第17話 行いが聖女なら

 ――せめて腕が自由になってからでいい、自決しよう。


 マスクの男を斬る自信も無かったし、傷つける覚悟も無かった私は最後にそんなことを考えていた。


 戸はいくらか開けたまま、マスクの男は近づいてきた。ゴアマには悲鳴を聞かれてしまうだろう。けれど、せめて姿を見られないのが救いだった。


「なっ……」


 男は妙な声を上げて立ち止まった。私の顔をじっくりと見た男は突然、踵を返したかと思うと戸口へと引き返した。そしてゴアマを傍まで呼ぶと、小声でせわしなく会話を始める。


 後ろからよく見ると、マスクの男はかなり質のいい生地の服を着ていた。傍目には簡素に見えるものの、貴族が狩猟に使うような外着にも似ていたし、先程は気にもしていなかったが、襟元に刺繍が見えていた気もする。



「と、とりあえずここに居ろ。逃げるなよ。代わりを呼んでくるから」


 ゴアマはそう言うとマスクの男を待たせて行ってしまう。


「あの、何かあったのでしょうか?」


 私はマスクの男に聞くが、返事はない。顔を逸らしている。


「あの……辱めを受けるくらいならせめて自決させてください」


「んっ!?」


 ゴホゴホと男は咳き込んだ後――。


「お前はどうしてこんなところに居る」


 妙に低い声で話しかけてきた。


「――店の女の子たちが攫われるところに居合わせて、心配で潜り込んだんです。そうしたら捕まってしまいました……」


「そうか……」


 男はため息をつく。しばらくするとゴアマが見張りを二人連れて戻ってきた。

 戸が閉められる。

 おそらく、見張りを残して二人は去っていったのだろう。

 理由はわからない。とにかく私は一命をとりとめた。


 私は手首を縛られたままだった。それでもほっとしていた。

 ベッドは柔らかかった。メレア公のところに泊って以来だったけれど、柔らかいベッドは包まれるようで安心する。どうしてもこういうところは戦士にも下女にもなり切れない。



 ◇◇◇◇◇



 《治癒ヒール》――その詠唱が聞こえて目が覚めた。縛られていた手首の痛みが引いていく。私は腕を後ろ手に、ブーツを履いたままベッドの上で眠ってしまっていた。手首の縄は切られていた。


 慌てて身を起こすと、ベッドの傍にはゴアマとあの髪の長い金髪の男、他に二人の男が何故か跪いていた。私は慌てて着衣に乱れが無いか確認するが、辱められた様子は無かった。尤も、何日も着たままの服や手入れのできない髪はそれなりに乱れてはいたけれど。


「あ、あの……」


「お前、ソノフ家の聖女様なんだってな?」

「ええ!?」


 ゴアマが私の視線の高さに身を屈めると、突然そんなことを言い始め、私も慌ててしまう。

 自分にとってはもう遠い過去の言葉だったから。

 ただ、それを知られていると言うことは素性も知られてしまっているのだろう。


「――そのような呼び方をされ、調子に乗っていた時期もありました。私の過去の汚点のひとつです……」


「汚点だなんてとんでもない!」


 後ろで跪いていた男が叫んだ。


「私が怪我で働けない時、妻と息子たちが聖女様の施しに助けられたのです。汚点なんてとんでもございません」


 えっ――自分が思ってもいなかった言葉をかけられ放心してしまう。


「奴だけじゃないぞ、大勢の貧しい子供たちを助けてやったろ。ミリニール公の領地に逃げてきた連中はみんな聖女様の話をしていたし、この辺りの貧しい民も助けて貰っていた」


「あれは……あの頃の私は、公爵家三女として取り繕うだけで心の中では何も考えていなかったのです。施しだって、満たされていてお金の使い道が無かっただけの話です」


「王都のどこに他人のためにそれだけの施しをする貴族が居るよ。みんな自分のことばかり。幼くったって何もわからなくったって、行いが聖女ならそれは聖女だ。もっと誇れ」


「私は……私には誇れる行いなんて何もないのです。弱くて、ずるくて、カルナ様を裏切って……」


 ぽろぽろとみっともなく涙が溢れてきた。

 溢れて溢れて止まらなかった。


「んっ」


 傍でずっと立ってそっぽを向いていたあの長い金髪の男がハンカチを差し出してきた。

 私が困惑していると――。


「貸してやるから涙くらい拭け」


 私はハンカチを手に取ると溢れる涙を掬った。


「ありがとうございます……」


「その、疑って悪かった。すまん。辱めたこともすまんかった」


「いえ……でもブーツを無理矢理脱がされたのは……恥ずかしかったです……」


 ハッとなったその男は、びたんと両手を床につくと、額を同じく床に擦り付けて謝ってきた。後ろで跪いていた二人までそれに倣う。


「おやめください。私が疑われるようなことをしたのです。申し訳ございません」


 頭を上げてください――と説得するも一向に頭を上げない三人に、そろそろ頭を上げないと話にならないとゴアマが言うと、長髪の男は――お前は背中に触れただろうお前も謝れ――などと言い始めたものだから、混乱はしばらく続いた。


「悪い方々では無いというのは何となくわかっていたのです。ですがこちらも迂闊に知らせることはできませんでした。もし宜しければ目的を教えてください。おそらく力になれることがあります」


