第3回『森の王者・シルバーベア』
この世界にはさまざまな生き物――モンスターが存在しています。山と見紛うほどに巨大なドラゴンをはじめとして、陸海空を問わず人間よりもはるかに広大な範囲に生息するモンスター達。
しかしその生態を知っている人は、意外と多くありません。私たちにとって身近な存在でありながら最も遠い存在。
そんなモンスター達の生態に、我々と共に迫っていきましょう。
第3回は平原から視点を移し、その先に広がる大きな森林地帯へと目を向けてみましょう。
我々一般人には危険すぎて入ることができない森林地帯。そこは探索者の中でも、実績を獲得して中級者以上と認められた者しか立ち入ることができない領域です。
なぜ森林地帯がそこまで危険といわれているのか。
その最たる理由こそ、今回紹介するモンスター……シルバーベアなのです。
通常の熊よりも大きな体躯と、巨木さえ簡単になぎ倒す膂力。その他にも凶悪な力を持つこのモンスターは、森の王者とも呼ばれています。
恐ろしさだけが先行して知られているシルバーベア。
その生態は、一体どのようなものなのでしょうか。そして、我々の生活にはどのように関わってくるのでしょう。
世界モンスター紀行、はじまりです。
●世界モンスター紀行
第3回『森の王者・シルバーベア』
森林地帯は、首都トーキョーの前に広がる平原を20kmほど進むと見えてきます。
うっそうとした森林はトーキョー地区全てを囲んでおり、さらに奥に見える山岳地帯と平原とを分かつ壁のように広がっています。
この森に生息しているモンスターこそ、今回の主役であるシルバーベア。
シルバーベアはこの森林地帯全域に生息しており、森を歩けば必ず遭遇するモンスターです。
個体ごとに縄張りを持ち、その中を巡回するように移動する彼らは、特定の場所に巣を作るということはしません。眠る時は、周囲にある木を背もたれにして地面に座って眠ります。
今回観察することになるシルバーベアもまた、まだ朝が早いこともあってか木にもたれ掛かるようにして地面に座っていました。
座っていても分かる巨大な体。そして太い手足は、見る者に威圧感を与えます。
体長は通常約2~3mほどですが、大きい個体になると5mにも達することもあります。
その最大の特徴は、名前の由来にもなっている銀色に光り輝く体毛です。
銀色の毛以外は通常の熊と見た目における相違点はほとんどありません。しかし、その一点こそまさにシルバーベアが自然界で発生した生き物ではなく、モンスターなのだという大きな証拠にもなっているのです。
「銀色の体毛は、日光を反射するため暗い森の中でも少量の光で自分の周辺を照らす役割も持っています。
日中でもなかなか暗くなる森の中において、自分の視界を確保する役にも立っているんですね」
レナード博士の言葉通り、森林地帯は非常の背の高い木が多く、昼であっても薄暗いため人間には灯りが必要となる場所です。
そんな場所ですから、ここに生息するモンスターたちもまた、何かしら灯りを得る手段が必要となります。
シルバーベアにとって、木漏れ日を反射させることができる体毛こそが、その役割を果たしているのでしょう。
しかし、彼らの持つ銀の体毛は、ただ木漏れ日の反射で視界を保つためだけのモノではありません。
シルバーベアが森の王者として君臨するために、とても重要な機能を持っているのです。
「シルバーベアの体毛には、魔法を無効化させる機能が備わっています。
実際には無効化というよりも、高密度の魔力を体毛に付加することで魔法を弾くというのが正しいですが」
このことから、シルバーベアはマジックキラーという別名でも呼ばれています。
魔法使いたちからは蛇蝎の如く嫌われており、このモンスターを狩るために一時的にパーティーを組む魔法使い系の探索者もいるほどです。
魔力で弾くという構造上、ダメージがまったくの0というわけではありません。
しかし魔法だけでシルバーベアを討伐しようとすれば、それこそ不眠不休で戦う覚悟が必要です。
「さらに言うならば、魔力が付与された彼らの体毛は非常に硬く、物理に対しての防御力も相当なものになります」
