第8話 ハーレム
《
二階の窓から侵入した部屋の中で私はナイフを抜く。
「いっ……つぅ…………んんっ!」
先程までとは違ってものすごく痛かった。あまりの痛さに床の上で悶えながらようやくナイフを引き抜いた。それほど大きなナイフではないのに、腹の中にあったときの存在感は大剣でも刺さっていたかのようだった。
「お、おう、大丈夫か? 包帯を取ってきてやるから」
男が狼狽した様子で私を見下ろしていた。
私は《共感治癒》をナイフにかける。
血はそのままだったけれど、肌を撫でると傷は完全に塞がっていた。
「お、おい、それ《治癒》の魔法じゃないよな?」
「……」
「魔女か?」
「……そんなところです」
私はすっくと立ちあがると長包丁についていた血を汚れた服で拭き取った。
そういえば鞘を置いてきてしまった。カルナ様がくれた物だったのに。
「俺はジーンだ。よろしくな」
ジーンと名乗った彼は握手を求めてきた。
顔はカルナ様ほどでは無いが整っていて表情が豊か、クセっ毛の濃い茶色の短い髪、上背もそこそこあり、このような町に住んでるにしては所作が優雅に見えた。
「リア……です」
握手はしなかった。単純に彼が信用しきれなかったこともあったけれど、魔女の力を使うことを知られてしまったことへの警戒が強かった。まさかあれだけでバレるとは思わなかった。
「まあいい。ついてきな」
彼はおどけた様子で部屋を出て階下に降りていった。
「ここは下の階からじゃ入れないようにしてある。何でかっていうとだな――」
彼は廊下に面した部屋のドアをノックし、開け放った。
「――ここは俺のハーレムだからだ!」
部屋の中には女性が何人もいた。ドレスとまでは行かないけれど、上質で綺麗な服を着ており、ソファなどでくつろいでいた。低いテーブルには果物などがあって食事にも困っていない様子。それどころかポットやティーカップなどもあって貴族たちがくつろぐ部屋のようにも見える。
「「「ジーンさま!」」」
彼女たちが声を揃えて彼に呼びかけた。
「皆、ただいま。愛しているよ」
彼は恥ずかしげもなく複数の女性に愛の言葉をささやき、軽く口づけを交わしていた。
そしてさっきよりもずっと甘い口調で話している。
「実はちょうど帰りがけに一人拾ったんだ」
「また新しい子ですか?」
「お人形さんみたいね」
「首のそれ、ジーンさまに外してもらって」
「大丈夫? 怪我をしているみたいだけど」
「すぐ慣れるわ。こっちに来て体を洗いましょう」
「い、いえ、私はそういうつもりでは……これは返り血ですから大丈夫……」
「俺は大歓迎だ。君みたいな美しい女性とはぜひ仲良くなりたい」
「まあ、ジーンさまったら!」
「まだ若い子なんですから誑かしてはいけませんよ」
「リア、とにかく体を洗っておいで。ここは東じゃ珍しく水が来てるから。ああ、変なことはもちろんしないさ。安心して」
「ジーンさまは入ってはいけませんよ」
「ジーンさま、こちらで一緒にゆっくりしましょう? ね?」
◇◇◇◇◇
私は二人の女性に連れられて、タイル張りの別の部屋で体を洗われた。
首輪については大事なものだから外さなくていいと話してある。
「リアはなんだか洗われ慣れてるわね」
「えっ、そうでしょうか……」
「そうだね、そんな感じがする。髪も肌も綺麗だし、お姫様みたいね」
少し恥ずかしかったけれど、屋敷に居た頃はよくこうやって洗って貰っていた。
二人はレンテラとアニーと言った。
「お二人はその……ジーンに攫われてきたのですか?」
二人は顔を見合わせるとクスリと笑った。
「そんな感じかもね」
アニーが冗談めかしてそう言った。
「ジーンに聞いてみてちょうだい。教えてくれると思うわ」
レンテラがそう言う。少なくとも酷い目には遭ってなさそうにみえた。
◇◇◇◇◇
清潔な下着と服を着せてもらった後、大部屋に戻ってくると、ジーンは一緒に座っている女性と――舌を絡めるようなキスをしていた! 私が短い悲鳴を上げて後ろを向くと、レンテラがジーンを注意してくれる。
「ジーンさま、リアの前でやめてください」
「わかったわかった。ほら皆、もうちょっと離れて」
私は促されてジーンの対面のソファに座る。長包丁を持って。
「リア、その物騒な物どうにかならないかい?」
「鞘を置いてきてしまって……」
「わかった。何か探しておこう」
私は彼に礼を言う。行く宛もなかったから匿ってくれたことは助かるけれど、追われる身だから迷惑をかけるかもしれないと。
「なぁに、俺の恋人たちはみんな追われる身さ。だからリアが入ってくれても一向に構わない」
「皆はどうしてここに?」
「俺が娼館なんかから攫ってきたんだ」
「全員ですか!?」
「まあね。君を入れて七人いる」
「私は含めなくて構いません」
「どうして? ぜひハーレムに入って欲しいんだけど」
「お断りします」
「つれないなあ」
「こんな所で、食事はどうしているんです? ジーンさんもまともに働いているようには見えませんが」
