第20話 ラトーニュ卿
私が館に帰って三日後、レコールが帰ってきた。ただ、彼はふらつく足取りで私の部屋まで辿り着いた後、片膝を着いて私を護れなかったことを詫びたのち、そのまま顔を床に突っ伏して倒れ込んでしまった。
私は侍女を傍に置き、様子を見に来たゴアマたちを静かに下がらせた。
◇◇◇◇◇
「はっ……」
レコールが息を飲んで目を開く。
「わ、私は! せ、聖女様!?」
私は床に座り込み、突っ伏して眠っていたレコールに膝枕をしてやっていた。
がばと身を起こし、状況を理解したレコールは床に手を着いたまま後退り、いつか見たように額をついて詫びてきた。
「頭をお上げなさい、レコール」
「し、しかしっ」
「護ると決めた相手のためとの考えかもしれませんが、無茶をしてはなりません」
「しかし私は失態を……」
「それもです。貴方に責任はありません。コルニット卿の横暴の責任を貴方が負う必要はないのです。その道理で言えば私が彼らと斬り結ばなかった責任を問われます」
「そんな、聖女様には責任など……」
「であれば貴方にも責任はありません」
「し、しかし私めなどを足に触れさせるなど……」
「無茶をして傷ついた騎士が居るなら護られる側として労わるのみです。申し訳なく思うなら二度と無茶はせぬよう」
「誓って……」
私が立ち上がろうとすると侍女が手を貸してくれる。
レコールは頭を低くしたまま下がっていった。
「レコール様は言い出したら曲げない方なので困っておりましたが、聖女様には敵わないのですね」
侍女はにこにこと微笑んでいた。
◇◇◇◇◇
その日の夜、外も暗くなって遅い時間に馬の嘶きが聞こえた。
外を見ると男爵の配下の騎士の様子。ただ、男爵自ら表まで出迎えに行っていた。
私は何かあったのかと、侍女を伴って階下に向かう。
階下では既に男爵が伝令を手配している様子だった。
「何かあったのですか?」
私は手近な側近を呼び止める。
「ラヴィーリア様! 実は――」
彼の話では、神殿へ送った使いが予定の日になっても帰ってこないため、もう一度、今度は騎士を使いにやったところ、先の伝令が捕まってしまっていると分かったのだそうだ。メレア公の代理が、即刻、私を無事に返せと要求しているらしい。
「どうしてそんなことに……」
「東の領地の者は西にあまり良い感情を抱いておりません。そのためでしょう」
館の中は騒然としており、中には武器を持ち出す者までいる。
「先日、レコールにも聞きましたが、もしかして皆さんも東に良い感情を持っていない?」
「ええ、魔女をあちらに奪われて以来、特にそうですね」
レコールひとりの持論では無かったのだ。西の人々は東の辺境に魔女が送られていると信じている。
「閣下にお話を!」
◇◇◇◇◇
私はあの後、ロシェナン卿に東の領主たちが魔女を奪っていると言う話は、おそらく間違いだということを伝えた。あの日、レコールに伝えた内容についても。そして私を神殿に連れて行ってくれるよう申し出た。
翌日の昼頃、伝令がやってきた。彼らの主の代理と合流して神殿に向かうため、東のラトーニュ男爵の館で落ち合うこととなった。
翌々日の出発はロシェナン卿、レコール、そしてゴアマことルゴアマダール、私、そして従者たちとなった。朝の出発で館までは半日ほどで着く。
「ようこそ聖女様。事情は伺っております。歓迎いたしますよ」
ラトーニュ卿は背が高く、色素の薄いこけた頬の気難しそうな壮年の男性だった。ただ、私と目が合うと、ニコリと不器用な笑顔を見せてきた。
「ようダワ。相変わらず愛想のない不細工な笑顔だな。聖女様が困っておられるぞ」
ロシェナン卿は親し気に彼をダワと呼んだ。
「御厄介になります閣下。その、聖女様に申し訳がたちません。ただのラヴィーリアで」
「ではラヴィーリア様、こちらへ」
ラトーニュ卿はやわらかい所作で私をエスコートしてきた。
「おいおい旧友には挨拶も無しか。まあいつものことだ。勝手に上がるか」
◇◇◇◇◇
「ラヴィーリア様は甘いものはお好きですか?」
通されたホールはロシェナン卿の屋敷とは違い、整然とした、どちらかというと王都によくあるような貴族の屋敷に近かった。長いテーブルも装飾がされていて、カトラリーが準備されていた。ロシェナン卿のところはナイフとフォークだけだったので地域性と言う訳でも無さそうだった。
「あまり機会はありませんでしたが、甘いものは好きです」