魔力が付加されたシルバーベアの体毛は、鉄の剣くらいならば簡単に防いでしまいます。
よほどの達人でもなければ、切断はおろか切り傷を付けることすら難しいでしょう。
ですがシルバーベアの脅威はそれだけではありません。
むしろ、体毛の機能は彼らの脅威においておまけ程度なのです。
「シルバーベア最大の脅威は、その力と爪です。
森林地帯に生える直径2mを超える幹を持つ樹木を一振りでなぎ倒す膂力、そしてそこに付随する長さ10㎝に及ぶ爪。
例え鎧を着込んでいたとしても、普通の人間なら一瞬でボロ雑巾になってしまうでしょうね」
聞くだけで寒気がするようなシルバーベアの力。
実際、シルバーベアに襲われたことで10人で組まれた探索者のパーティーが一瞬で全滅したという話もあります。
モンスターではない熊でさえ、私たち人間にとっては脅威なのです。魔力に体が馴染んだことでモンスターと化したシルバーベアなら、その脅威は推して知るべしということでしょう。
「しかも彼らは肉食で、自分以外の全てを捕食対象とみなしています。
森林地帯に入ったなら、常に彼らからの襲撃を警戒しなくてはいけないんですよ」
さらに厄介なことに、シルバーベアは常に魔力を体毛に付与している関係上、スライムと同じく常に体内の魔力を消耗しており、魔力飢餓に近い状態なのです。
そのため1日の食事量も非常に多く、体長3mほどのスケイルウルフなら1日に6体以上は捕食しますし、自分が狩れる範囲内にいるならばスライムでさえも捕食対象となります。
この凶暴性もまた、シルバーベアの厄介な特徴です。
森林地帯を主な活動場所としている探索者にとって、常にシルバーベアからの襲撃を警戒するというのは、ある意味拷問のようなキツさだと聞きます。
いくら森林地帯の実入りが良いからとしても、そう連日あそこに踏み入りたくはない……とも。
「ただ、困ったことにその危険性とは裏腹に、彼らの討伐依頼……というより素材入手依頼はとても多いんです」
そう。シルバーベアの素材――主にその体毛の採取依頼は、意外なほど多く出ています。
シルバーベアの体毛は、解説した通り魔力を付与することで高い物理防御と魔法防御の両方の特性を持っています。ですから、防具の下地として非常に重宝されているんです。
「中級以上の探索者の防具には、ほとんど下地にシルバーベアの毛が使われています。
体毛ですから防具に組み込まれても軽く、魔力さえあれば半永久的に稼働し続けるバフですから」
特に身軽さが必要なハンターやシーフといった職業の探索者にとって、軽くて防御力の高いシルバーベアの体毛で作られた防具はとても重要です。
上級になってもまだ愛用している探索者がいるほど、その防御力は定評があります。
そのため主に防具を作っている会社からの依頼が多く、毎日必ずと言っていいほどに探索者ギルドにはどこかからの依頼書が届いているほどです。
そういった経緯もあり、非常に多くの採取依頼が出ているシルバーベアの体毛。
市場価格の平均は最低でも10万円から、需要が高まれば50万円を超えることもあるようです。ですから探索者にとっては実入りの良い仕事でもありますが……リスクとリターンが合っているかと言われると疑問が残ります。
また、それ以外にもシルバーベアの体毛はコートなど洋服の素材としても人気があります。
あの美しい銀色の体毛は、防御面だけでなくファッション面でも大きな魅力があり、特に魔力さえ通していれば常に銀色に輝き続けるという点から、特に女性に人気があるようです。
「依頼料も高く実入りは良いし、自分たちの防具に使われる素材ではあるものの、危険度が高い。
シルバーベアはまさにハイリスクハイリターンなモンスターと言えるでしょうね」
ちなみに今回我々は直接森林地帯には赴いていません。
さすがに危険度が高すぎることと、護衛を雇ったとしても落ち着いて撮影できる環境ではないからです。そのため前回ディグラビットの巣穴を覗いた時に用いた魔力球カメラ、これを使って撮影をしています。
博士の説明を聞いている中で、我々はカメラが映すシルバーベアの胸元の体毛が、三日月型に黒くなっているのを見つけました。
