第2回『平原の厄介者・ディグラビット』
この世界にはさまざまな生き物――モンスターが存在しています。山と見紛うほどに巨大なドラゴンをはじめとして、陸海空を問わず人間よりもはるかに広大な範囲に生息するモンスター達。
しかしその生態を知っている人は、意外と多くありません。私たちにとって身近な存在でありながら最も遠い存在。
そんなモンスター達の生態に、迫っていきましょう。
第2回はスライムと同じぐらい、我々が普段から目にするモンスターのディグラビット。
一般家庭にも食用肉として並ぶことが多く、スライムと同じように街道沿いの平原を動き回っているところを目にすることがあるでしょう。
我々が知る動物のウサギとは、見た目こそ似ていますがその生態は全く違っているディグラビット。
自分が良いと思った場所なら、コンクリートで舗装された道ですら穴を掘ってしまう彼ら。
その生態から、平原の厄介者としても知られています。
最近の研究では、そんな彼らの知られていない生態も明らかになってきました。
今まで知らなかったその生態に、今回は迫ってみたいと思います。
それでは世界モンスター紀行、はじまりです。
●世界モンスター紀行
第2回『平原の厄介者・ディグラビット』
今回の舞台は、前回と同じくトーキョーの周りに広がる平原。
他の街へと続く舗装された道路以外には、次元融合以前にあった建物の残骸以外、人工物は見当たりません。平原の奥には森が見えますが、今回の主役である牙ウサギが主に生息するのはその少し手前。
トーキョーから10kmほど離れた森と平原のちょうど中間地点に広がる、背の高い草が生い茂る地帯。彼らはその付近を拠点として広く生息しています。
このあたりの地面に目を向ければ――ありました。
直径40㎝ほどの少し大きめの穴が、周辺の地面のいたるところに空いています。あちこちに空いているこの穴こそ、ディグラビットの巣穴なのです。
体長はおおよそ40㎝、そして体の高さはその半分ほどで体重は平均して2㎏前後。
体の表面には地面と同じ茶色の体毛が生え、通常のウサギと同様長い耳も持っています。
見た目だけなら愛くるしいディグラビットですが、モンスターと呼ばれるだけあって、通常のウサギとは大きく違っている部分も数多く持っています。
「ディグラビットは、基本的に巣穴の中だけで生活をしています。
背の高い草が生えている地帯の近くに巣穴を掘るのは、あまり巣穴から離れずに餌を集めるためですね」
解説をしてくれるのは、前回と同じくレナード博士。
博士は我々の生活に特に関わりの深いモンスターを研究しています。ディグラビットもまた、食肉として我々の生活に深く結びついているため、こうしてまた解説をお願いしました。
「ディグラビットの特徴として、あまり知能が高くないというものが挙げられます。
実は彼ら、非常に記憶力が低いモンスターとして、我々研究者の間では有名なんですよ」
あまり記憶力が無いからこそ、巣穴から離れることができないディグラビット。
時折街道でウロウロしている個体は、巣穴の位置を忘れてしまって帰れなくなっている個体らしいです。
だからこそ、巣穴の位置を忘れないように――そして忘れてもすぐに判別できるよう、えさ場の近くを好んで巣穴の場所として選んでいるのでしょう。
ちなみに記憶力だけでなく、ほぼ暗い地中にいることで視力もあまり良くありません。
そのため、余計に道に迷うことが多く巣穴に戻れなくなる個体は意外と多いようです。
「巣穴の横にいるのに、位置を忘れて別の場所に新しい巣穴を掘る個体もいます。
まあ、そのせいで平原のあちこちに穴ができてしまい、落とし穴のようになっているのですが……」
そう。ディグラビットが『平原の厄介者』と呼ばれる最大の理由は、彼らのこの習性にあります。
地面に巣穴を掘るディグラビットは、それこそ適していると思ったならどこでも穴を掘り始めてしまいます。それはこういった平原の地面はもちろん、コンクリートで舗装された道路も共通です。
体が大きい分穴も大きいため、人の足はもちろん車のタイヤなどもハマってしまう危険があります。