「う~ん、そうだな。実は俺は豪商の道楽息子で暇と財を持て余しているとか、どうだい?」
「それで女性を囲っていると?」
「悪くないだろ? 男の夢だよ」
「全くわかりません」
私がため息をつくと、彼も諦めたのか話題を変えてきた。
「君が居たいなら居てくれいい。追われてる理由も言わなくていい。外に出るのも自由だし変装したいなら服を使いなさい」
「あ、ありがとうございます」
私は二階の部屋をひとつ貸してもらった。服もいくつか貰ったけれど、本当に豪商なのか、結構な量の衣装や下着が揃っていた。
◇◇◇◇◇
ジーンが囲っている女性たちは皆、幸せそうだった。ジーンも彼女らと接しているときの表情はとても柔らかく、本当に全員を大事にしているように見えた。彼女たちがジーンを信頼し、愛するのも何となくわかってしまう。
貴族や豪商などが複数の女性を妻に娶ることは珍しくない。実際、父の第二夫人が私の母だった。ただ、私には理解できなかった。理解はできなかったが、例えばカルナ様がセアラ様と結婚したとして、私を傍に置いてくれると言うなら喜んで従っただろう。なぜなら私は罪を犯してしまったから。だけどそうでなかったら――私には我慢できなかったかもしれない。
夜、下の大広間で食事を頂いたあと、部屋にひとりで居るとジーンが訪ねてきた。
「悪いな、ちょっと話しておこうと思ってな」
彼がスツールに座ると、私は念のため長包丁を膝の上に置いてベッドに腰掛けた。
「ああ、その得物だがいいものがあったんだ。安いから容量はそれを入れたらいっぱいかもしれないが」
ジーンは小さな革袋を渡してきた。
「これは?」
「《
「これに入るのですか? これが?」
「たぶんな。それを入れたらいっぱいかもしれないが」
疑いは隠し切れなかったが、長包丁を突っ込むと袋を裂くことなく全て入ってしまった。
「だ、出せるのですかこれ?」
「望めばな」
驚いたことに長包丁を取り出すイメージと共に、小袋からは柄が突き出てくる。引っ張ると刀身が姿を現した。
「な、なるほど。ただ、私には対価が払えません」
「何言ってんだ。服もあるし今更だろう。払えって言うなら服をやった時点で襲ってる」
「はあ……わかりました。ありがとうございます。ただ、あなたの女にはなりません」
「ま、それは追々でいい」
よくありません。
感謝は致しますし、そう悪い男でも無さそうですがカルナ様を置いてそれはありえません。
「――無くさないように下着にでも縫い付けておけ。コルセットなら付け慣れてるだろ」
「どうしてそれを……」
「なんとなくだ。それからちょっと外に出てきたんだが、平屋敷の方で騒ぎがあったらしいな」
彼は私の出自に気づいたのかと思ったが、そうでもなかったようだ。そして――。
「平屋敷? ですか?」
「ああ、地階と上階しかないが奥がだだっ広い娼館だ」
「ああ、平屋敷と言うのですか」
「渾名だがな。どこかの貴族が背後にいる娼館らしくてあまりいい噂は聞かない」
「若い女性を買ってきては客を取らせてます……」
思わず長包丁を握る手に力が篭った。
「そうだ。俺も目を付けていたがあそこだけは面倒だ。だが、騒ぎの様子を聞いた限りでは、それをやり遂げた連中が居るらしい」
「そうですか」
「いやリア、お前も関わってるんだろ?」
「聞かない約束ではなかったでしょうか?」
「いいだろが、察しは付いてるんだ。それに少し前から妙なリネン売りの商人がこの辺りをうろついていたからな。気にはなっていた」
「ほ、他の娼館では何か無かったのですか?」
「ああ? なんだ、気になるのか」
カーレアの妹たちが気になった。できるなら知りたい。
「え、ええ……」
「三か所。今日だけで平屋敷以外の娼館が三か所狙われて、客を取る前の若い娘が攫われて……いや、助け出されている」
「そうですか……」
ほっとした。おそらくカーレアの妹たちは無事だ。
「ただし、一か所だけ、女の子が一人、逃げ遅れてまた捕まった」
「ど、どこですか!? その子の名前は?」
「知ってどうする?」
「そ、それは……」
私はとっさに一人で斬り込みに行こうと思った。無茶もいいとこだけれど。
「俺は客をとってる女のうち、逃げたい子を逃がしてる。どうしても行く当てがない子だけここに置いてるがな。ただ、客を取る前の子は扱いが得意じゃないし、そもそも接触できない」
「じゃあ、同年代の私なら……」
「本気で言ってるのか?」
「無理なら正面から斬り込みます」
「お前! どうしてその見た目でそんな危なっかしい考え方が出てくんだよ!」
「あ、あまり賢くありませんので……」
「はぁ……わかった。無茶されるよりいい。助けてやる」
取り残された少女はやはりカーレアの妹の一人だった。ジーンは娼館に入り込めるよう手はずを整えてくれると約束してくれた。抜け出す時の方法や賢い立ち回り方まで教えてくれた。
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