんとナイフフィッシュは魚型のモンスターであるというのに、泳ぐ速度は我々人間とほとんど変わりません。
人間の泳ぐ速度と言えば、泳げる生物の中でもかなり低い方となるでしょう。それと同じくらいなのですから、海を縄張りとしている海洋モンスターに及ばないのは当然とも言えます。
逃げるしかないのに、逃げるには速度が足りない。こうなってしまったのは、ナイフフィッシュが餌を捕食する必要がないためと言われています。
では、彼らはただ捕食されるだけなのかというと、そんなことはありません。
「彼らは捕食者への対策のひとつとして、モンスターの中では珍しく10匹ほどの少数の群れを作っています」
基本的にモンスターは群れを作りません。それはお互いが魔力を得るために捕食をする競争相手だからというのも大きいですが、死んだところでいつの間にかまた生まれているという特徴から、普通の生物ほど自衛に興味がないのではないかとも言われています。
そんなモンスターたちの中では非常に珍しく、ナイフフィッシュは群れを作るモンスターなのです。
ですが10匹ほどでは、決して戦闘力が向上するとは言えませんし、なにより泳ぎが遅い以上ただの的になってしまうのではあないでしょうか。
「そこで役に立つのが、やはりナイフのようになっているヒレなんですね」
博士はそういいますが、彼らのヒレで相手を倒すことはできなかったはずです。では、あのヒレが役に立つというのは、どういう意味なのでしょう。
取材班がそのように疑問を持っていると、ちょうど観察用船舶の船底近くでナイフフィッシュの群れを捕食しようとしているロケットシャークの姿を見つけました。
ロケットシャークは非常に素早いモンスターで、船でも逃げ切れない海洋モンスターとしても知られています。
そんなロケットシャークが大きな口を広げ、加速しながらナイフフィッシュが群れている場所へと突撃していきました。
すると、当然ながらナイフフィッシュの群れは近づいてきたロケットシャークを認識して逃げようと動き出します。
しかし悲しいかな、逃げる体勢となる前に既に10匹ほどで構成されたナイフフィッシュの群れは、大きく開いたロケットシャークの口の中へとまとめて吸い込まれていきます。
ある程度固まって動いているからこそ、全員がまとめて食べられてしまいました。
「こうして見ているだけでも、ヒレが攻撃に使えないのはわかりますよね。
ですが――見てください、あれこそがナイフフィッシュが外敵に食べられないための対策の結果です」
博士がそう言うのと同時に、ナイフフィッシュたちを口の中に納めたロケットシャークが苦しむように身悶えし、閉じた口を大きく開きました。
すると食べられたはずのナイフフィッシュが一斉にその口から飛び出してきます。
よく見れば、開いたロケットシャークの口からは血が流れ出ているようにも見えます。
「考えてもみてください。ナイフフィッシュたちのヒレはナイフのようになっているんです。
それを複数体口の中に入れる……ということは」
想像するだけでゾっとします。つまり先ほどのロケットシャークは、口の中に何本ものナイフを閉じ込めた状態になっていたわけです。そして当然ながら口の中に入れたナイフは、外に出ようとめちゃくちゃに動き回ります。
ロケットシャークに限らず、ほとんどの生き物はどれだけ外皮が硬かったり、装甲のような鱗をもっていたりしても、口内は食べ物を食べやすくするために柔らかくなっています。そんな場所でナイフのような物が動き回れば、どうなるかは想像するまでもないでしょう。
実際、カメラを使って開いたロケットシャークの口の中を見てみれば、あちこちに無数の傷跡が見えます。
それは当然ながら、ナイフフィッシュたちが口の中で暴れまわったせいなのでしょう。
「まあ、とはいっても食べられた全てのナイフフィッシュが無事に脱出できる訳ではありません。
例えば口を閉じた時に噛み砕かれてしまえば、ナイフがあっても関係ないですからね」
よく見てみれば、ロケットシャークの口から逃げ出しているナイフフィッシュたちの数はあまり多くなく、ほとんどの個体は体を噛みちぎられて死亡してしまっています。
基本的に大型の海洋モンスターは、獲物をそのまま丸呑みするのが普通です。
しかしロケットシャークのような中型モンスターの場合、しっかりと噛み砕いてから飲み込むので、捕食されてしまえば無事に逃げられる確率は低くなってしまいます。
「ロケットシャークの牙は、厚さ10cmの鉄板ですら簡単に噛み砕きます。ナイフフィッシュのヒレなんて、あってないようなものでしょう」
ちなみに大型モンスターの場合、彼らのヒレで多少傷つけられたとしても蚊に刺された程度の痛みしか感じません。
捕食者への対抗策としてナイフのようなヒレを手に入れて、群れを作っているはずのナイフフィッシュ、しかし実際にはそこまで有効な対抗策にはなっていないようです。