この穴が原因で怪我をする人は後を絶ちません。探索者の中には、戦闘中にディグラビットの穴に足を取られて、それが原因となって命を落とす人も多くいます。
穴を掘って巣穴の中に住む。
この習性と記憶力の低さ、この両方が原因でもたらされる穴害。
平原においてもっとも嫌われているというのも、納得できるのではないでしょうか。
「ディグラビットの習性は知られていますが、明らかに生息数よりも多く穴が掘られていることは、気づいている人は意外と少ないんですよ。そういうモンスターだから穴を掘っている、と思ってしまうんでしょうね」
確かに取材班も、博士に解説してもらうまでディグラビットが穴を掘るのは、そういう習性だと思い込んでいました。
まさか自分の巣穴を忘れてしまい、そのせいで別の場所に巣穴を掘ろうとしていたとは驚きです。
さて、そんな話をしている間に巣穴の一つからディグラビットが出てきました。
まずは掘った巣穴から耳だけを出し、周囲の音を伺います。
「彼らの聴覚は、通常のウサギよりも強化されています。通常のウサギが3kmほど先の音まで聞こえるのに対し、ディグラビットの耳は集中すれば5km先まで聞こえると言われています。
視覚に頼れないからこそ、聴覚がより強化されたのではないでしょうか」
ディグラビットを主食としているモンスターは多く、彼らはそういった天敵の接近をいち早く察知するため、聴覚を更に強化するように進化しました。
さらに、強化された聴覚は草が風に揺れる音も逃しません。
もし巣穴の近くに餌が無い場合、そういった音を頼りに餌を探すのだそうです。
「ただ、聴覚の良さは彼らにとってメリットばかりではありません」
ディグラビットを狩猟する場合、必ずと言っていいほどに使われる方法があります。
それがバインドボイスというスキルを使うことです。このスキルは、大きな声を出して相手を一瞬怯ませることを目的として使われるものですが、ディグラビットには必殺のスキルとなります。
「耳がいいからこそ、大きな音も普通以上に聞こえてしまい、気絶してしまうんです。
中には驚きすぎて死亡する個体もいるくらいですよ」
聴覚を強くするように進化したからこそのデメリット。
彼らにとって耳が良いということは、必ずしもプラスに働くだけとは限らないようです。
そういった彼らの聴覚事情はともかく。穴の中から出てこようとしているディグラビットは怯える様子はなく、耳に続いて顔をのぞかせます。
周囲を伺うように出した頭をせわしなく動かしていますが、これは決して周囲を観察しているわけではありません。
ディグラビットの視力は、真っ暗な巣穴の中にいるせいもあって決して良くはありません。
人間でいうなら、近眼の人の視界を想像して貰えれば、おおよそイメージできるでしょう。
ですから、今こうして巣穴から顔をのぞかせて辺りを見回しているのは、昼か夜かを判別するためなのです。
「彼らは基本的に夜は眠り、昼間に活動をするモンスターです。
巣穴が暗いので、夜の方が活動しやすいのではと思われがちですが、実際には暗くて視界が悪いと巣穴の位置はもちろん、自分の現在位置さえ分からなくなってしまいます」
これは何もディグラビットの知能が低かったり、目が悪かったりということだけが原因ではありません。
我々人間でも、真っ暗な夜に動き回れば自分がどこにいるのかさえ見失ってしまいます。
ディグラビットもそれは同じ……いえ、聴覚を頼りに動くことが多いからこそ、夜の闇は大きな敵になってきます。
「夜は昼に比べて視界が悪いだけでなく、夜行性のモンスターも活動していますからね。
視界がそこまで頼りにならず、音だけで判別しなくてはいけない以上、ああして昼夜を確認し、夜ならまた巣穴に戻っていくんです」
そうして解説をして貰っているうちに、昼であり安全だと判断したのかディグラビットが巣穴から這い出てきます。
やはり目立つのは後ろ脚に負けずとも劣らない、太く逞しい前足。
巣穴として深い穴を掘ることが多い彼らの前足は、素早く移動するための後ろ足と同じほどに筋肉が発達し、穴掘りに特化した形へと進化してきました。
さらに我々の目を引くのは、その前足から伸びる10㎝ほどの長さを持つかぎ爪。