シルバーベアの体毛は常に銀色で、普通の熊のような色では無いはずですが。
「あの黒っぽい部分が本来の体毛になっています。彼らは通常の熊と同じ体毛の色をしていますが、そこに魔力を付与することで銀色に変えているんです。
あそこだけ色が変えられていないのは、恐らく傷を負ったなどの原因で魔力がうまく付与できないんでしょう」
我々人間も、大きな怪我を負った際にそこに魔力がうまく通わなくなることがあります。
この個体もまた同じように、怪我を負った部分に魔力が通らず三日月型に元の体毛が残ってしまったのでしょう。
私たち取材班は、今回観察することになるこの個体に、胸元の特徴から『ムーン』と名付けました。
日が昇ってきたこともあり、ムーンもようやく活動する時間帯となったのかゆっくりと身体を起こしました。
立ち上がると、やはりその大きさに威圧されてしまいます。ムーンは人間で換算すれば、おおよそ30歳から40歳くらいになる、円熟期を迎えた個体です。
シルバーベアの成長はおおよそ3つの時期に分けることができ、それぞれ成長期、円熟期、老衰期と呼ばれます。
成長期に体が大きくなり、円熟期になると成長は止まりますが、そのぶん魔力が育つと言われています。どの期間なのかは体毛で判断することができ、円熟期に入ったシルバーベアの体毛は、ムーンのように美しい銀色になります。
「成長期間は、観察してきた限りではおおよそ3年から4年で移り変わるようです。
もっとも、実際には衰退期に入るまで生きている個体の方が少ないので、衰退期のシルバーベアはほぼ見かけませんが」
当たり前ですが、モンスターである以上探索者に討伐されることがほとんどです。
衰退期まで生きていられるシルバーベアは貴重であると共に、それだけ狡猾で強力な個体でもあります。
博士の解説を聞いている間に、ムーンはゆっくりと四つ足歩行で歩き出しました。
いったいどこに向かっているのでしょうか。
「恐らく朝食を見つけるための狩りですね。起きたばかりで、腹がすいているでしょうから」
博士の言葉を証明するように、ムーンはきょろきょろと首を左右に動かしながら歩き続けています。
まだ日が低いから、体毛の照り返しによる光源にも期待できず、しっかりと自分の目で獲物を探さなくてはいけません。シルバーベアはあまり目が良くないので、せわしなく首を動かして匂いも確認するのです。
そうしてしばらく歩いていたムーンですが、とある木の前に来たところで立ち止まりました。
ムーンが立ち止まった前にある木には、爪で引っ掻いた傷跡がついています。
「あれは縄張りを示すものです。無造作に引っ掻いているように見えますが、個体ごとに引っ掻くパターンが違っていて、それによってお互いの縄張りを区別しているんですよ」
今見ている木にはちょうど十字になるような引っ掻き傷が残っています。
それを確認したムーンは、その傷跡をなぞるように十字の傷をつけ始めました。定期的に新しく傷跡を付けることで、ここは自分の縄張りだと主張するのです。
何度か引っ掻いて木に傷跡を付け直し、ムーンは再び餌を求めて歩き出しました。
◇◇◇◇◇
途中で何回か縄張りを示す引っ掻き傷を付けなおしつつ、ムーンが獲物を見つけたのは実に30分ほど後のことです。
見つけたのは、本来なら平原にいるはずのスケイルウルフでした。恐らく、平原から森の中へと迷い込んでしまったのでしょう。あたりを見回しながら、森の中を進んでいます。
「シルバーベアの狩りはそこまで複雑なものではありません。
獲物を見つけたら全速力で追いかけて、持てる力の全てで叩き潰す。それだけの単純なものです」
博士の言葉が終わるかどうかの間に、ムーンは雄叫びをあげてスケイルウルフへと走りだします。
雄叫びに気づいたスケイルウルフは一瞬だけ驚いた様子を見せましたが、すぐに身構えてムーンへと走り出し、恐ろしいほどの俊敏性で彼の背後を取りました。
そして、背後からムーンの左腕めがけて飛び掛かり、その鋭い牙を突き立てます。
スケイルウルフの牙は、鉄製の鎧でさえ簡単に貫通し、人間に致命傷を負わせることができる鋭さを持っています。
