第19話 話し合い

 拳の届く距離は怖い――祝福を得て、私はそういう感覚を覚えた。


 他人との距離を測るのが苦手な私は、この感覚で距離を保ってきた。


 ところで、祝福の前の主は殴られることが怖かったのだろうか?


 ――違う。彼女は刃で裂かれても耐えうる精神を持っていた。


 では何が怖かったのか。


 ――私は少し前に経験した三人の鎧の男との格闘、そしてゴアマが私の動きを封じた経験を通してわかった。彼女は拳が怖いんじゃない。捕まれる距離に居るのが怖いんだ。



 ◇◇◇◇◇



 男はこちらを舐め切っていた。

 動きも鈍く、配下の男たちのように戦い慣れてない。

 掴みかかったり殴りかかってくる。しかし躱し続けられなくもない。

 追いかけっこなら楽しんで受けてくれると言った。

 それなら私も――。


「ぐあっ」


 最初の一撃は相手の脇腹に入った。腕は怖かったけれど怖くなかった。体ごと、伸ばしてきた腕の外側に入り込み、腕を取って脇腹に蹴りを入れた。


 声は上げたが太り過ぎた腹のせいで通じていないように見える。

 

「き、貴様っ!」


 男が首に結わえられた縄を狙ってきたため、次の一撃では容赦なく相手の右足の膝の外側を踏みつけた。


「ギャッ」


 さすがに関節なら効いた気がした。怯んでる隙に縄を解く。


 顔の正面や体の正面は怖い。相手が力を隠しているかもしれない。何故か顎を狙ったりしたくなったけれど、腕が怖くて直接は狙えない。


 次は身を低くして同じ足の脛を狙った。男は咄嗟に腰を落とせなかった。


「ぐえっ」


 男は膝をつき、片手を床に着いた。ついでにその着いた腕を蹴り込んだら腕が一瞬、逆に曲がった気がした。


「あがががっ」


 男は右腕を抱えて蹲り、悲鳴を上げる。

 祝福は組みついての極めを唆す。しかし私はこの男に触れたくなかった。

 触れるだけでカルナ様を裏切っている気分になる。

 ベッドのシーツを引っ張り手を拭った。


「ま、まいった、助けてくれ……」


 男は私の足に向かって左手を伸ばしてきた。

 咄嗟に私はその手首を踏みつけてしまった。

 ギャっと悲鳴を上げる男。


「せめてシュミーズを着てくださると


 男は身を屈めたまま脱ぎ捨てたシュミーズを手に取り、もたもたとした動作で頭と腕を通した。

 着終わったところで再び膝に蹴りを入れた。


「ま、まて、いま助けてくれると……」


「見苦しかったので助かりました」


 私は男を心行くまで愉しませてあげたあと、鍵を差し出させ、這いつくばらせた。

 男の足は使い物にならなくなり、追いかけるどころか立ち上がることさえままならなくなっていた。ああそれと、彼はやはりコルニット男爵だった。



 ◇◇◇◇◇



「終わりましたよ。コルニット卿から皆さんにお話があるそうです」


 私は扉を引き開け、傍に居た見張りの男へと告げた。


 そうですか――と告げた男の顔は部屋の中を覗き込んだ途端に色を無くした。


 私は卿を這いつくばらせたまま、その首元に長包丁の切っ先を添えていた。


「傷つけてはおりませんが、手早くお願いします」


 傷つけてはいない。刃物では。


 見張りの男は慌てて駆けていった。



 ◇◇◇◇◇



「せ、聖女様を解放してやれ」


「聖女様ではありません。畏れ多い」


「ソ、ソノフ家の令嬢を……」


「ソノフとは縁が切れております。さっきも言ったでしょう。ただのラヴィーリアです」


 私はコルニットにソノフとの繋がりが無い事をさんざん聞かせてやっていた。


「ラヴィーリア嬢を解放するのだ」


「し、しかし閣下、その怪我は……」


「これは私と楽しんだ結果です。まさか恨みなどありませんよね?」


 切傷でなければ《治癒ヒール》の魔法も効きがいいだろう。


「ああ……」


「楽しまれたのですよね?」


 タン――と、長包丁を突き立てる。


「はい……」


「約束を違えたら遊びでは済みませんよ。鎧の上からでもエルフの刃で叩き斬ります」


 男爵の臣下は皆、青い顔をしていた。まあ、叩き斬れるのは嘘なのだけど。

 これで恨まれるならそこまでの男だったと言うことだ――と私も腹を括っていた。



 その後、馬一頭を借り受け、門でコルニット卿とロシェナン卿の名前を出し、厩で泊めさせて貰った。開門と共に馬を走らせるつもりだったのだけれど、詰所を出る際にパンと干し肉と葡萄酒を分けて貰えたのはありがたかった。ただ、来たときよりも何故か衛士たちの愛想が良かったのは気になった。