しかしかぎ爪状になっているのは外側だけで、内側は空洞になっています。我々が知っている道具に例えるなら、シャベルの両端を折り曲げた形、といえば想像しやすいでしょうか。
「彼らの爪がこういった特殊な形状をしているのは、土を掘りやすくするためだけではありません。
もう一つの理由として、爪を収納しやすくなるためというものもあるんですよ」
大きな個体でも体長が40㎝ほどまでしか届かないディグラビット。
そんな彼らにとって、10㎝以上の爪を出したままにしておくというのは、どうしても巣穴での生活や移動の邪魔になってしまいます。
だからこそ彼らは普段爪を前足の中に収納して、過ごしやすくなるようにしているのです。
ですが、その際に太く鋭い爪では収納できなかったり、前足の中を傷つけてしまう危険もあります。
そうならないよう、彼らは爪の中身を空洞にし、前足の指に被るようにして収納しやすくするようにしました。
こうすることですぐに収納することができ、収納中や足の指を保護してくれるケース代わりにもなるのです。
「それから、爪の中が空洞になっているからこそ攻撃力も高くなっているんです。
少しでも引っかければ、空洞部分に相手の肉を巻き込んでごっそりと削り取ることができますからね」
脅かすように言う博士に、取材班は顔を青くします。実際のところ、ディグラビットは掘った穴による被害だけでなく、その爪によって多くの探索者や街の住人に被害をもたらしている存在でもあります。
どのような硬い地面でも掘ることができるよう発達した強力な前足と、コンクリートさえも掘り抜く強度を持った爪。
そんなディグラビットの前足による攻撃は、厚さ3㎝の鉄板ですらいとも容易く切り裂いてしまいます。
気付いた瞬間には足を切り裂かれてしまい、その場から動けなくなって失血死してしまった、という探索者の事例も後を絶ちません。
「質が悪いのは、ディグラビットによる被害の多くが穴に足が落ちてしまった時のものという点です」
平原のあちこちに空いているディグラビットの巣穴。
この巣穴に足を取られてしまうと、ディグラビットが巣穴の内外どちらにいようと敵と判断され、その鋭いかぎ爪の餌食になってしまうのです。
これは、探索者だけでなく農村部では大人子供と問わずに被害が続出している問題でもあります。
「これもまた、彼らが平原の厄介者と呼ばれる所以でしょうね」
ただ穴を掘るだけでなく、それに付随する深刻な被害も及ぼすモンスター。
カメラの前で長く立った耳を動かし、あたりを観察している見た目こそ愛らしいディグラビット。しかしその実態は、見た目の愛らしさとは真逆の厄介さを持ったモンスターなのです。
◇◇◇◇◇
「さて、では家主のいない間に巣穴に侵入してみましょうか」
先ほどのディグラビットが出てきた巣穴。それがどういう構造になっているのか、知っている人は少ないのではないでしょうか。
今回は特別に用意したカメラを使い、この巣穴の中を覗いてみましょう。
巣穴の中へと侵入するのは魔力球カメラ。
名前の通り、直径10㎝ほどの円形をしたカメラです。これは望遠の魔法を球状の形に固定したもので、ここから入ってきた映像を受信側の魔力球カメラで受け取り、映像として出力する仕組みになっています。
「とはいっても、彼らの巣穴はとてもシンプルな構造です。
普通のウサギに比べると体が大きいですから、あまり複雑な構造にすると移動が大変になってしまうんです」
博士の言う通り、巣穴の入り口から入ってまず見えたのは縦長の穴。
おおおよそ50㎝ほど地面から直角になるように掘られたこの穴は、ディグラビットにとって出入口用の通路となっています。似たような生態を持つアナウサギは、横方向や斜め下方向へと穴を掘りますが、ディグラビットは真下へと掘る習性を持っているのです。
そして真下へと掘られた穴の途中――おおよそ地面から30㎝ほどの地点に、今度は横へと続く穴が見つかりました。
こちらの穴が、ディグラビットが生活する真の意味での『巣穴』へと繋がる通路です。
「こういった形にしているのは、さまざまなトラブルから身を守るためです。
