第35話 カルナ 4
「ラヴィーリア様、あなたの十年を私たちにください」
ロワニド閣下が呆然とするラヴィーリアに言った。
「それって……どういう意味でしょう?」
「貴女を聖女として国王にし、十年を以てその役割から解放いたします。十年あれば貴女を旗印として何とか国を改革できるでしょう。国政の選択肢は優秀な臣下が提供いたします。あなたはそれを選び続けるだけでいい」
「国王の話は構いません。私には難しすぎますから。ですが十年と言うのは?」
「ラヴィは何十年も国政をやるには向いていないよ。今は感情的になっていて勢いがあるけれど、ラヴィは繊細過ぎる。ダルエルのような図太い神経の持ち主じゃないと務まらない」――小さな賢者が言う。
「そういうものなのですね」
「そこでだ、我々は考えた。どうすれば上手くラヴィを旗印にしてかつ、ダルエルのような国王に向いたやつに継がせるかを」
「ラヴィーリア様には一度、崩御していただきます」
「ええっ!?」
僕はロワニド閣下の言葉に耳を疑った。
「凶器はラヴィーリア様のエルフの剣が宜しいでしょう。あれなら間違いありません。その後、魔女の誰かに蘇生してもらうのです」
「そんなことが可能なのですか?」
僕は閣下に詰め寄る。
「問題ありません!」――そう答えたのはなんとラヴィ本人。
「ラヴィ、怖くないのかい?」
「長包丁であれば信用できます。恐れもありません」
「よろしい。で、十年では如何でしょう? お二人とも」
ロワニド閣下は僕たち二人に問いかけた。
僕とラヴィは顔を見合わせ、頷いた。
◇◇◇◇◇
その後、皆がラヴィを国王へと祭り上げるために奔走を始めた。
ラヴィ本人は再び毎日の講義を受けることになった。
僕たちには特別に離宮を貸し与えられた。
そしてロワニド閣下は僕を呼び出しこう言った。
「二カ月猶予を与えよう。それまでにラヴィーリア様が身籠れば後継ぎの問題は無くなる。しかし無理だった場合、即位後にダルエルに頼むことになるぞ。よいな?」
「し、しかし、即位前に他の男と関係を持って宜しいのですか?」
「なあに、男の国王なら何の問題にも問われないのだ。女だからと言って変わるまい。政治的には父親が君だとは決して知られない方が良いがね」
正直、ラヴィとの個人的な関係にまで口出しされる事へ不快感が無かったわけではないが、彼女との先を見据えるなら他に手はない。
「承知しました……」
そう、閣下に返した僕は彼の部屋を退出しようとしたが――。
ああもうひとつ――そう言って閣下は僕を呼び止めた。
「――上手く世継ぎができればダルエルは手を出さないと誓いを立てたよ」
◇◇◇◇◇
そんなことがあって、夜、僕たちの寝室には酒と軽食が用意され、今はラヴィと二人きりだった。ラヴィは薄いリネンの寝間着に何故か長靴下を履いていた。
「初めてですね……その、カルナ様に寝室へ誘っていただけるのは……」
僕は少しだけ胸にチクりとしたものを感じた。
ラヴィと昔のように笑い合うことで静まっていた濁った想いが少しだけ頭をもたげていた。
寝室の薄暗い照明にはラヴィがとても美しく映っていた。
「ラヴィ、こっちに」
顔を寄せてきたラヴィ。
戸惑いがちに差し出されたその小さな唇。
掠めるように触れただけで感情が溢れだし、やがてお互いに
僕は小さな鍵を出し、――いいね? ――そう断ってから彼女の首の枷を外した。
「ごめんね」
ラヴィは首を横に振る。
「これがカルナ様との繋がりだったから」
彼女はベッドに入ると横になる。
そして僕は――。
◇◇◇◇◇
半刻後、何故か僕とラヴィはベッドを挟んで対峙していた。
しかもさんざん腕を捻り上げられた結果が今だ。
「わ、私を辱めるなど、いくらカルナ様でも容赦いたしません!」
「ラヴィ? 何を言っているんだ、僕とその、子供を作るんだろう?」
「そうです!」
「じゃあ服を脱がないことには始まらないだろう!?」
「な、なぜそのような辱めを!」
「いや、その、ラヴィ? 子供ってどうやって作るかわかってる?」
「も、もちろんです! 夫婦で同じベッドに寝ると地母神様が子供を授けてくださいます」
「寝るだけじゃ子供はできないよラヴィ……君の母上は……ああ、そうか。学び舎の女友達か誰かに教わらなかったのかい?」
「学び舎ではそんな話は致しません!」
「侍女か誰か……」
「レアリスは喩えどのような状況でも男の前では長靴下を脱ぐなと!」
レアリス――そういえばそんな側仕えが居た気がする。
「わかった。今日の所は手を出さない。だから普通に寝よう」
◇◇◇◇◇
翌日、一睡もできずに朝を迎えた僕は、ラヴィにまず彼女がイズミと呼ぶトメリルの賢者に教えを乞うよう話して聞かせた。あの賢者なら見た目は幼くてもいろいろ知っていそうな気がしたからだ。
そしてロワニド閣下に――どうした? 顔色が悪いぞ――などと言われてしまったが、念のためレアリスというラヴィのかつての側仕えを探してもらえるよう頼んだ。
その後、僕はダルエルに面会を求めた。
奴はいつかのように、まるで僕が現れるのを知っていたかのような顔で迎えてくれた。
「どうした? 想い人と結ばれたと言うのに酷い顔色ではないか」
「お前、ラヴィと閨を共にしたと言っていたな」
「ああ、その通り」
「彼女と本当に……その……」
「交わったかといいたいのか? あっはっは。馬鹿馬鹿しい。交わるわけが無いではないか。どうして敵対派閥の公女に王の血筋の子種を分けてやる必要がある。そのような危険を冒さずとも内輪揉めさせるには、酔わせてベッドに寝かせておくだけで十分なのだよ。実際そうだっただろう。そもそもだが、あの娘は子作りの方法など知らんよ。
僕は両の拳を握りしめた。
そんなことに僕は翻弄されていたのか。
そんなことでラヴィを傷つけ続けたのか。
「その顔では初夜は失敗したのだな。傑作――」
バキィ――思わずダルエルの顔を殴りつけてしまった。
◇◇◇◇◇
講義に忙しくしていたラヴィを他所に、その後は結局、一日を寝て過ごした僕は夜になってラヴィに謝られた。
地母神様の秘儀――と言うものがある。それらは全て女性の間でだけ受け継がれてきたという男子禁制の秘儀で、出産や子育てなどを含む、あらゆる女性のための知識が詰め込まれているそうだ。時には魔女の力に頼るその秘儀は、豊穣の女神の導きともいえるものらしい。そしてその秘儀は貴族の間でもいくらかの情報と共に形だけは残っていた。しかし母もなく、情報を共有する友人もなく、聖堂の厳格な教えでしか育ってこなかった彼女は、まず交わることそのものを知らなかったのだ。
そうして、男の前で初めて長靴下を脱いだという彼女と僕は、お互いの初めてを迎えた。
僕たちは二カ月をそうして過ごし、彼女は無事、懐妊したのだった。
地母神様の秘儀のおかげで子供たちは無事に生まれ、ラヴィ本人も元気だった。
そのようにしてラヴィーリアが王位に就いてから生まれたのがレイリとルトラ。
七年後、ラヴィーリアがユーメとして僕の元に戻ってきた。
ラヴィーリアとカルナはもう居ない。
けれど、こうして僕たちの幸せは続いていくのだった。
堕ちた聖女は甦る 完
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