 ◇◇◇◇◇



 街道を次の宿場町まで引き返した。そこまで遠くないため昼過ぎには到着したけれど、そこから先は町で道を聞くしかなかった。


 私は人が店の入り口までいっぱいの繁盛していそうな宿の前を過ぎると、厩で馬の世話をしている男に声をかける。


「すみません、路銀が尽きてしまってお礼ができない失礼を承知で伺うのですが、ロシェナン卿の館までの道を教えていただけませんでしょうか」


「これから馬を出さないといけなくてな、今忙しいんだ」


 男はぶっきらぼうな返事を返す。


「そうでしたか。お邪魔いたしました」


 私が馬を引いて振り返ると、厩への入り口に三人の子供が。


「聖女様だ!」

「やっぱりそうだ!」

「聖女様!」


 子供たちが駆け寄ってくる。

 駆け寄ってきた子供たちに思わず屈んで撫でてしまう。

 小さな子供たちは可愛いし、何と言われても嬉しく感じた。


 彼らの後ろからは大人たちが。

 さらに子供たちも増える。


「聖女様なのか?」

「何て美しい」

「うちの子は聖女様に会ったことがあるから間違いない」

「聖女様が見つかったぞー!」


 どんどん人が増えてくる。


「あの……皆さんは?」


「男爵様が聖女様を攫われたと言って!」

「お館様が探しておられました!」

「俺たちで取り返しに行こうって集まってたんだ」

「無事でよかった……」


 大人たちの中には木製の槍や大鎌、フォークなどまで持ち出して来ている人がいる。


「こりゃあ馬も必要なくなったなあ。ああ、まっこと失礼を。申し訳ない」


 厩の男が帽子を脱いで申し訳なさそうに言ってきた。


 その後、人々に取り囲まれ、皆それぞれに礼を言われ、握手された。

 その多くは子供たちを救ってくれたことへの感謝だった。

 皆、町や近隣から荘園へ働きに出ている人たちで、私を心配して集まったらしい。


 複雑な気持ちだったけれど、ここで自分を卑下するのは正しくないと感じた。

 私は笑顔で彼らに応えた。

 ただ、昔のような作り笑いとは違って、本当に嬉しかったのだった。



 ◇◇◇◇◇



 私は宿の食堂へ招かれ、もてなされた。

 食堂は私のテーブルを除いて一杯で、出口まで人で溢れていた。

 それぞれに語る彼らのお話を聞き、子供たちを撫でてやった。


 やがて話が伝わったのか男爵一行が帰ってくると、彼は民に跪かれるどころか私を攫われたことを咎められていた。取り巻きも困った顔をしている。


「皆、許してくれ。この通りだ」


 卿は怒ることも無く、申し訳なさそうな笑顔で皆に謝る。


「聖女様がご無事だったからよかったものを!」

「男爵様は人が良すぎて甘いです!」

「荘園に出てないで聖女様にお仕えせんか!」


「皆さん、ロシェナン卿をあまり責めないであげてください」


「聖女様はなんとお優しい」

「聖女様、甘やかしてはなりません」

「騎士たちも騎士たちで何をやっとるのか」


「聖女様、この度はまこと申し訳ない。私の不手際だった」


「レコールは無事でしたか?」


「それが目覚めるとすぐ、馬を駆って真っ先に西に向かってしまい、まだ戻ってきておらんのです」


「まあ、怪我をされていたのでは!?」


「その点はご心配なく。あの程度、奴は屁でもありません」


「聖女様の前で何という!」

「男爵様、品がありません!」

「教育がなっておりません!」


 男爵が謝り、取り巻きたちもまあまあと民衆を宥めている。


「時に聖女様、本来はそのような美しい御髪だったのですな」

「えっ」


 髪の色がいつの間にか元の白金に戻っていた。

 そういえば昨日は月が明るかった。満月で髪を染めていた魔法が解けたのだろう。

 それで子供たちも気付いたのか……。



 話を聞くと男爵一行はこの宿場に立ち寄った後、次の西の宿場を目指したそうだ。しかし私は南の城塞都市ダエガノに攫われた。ダエガノの先にはソノフ家が任されているルテル公爵領がある。彼らはソノフの自領の目前で私を辱めるつもりだったのだろう。引き返してきた男爵一行は、西はレコールに任せて攫った先を調べていたそうだが、日も落ちた宿場をまさか南に向かったとは思わなかったようだ。


 男爵と取り巻きはまた、私を心配して館に戻ろうと急かすが、民たちは納得いかないようで離してくれない。男爵たちはおそらく、私の身に何かあったのだと察してくれているのだろう。ただ――。


「私は彼らの前から逃げだしてきた訳ではありません。コルニット卿とは話をつけてまいりましたのでご安心ください」


「何ですと!?」


 取り巻きも含め、男爵は驚きを隠せずにいた。


「卿には私の立場を理解していただき、恨みも無いという言質も頂きました」


 脅されたと言われればそれまでかもしれない。けれど、向こうは私を辱めようと攫い、素手で叩きのめされたのだ。恨んでくるなら吟遊詩人に物語の種を提供するまで。



 ◇◇◇◇◇



 宿場町ではその後、ここを経由せざるを得なかったコルニット卿が民衆に囲まれて足止めを食らい、彼を待ち受けていたロシェナン卿が助けに入ったのだそうだ。その際に、借りた馬は私からの礼を伝えて返して貰った。


 ロシェナン卿も一応は確認したそうだが、コルニット卿はこれ以上私には手出しをしないし恨みも無いと言っていたらしい。


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