横方向ではなく真下に掘ることで、敵を穴に落として身動きを取れなくする、そして自分の生活空間は途中から分岐させておけば敵に襲われる心配も少なくなりますからね」
さらに、途中から分岐させることにも意味があります。
「こうして真下に掘っている以上、大雨が降れば底の部分には水が溜まってしまいます。
そうなった時に、途中から分岐させておくことで生活空間が水没することを防いでいるんです」
自分を襲う敵と自然への対処。
巣穴の位置を忘れてしまうような彼らが作ったとは思えない、しっかりとした理由のもとに設計されています。
彼らの生活空間を覗き見る前に、この巣穴についても少し詳しく話をしておく必要があります。
「彼らは進化した前足と、空洞になっている爪を上手に使うことで、これだけの穴を掘っています。
そして驚くべきなのはその際に出てくる土の使い道です」
そう。ディグラビットの巣穴はかなりの規模になりますが、巣穴の周辺には穴を掘った際に出るだろう土は見当たりません。これだけの穴を掘るのですから、その際に出てくる土もかなりの量になると思うのですが……。
彼らが掘った穴の周辺には、それらしい土砂は見当たりません。
これはこの巣穴が古いからというわけではなく、ディグラビットが掘ったばかりの巣穴でも同様です。
なぜ彼らの巣穴周辺には、掘った際に出るはずの土が無いのか。
その答えは、巣穴の壁をよく見ることで解決できました。
「巣穴の壁を見てみると、非常に滑らかな状態になっていますよね?
これ、実はディグラビットが土で補強しているからなんです。彼らは前足で掘った土を地上に放り出すのではなく、後ろ足を器用に使って壁の補強をするんですよ」
博士の説明では、ディグラビットは円を描くように動きながら穴を掘るそうです。
まんべんなく壁を補強するためにそういった動きになるようで、できあがった巣穴の壁は今カメラに映っているように、滑らかかつ頑丈な壁となります。
こうすることで、雨に塗れても崩れにくい巣穴を作り上げるのです。
「この壁は非常に滑らかで、獲物が落ちた際に登れないようにする役割も持っています。
自分の安全を確保することに関して、ディグラビットはとても高い知能を見せつけてくれるんです」
巣穴を見失ってしまう知能の低さを持つ一方で、驚くほど用意周到な面も持っているディグラビット。
自然の中で生きるからこそ、身の安全に関する部分に知能を傾けているのでしょう。
「まあ、それでもすべての土を壁の補強に使うわけではありません。
さすがに掘った土を全部使っていたら、壁が分厚くなりすぎて通れなくなってしまいますからね」
確かに掘った土で壁を補強するにしても、全部を使えばただ掘った穴を埋めなおすことにしかなりません。
では残った土はどうしているのでしょうか……。
「その答えを知るために、いよいよ彼らの生活する空間へ進んでみましょう」
カメラが進んだ先には、草が敷き詰められた空間が広がっていました。
広さは外に出ているディグラビットよりも、一回り大きい程度でしょうか。お世辞にも広いとは言えませんが、彼らが普段はジッとしているだけということを考えると、十分な空間です。
「ディグラビットが外で採取してきた草を敷き詰めているのは、ジッとしていながらでも食べることができるからです。
単純に面倒くさがっていると思われがちですが、研究者の間では下手に食糧庫を作ったとしても、記憶力の低さから覚えていられないのが原因だろうと言われています」
なるほど、確かに出てきたばかりの巣穴を忘れてしまう可能性がある記憶力では、食糧庫を作っても忘れてしまう可能性は否定しきれません。
そのたびに巣穴のあちこちを探していては、非効率すぎます。
地面に敷き詰めておけば、それこそいつでも好きな時に食べることができます。
「ただ、そんな彼らでもトイレだけはしっかりと専用の穴を掘っています。ほら、ここですよ」
カメラの先……生活空間の一番奥の場所にもうひとつ、小さい穴が見えます。
カメラを近づけてみると、そこには更に下まで掘られた穴と、ディグラビットの糞。さすがにそのあたりに適当にしているわけではないようです。
ですが、彼らの記憶力ではこのトイレの場所も忘れてしまうのでは?