シルバーベアであってもその牙で噛みつかれては、ただでは済まないのではないか……我々はそう思いました。
……しかし、森の王者と呼ばれるのは伊達ではありません。
「スケイルウルフの牙は、確かに恐ろしい殺傷能力を持っています。
それでもなお、シルバーベアとスケイルウルフでは戦闘能力に絶望的な差があります」
確かに噛みついたはずのスケイルウルフの牙は、しかしムーンの左腕に傷一つ付けることはありませんでした。
牙は銀色の体毛に阻まれてしまい、肉どころか表皮にすら達していないのです。
「シルバーベアの体毛は硬く、魔力で保護されているため鎧のような役割を持っています。
さらに彼ら自身の筋肉も非常に発達していますから、戦闘時に緊張して力が入れば、ちょっとやそっとの攻撃ではダメージを与えることはできません」
スケイルウルフは噛みつきが通じないと理解した瞬間、ムーンから離れて爪での攻撃に切り替えます。
しかしその攻撃もまた、ムーンの毛皮と筋肉に阻まれてしまい、皮一枚切り裂くことはできませんでした。
「シルバーベアと戦う探索者は、基本的にあの体毛と筋肉を切り裂くことができる硬度を持つ、ミスリル以上の武器を持つことが必須です。
一応、鉄などの武器で狩猟を行う探索者もいますが、その場合は防御力の無い目や口の中を正確に狙って攻撃できる、高い技術を持っていなくてはいけません」
これもまた、低ランクの探索者が森の中での狩猟を許されていない要因です。
ミスリル以上の武器は高額で、最低でも日本円で1000万円以上の現金を用意しなくてはいけません。それを用意できる、もしくは激しく動き回るシルバーベアの目や口の中を狙う技量を持つには、経験を重ねなくてはならないでしょう。
「平原や森の中で、シルバーベアの体毛と筋肉を貫ける攻撃をするモンスターはいません。
そしてああして通じない攻撃を繰り返していると……」
自分の攻撃が通じないと分かっていても、スケイルウルフは逃げようとしません。逃げても追いつかれ、背中から攻撃されるということが分かっているのでしょう。
そして何度目かの攻撃をしようと飛び掛かった瞬間――タイミングを見計らったのか、ムーンは自分を攻撃しようとしてきたスケイルウルフめがけて、カウンター気味に右腕を思いきり振り下ろします。
大木を腕の一振りでなぎ倒すシルバーベアの攻撃は、ただ腕を振り回すだけでも必殺の威力。
現に、その一撃をくらったスケイルウルフの胴体は殴られた場所を中心にVの字になるような形で地面にめり込み、頑丈な背面部分の鱗を残して、腹部はほぼ千切れかけています
こんな威力の一撃を人間が貰ってしまえば……その結果は想像に難くありません。
体毛と筋肉という鎧、そしてただ腕を振るうだけで必殺となる膂力。
一連の戦いで見せた力は、まさに森の王者と呼ばれるに相応しいものでした。
「スケイルウルフは大きいですから、ご馳走だと思って確実に仕留めたかったのでしょう。
さすがに普通に殴ったくらいではあそこまで酷い状態になることはないですよ」
ムーンの戦いに圧倒されている我々に向けて、博士が苦笑しながらそう付け加えます。
なるほど、いくら膂力が凄いと言っても地面にめり込むほど力を入れるのは、ひとえにご馳走に逃げられないよう、一撃で仕留める必要があったからなのでしょう。
「シルバーベアの食事量は、平均して一日に1トンとも言われています。そんな彼らにとって、スケイルウルフのような中型モンスターは欠かせないご馳走になるんですよ」
スライムのように常に魔力を消費しているシルバーベア。
その魔力を食事によって賄うからこそ、その食事量は非常に多くなりがちです。個体の体重によって必要量は違ってくるものの、全てのシルバーベアは共通して一日にかなりの量を食べることになります。
森の王者として君臨し続けるためには、食事をし続けなければいけないという、地道な努力が必要となるのです。
そうこうしている間に、仕留めたことを確信したムーンはスケイルウルフへと近づき、おもむろに死体を持ち上げて頭からかぶりつきました。
いよいよ食事開始ということでしょうか。
