世界モンスター紀行
ラモン
第1回『平原の掃除屋・スライム』
この世界にはさまざまな生き物――モンスターが存在しています。山と見紛うほどに巨大なドラゴンをはじめとして、陸海空を問わず人間よりもはるかに広大な範囲に生息するモンスター達。
しかしその生態を知っている人は、意外と多くありません。私たちにとって身近な存在でありながら最も遠い存在。
そんなモンスター達の生態に、迫っていきましょう。
第一回はこの世界において、もっともポピュラーな存在であるスライム。
探索者にとってはおそらく最初に相対する存在であり、一般人であっても街と街をつなぐ街道を通っている間に何度も見かけるであろうモンスター。このスライム、実はとても面白い生態を持っているのです。
しかしこのスライムがどういった生き物なのか、知っている人は少ないのではないでしょうか。
私たち取材班は今回、モンスター生態研究の第一人者として知られているレナード博士と共に、スライムの生態に迫ることにしました。それでは、良く見かけるのに意外と知られていないスライム。その驚きの生態を紹介していきましょう。
●世界モンスター紀行
第1回『平原の掃除屋・スライム』
日々多くの人が行きかう首都、トーキョー。
街を囲む背の高い壁に備えられた門から出て、すぐ目に入るのは大きな平原。
街からはコンクリートの道が続いていますが、それ以外にはどこまでも広がる平原と、奥の方に見える森、そしてその中に埋もれている高層ビルの残骸ばかりです。
そしてこの平原こそ、今日の目的であるスライムが多く生息する場所でもあるのです。
我々と博士は門の前で待ち合わせ、合流してから早速今日観察するスライムを探し始めます。
しかしわざわざ探さずとも、ものの数分で我々はスライムを見つけることができました。
「あ、いましたね」
博士が指さす我々の右斜め前方、そこにはゆっくりと地面をはいずるスライムの姿が。
見慣れた姿ではありますが、やはり最初に目を引くのは意外と大きなその体。私たち成人男性の腰まで届く大きな体は、初めて見た人であればなかなか威圧感を覚えるでしょう。
ちなみに今私たちの目の前にいるスライムは、実は正式名ではありません。
正式名はブルースライム、ぶよぶよの体の中心に位置する、人の頭ほどもある大きな青い核がその由来です。
「今日は観察が目的ですから、こちらを持っていてください」
そういって博士から我々取材班に手渡されたものは、魔力遮断の効果を持つ護符。
スライムは魔力を捕食する性質を持っているため、魔力を持っている人間が近づくとこちらに気付かれてしまうのです。
これは一般の人にも広く知られている知識で、街道を移動する時には誰もがこの魔力遮断の護符を持ち歩いています。スライムは油断さえしなければ子供でも勝てるモンスターですが、観察が目的である以上気づかれて戦闘になることは避けなくてはいけません。
我々取材班も護符をしっかりと身に付け、スライムの後を追います。
といっても、スライムの移動速度は非常に遅く、我々が普通に歩いているだけですぐに追いつくことができました。
護符のおかげで気付かれることはありませんが、万が一の危険を考えてある程度距離を置いて観察することに。
「まずは、スライムについて意外と知られていない話をひとつしましょうか」
ゆっくりと移動をしているスライムを目で追いかけながら、博士はそう切り出して話し始めました。
「実はスライムの本体は、中心にある核のみなんです。