「それがどういうことか、彼らはトイレの場所だけは忘れないんです。今まで何十匹も観察をしてきましたが、彼らは一度たりともトイレの場所を忘れたり、間違うことはありませんでした」
これは驚きです。
彼らにとっては、巣穴の位置よりもトイレの位置というのは重要度が高いのでしょうか。それこそ、巣穴の作り方と同じくらいに。
「まさかそんなことはないですよ。実際には、臭いで判別しているのでしょう。
彼らの糞はほぼ無臭ですが、こういった密閉された空間で同じ場所に糞が重なっていけば、それなりに臭いもするでしょうから」
言われてみれば確かにそうです。
出入口しか通気口が無い場所で、同じ場所に糞をし続ければ臭いも強くなっていくでしょう。
視界や記憶が頼りにならなくとも、臭いがすればそこがトイレだと分かるのは当然です。
「さて、それでは先ほどの答え……掘った土の残りをどうしているのか見てみましょう」
博士の言葉と一緒に、カメラがトイレとは逆方向にある入口を映します。するとどうでしょう。
入口の横には、山盛りになった土があるではありませんか。
「これが残った土の行方です。彼らはこうして入口の横に土を保存しておき、身を守る際に入り口を塞ぐのに使ったり、巣穴の壁が崩れてきた時には随時補修を行っているんです」
土を捨ててしまうのではなく、しっかりと保存して随時必要な場面で使っていく。ディグラビットがたびたび見せる賢さと、我々が聞いた知能の低い面のギャップには驚かされるばかりです。
しかし博士は驚く我々を見ながら苦笑して言葉を続けました。
「まあ、ここだけ聞くと非常に賢そうに思えるんですが。ディグラビットは危険を感じて巣穴を閉じたら最後、どこが埋めた場所なのかを忘れてしまって、適当に上へと穴を掘って現在の巣穴を放棄し、新しい巣穴を掘りに行くんです」
我々の口から思わず落胆の声が漏れました。賢いと思ったのに、まさか巣穴を忘れるのと同じ理屈で、自分の家を捨てることになるのが確定しているとは。
身の危険に対してはとても賢くなる代わりに、それ以外の部分は抜けているというか、無頓着になるディグラビット。
この二面性も、彼らの大きな特徴となるのでしょう。
◇◇◇◇◇
巣穴を観察し終えた我々は、魔力球カメラを消滅させて、巣穴の主であるディグラビットへと視点を戻しました。
今は危険を感じていないのか、目を眩しそうに細めて日の光を浴びながら、のんびりと周りにある草を集めています。
我々のいる場所は遮音魔法で音が聞こえないようにしていますし、何よりその場所から2kmは離れているので、見つかる心配もありません。
とはいえ日中の平原なら、スケイルウルフや探索者など、数多くの敵の足音が聞こえていそうなものです。
だというのに、臆病なはずのディグラビットがなぜこうも落ち着いているのでしょうか。
「自分の方向へ近づいてくる足音が聞こえていないからでしょうね。
彼らにとって音は生命線です。我々が目で安全を確認するように、彼らは音で危険かどうか判断しているんです」
臆病なディグラビットは、聞こえてくる無数の物音を細かく判別しています。
自分の方向に近づいているのかどうか、距離はどのくらいなのか、餌を探しながらもそういった自衛に繋がる情報は決して逃しません。
「彼らが外に出ている時間は、それほど長くはありません。
草の根元を嚙みちぎって集めるだけですからね。時間がかかったとしても、せいぜい5分くらいでしょうか」
意外なことに、ディグラビットは草を根元から掘り返すことはしません。
これもまた彼らにとって大切な、自衛に繋がる要素なのです。
