塔。

 螺旋を描いて伸びゆく階段は、地面から生えたこの塔の内壁に食い込みながらも、何者にも縛られまいとする高貴な意志で天の国へと繋がる無限の梯子を架けていた。その目指す先はあまりに遠く、昇っていく階梯の輪郭はぼやけている。ただ煌々と光る壁面の明かりが続いているだけで、どんなに目を凝らそうとも終わりが見えない。渦を巻きながら収斂していく幻想の燭光を眺めて、そこにはない『終点』に思いを馳せることしかできない。

 

 塔。この世とこの世ならざる天上を結ぶとも、天を支える柱とも囁かれるその構造物は、鬱蒼と茂る森の中、ぽっかりと空虚に開かれた低い草の茂る空間に突如現れた。先ほどまでは何もなかった筈の場所にいきなりその姿を見せたように錯覚したのは、塔を囲う樹々のあまりの巨大さ故だろう。この森に足を踏み入れた最初の頃、周囲を取り巻く木はまばらで、高さもまちまち。高いものでも精々身長の五倍ほどしかなかった。それが、奥へ奥へと潜り込むうち、更に倍、そこから倍、そのうえ倍、とまだ高く伸びていく。深くなるほどに樹々の面積当たりの本数は増えず、むしろ少なくなっていくのに対して、圧迫感が増していくのは高さもさることながら、その異常な太さのせいだろう。ある大木などは一回りするのに十歩や二十歩では全然足りないほどで、その足元に覗く不気味な洞は仙人の住みかとなっている。大きさや量ばかりではなく、見たこともない種類の樹木が我こそはと、捻じ曲がる、枝を広げる、幹を分裂させる、根を縦横無尽に張り巡らす、隣接した樹々とコロニーを作る、朽ちて倒れた巨木を取り込むなど多様性を競っていた。そんな化け物じみた、神聖さすら放つ樹々に思わず震え慄いてしまう。闇の幕のような枝葉が為したトンネルに隙間はなく、物理的にも少し寒さを感じる。太陽の恵みを仲間内でのみ分け合うせいか昼間でも日差しはほとんどなく、まともな草は一本とて生えないあり様だ。地に満ちるのは、見本市のような落ち葉の群れともはや倒木のような巨大な枝と、それを腐らせて摩訶不思議な彩を生み出すキノコ。時折、先人の歩いた痕跡や、先人の痕跡を見つけた時は足を止めるか。日中も夜道を歩くようなものだが、真の夜は更に数段過酷で、寒さも一入だ。月明かり星明りそんなものは一筋見えれば僥倖。しかし上ばかり見ていたのでは足元を這う無数の大蛇に躓いて倒れる。とはいえ下だけを向いてもいられない。注意を怠れば、樹々の間を風と共に翔ける遠雷のようなあの咆哮の主が、突然目の前に空腹紛れに現れないとも限らない。常に松明と、拾い集めたその代替品を燃やし続けねばならない。埒外の森に潜む怪物でも、だからこそなのか、火を警戒するらしい。しかし、警戒は警戒でしかなく、恐れはしない。本当に偶然出遭ってしまおうものなら、命はない。間違っても念のために携帯しているナイフや火薬の入った筒などを向けてはいけない。ない命をさらに縮めることだろう。だからその時は片腕でも切り落としてトカゲのように逃げるか、首を落として観念するか。そんな覚悟ではあったが、あまり考えたい話でもない。幸いにしてそんな機会は訪れることなく目的の塔へと無事辿り着いた。上の視界は塞がれ前方よりは全周に視野を持ち足元にも目線を配していたのだ、今こうしてその膝下まで赴いて、ようやくその塔の威容に気が付いたのも己が間抜けや節穴の類だからでは断じてないと弁明できよう。