周りの部分は、空気中の水分や水辺などから、水を吸収した後で粘液に変換して身にまとっているんです。
この粘液の部分は、我々の間では外殻と呼ばれています」
なんと、スライムのぶよぶよしている部分は私たちで言うところの服のような役割だというのです。
確かにスライムを倒す時は、核を傷つけなければいけないということは、広く知られています。まさかその理由が、核だけが本体だったからというのは驚きです。
しかし、服のような役割を持っているならば、外殻と呼ばれる粘液部分はいくら傷つけても意味がないということなのでしょうか。
「その通りです。
外殻はスライムが魔力を持っている限り、吹き飛ばされてもすぐにまた引き寄せることができます。さらに水分が近くにあれば、そこから吸収して瞬時に回復することもできるんです。
ですから、打撃武器でどれだけ外殻を吹き飛ばしても意味はありません。
そういった理由もあって、対スライム戦では槍や剣などの武器が好ましいとされているんですね」
探索者に限らず、一般の人にも知られているスライムとの戦闘で守るべき基本的な知識。
それに科学的に説明されている理由があったというのは驚きです。知らないことはないと思っていただけに、スライムに関するこれらの知識は新鮮なものでした。
「スライムの核は、彼らにとっては脳であり、魔力の貯蔵と探知両方の役目も持った非常に重要な器官です。
ですから核を衝撃から守るために、柔軟で耐久力のあるああいった外殻を選んだのだろうと言われています。鱗などを付けたスライムが確認されていないことからも、この説は現在もっとも有力視されている説ですね」
スライムの魔力探知範囲はとても広く、自分を中心に半径1km以内ならば感知することができるようです。
しかも探知する精度も高いため、はるか遠くにある魔力の位置はもちろん、その魔力が生き物なのかそれ以外なのかまで判別することができるとのこと。
スライムについて初めて知る情報の数々に、我々は驚くばかりです。
「外殻を動かして移動するには、繊細な魔力操作術を要求されます。その一点においては、熟練の探索者よりもスライムの方が圧倒的に上の技術を持っているでしょうね。」
博士の言う通り、成人男性と同じくらい大きな水の塊を動かすのはとても大変です。経験豊富なマジックユーザーでも、地面を這いずるように移動させるのは難しいでしょう。
モンスターの中ではもっとも弱いとされているスライムですが、その魔力操作の腕前は、私たち人間よりも優れているのかもしれません。
「ほらここ、触ってみてください。粘液の外殻を持った彼らが通った後なのに、草も地面も濡れていないでしょう?
これも、地面と擦れてこぼれた外殻を瞬時に吸収し直しているからなんですよ」
博士の言う通り、スライムが通った後には水滴一粒すら落ちていません。まるで何もなかったかのように、乾いた草が倒されているばかりです。
言われてみれば、外殻が水で作られているのにスライムが通った後が水浸しになっていた記憶は取材班にもありません。
そうして感心していた取材班でしたが、ふとスライムが通った後の草は、周辺の草に比べて弱っていることに気付きました。周りの草は青々としているのに、スライムが通ったあたりの草はやや萎びてしまっているのです。
後ろを振り返ってみると、スライムが取ってきた道のりと同じ場所の草が全て同じような状態になっています。
これは、もしかしてスライムが原因なのでしょうか?
