第34話 月の湖
「母上ー!」
屋敷の方から先程、馬の嘶きが聞こえた。
あれは愛しい息子の声だろう。
湖の畔でのんびり過ごしていた私たちは屋敷へと続く緩やかな坂の小径を登っていく。
小径を登り切ったところで向こうから駆けてくる小さな影。
ばふ――とゆったりした白いリネンのワンピースで受け止める。
「レイリ、お帰りなさい。寂しくなかった?」
「母上、僕はもうすぐ八歳ですよ! いつまでも子供扱いしないでください」
「まだまだ子供じゃない」
ふふと私が笑うと息子はちょっぴり拗ねる。
追い付いてきた娘がレイリに抱きつく。
「おかえり、兄さま」
「ルトラもただいま。――あっ、父上! ただいま戻りました!」
「お帰りレイリ。敷地の外では父と呼んではいけないよ?」
「わかってます! あちらではちゃんとダルエルを父と呼んでおります」
「レイリ? ダルエルを呼び捨てにしてはいけません」
そう注意するけれどレイリは――。
「ダルエルが良いと言ったので問題ありません! それよりも母上、ダルエルのやつ、また新しい女と付き合い始めました!」
「それはお仕事かもしれませんし、ダルエルの自由です。レイリは首を突っ込んではいけません」
「しかし仮にも母上の――」
そう言いかけたレイリの唇の前に人差し指を当て、留めさせたのは屋敷に侍女として住み込んでいるレテシア。
「それ以上はいけません。それよりもお茶にいたしましょう。ラトーニュ卿に頂いたシロップ漬けでケーキを焼いてありますよ」
そう言うとレイリとルトラを一度ぎゅっと抱きしめ、立ち上がると二人の手を繋いでレテシアは屋敷に向かった。
「ようやく奥様離れしたかと思えば、今度はお二人にべったりですね、レテシアは」
「あら? 彼女は優秀だと聞いてるわよ?」
「ええ、物覚えが良くて後輩の面倒見もいい、優秀な侍女です。ですが、せっかく良妻の祝福を得てるんですから早くどなたかに貰って欲しいです」
「レアリスは結婚しないの?」
「わ、わたくしは……男に失望したのでいたしません!」
レアリスは再会した時、とても疲れた顔をしていた。ロワニドの手配もあって再び私の侍女として働き始めた彼女は、男に騙されたといって当時はよく嘆いていた。
なんでも、つい出来心で一夜を共にしてしまった男性が、なんと六人も女を囲っていたのだそうだ。どこかで聞いたような話だったけれど。そしてレアリスはお嬢様の気持ちがよく分かりましたと告げてきた。けど、今思えばそれはどうかなって。
屋敷に戻ってくるとキミリが出迎えてくれた。
彼女も私と一緒に居たいと望んだ一人だ。事情を知っている身内で固めた方がいいとダルエルが言うので、彼女にもここの侍女として居てもらっている。キミリももうすっかり背が伸びて、私を追い越しそうなくらい大きくなった。もうあの頃の小さなキミリは居ないのがちょっと寂しい。
「奥様、どうされました?」
「う~ん、あの抱きしめ心地のいいキミリがこんなに大きくなったんだなって……」
「またそんなことを……」
そう言いつつも、キミリは屈んでくれる。
「わぁ……」
小さい子を抱きしめるのが大好きな私は、ちょうど屈んだキミリがあの頃のキミリのようで懐かしさと共に小さなキミリを味わえた。この艶やかな黒髪がまたかわいらしかった。
「わかる……」
そう言いつつ、横からキミリを撫でまわすのは、先ほどまで魔法で姿を隠していたスカルデ。キミリはスカルデより大きくなってしまった。そしてスカルデは常に私のために姿を隠して傍に居てくれる。けど、私は知っている。スカルデはとっても恥ずかしがり屋さんなんだ。
「スカルデお姉さまも……やめてください……」
そして私を蘇生させてくれたのもスカルデだった。
あの日、私は凶刃に倒れた――と、表向きはそういうことになっていた。
実際に臣下の前で長包丁に貫かれた私は四半刻も持たずに死んでしまった。
私を刺したのはあのカイネ・リトアだった。
彼女もその場で斬られた。
私はあの日、あの選択の日、どちらも選びきれなかった。