 しかし、こんなものを見るくらいならばいっそ節穴であったくらいの方がよかったかも知れない。背後の森の中で無数の節穴を覗いてきたからよもや親しみを覚えたわけでもあるまいが、この二つの節穴はこんなものを臨む為の目ではなかった。これは人の目が障れてよいものではない。或いは物言わぬ老獪な樹々ですら目を背けるだろうか。人の身でこの場所に立ち、痛切に悔いることは、間抜けでなかったことか。森で惑い、獣に食われるのを避け得ぬ間抜けであれば、と。だが、やはりそうではない。間抜けだからこそここに辿り着けた、否、迷い込んでしまったとも言えるだろか。誰から命じられるでもなく安い自尊心と功名心を乗せただけの己の足でこの地を目指し、いざ着いてみれば、立ち竦んだまま恐怖で顔を青くしてさえいるのだから、掛値なくその姿は間抜けでしかない。浅ましく愚かだ。そしてこの塔は間抜けに広く開かれた塔だ。

 決してこの妖気立ち込めるオレンジの塔が、悪意でもって誘っているのではない。眩惑され自らが勝手に飛び込んだのだ。恐ろしく悍ましいその威容。見るだけで目が焼ききれそうで、思わず息をのむと、肺がつぶれる。だというのに、目が離せない。心が囚われているのだ。この森に足を踏み入れた時から、いや、それよりも遥かに前からだ。恐らくこの世に生を享けたその瞬間からすでに天の瞳を開いてこちらを見ていたのだろう。そして森を抜けた今、初めて目が合ったのだと感じた。足がぽつりと前に出る。どのみち腰を抜かして震えていたのでは、いずれ獣の餌だろう。胸に残る後悔と恐怖と奥に燻る好奇心を綯い交ぜにして、進む理由を捏ね繰りだすと、推進力を得た足が、それでもまだ抑えきれないでいる感情を踏み散らして、塔の開口部へと駆ける。しかし進めども塔の根元へは辿り着かない。恐る恐る今来たばかりの道なき道を振り返ると、しっかりと森の樹々は遠ざかり、小さな木であるかのように見える。樹々はかなり遠巻きに塔の周りを廻っていたらしく、まだ途中とはいえ結構な距離があったとわかる。まさか砂漠や水辺でもあるまいし蜃気楼の類ではないだろうと思いながら、遠目には心なしか揺らいで見える正面の塔に向き直ると、また走り出す。その背後から差し込む日差しを受けて黄金色に輝いてすら見える輪郭は非常に美しいが、産み落とされる影は、いっそ暴力的だ。影の中央部に至ってはほとんど森の中と変わらないのではないだろうか。真っ暗闇の陰。樹々はそれを恐れて近付こうとしないのかもしれない。己と比べるべくもないほどに大きなものというのはそれだけで既に周囲を圧し潰し、近寄ることを拒む。ここまで続いていた草原も途切れ始めた。恐らくそれでも地に残っているものは、本能が直ちに逃げろと告げるのも振り切り、がむしゃらに、いっそ自棄のように迫ろうとする同類だろうか。危険を誇示するように、地が荒れ、でこぼことして、隆起しては沈降して、小さな崖を生み、曲がりくねって歪んでいる。これは大地の警告だろう。それは忠告でさえあるのだとしても、ここまで来て引き返すことなどできない。それらを苦労して受け流し、進んでいくと、塔は次第にその大きさを増す。近付けば近付くほどに大きく太くなっていく塔の威圧感は、一歩踏み出すごとにその何倍も大きく膨れ上がって、心臓を圧迫する。走り続けた負担や旅の疲れよりもさらに重い苦痛を全身で感じる。肺いっぱいに吸い込んだ空気も鉛でも溶け込んでいるみたいに重い。塔の根元にやっと辿り着いた時は、生きた心地がしなかった。

 呼吸が止まる。が、すぐさま腹の底から咽ぶように何かが湧き出して制止することもできない。脊椎がガタガタと震えて軋むのに、体が妙に温かい。自然に零れていたらしい涙を拭い去り、首を持ちあげた先には延々と空に伸びた塔。それはあまりに巨大すぎて緩やかに円を描いていることも認識できずただの壁にしか見えない。そして今までの恐怖はどこかへ消えた。代わりに抱くものとしては疑いである。あまりの圧倒さ故に精々、首を傾げることしかできない。