「その通りです」
博士に尋ねてみると、大きく頷いてから博士が説明をしてくれました。
「スライムは魔力を吸収する性質があるということは、よく知られています。
それは一定のタイミングでというわけではなく、常に周辺から少しずつ魔力を吸収し続けているんです」
なるほど、つまりスライムは移動しながらでも魔力を吸収しているということになります。
魔力はすべての生物にとってエネルギーとなっています。スライムが移動した場所の草は、常に魔力を吸収するというスライムの特徴によって、魔力を吸収されて少し元気がなくなってしまったのでしょう。
「これは、彼らが“魔力結合生物”と呼ばれる存在だからこその特徴です。
魔力が集まって核を形作っているから、その形を保つために外から魔力を吸収しなくてはいけないんですね」
この世界のモンスターは、大きく3種類に区分することができます。
高濃度の魔力が集まって質量を持った“魔力結合生物”。
魔力が特定の何かに一定以上集まることで、姿形を変化させ生まれる“魔力融合生物”。
そして、魔力が私たち人間の想像力を糧として姿を具現化させた“魔力具現化生物”。
「魔力結合生物は、他種類のモンスターに比べると魔力の消耗が激しい傾向にあります。これは姿を形成する以外にも、移動や攻撃といった行動全てで魔力を消耗してしまうせいです。
だから、スライムは足を止めて特定の魔力を捕食するだけではなく、移動をしながらでも常に周辺から魔力を少しずつ吸収して効率的に魔力吸収を行うよう進化したんですね」
驚きです。スライムの性質は知っていましたが、まさかそれが捕食によるものだけでなく、常に吸収し続けているとは思いもしませんでした。
そこで我々取材班は、スライムの大量発生によって王国西部にあった土地が枯れてしまい、人が住めなくなったという事件を思い出しました。
数年前に起きたこの事件、当初はスライムによって生態系が崩れたことが原因と言われていましたが、実際は博士が言ったように大量発生したスライムが土地の魔力を吸い尽くしたことが原因だったのです。
「スライムは外殻を通して魔力を吸収しています。ですがあの巨体を形成する必要があるために、外殻を通して吸収し核へと貯蔵する量よりも、消費する量の方が多くなってしまっているんですね。
そのため、スライムは常に魔力飢餓の状態にあり、移動しながらでも魔力を吸収し続けなくてはいけないんです」
外殻を通して魔力を効率よく吸収するため、そして外敵から襲われにくくするために外殻を大きくして体積を増やすことにしたスライム。
しかし、そのせいで逆に魔力の消費量が上がってしまい、魔力欠乏状態に拍車がかかるという皮肉な結果になってしまいました。ですが、スライムとしては今の状態がベストなようで、研究が始まってからスライムの生態が変わったという報告はありません。
「まあ、消費量と均衡するくらいには効率よく魔力を吸収できていますし、外殻によって他のモンスターからの攻撃を防げているのは事実ですからね」
博士が言うには、スライムは理論上無限に魔力を吸収することが可能なのだそうです。
吸収した瞬間から外殻形成や移動で消費されてしまうので、いくら吸収しても核が満タンになることはほぼありません。仮に核の許容量をオーバーしたとしても、外殻をさらに大きくすればいいわけです。
ですから吸収量に限界というものがなく、大量発生してしまうとその土地の魔力が枯れるまで、永遠に吸い続けてしまうというのです。
常識として知られていますが、草木や我々人間を含めた動物もまた、大地から魔力を少しずつ吸収することで成長し、生きていくことができるのです。
スライムは、その生命のサイクルを大きく乱す存在でもあるようです。
スライムが最優先処理モンスターとして、各都市で指定されている理由がわかってきました。
強さ弱さの問題ではなく、大量に発生した彼らは我々の命を脅かす存在となり得るのです。
「とはいえ、大量発生が起きない限りはそこまで大きな害はありません。
彼らは常に移動をしていますから、一ヵ所の土地が持つ魔力が枯れるまで吸い尽くすことはまずないですからね。
この草も、放っておけばまた土地から魔力を吸収して元気になりますよ」