「シルバーベアは骨を避けて食べるなどの、通常の肉食動物のような食べ方はせず、骨ごと噛み砕いて飲み込みます。
魔力を少しでも多く取り込むためには、その方が効率が良いのでしょうね」
博士の言葉通り、かぶりついたスケイルウルフの頭を、大きな音を立てて頭蓋骨ごと食べているムーン。
血の一滴すら逃さず食べようとしているかに見えるその姿からは、なるほどムーンたちシルバーベアにとって魔力がどれほど重要なのかが分かります。
「ちなみにシルバーベアは縄張り争いに負けるなど、特殊な理由がない限り森から出ていくことはありません。
これは、平原ではマナの濃度が低すぎて、先ほど見せたような力が使えなくなってしまうからなんです」
空気中に含まれる魔力の元となるマナ。
この濃度は、自然物が多い場所ほど高くなると言われています。そのせいもあって、平原にはあまり強いモンスターは存在せず、森や溶岩地帯、海の周辺といった場所になるほど強いモンスターの生息域となっていくのです。
マナが生物の体内に取り込まれることで魔力へと変換されることは周知の事実ですが、その魔力がどのように使われているのかを知らない人も多いのではないでしょうか。
魔力は私たち人間も含めた生物の体内で生成されたあと、体を動かすあらゆる動作の補助として消費されています。
火事場のバカ力と呼ばれる、緊急時にあり得ないほど凄い力を発揮するのは、この魔力を瞬間的に多く消耗することで限界を超えたパワーを発揮させているんですね。
ですからマナの濃度が薄くなればなるほど、こういった凄い力を発揮することは難しくなります。
つまりシルバーベアの恐ろしい力もまた、マナ濃度の濃い森の中だからこそ使うことができるというわけですね。
実際、縄張り争いで敗れて森を追われたシルバーベアが平原へと迷い出て、その銀色の体毛を失いスケイルウルフなどに狩られるという事例も、非常に稀ではありますが確認されています。
「シルバーベア自身もそれを理解しているからこそ、めったに縄張り争いは起きません。
お互いの縄張りが重なってしまった時は、争うよりも先に縄張りの交渉をする場合の方が多いんです」
シルバーベア同士の縄張り争いは、それこそ文字通り命がけのものになります。
先ほど見たあれだけの力でお互いに殴り合い、噛みつき合って決めるわけですから、負けた方は運が良くても瀕死……勝利した方もしばらくは動けなくなる傷を負うことがほとんどです。
そうして弱ったところ探索者に狩られたり、他のモンスターに襲われる可能性があることを理解しているのでしょう。
ですから森の中で傷ついたシルバーベアと出会うことはまずありません。
こういったリスクリターンの管理ができる知能の高さもまた、彼らが森の王者であるには必要なのです。
「おや、話をしているうちに食事が終わったようですね」
視線をカメラ映像に戻すと、3mはあったスケイルウルフの体は血だまりを残してすっかり無くなっていました。
ムーンを見れば、手や体についた血を器用に拭って舐め取り、毛づくろいをしています。
「シルバーベアは意外と綺麗好きなんです。体毛に汚れが付いていると、ああして毛づくろいをするだけでなく、1日に2~3回くらいは水浴びをします。汚れが付いていても、特に体毛の効果に影響はないんですけどね」
綺麗好きというのは、私たちが知らないシルバーベアの一面でした。森の王者、凶悪なモンスターという印象しか持っていなかった我々は、その情報にほほえましさを感じます。
彼らは体毛が汚れることを嫌い、多い個体ともなると、それこそ食事のたびに水浴びをし、そのためだけに水場の近くを縄張りにする場合もあるのだとか。
私たち人間から見ても美しいと感じる銀の体毛。
それはムーンたちシルバーベアからしても、自慢に思う部分なのでしょう。
毛づくろいを終えたムーンは、その場を後にして次の縄張りを確認するために歩き出しました。
食糧探しも兼ねているからか足取りはゆっくりで、あたりを注意深く観察しながらです。
「彼らの生活サイクルは、おおよそこれの繰り返しです。
縄張りを見回りながら食料を探し、狩って、食べる。そして体毛が汚れれば水浴びをして眠る。