これは一体何なのだろうか? と。

見上げたまま首を傾げるというのも奇妙な恰好だが、そんな姿勢だったおかげで、塔の異変に気が付いた。正しくは塔から落ちてきたものに。とはいえ、それは一瞬の気付きでしかなく、首を傾げている必要もないことだったのだが、ともかくその落下物は、視界の端を滑りながら消えた。そして直後、弾けるような音がした。外壁の剥落か何かだろうかと考えながら落下地点を探るとそれはあった。地面の一点から放射状に飛び散りる白い破片。大きさもバラバラに散っている為元の形を推測するのは難しいが察するに骨。恐らくかつて外壁に営巣した鳥の亡骸が、風に揺すられて落ちてきたのであろうか。真相は調べようもないが、そんなところだろう。朽ちていたとはいえ、当たっていれば無事では済まなかっただろうことを思うと何とも言い難い。再び塔を見上げ、その巨体を再確認すると内部に入れそうな場所を探す。遠目には確かに入り口らしきものが見えたのだが、塔そのものに辿り着いてそれを見失ってしまった。あれだけ大きな入り口であればそう簡単に見落としそうもないにも拘らず、そのからくりに気が付くのにしばし時間を要した。気が付いてみれば何のことはない入り口にちょっとした段差があったのだ。

そんなことには少しも思い当たらぬまま、確かあの辺りに見えたという記憶を頼りに、外周を検分してしばらく。日も傾き、塔がオレンジに染まり始めた頃、突然鼻先を水滴が掠めた。雨だった。思わず空を見上げると、雲の群れが塔に突っ込んでいる。どうやらこの塔の高さは雲よりも更に上にまで及んでいたらしい。今からこれを上るのだと考えると、力が抜けて首が垂れる。視線が上から下に壁面の凹凸を滑っていく。が、途中で壁は途切れ、あるべきところにそれはなく、大きな穴を穿たれていた。まるで塔の一部が欠損し崩落しているかのような極大の穴。黒々とした開口部は破壊や崩壊によるものにしてはあまりにきれいで、それどころか下端は平らに揃い、上部はアーチ状になっていて、ここが探し求めた出入り口であることを示している。開口部そのものは疑う余地のない人工物。少なくとも自然によって生み出されたのではないというだけで、しかしそれをなしたのが人であるとも思えない。とてもじゃないがよじ登ってどうこうできるだろうか。この段差、と呼ぶにもあまりに大きすぎる障壁、少なく見積もっても例の巨木程の高さはある。アーチまでの高さに至っては想像を絶する。一体、何が塔の中に入ることを想定して築かれたのだろう。その答えの勘繰りは初っ端で放棄した。雨足が思いのほか強くなっていきたのだ。森の中では雨が降っても、大きな洞で雨宿りしたり、雨粒のほとんどを葉で受け止め、木の幹を伝わせて根に導くという奇妙な特性を持つ樹木があったおかげで濡れることなくやり過ごせた、がこんなひらけた場所ではそれも望めない。何んとか中に入る方法を思いつくことができればそれが一番良いのだが、残念ながら直ぐに浮かぶような案はなかった。なので少しでも濡れまいと塔の外壁に寄り添った。とはいえ雲は真上に、塔が突き刺さったような形で存在しているので大して濡れ具合に差はないだろうと期待していなかったのだが、意外なことに雨は一滴も降り注いではこなかった。見上げてばかりだと思いながらも、何故と上を見ると頭上高くを庇のようなものが張り出していた。位置としては丁度、開口部のあたりだろうか。新たな気付きはため息の種。ひとまずここならば雨に当たらずに済む。その事実だけを前向きに受け止めて、休息をとることにした。

地に腰を下ろし、塔に背を預けて頭も押し付ける。接触した面からはひんやりとした硬い質感に熱を奪われるかと構えていた。しかし意外なことに、塔は冷気を宿すでもなく熱を帯びてさえいるようで、背中を伝うのはまるで体温のようだった。さらには塔の脈動をも覚えたような気がしたが、塔は震えることも動くこともせず、ただ無言で熱を発している。物言わぬ塔に寄りかかってみて感じるのは、先ほどまでとは一転した安心感であった。巨大さに慣れ、安らぎを覚えたのではなく、この塔の絶対性を肌で感じることで得た信頼。ここにはあの森の中にいるような心細さは存在しないのだ。自然と肩の力が抜けて全身が弛緩、疲労からか意識の表層が剥がれていく。一つ欠伸をこぼすと、虚ろな目蓋が霧のような雨を覆い尽くしたのを最後に微睡の中へ静かに潜り込んだ。


