背信-2

 寝室としてあてがわれた部屋は、小狭いものであった。木製の二段ベッドが二つ並んでいて、妙な圧迫感を覚えさせる。ベッドの二段目へ行くには用意された梯子を使う必要があるのだが、これも経年劣化が目立っており、上り下りの際は、不安を駆り立てるような軋む音がする。窓に硝子などはなくいつも吹き晒しで、就寝時や風雨の強い時には木製の鎧戸を取り付けている。しかし、その僅かな隙間から外気が入り込んできて、冬場は震えが止まらないほどに寒いものであった。ベッドの中には藁をたっぷりと敷き詰めて、その上には肌触りの良いリネンのシーツをかけ、更にかけ布団を幾重にも使用して、それでもなお凍えるため、この時期は誰も彼もが持ちうる衣類の全てを着込みに着込み、深々と布団の中へ身をうずめるものだった。

 そのひどく寒い寝室に戻ったリアトリスは、自分が使うベッドの二段目に、誰もいないのを見た。出て行った時のまま、かけ布団は荒れている。夕食の時にも姿がなかったが、それはここの主が、まだ戻ってきていないことを告げていた。本来、彼はリアトリスと同じ隊に配属されているのだが、別の隊で欠員が出てしまい——欠員が出る原因は、病気であったり殉死であったりと、理由は様々であった——、その補充として駆り出されていた。彼と下段を巡って、じゃんけんで決めたことは、今でもリアトリスはよく覚えている。ベッドの中だけが、唯一といって良い個人的な空間だったが、討伐隊の人間は総じて持ち物が少なく、どこも枕とかけ布団のみが置かれた、ひどくこざっぱりしたものであった。

 壁に作られた窪みに、手持ち燭台を差し入れていたリアトリスは、「ああ疲れた」と、同室のフロックスが一段目の布団に潜り込もうとしているのを見て、

「おまえは上だったろ」

 思わず口を出してしまう。すると彼は、「あれ?」と小首を捻り、それから照れたように、はにかんだ笑みを浮かべた。鳥の巣のようなぼさぼさとした頭を掻きながら、

「そうだった、そうだった。ちょっとぼけちゃった」

 梯子を上る聞き慣れた音がしたのち、小さく布団が擦れる音がした。欠伸をしながら、同じように自分のベッドへ向かうリアトリスに向けて、ベッドの柵の上から顔を出したフロックスが、「ねえ、知っているかい?」と声をかけてくる。

「何を」

「行方不明者の事件のこと」

 三か月ほど前から、ラウエルでは次々と人が消える事件が発生しているという。それも、決まってルーク正教会が執り行う集会があった日の夜で、信徒や修道士といった教会に密接に関わる者ばかり。討伐隊も近隣をくまなく探しているが、結局誰一人として、未だ見つかっていないらしい。

 ということを、フロックスはのんびりとした口調で伝えてきた。

「魔物?」

「さあね。でも、魔物の仕業ではないんじゃない? だって、ラウエルは司祭様や修道士、ラウィーニア女子修道院のお祈りで守られているんだもの」

 太古の昔、英雄たちは魔性のものや、その王と互角に戦えるようになるため、清らかな力を有した精霊たちと約束を結び、人ならざる力を手にしたと伝わっていた。その力は、英雄亡き後もその骸に残り続けており、人々の祈りがある限り途絶えることはない。

 魔物という厄介な生き物は、昼夜を問わず現れる。しかし、彼らが特に活動的になるのは、陽の光が途絶え、闇に紛れやすくなる夜間だった。夜通し魔物の襲撃に備え、神経を尖らせて夜を明かすのは討伐隊の役目であり、有事の際には誰よりも先に現場に急行し、人命のために身を賭して戦うことこそが彼らの仕事だった。ピッチャー司祭のような聖職者や、武器を手に外を駆け回らない修道士たちが、かの英雄のために祈りを捧げることで、町には清らかな守りの力が働き、魔物たちの侵入を防いでいる。それは言い換えれば、人々の信仰心が揺らぎ、ルーク正教会への不信感が高まれば、その強度は瞬く間に弱まり、魔物たちがあっという間に入り込んでくるということだった。そんな最悪の事態を招くことがないよう、ルーク正教会は、日々住民たちに教えを説き、討伐隊は魔物を蹴散らし、時には住民が教会に反抗的ではないか、魔物と何かしら関わっていやしないかと、常に目を光らせている。

 この頃にはリアトリスも自分のベッドに潜り込んでいて、静かに目を閉じていた。そろそろ眠らなければ、翌日にも支障が出てしまうが、なかなかフロックスの話は終わらない。

「まあ、誰かが意図的に魔物を町の中に入れない限りは、人の仕業と考えるのが妥当かもね。この町には、英雄様が……ライリー様が眠っておられるんだものね。そうそう、魔物なんか入って来れやしない。君だってそう思うだろう?」

 リアトリスは、もう返事をすることをしなかった。フロックスが、小さく息を吐いたのが聞こえる。その後、寝返りでも打ったのか、小さく布を擦るような音がした。

 部屋の中は静かになった。

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