スライムの恐ろしさに戦慄する取材班に向かって、博士は苦笑しながらそう説明してくれました。
それを聞いてホッと胸をなでおろす我々取材班。博士が言うには、スライム1匹が常に吸収している魔力の量は、身体を維持するために必要な最低限のもので、土地に影響がでるほどではないとのこと。
それこそ、数万匹単位での大量発生でも起きない限りは、その日のうちに魔力も戻ってくるのだそうです。
「おっと、話をしているうちに随分遠くに移動していますね。追いかけましょうか」
気付けば、最初に見つけたスライムは小さく見えるほどに離れた場所を移動しています。
博士と共に立ち上がった取材班は、のそのそと這いずるスライムの後をゆっくりと追いかけるのでした。
◇◇◇◇◇
スライムを追いかけてしばらく経った頃。
我々取材班の目の前を這いずって移動していたスライムが、一瞬止まってあたりを伺うような動きをした後、突然今までとは違う方向へと飛び跳ねて移動を始めたのです。
「これは……急いで追いかけましょう」
その様子を見た博士が、我々取材班にそう告げるのと同時にスライムの後を追いかけだしました。
我々もあわててスライムの後を追いかけますが、飛び跳ねて移動するスライムは思っていた以上の速度で移動していきます。その速度は、我々大人であっても小走りで追いかけなくては遅れてしまうほどです。
「意外と思うでしょうが、魔力の消費を考えなければスライムは結構な速度で走ることができるんです。
今まで確認された中で最速のスライムは、馬と同じ速度で移動したらしいですよ」
スライムを追いかけながら、博士はそんな解説をしてくれました。馬と同じ速度で走るスライムというのはさすがに想像しにくいですが、実際に目の前を跳ねて移動するスライムを見れば、あながち嘘とも思えません。
しかし、なぜスライムは急に素早い移動を始めたのでしょうか。
まさか我々に気づかれてしまったのか、そう思ったのですが――。
「いえ、おそらく食糧を感知したんだと思います」
食糧という言葉に、我々はピンとこずに首をかしげます。
魔力を吸収して生きているスライムが、食べ物が必要となる姿が想像できなかったからです。
「それは誤解ですよ。食事というのはモンスターにとって、もっとも効率よく魔力を吸収する手段のひとつです。
魔力を宿している物を食べることで、宿す魔力を直接吸収することができますからね」
モンスターが人間を襲って食べるのも、食べて腹を満たすというだけでなく、魔力を吸収する目的も含まれているのだそうです。スライムだけでなく、これはあらゆるモンスター共通の目的だと言われています。
つまりスライムにとっても、何かを食べるという行為は、魔力を吸収する行為とイコールになるわけです。
「特に魔力に乏しい平原で生きるスライムにとって、食事による魔力吸収は最優先すべき行動です。
だからこそ、獲物を奪われないように急いで移動を始めたんでしょう。あ、ほら……見えてきましたよ」
博士がそう言って指さした先には、ボロボロになったスケイルウルフの死骸がありました。
他のモンスターに襲われたのでしょう、あちこちに傷があり、手足はもげて無くなってしまっています。しかも死んでまだ時間が経っていないのか、その体からは固まっていない血が流れたままです。
「え? ああ、獲物と聞いていたから他のモンスターを襲うと思いましたか?
残念ですが、スライムが他の動物やモンスターを積極的に襲うことはまずありません。なにせ戦闘能力が皆無ですから、返り討ちに遭うのはスライム自身もよくわかっています」
確かにスライムは子供でも油断しなければ勝てると言われるほど、弱いモンスターとして有名です。
体当たりくらいしか攻撃手段がなく、移動も遅いのでよほどのことが無ければ負けることの方が難しいでしょう。なるほど、そう考えれば食糧が他の動物の死骸というのは納得ですね。
「スライムの魔力感知能力が高いことは先ほど言いましたが、死骸の魔力を感知したんでしょう。
私たち人間にはわかりませんが、スライムには死骸特有の魔力も分かるようです。
スライムを使って実験した記録には、動物の死骸と、生きている動物を並べた時には、100%死骸の方に向かっていったそうですよ」
魔力探知によって生死すら判別できると言われていたスライム。