 目覚めると雨は上がり、塔に纏わりついた雲の群れはいなくなっていた。そして身軽になった裸の塔は鋭さを増し、天上を渡る月を射止めるつもりなのか息を殺している。空を見上げ輝く月と威容の塔を並べて眺めていると、遥か遠くの穂先で繰り広げられる誰一人として知る者のいない静かな攻防を空想せずにはいられない。この塔は或いは、あの月にまで架かる大きさなのだろうか。その答えは、ここからでは知る由もない。登った先に月があるのか、それより更に高みへ至る天上の果ての国があるのだろうか。尻についた土を叩き落とすと、天に伸びる意識も体に戻して立ち上がる。そして、息をのんだ。

辺りが暗いこともあって実際の大きさよりも大きく見えているとしても、目の前に広がる、水たまりはあまりに広大で、それは塔をぐるりと囲うお堀のようでさえあった。水たまりの岸に駆け寄ると、ぬかるみに足を取られないように恐る恐るのぞき込む。風に波紋を浮かべ、ぐらりと揺れる月の映った水面は、水底から随分離れているのではないか。いくら雨が激しかろうとここまでの量、一睡の内に流れ込むだろうかと疑問に思いながら水面を見つめる。しばらくの間ぼんやりと眺めていると、水の落ちる音が聞こえることに気が付いた。まだ水はどこからか流れ込んでいるようだ。その音の出どころを辿ると、勢いよく水が流れ出す場所に辿り着いた。どうやら塔の外壁に刻まれた、上から続く螺旋状の溝を伝ってきた雨が流れ出しているらしく、その勢いはいまだに相当な勢いがある。とはいえ雨自体はあがっているのだから、いずれは水流も止まるだろうと思い至ったところで、螺旋状に続く溝を見て思いつく。もしやここを上っていけるのではないだろうか。この溝を上った先は開口部を掠めている。ここを上り続けるとなればかなりの無理があるだろうし、また雨が降ればそれで終わりだが、河口部の高さまでならば、垂直に壁登りをするよりも比較的安全に行けるだろうと、勢いの弱まりつつある溝の縁に足をかけ、体重を預けたところでその考えを断念することとなった。足を滑らせたのだ。そして強かに頭を打つ。痛みよりは、浅はかな己の考えに苦痛を感じた。水が通る道であれば、コケ類が繁茂するのも考えてみれば無理からぬことだ。そこに思い至らなかった。悔しかろうとも、もう一度螺旋の雨樋に足を掛ける気にはならず、仕方なくこの場所に見切りをつける。しかしほかに何か案があるわけでもなく、たった今滑り落ちてきた水の流れるのを見つめているだけしかできぬまま、立ち尽くしてしまう。

あれでもないこれでもないと考えているうちに少し弱気になってしまったのか、塔から離れることが頭によぎる。それもいいだろうと思うが、今はそれもできない。堀に阻まれ帰ることすらままならない。浅いところを渡るにしても、この暗さでは読み切れない。下流であれば少し浅くもなろうかと思い、首をひねると少し考えて、足元の草を引き抜き水面に浮かべる。初めは風に揺られるばかりで、同じところを行ったり来たりしていたが、やがて草の船は堀の中をぐるりと巡ろうとする流れに乗った。船の行く先が浅瀬だろうかと、その後追う。導かれるままに岸辺を歩いていくと、しかし突然、船が消えた。見失ったのかと思ったが、船の消えた地点。そこが終点だった。水面にぽっかりと穴が開いていたのだ。飲み干さんばかりに絶え間なく水を吸い込む洞穴は大きく、何故かこちらを誘っているように見えた。穴を遠巻きに伺うが、その奥は知れず、月明かりを飲み込んでなお暗い。しかし静かに水中へ溶けていく穴は甚だ不気味ではあるが、流れ込む水の音はむしろ穏やかで心地よくはある。その音から察するに、水が滝のように落ちてはいないのだろう。想定よりも遥か深くへと落ち込んでいるのであればその限りでもなかろうが。試みに拳大の石を投げ入れることにした。穴の入り口へと、鋭角に飛び込んだ石は、闇に消えてすぐに水の上を撫でたようで軽やかな音を立てた。次いでそれに混じり微かに硬いものをたたくような音も遅れて響かせた。少し悩んだ末に水たまりに足を入れると、膝の中ほどまで沈み込んだ。川のような流れを受けて、際限なく貪る穴へと押し流され、我先にと飛び込んでいく水に逆らえず、ただ滑り落ちる。水は全身を覆い尽くして、流木や土砂のごとく体を転がす。そうして息継ぎもできぬままに運ばれた先、ようやく水面に顔を出した。天井から落ちてきた光を、空間に満ちる大量の水が伝えているのか、そこは薄明かりがほんのり染めていた。その場所は、為す術なく辿ってきた先ほどの水路よりも、遥かに広々としていた。首をめぐらしてみても、あまりの大きさに距離感が掴めない。どうやら、この場所はあの塔の地下にある貯水槽のようだ。