私はどちらかというと、おいしい物でも少し味わえれば満足してしまう方だった。
「では。――あれを用意してくれ。それから卿には肉でも出して差し上げろ」
彼は仕えていた男に命じた。
「我々の扱いがぞんざいではないか?」
「お前は肉と酒で満足しないのか?」
「そりゃあするさ。なあ」
わははとロシェナン卿とゴアマが笑う。レコールは苦笑い。
レコールは私の後ろで控えようとするので席に座らせた。
彼らと少し離れた場所で、私はぜひにと頼まれラトーニュ卿の隣に。
給仕たちが運んできたのは、色とりどりの鮮やかなベリーのシロップ漬け。
小さな磁器に盛られていくつも運ばれてきた。
「宝石のようですね」
「嬉しいですね。ぜひ、味の方も感想を頂ければ」
彼は薄く焼いたビスケットを勧めてきた。ほんのり塩見のあるビスケットにシロップ漬けを載せて頂くと甘みだけではなく、瑞々しさの中に酸味と香りが感じられ、口いっぱいに広がった。ビスケットも甘くないためシロップ漬けを邪魔せず、さくさくと軽い食感が心地よかった。
「甘みが強すぎないので風味がよく感じられます。実の部分が大きいのですね」
「そうですか! そうですかそうですか。苦心した甲斐がありました」
「えっ、卿がこれを?」
彼は肉を食べているロシェナン卿たちを気にしながら顔を寄せてくると――。
「ええ、お恥ずかしながらこれが好きで好きで。昔、小さな頃に食べた味を再現したかったのです」
彼らに聞こえないよう、小さな声で語りかけてきたが、その声は喜びを隠し切れないでいた。そして気難しそうだった顔が、なんとも楽しそうで、それは宝物を見せる少年のように見えた。
「荘園の方ではこれを?」
「いえ、こちらは趣味で植えている物と後は――狩りと称して森で摘んでくるのです」
後半はまた顔を寄せてきて小さな声で言った。
「おっ、うまそうじゃないか。ダワ、俺にも寄越せ」
「これは公への献上品だ。そもそもお前は味の違いがわからんだろ」
「違いない!」
わははとまたロシェナン卿が笑う。
「あの、献上品など頂いて宜しいのでしょうか?」
「ただの言い訳ですのでお気になさらず。どうか他も召し上がってください」
その後いろいろと作った時の苦労話を聞きながら、いくつも味見していった。どれもおいしくて、久しく忘れていた食の喜びを思い出させてくれた。ラトーニュ卿も嬉しそうだった。
そしてベリーは森の中で採れるものの方が風味は強いだとか鮮やかな種類が多いだとか実が多いだとか、薬草の中には少量混ぜるだけで風味を変えずに香りを強調できるものもあるとか、氷室無しでも風味を落とさず長く保存する方法とか――卿は興味深い話で愉しませてくれた。
◇◇◇◇◇
日暮れ近く、先触れに続いて馬車と騎兵の一団が到着した。二人の男爵とその臣下、それからレコールとゴアマ、私が出迎える。馬車から降りてきたのは赤い髪の貴公子だった。彼は男爵たちと短い挨拶を交わした後、私のところへやってくる。
「ロワニド様、稀有な黄昏時の巡り合わせに、ご挨拶申し上げますことをお許しください」
「ああ、確かに幻想的な夕暮れ……いや、聖女様にはこちらからぜひご挨拶をお許しいただきたい」
「そんな、畏れ多い――」
私が言い終わるが早いか彼は片膝をつき私の手を取ると――。
「
「そ、そのような……」
私は周りをきょろきょろ見回してしまうが、皆にこにこと微笑んでいる。
「――ロワニド様。聖女様に畏れ多いですので、以後はラヴィーリアとしてお見知りおきを」
ロワニド様はにこりと微笑むと立ち上がる。
「あの、お膝が……」
私が埃を払おうとするが彼が止める。
「ああ、いえ。我らの祖が開墾した土地の土です。ここでは気にする者などおりませんよ」
「なるほど、そうですね」
「はぁ、殿下はやはりカッコいいな」
などと言ってきたのはゴアマ。公爵以上の子息は、本来王族への敬称である殿下と呼ばれることも珍しくない。土地によっては侯爵や伯爵の子息でも殿下と呼ばれていることもある。それぞれが国のようなものだからだ。
「ルゴアマダールはもう少し私を敬え。ラヴィーリア嬢を前で締まらんではないか」
「そりゃあ無理ってもんです。公の場ならともかく」
臣下たちの笑い声。
「まあ中へどうぞ殿下。ラヴィーリア様をいつまでもこんな表に置いておくわけにはいきません」
ラトーニュ卿が先導し、屋敷に入った。
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