我々はそれを半分眉唾物だと思っていましたが、実際にはしっかりとした実験結果が出ていました。今日だけでも、我々はスライムに持っていたイメージが一新されていくことを感じます。
「スライムにとって、モンスターや動物の死骸というのはご馳走です。
新鮮な死骸であれば、それだけ多くの魔力を保有していますし、何より相手から反撃される心配もありません。急いでここまで移動してきたのは、時間経過によって死骸から抜け出る魔力を少なくするためでしょう」
なるほど、我々人間を含めたこの世界に生きる生物は、全て魔力を保有していることは広く知られています。
そして死亡した後、その体に保有されている魔力は腐敗と共にゆっくりと空気中に霧散し、他の生物や大地に吸収され、循環していくのです。
ですから常に魔力飢餓の状態にあるスライムにとって、他の生物の死骸は安全に確保することができる貴重な食糧となるのでしょう。
「これが、スライムが掃除屋と呼ばれる理由でもあるんですね」
平原では日常的に探索者によるモンスター狩りや、モンスター同士の争いによって、多くの死骸ができます。これを放置してしまうと、疫病の原因になることもありますし、何より血の匂いに誘われて森林の奥から強力なモンスターが誘引される可能性があるなど、さまざまな危険の原因となってしまいます。
ですが、実際には多くの死骸は翌日には綺麗さっぱり消えています。
まだモンスターの生態がわかっていない時期には、なぜこういったことが起きるのかで論争が起きたこともありますが、近年研究が進みスライムの特性が理解されてきたことで、スライムが捕食しているという解答が見つかったのです。
そういった説明をしている間に、スライムがスケイルウルフの死骸へとたどり着きました。
「スライムの捕食は、実はあまり見ることができないんですよ。
私も研究者になって長いですが、これでようやく3回目なんです」
スライムは移動が遅く、死骸を見つけても他のモンスターが死骸を食べてしまったり、たどり着く前にスライムが探索者に狩られてしまったりとなかなか見る機会に恵まれないのだそうです。
「今日も、正直見ることができるとは思っていませんでした。運がいいですね!」
興奮気味に話す博士の前で、スライムがその大きな体を動かしてスケイルウルフの死骸に覆いかぶさります。
すると、成人男性と同じくらいの大きさである死骸はスライムの体にすっぽりと収まり、まるで水の中に浮かんでいるような状態になってしまいました。
「スライムの捕食は、他の生物と違ってかなりの時間をかけて行われます。
あの大きさだと……おおよそ、10日間くらいはかかるでしょうね」
10日間となると、さすがに死骸に残された魔力も霧散してしまうのではないでしょうか。
「そう思うでしょう? しかしスライムは捕食する際には、核に貯蔵していた魔力を使って外殻を変質させ、保存と消化に特化した液体にするんです。
そのため、消化が終わるまでずっと新鮮な状態を保つことができるんですよ」
博士が言うには、スライムが自ら変質させた外殻は保存に特化しているだけでなく、血の匂いや死骸の魔力を遮断する役割も持っているのだそうです。
捕食中のスライムは、消化に集中するため他への反応が普段以上に鈍くなっています。
そのため、他のモンスターに見つかりにくくしているようです。
「ですが実は、捕食状態のスライムを襲うモンスターは平原にはほぼいません。
捕食中のスライムの外殻は、強力な消化液でもあるため、下手に手を出すと甚大なダメージを負ってしまうんですよ」
確かに、捕食中のスライムを襲って返り討ちに遭った探索者の話も多く聞きます。
ちなみに消化に特化した外殻は、頑丈な鋼鉄製の武器であっても簡単に溶かしてしまう程に強力です。基本的に体の一部で攻撃するモンスターにとって、この時の外殻は危険な鎧と同じなのです。
そのため、スライムが匂いや魔力が漏れないようにしているのは、あまり意味がありません。
もちろん消化液となった外殻をものともせずに攻撃するモンスターもいますから、まったくの無意味ではないですが。
「ちなみに死骸そのものも、スライムにとっては貴重な栄養源なのでしっかりと消化されます。
血液も貴重な水分ですから、消化しながら外殻の材料として取り込んでしまうんですよ」