それはそれとして、いつまでも水の中を漂っているわけにもいかない。流れる水を振り払い、岸を探す。それは思いの外近くにあり、難なくあがることができた。そして運の良いことに、そのすぐ傍に上へと続く窪みが並んでいた。しかし苔に覆われていたそれは、非常に滑りやすいこともあり登りづらかった。それでもこの階梯を上る以外に道はなく、黙々と登り続ける。終わりなく続く壁に不安を覚え、ふと振り返った水面は予想よりも下にあった。先へ進んでいるという実感とともに抱く、落下への恐れから窪みの縁に掛けた指に力を籠めると再び次へと手を伸ばす。向き直る視界の端で水たまりの底に赤く輝く宝石が見えた気がした。


貯水槽の天井から更に続いていた縦穴を抜け、上階の開口部にまで辿り着く。広大な空間には、下の貯水槽へ光を投げ入れる大穴以外何もなく、風の抜ける音だけが密かに過ぎる。月明かりなど、この広大な空間の前ではあまりにか細く、床の一部を照らすだけだ。内部を解き明かすには至らない。僅か三歩離れただけの地点でさえ、じっと目を凝らしていないと見えない。それでも完全な無明の闇ではない。眼前の空間は暗くぼやけてこそいるが、遠く離れた壁面には不思議なことに明かりが灯っていた。それは炎のような揺らめく光ではなく熱も感じない。太陽のような巨大さとも似つかない。強いて言えば夜空を彩る星明り。塔の内に宿る無数の星々は静かに光を、強かな存在感を放ちながら塔の中を上っている。どうやらあの光のすぐ近くに上へ登っていくための階段があるらしい。外壁を伝い夜空の一番低いところで輝く明星を探す。足元は暗く、あまり早くは歩けないこともあって距離感の掴みづらい光点を追いかけるのには多少骨を折ったが、どうにか辿り着けた。しかし星々は、階段の真下で輝いているらしく辿り着いたのは裏側。登るべき面はこちら側にはなく、ただ沈み込んでいく階段の腹が星明りに照らされるばかりだ。階段の幅は雨季の大河のように途方もなく、壁際から離れて表に回り込むのにも一苦労では足りなかったが、幸いなことに段差については少なくとも崖のようではなかった。

床から生えるようにして伸びた螺旋階段は頑強な内壁を支えにして上昇する植物の蔦とも見えるが、その無闇に雄大な巨体は独立した一つの生命の様だ。壁に食らいつき爪を突き立てる龍。果たしてこの巨体はどこを目指して飛翔するのだろうか。無限に続く螺旋の先を眺めてみても答えには辿り着けないのだろう。龍の頭を探すのをやめると迷いを置き去りにして龍の腹に輝く光玉で照らし出された階段へ踏み出す。

靴の底には硬質な響き。一段、二段、三段。心の中で無意識に数えながら足を次の段へと伸ばす。十数え、百数え、千数え。先はまだまだ長いのだと知りながら、高度を上げていく。無限に続く階段をいつかは数えられなくなるだろうと考えながらも、ただ交互に足を掻いて高みを目指す。

そして、気持ちばかりが星を追いかけて、いつ終わるとも知れぬ旅に別れを告げた。

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短編・掌編集「りんごころころ」 音佐りんご。 @ringo_otosa

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