◇◇◇◇◇
「――もともと傀儡として祭り上げられるだけの存在だ。貴女が望むなら国王の話は無かったこととして会議に掛け合おう。だが、国を変えたいというのであればこの機会を失くしては他に無いぞ」
「私は――」
「――私は選びきれません! カルナ様と離れたくない! 貴族としての役目も果たしたい! どれだけ歩んでも弱くてずるい、愚かな娘なのです!」
嗚咽と共にそれだけ言うと、泣き崩れた。
本当にずるい。誰かに道を示してもらって、助けて貰いたい。
「いいんじゃないの? 弱くてズルくても。ラヴィーリアはまだ子供なんだし」
イズミが言った。私よりずっと小さなイズミが。そしてロワニドが――。
「では交渉と参りましょう。我々は聖女としての貴女が欲しい。カルナ殿は女としての貴女が欲しい。貴女はどちらも選べない。その前提でいいですね?」
「えっ」――私はカルナ様と顔を見合わせた。
「十三年で如何でしょう?」――ロワニドが続けた。
「いや、十三年は長いだろう。十五で即位したとして二十八じゃないか! せめて二十代前半にしてやれ」――そう返したのはイズミ。
「いやしかし、九年以下は余程に事がうまく運ばないと改革は無理ですよ」
「大賢者様、この世界では成人すると数十年は老化が始まりません。ですから十年そこらは問題ございませんよ」――元大賢者のユロールが口を挟む。――この世界って??
「いーやーだー! そんなのラヴィが可哀そうー!」
「子供みたいなことを申されましても……」
「子供なのー!」
「では十年。これが限界です」
「二十五かぁ。ほんっとギリギリアウトね。私が頑張って九年にするしかないわね。――で、どう?」
皆が私たちを見る。
私は話がわからなくてぼぉっとしていた。
「ラヴィーリア様、あなたの十年を私たちにください」
「それって……どういう意味でしょう?」
◇◇◇◇◇
結局、ダルエルやロワニドを始め、臣下たちの協力やイズミの本気もあって私は僅か七年で王位から解放してもらえた。結局のところどう足掻いても私は普通の女の子で、国王と言う立場にそう長い間、居座り続けるのは無理があった。
先の見通しも立ち、私も限界を迎えていたこともあって
幸い、息子はダルエルの教育もあって優秀な貴族として育っている。ただ、無理はしないで欲しい。国王なんて誰でもできる。ダルエルに全て投げ打って私のところに帰ってきてもいいのだから。
月の湖と呼ばれるこの山間の地方はそれまで国の直轄地だった。本来であればメレア公の公爵領が私の領地となるのだが、メレア公は未だ健在。ということで王都の北東に位置するこの小さな領地が私の土地として分け与えられた。領地そのものの収入は大きくないが、王都からの定期的な収入が約束されている。この湖の水は王都まで水道橋で引かれているからだ。
現在は息子が引き継ぎロホモンド公となっている。管理はダルエルが代行している領地だ。そこで私たちは娘と共に平和に暮らしている。そして、時々帰ってくる息子と一緒の時間を過ごすのだ。
「ユーメ、いつまでもキミリを撫でまわしてないで。嫉妬してしまうよ」
「イェルナ様? 私には貴方こそがただ一人の人なのですよ?」
イェルナ様の腕を取って食堂へ向かう。
祝い名というのはこんな時に便利だった。
ラヴィーリアとカルナはもう居ない。
けれど、こうして私たちの幸せは続いてい――――
――――ちょーーー、ちょっ、ストップ! 待ってくれ! ここで終わると男の僕としては凄くモヤモヤする!
――えっ、そうなのですか? 私はよかったなあって思うのですけれど。
――大事なところが抜けてるから! 僕としてはすごく!
――えっ、でもここで終わりにしませんか? めでたしめでたし!
――終わらせないで! 七年前のあの日の話、ちゃんとしよ?
――わ、私は恥ずかしいので無理です。
――はあ、いいよ僕が語るから……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます