鏡。

ある日、鏡を見ていると他人の顔が映り込んだ気がした。

髪の長い青白い顔の女が私の顔を覗き込むように……!

なんて話ではなくって、映り込んでいる顔は安心してほしい、変わらず一つだけだ。

何も変わっていない筈なのだ。

薄っぺらい蛤みたいな口が一つに、二つ穴の空いた細い大蒜型の鼻が一つ、黒い数珠を嵌め込んだゆで卵のような目が二つあって、その上に葱っぽい眉がのっかってて、右目の脇に黒ごまの黒子がこぼれ落ちている。

そんな顔は何年も、何千回も見てきた筈だった。

何も変わっていない筈なのに。

鏡のを見つめる私を見返す誰かは、どうしたことだろう、誰かでしかなく、それを私と断じる確信が持てなかった。

いや、鏡という物を知らない生まれたての子猫や、蜘蛛か何かだったら間違いなく猫パンチを仕掛けるか威嚇していたことだろう。

残念ながら私は人間だ。

かつて、こんなにも猫になりたいと思ったことはあっただろうかというほどに、悲しいくらい人間だ。

だから、ガラス面を隔てて向こうにあるのが、私に反射した光が反射された像であることを知っている。

知っている。なのに、分からない。

私が私であることは言わずもがなだが、鏡に映った誰某が私であるとどうしても認識できないのだ。

私は頬に触れてみる。点字を読むように目の脇の黒ごまをつついて感触を指の腹で味わう。

それは私だ。鏡は私の真似をする。

そのまま恐る恐る右の眼球をつつく。痛い。涙がこぼれる。

私は鏡を左目で見る。

すると左目から涙を流して目を瞑る人が映っているのだ。

私に芽生えたのは罪悪感だった。

その人を泣かせたのは私だった。

でも、気がつくとその人は両目で泣き出した。

これは私が泣かせたのだろうか?

それとも向こうが勝手に泣かせたのだろうか。

だって今私が感じている痛みは自分でつついた右目だけだから、泣く理由なんて無いのだもの。

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