なるほど、確かに魔力を吸収するだけなら死骸はそのまま残ってしまいます。
死骸の全てを栄養などとして吸収するからこそ、スライムは平原の掃除屋と言われているのでしょう。
「モンスターですから、私たちにとって脅威であることは変わりません。
ですが、スライムはモンスターの死骸を吸収することで私たちの生活を、疫病やモンスターから守ってくれている側面も持っているんです」
平原の掃除屋と呼ばれるスライム。
討伐すべきモンスターでありながら、私たちの暮らしに大きな恩恵をもたらしてくれる存在でもあるのです。
取材班はスライムと人間の奇妙な関係に感慨を覚えるのでした。
そしてそんな我々をよそに、獲物を取り込んだスライムは今までよりもさらにゆっくりとした速度で森の方へと移動を開始しました。
移動したスライムを追いかけようとした取材班でしたが、博士に呼び止められます。
「捕食を始めたスライムは、目立たない場所まで移動して動かなくなるんです。
これは移動することによる魔力消費を、少しで抑えることが目的と言われています」
さらに言うなら、森の中へと踏み込むには取材班の準備が足りていません。
森の中は強力なモンスターが増えるため、ほとんど丸腰な取材班では危険が大きすぎます。もし森の中へ入るのならば、経験のある探索者を護衛に雇わなくてはいけないでしょう。
さすがにそれだけの危険を冒してまで、スライムの捕食を見守るわけにはいきません。
日が傾いてきたこともあり、我々は取材を切り上げて王都へと戻ることにしました。
◇◇◇◇◇
トーキョーへと帰る道すがら。
博士はスライムが捕食以外でも我々の生活に大きく関わっていると教えてくれました。
「通常活動をしているスライムの外殻は、非常に粘性が高く接着剤として重宝されています。
一度乾燥させてしまえば、ちょっとやそっとの衝撃ではビクともしませんし、衝撃の吸収性も高く建築現場などでも使われているんですよ」
確かに我々取材班が普段使っている日用品の中にも、スライムの外殻で接着された品物は数多くあります。
一般家庭からマンションや都庁まで幅広く活躍しているスライムの外殻は、それだけに非常に高い需要を誇っています。そのため、探索者になったばかりで装備の購入もままならない駆け出しにとって、買取価格の単価は安くとも安全かつ大量に確保しやすいスライムの外殻は、重要な収入源にもなっているのです。
「ちなみに核もまた、効率の良い魔力燃料として重宝されています。
スライムを倒すためには核を傷つける必要がありますから、状態が良いまま入手するには氷魔法で外殻を一気に凍らせ、本体ごと持ち運ぶ必要があります。だから、状態の良いスライムの核は、とても高値で取引されているんですよ」
魔力を吸収する性質を持つスライムの核。
これは魔力炉などをはじめとした、さまざまな燃料として使われています。核が10個あれば1カ月以上魔力炉を維持できるというのですから、非常に効率の良い燃料でしょう。
しかもスライム魔力の吸収効率も非常によく、それこそ一般の人ですら5人いれば1日で魔力炉の燃料として十分なくらいの魔力を貯蔵することができるのです。
ですが手に入れることが難しいため、外殻が500mlで1000円程度なのに対し、無傷の核は1つだけで100万円以上と比べられないほど高値が付いています。
スライムは外殻だけでなく、核も私たちの生活に大きな恩恵をもたらしてくれているのです。
「通常時の外殻は接着剤としてですが、捕食時の外殻はまた違った目的で使われます。
非常に高い融解性を持っているので、採掘現場で硬い岩盤を破壊する際によく使われているようですね」
まさに捨てるところ無し。どの状態であっても、素材の確保の難易度に差があるだけで需要は高いとは驚きです。
『平原の掃除屋』スライム――平原でよく見るだけのモンスターだと思っていた彼らは、実のところ私たちの生活にとって、想像していた以上に良い影響をもたらしてくれるようです。
モンスターの死骸を捕食することで、疫病やモンスター誘引の防止。
そしてスライムから取れる素材は、私達の生活に欠かせないアイテムとなって役立っています。
「スライムほど人類の役に立っているモンスターはいないでしょう。