 ゴアマたちは顔を見合わせた。


「こちらにも事情があってな、まだどうするかこの場で判断できないんだ」


「そうですね……」


 ジーンも情報を集めてからの判断には時間を掛けていた。

 どこまでの情報を教えてくれるかも愚かな私のために考えてくれていたのだろう。例えばカイネ・リトアがソノフの者だということもおそらくは知っていたのだ。


「そういえばお前――」

「お前じゃなく聖女様だろ」――先ほどレコールと名乗った長髪の男が言う。


「聖女様――」

「お前で構いませんよ。名前ももうご存じでしょう。ラヴィでもリアでも構いませんし」


「じゃあラヴィ、お前カイネ・リトアを捕まえたと言ってたな」


 レコールがゴアマの物言いに不満気な顔をしている。


「ええ、捕まえました。手下の四人はあいにくこちらの人手が足りず、埋葬しましたが」


「そうか。よく無事で。ソノフの密偵とは聞いていたのだが、最近になって毒を使う暗殺者だという情報が入ったんだ」


「はい、即効性の毒を何度も貰いました。こことか、こことか、あとこの辺にも」


「はっ? どうしてそれで無事で」


「目的を教えてくださればこちらもお話しします。それから一度、王都の神殿と接触することをお勧めします。賢者様も含め、全ての裏付けが取れるかと」


 もし接触する場合は、私の名前を出すように言っておいた。

 彼らも今頃、私を探しているかもしれない。


 その後、私はこの部屋を使ってくれていいと言われた。

 遅い時間だったが侍女も一人付けてくれ、世話までしてもらった。


 私は久しぶりに水浴びをして清潔な服に着替えることができた。

 やはりというか首輪のことを心配されたけれど、大事なものだからと話しておいた。

 コルセットだけは洗ってすぐに干さないといけないのは相変わらずだったけれど。



 ◇◇◇◇◇



 ゆっくりとベッドで眠ることができた。

 恐怖から急に安心できたためか、夢の中のカルナ様は優しかった。

 目が覚めるとまた泣いていたけれど、昨日のようには辛くなかった。


 いつものようにコルセットを付けようとすると――。


「まだ乾いておりません。別の物を用意いたしましょう」


「ごめんなさい。大事な物なの。肌身離さず持っていたくて……」


「湿っているとお体に悪いです。もう少しお待ちください」


 あまり侍女を困らせるわけにもいかなかったので、その場は譲った。



 部屋に居ると朝食に招待された。

 昨日のレコールが迎えに来てくれ、一礼する。


「聖女様、参りましょう」


 彼はあの必死な謝罪の後から妙にへりくだってきていてやり辛い。

 ここの建物には段差や階段がいくつもあるのだけれど、その度に手を差し出して気遣ってこられると、それまでとの落差が大きすぎ、さすがの私でも苦笑いしてしまう。


 広間――と言うほどでは無いが、大きめの部屋、周囲の石壁を毛織物で彩った、客間に近いような部屋に、無骨とも言える厚みのある大きなテーブルがあり、給仕たちが結構な量の料理を運び込んでいた。


「聖女様をお連れしました」


 既にテーブルには恵まれた体躯の髭を生やした壮年の男性とそれから昨日のマスクの男が居た。


「ようこそ聖女様、私はこの館を任されておりますロシェナンと申します。ぜひ我が家の朝餉をお楽しみください」


「おやめくださいませ。聖女様に申し訳が立ちません。ただのラヴィーリアとお呼びください。ソノフからは縁を切られておりますので」


「領民の多くには王都の聖女様としてもう知れ渡っておりますからなあ。ですがあまり気を使わせるのも申し訳ない。せめてラヴィーリア様とお呼びさせてください」


「え、ええ……ですがロシェナンというと西にある大きな荘園でしょう。そこを任されておられるのでしたらお貴族様では」


「ああ、ええ、そうですが男爵などと言うものは郷士のようなものですからお気になさらず!」


 そう言ってロシェナン男爵は笑う。

 大抵の男爵、そして時には城塞都市を任される子爵という位も含め、彼らは貴族と見做されないことも多い。男爵は小領地や他領内の荘園を任されることが多く、爵位では呼ばれず郷士と呼ばれることも多い。普段は農耕に従事することが多いからだろう。


 私の前にも次々と料理が運ばれてきて、皿に装われる。


「あの、私はそれほど入りませんので……」


「ああ! 申し訳ない。我が家の朝餉は郷士そのものですからな。質よりも量。領民と変わらんのです」


「閣下は既に二度目の朝食ですのでご遠慮なく」


 給仕の男性が耳打ちしてくれる。もちろん男爵にも聞こえていて大笑いする。公爵家ではありえない心の豊かさを感じた。


 そんな話をしているとゴアマもやってくる。


「遅いぞ、呼びに行かせただろう」――レコールがそう言って怒る。


「朝から怒るな。ああ、閣下、おはようございます」――そう言いながら肉にかぶりつくゴアマ。


「お前は礼儀を知れ。卿も居られるのだぞ」


「気にするな」


 そう言ったのは――卿――とだけ呼ばれたあのマスクの男。

 彼は既に食事を終えているのか、杯を持って背もたれに体を預けるよう、椅子に深く腰掛けている。

 私は彼に向き直り――。


「あの……私、どちらかでお会いしましたでしょうか?」


「いや……、ああいや、学び舎の方に立ち寄った時に見かけたことがあるのだ」


「そうですか……」


「閣下、それ旨そうですね、ひとつください。――それで、神殿への使いはどうする?」――ゴアマが食べながら聞いてくる。


「そんなもの、もう使いを走らせたに決まっているだろうが。寝すぎなんだよ」――レコールが再び怒る。


「あの、皆さんでご相談でしたら私は外しましょうか?」


「「「いやいやいや」」」――卿を除いた三人が言う。


「気にしなくていい。決めるのは我々ではないしな。まあ、ゆっくりしてくだされ」――と男爵。


「はあ……」


 その後、私は久しぶりに十分な食事を頂いた。

 ただ、男爵からはもっと食べて欲しいと言われるような量だった。


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