「彼らが背の高い草がある地域に好んで巣穴を作るのは、食糧が近いからというのがひとつではあります。
しかしもうひとつ、草の中に自分が隠れることができるからという理由もあるんです」
ディグラビットにとって食糧である草は、同時に姿を隠してくれる防壁の役目も持っています。
ですから、根元から掘ってしまっては周囲の草がどんどん無くなり、最終的には巣穴を放棄しなくてはいけなくなるでしょう。そうならないために、彼らはこうして丁寧に草を噛みちぎって持ち帰るのです。
「巣穴を忘れてしまうから意味が無いと思うでしょう?
でも、彼らは自分だけでなく、他の個体のことも考えてこういった行動をしているんですよ」
ディグラビットは単独で行動をするモンスターです。
ですが同じ地域に複数の個体が暮らしているので、連帯感は強いとのこと。草が無くなっていけば、自分だけではなく周囲に住んでいる他の個体にも食糧不足や、隠れ場所の減少といった迷惑がかかってしまいます。
そういった考えも、彼らが草を根元から掘り返さない理由となっています。
そうしている間に齧り取った草をまとめて前足で抱えるディグラビット。
彼らの発達した前足は、穴を掘るだけでなくこうして餌を運ぶ時にも使われます。今、こうして観察しているディグラビットも、器用に餌を抱えたまま巣穴の中へと戻っていきました。
しかし、先ほど巣穴の中を見た限りではまだまだ餌はあったように思えます。
なのになぜ、こうしてまた餌を集めるのでしょうか。
「単純に鮮度の問題ですね。時間が経つと傷んでしまったり、腐ってしまったりします。
そういった草を間違って食べないよう、定期的に草の入れ替えをしているんですよ。ほら」
促されて巣穴を見れば、先ほど潜っていったディグラビットが草を抱えて顔を出しました。
抱えられている草は、確かに先ほど持ち帰った草に比べると色も悪く萎びています。
「ああいった古い草と、先ほどの新しい草を定期的に入れ替えることで、安心して餌を食べられます。
それに彼らは餌の上で暮らしていますからね。草の入れ替えは巣穴の清潔さを保つためにも必要なことなんですよ」
草の入れ替え期間はおおよそ2週間から3週間。
この期間を長いと見るか、短いと見るかは人によって分かれるでしょう。しかしモンスターもまた、私たちと同じように清潔を気にする部分を持っているのです。
まあ、そもそも餌の上で暮らさなければいいのではとも思いますが、それは言わないお約束でしょう。
そうこうしている間に、ディグラビットは地上と巣穴を何度か往復して、古くなった草を巣穴の周辺に放り投げました。
こうして放り投げられた草もまた、彼らの巣穴を隠すカモフラージュになっています。
最後に草を放り投げたあと、それで入れ替えが終わったのかディグラビットが再び顔を出すことはありませんでした。
博士が言うには、おそらくこの後2週間は地上に出てこないだろうとのこと。
それを聞いて、我々取材班は今回の観察を終えることにしました。
◇◇◇◇◇
平原の厄介者、ディグラビット。
彼らが厄介者と呼ばれる主な理由は、すでに説明した通りその巣穴にあります。
しかしもうひとつ、彼らが厄介者と嫌われる理由があるのです。
「ディグラビットは主に草を食料としているため、草食性のモンスターだと思われがちです。
しかし実際は雑食性で、草でなくとも何でも食べることができるんですよ」
そう。ディグラビットはもともと雑食性であり、肉でも食べることが可能です。
基本的に臆病な性格であり、草を食べていれば十分に生活できるため積極的に他の動物を襲うことはありませんが、例外となる時期があります。