ある意味では私たち人間以上に規則正しいサイクルで生活をしているんですよ」
森の王者として恐れられているシルバーベア。
しかし今まで知らなかったその生態を知れば知るほど、我々取材班は彼らに親近感を覚えました。
「確かに、私たち研究者の中にもシルバーベアに親しみを覚える人はいます。
綺麗好きであったり、食べ物の確保に必死になったりと、恐ろしさだけでなくどこか人間臭さがあるせいでしょう」
次の餌を探して歩き出すムーンの背中を追いかけながら、博士もまたそう言って笑うのでした。
◇◇◇◇◇
一通り縄張りの巡回を終えて、ムーンが最初に寝ていた木の近くまで戻ってきたのは、もうすっかり夕暮れになってしまった頃でした。
おおよそ1km四方ほどある縄張りを、餌を探しながら見回ったのですから、この時間になってしまうのも納得です。
そしてこの日のムーンは、思ったように餌を集められませんでした。
この日、ムーンが確保できた餌は最初のスケイルウルフを含めてモンスターを3体だけ。
しかもスケイルウルフ以降は、体の小さい獲物ばかり……彼らが必要とする量を考えれば、満足にはとても遠い数です。
「まあ、1日満足に食べられなかったくらいでは、魔力の保持にそこまで大きな影響はありません。
腹は空いているでしょうから、明日出会う獲物に少し同情してしまいますが」
確かに今日確保できなかった分、明日はムーンも必死になって獲物を探すでしょう。
必死に餌を探すシルバーベアに出会ったなら……想像もしたくありません。
「とはいえ、縄張りの巡回を終えた以上、今日はもう動くことはないでしょう。
これ以上下手に動くと、日が落ちて森の中を動くのが難しくなりますからね」
日光を銀の体毛に反射させることで、薄暗い森の中でも灯りを確保できていたシルバーベア。
完全に日が落ちてしまえば、もちろん灯りを確保することはできず、闇の中を動き回ることになります。さすがに森の王者と呼ばれる彼らであっても、それは避けるべき事態です。
博士の言う通り、ムーンはゆっくりと朝眠っていた木の根元に座り込むと、そのまま朝と同じ態勢で眠り始めました。
そこで我々取材班はふと疑問に思いました。
いくらシルバーベアといえども、寝込みを襲われればひとたまりもないのではないか。夜行性のモンスターも多い森林地帯において、ああして無防備に眠るのは危険すぎるような気もします。
そういった危険を回避するために、巣穴を持つことはないのでしょうか。
「シルバーベアは特定の巣穴を持つことはありません。
何故かというと、寝ている間も体毛は常に魔力を纏っているため、変わらず高い防御力を持っているからです。
寝込みを襲われたとしても、いきなり致命傷を受けることはほとんどありません」
なるほど、最初の一撃で致命傷を受けなければすぐに起きて反撃ができる。
自分の体毛の防御力に絶対の自信があるからこそ、彼らはああして無防備に眠ることができるわけですか。
「そうなりますね。これは年齢などに関係なく全ての個体に共通する特徴です。
敵に怯えて巣穴で眠るなど、王者にはふさわしくない……そう思っているのかも知れません」
冗談めかしてそう言葉を続ける博士。
実際にそこまで思っているかどうかは定かではありませんが、確かに弱点を丸出しにしたまま眠るムーンを見ていると、そういった矜持を持っているように思えてしまうのが不思議です。
森の王として君臨する、恐るべきモンスター……シルバーベア。
その剛腕と無類の防御力を誇る銀の体毛は、多くの人から畏怖されています。
ですがその生態は、恐れられている評判とは裏腹に妙に人間臭い一面も持っていました。
森林地帯から出てこないことから、私たちに直接被害を及ぼすことはないものの、その体毛の有用性から多くの人に求められているモンスターでもある彼ら。
その関係は、まるでアイドルを追いかけるファンの姿にも見えてきます。
寝ている時まで王者としての風格を漂わせるシルバーベア。
その威風堂々とした姿は、まさに森林地帯の頂点捕食者にふさわしいものでした。
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