ロケットシャークも、一度は驚いて口を開けたようですが、数秒もすると気を取り直して別のナイフフィッシュの群れを襲いだしました。そしてまた再び群れを飲み込んでから、驚いたように口を開けています。
「あれはロケットシャークの学習能力が無いのではなく、単純に効率が良いのでああしているんです。
口の中を多少傷つけられたとしても、ナイフフィッシュを食べて魔力を得ればそれで修復することもできますからね」
魔力を使うことで行える身体強化は、自然治癒能力の強化も行っています。
つまり口の中を切られた程度なら、ナイフフィッシュを食べて得られる魔力で身体強化を行うことで、あっという間に完治してしまうのです。
一時的に逃げるためとはいえ、やはりナイフフィッシュのヒレはそこまで自衛に役立っているとは言えません。
それでも、もし捕食者に対抗できるだけの戦闘力を身に付けるなら、体の構造を大きく変えなくてはいけません。
そうすると現在のように海中のマナだけ魔力を補うことは難しくなり、捕食をするという余計なリスクを背負うことになります。ナイフフィッシュは無理に体を変えてリスクを増やすよりも、1匹だけでも逃げることができればいい、という今の方法で自衛することを選んだのです。
「ある意味では、彼らこそ生態系を支えていると言っても過言ではありません」
自分では捕食せず、被捕食者としてもそこまで激しい抵抗をしない。
そんなナイフフィッシュだからこそ、多くのモンスターの食料とされています。しかしそれは、余計なリスクを背負わず生きることを選んだ彼らなりの、生態系への恩返しなのかもしれません。
◇◇◇◇◇
「ナイフフィッシュは、基本的に討伐対象となることがありません。
異常発生する前に他のモンスターに捕食されてしまいますし、戦闘能力も皆無と言っていいからです」
ナイフフィッシュは通常の魚と同じように、陸上で活動することはできません。漁師の網に捕まってしまえば、あとは窒息して死亡するのを待つばかり。
船に対して深刻なダメージを与える原因ともなるナイフフィッシュですが、陸上で人間に与えることができるダメージといえば、網から取り出す時に少し手を切ってしまう程度です。
有害ではあるものの、討伐するほどの危険度は認められない、そんなモンスターがナイフフィッシュなのです。
海水浴の時期になったとしても、他の海洋モンスターのように討伐依頼が増えることもなく、海水浴客への被害も全くと言っていいほどに報告されていません。
さらに体が小さく、目立って良い素材が採れるということもありませんから、討伐対象になることはまずないでしょう。
あるとしても、他の海洋モンスターの討伐依頼に付属する形の、いわばおまけ扱いとしてばかりです。
「一応食材として流通しているものの、わざわざ探索者に依頼しなくても漁で捕まえることができますからね。
それにヒレの部分も、刃物として使えるように加工する手間を考えれば、通常の金属から作るナイフで十分なのでまったくと言っていいほど需要がありません」
普段からスーパーなどに並び、食糧として私たちの生活に貢献してくれているナイフフィッシュ。
しかしその一方で、モンスターとしての脅威は少なく、無視されがちな存在です。それはある意味、他のモンスターに捕食されるリスクを取ってまで、他の生物を捕食せずに生きていくという道を選んだ彼らの選択が、正しかったという証明になっているのかもしれません。
「もしナイフフィッシュが他の生物を襲うようであれば、最優先で討伐対象となっていたでしょう。
ある意味脅威になり得ない現在の生態だからこそ、彼らは討伐されることもなく生きていけるんですね」
博士の言う通り、ナイフフィッシュがもう少し人に害を及ぼす存在なら、毎年数多くの討伐依頼が出ていたはずです。
スライムですら討伐依頼が出ている中、ナイフフィッシュはそういった依頼そのものが存在しない稀有なモンスターとして生きています。
それが彼らの望んだ結果かどうかは別にしても、非常に安全な生き方ができているモンスターではないでしょうか。
漁業を行う漁師たちにとっては、船を壊す原因になる嫌われ者のモンスター……ナイフフィッシュ。
しかし、その生態は他の生物を襲わず、自衛もほぼ受け身という人畜無害に近いものでした。恐らく漁船への被害さえなければ、無視されてしまいそうなナイフフィッシュたち。
世界中の海を悠々自適に泳ぎ回り、ほとんどの仲間を食べられても1割生き延びれればいいという自衛方法。
他の生物を傷つけるよりも、何もせずに生きていく方が重要だとでも言いたげな彼らの生き方は、羨ましいと思う人もいるかもしれませんね。
ですがヒレの切れ味だけは本物ですから、海で見かけたとしても決して素手で捕まえようとはしないでください。
スライムよりも無害なモンスター、ナイフフィッシュ。
彼らは今日も、海中のマナで自分の魔力を満たしながら、世界中の海をのんびりと回遊しているのです。
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