もちろん大きな視点で見れば、スライムは人類にとっての脅威です。しかし身近な視点で見てみれば、スライムこそ私たちの生活を基礎から支えてくれている存在なんです」
博士の解説を聞いていて、我々はふと疑問に思ったことがあります。それだけ生活の各所に使える便利なモンスターならば、人の手で管理はできないのでしょうか。そんな疑問を博士にぶつけてみました。
「もちろん、そういった試みは何度かされてきました。
ですが結果として、人の手でモンスターを飼育する試みは全て失敗しています」
飼育したスライムは十分な餌や魔力を与えているにも関わらず、1週間ほどの時間をかけて徐々に小さくなり、最終的には消滅してしまう。これは飼育環境を変えたとしても、全て同じ結果となってしまった。
現在も複数の研究所で試みがされていますが、あまり芳しい結果は出ていないと博士は言います。
「モンスターがどうやって増殖しているのか、専門家の間でも確かな結論は出ていません。
種類わけに関しても、現在はっきりと出現方法が分かっているモンスターを基準に、見た目や捕食方法からおそらく同じ種類なのだろうという仮定で行われている有様ですからね。
モンスターの生態については、分からないことの方が多いくらいです」
確かに取材班の中にも、毎日のように見かけるスライムですら、数を増やしている場面を見た記憶がある者はいません。
なにより、通常の生物なら絶対に見るはずの子供――小さな個体ですら、見たことがある人はいないでしょう。
「毎日相当の数が狩られているはずのスライムですら、姿を見なくなったという情報はありません。
王国全体でみれば、それこそ毎日1万体以上は狩られているのに……です」
博士が言うように、モンスターは増殖防止などさまざまな目的で狩られています。それは探索者にとって収入源であると同時に、我々の生活を支えるための資源を手に入れるためでもあります。
そうして毎日王国中で狩りが行われているのに、それでもモンスターが減っている兆候や、絶滅したという情報を聞いたことは今まで一度もありません。それどころか、1か月ほど特定の地域で狩りが行われなければ、その地域ではモンスター大量発生の発生率が大きく上がってしまうのです。
ですが、だからこそモンスターの素材を私たちの生活に役立てようとすることができるとも言えます。
「私たち研究者は、モンスターのことを研究し続けなくてはいけません。
人類が少しでも効率的に、安定して素材を回収し続けることができるように」
事実、研究を進めていくことによってモンスターによる被害は大きく減少しています。
さらに探索者ギルドに情報が共有されることで、探索者たちの狩りに関するリスクも小さくなってきたと聞いています。それに加えて、素材の利用方法も新しく発見されるなど、いまだモンスター研究に終わりは見えません。
「私たちは研究者ですからね、分からないことをそのままにしておけないんです。
何せモンスターの生態は何十年も研究されているのに、分からないことの方が圧倒的に多いですからね」
楽しそうに語る博士。しかしそんな博士たちの研究があるからこそ、今日こうして私たちはモンスターの生態を視聴者の皆さんに紹介することができるのです。
我々にとって身近な生き物でありながら、もっとも遠い存在でもあるモンスター。
最も目にするスライムですら、今日だけで初めて知ることも多くありました。
博士が今日、我々の取材に同行してくれたのも、知識をたくさんの人と共有することで新しい発見に繋がるかもしれないという目的があったからです。
私たちにとってもっとも身近な存在であり、それ以上に遠い存在でもあるモンスター。
今回の異世界モンスター紀行では、その中でも一番ポピュラーなスライムについて紹介をしてきました。
攻撃手段を捨て、その代わりに魔力の乏しい平原で生きる術を身に付けたこのモンスターは、私たちにとってはモンスターである以上に、得難い隣人なのかもしれないのです。
◇◇◇◇◇
こちらは小説家になろうにて、既に第6回まで投稿しています。
なので、第6回までは週1更新で投下していくつもりです。
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