それが、草などが枯れてしまう冬。
主食である草が無くなってしまうため、彼らは食糧を求めて他の動物を襲い始めます。
「彼らは――というよりも、モンスターは基本的に冬眠をしません。
ディグラビットも当然冬眠はしませんから、集めやすい草が無くなれば他の動物をターゲットにします」
冬場のディグラビットが厄介だと言われる所以は、獲物を狩ることができるよう集団で行動し始める点にあります。
単体で見れば、爪が脅威ではありますが決して強いとは言えないディグラビット。しかし集団で行動するとなると、話は大きく違ってきます。
当たれば致命傷を負いかねない爪が、縦横無尽に襲い掛かってくるわけですからね。
「狩りをする際のディグラビットは、最大で20匹程度で行動します。
集団で襲われてしまえば、スケイルウルフでさえ相手にならないでしょう」
平原においては絶対王者とも言われるスケイルウルフ。それすら狩りの対象としてしまう、冬のディグラビット。
もちろん我々人間も例外ではありません。実際、冬場にディグラビットの犠牲となる探索者の数は、それこそ1年でモンスターの犠牲になる探索者全体の、実に10分の1を占めています。
「知能の低い彼らは、数で襲って狩猟を行います。単純な物量だからこそ対処方法も少なく、突然襲われれば逃げることも困難でしょう。
普段は巣穴による被害が、そして冬になれば実際に襲われる被害をもたらす。
これこそ、彼らが平原の厄介者として嫌われる大きな理由なんです」
巣穴と襲撃、常に何かしらの被害をもたらすディグラビット。
なるほど確かに、厄介者と言われるにふさわしい存在です。
しかし、そんな彼らもまた、私たちの生活には欠かせないモンスターでもあります。
皆さんもレストランなどの場所で、ディグラビットの肉を食べたことがあるのではないでしょうか。ディグラビットの肉は非常に美味で、捕獲するのも難しくないことから食肉用のモンスターとして重宝されています。
「バインドボイスで気絶させ、暴れると危険な前足を切り落としておく。
これだけで簡単に捕獲できるディグラビットの肉は、安価で購入できる肉として多く市場に出回っています」
ちなみにディグラビットの肉は、高級な牛肉や豚肉とそん色のない味でありながら、それこそスーパーに並ぶ肉と同じか少し高いくらいの価格で購入することができます。
そのため、ディグラビットの狩猟を専門とする探索者も存在します。
もちろん買取価格も低めですが、ローリスクでありながらリターンはそこそこと、メリットの方が大きいのです。
「安定して手に入ることはありませんが、それでも手に入りやすい美味しい肉なのは事実です。
まあ、いろいろと迷惑をかけられていますから、そのくらいは役に立ってくれていいかもしれませんね」
苦笑しながらそう結んだ博士の言葉に、我々取材班も同じく苦笑しながら頷きを返しました。
さまざまな被害をもたらす厄介者でありながら、一方で探索者と私たち一般人両方にとって、収入と美味しい肉というメリットももたらすディグラビット。
彼らは今日も、そんな自分たちの評価など気にせず穴の中で暮らしています。
巣穴に無頓着な一方、自分の命に関わることには驚くほど賢い一面を持つ彼ら。
愛らしい見た目の一方で、凶悪な爪と集団で獲物を襲うという一面さえ持っています。
ディグラビットの持つ二面性は、モンスターの中でもかなりギャップの激しい部類に入るでしょう。
もしかしたら彼らは、そんな二面性すら自分の武器としているのかもしれません。
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