第9話 潜入
「よしよし。悪くねえな。じゃあ、うちのリリアを頼むぜ。――達者でな」
私を連れてきた男はたんまり入った金貨の袋を確認し、重みを愉しむように弄んだあと、店から去っていった。私は無言で礼を返した。私はあの後、ジーンの協力でカーレアの妹が居るであろう店に潜り込む手筈を二日かけて整えて貰った。
店は広場に面した一見、宿屋のような体裁を保ったものだったけれど、ここも娼館であった。ジーンの話では男は――その辺で声をかけた
私はというと、レンテラが覚えていた髪を染める魔法で白金色の目立つ髪をカーレアと同じ栗色に染めてもらっていた。瞳の色も目立つけれど、前髪が伸びていたので気にならないだろう。服は安い古着に着替え、前で締めるタイプのコルセットを用意してもらって背中側に魔法の小袋を縫い付けて貰っていた。これでいつでも取り出せるけれど、長包丁に護剣が無くてよかったと今更ホッとしていた。
男たちには一階の左手奥の小さな部屋に案内された。一階、左手の廊下の先は狭く、逆に右手側には先に二階への階段があった。部屋には窓があったけれど、格子がはめ込まれている。扉にはもちろん鍵を掛けられた。ただ、平屋敷ほど出口までは複雑ではないし、人が多いわけでもないから逃げ出すのは難しくなさそうだった。
問題はカーレアの妹、レテシアとの接触だった。
◇◇◇◇◇
「もし? ここには私以外に女の子は居ないのかしら?」
私は夕食を運んできた小太りな下男に聞いた。
ジーンに教わった馴れ馴れしさのある喋り方で。
食事は豆のスープと肉を焼いたもののよう。
「ああ? ああ。上の階に大勢居るぜ」
「あの、それはもっと上の女性では? 伯父からは近い年の子もたくさん居るから安心しろと」
私は幼く見られることからレテシアと同じ十二と偽っていた。
「今はまあ……居ねえな。ただ、一人だけ逃げ出したのが居たから檻にぶち込んである。お前も逃げようとしたら同じ目に合うからよく考えろよ」
「檻? 閉じ込められるならここも同じでしょ?」
「檻があるのは冷たくて真っ暗な場所だぞ。入りたくはないだろ?」
「……ええ」
下男は場所までは明かさなかったけれど探す手掛かりにはなった。
ただ、平屋敷のように自由に接触できないのは面倒だった。
食事は肉の塩味が強く、豆のスープも味付けが濃かった。
「舌が荒れそうです……」
私は早く彼女を見つけて助け出さないとと感じた。
◇◇◇◇◇
翌日、私は足に枷を付けられた。枷といっても右足にそこまで重くはない重りを付けられただけだけれど、走り回ることは難しい。そして痣を付ける気は無いのだろう。無理をしなければ足を痛めることが無さそうな革のベルトで繋がれた重りだった。
一階の床は石畳だったためゴトゴトと歩くたびに音がした。手で持とうにも革の長さが限られていて持てない。私は中庭で井戸からの水汲みを命じられ、ひたすら樽に水を汲んでいた。じっとしているよりはいい運動になる――なんて以前の私なら思いもしなかっただろう。
「いやお前、どんだけ汲んでんだ。どの樽も満杯じゃねえか!」
樽の水をバケツで二階に運んでいた男が声を上げる。
「まずかったかしら」
「まずくはねえが……まあなんだ、不憫だとは思うが、働き者は歓迎するぜ」
「そう? でも暑いわね。どこか涼める場所はない?」
夏ではないものの、天気のいいこの時期は暖かく、風の吹かない狭い中庭は井戸の湿気もあって茹だるようだった。
「水なら好きに浴びてていいぞ。厨房の熱もあるし狭いからどこも暑い」
「嫌よ。露天で肌を晒す趣味はないわ」
「地下室なら涼しいが……」
「いいわね。入ってもいい?」
「入んない方がいい。あまり気分のいい場所じゃないからな」
男が語気を強めたため、それ以上は無理を言わなかったけれど、おそらく檻があるのは地下室だろう。
昼食を取る際、わざとまごついて厨房の様子を見ていた。すると食事をどこかに運んでいく様子が見える。客に出すものではない。私が食べているよりも簡素な食事だ。私はできるだけ自然な素振りで後を追った。すると、厨房近くの廊下、少し不自然な向きに扉があると思ったら、その先は地下への階段だった。男が入ってすぐの場所に掛けてあった鍵を手にすると、食事を下に運んでいった。
「おいリリア!」
その足で一旦、部屋に戻ろうとすると声を掛けられる。
気づかれたか? ――そう思ったが――。
「昼飯、食いっぱぐれるなよ。忙しくしてたらいくら働き者でも忘れられるぞ」
さっきの男が注意してくれただけだった。
私は礼を言って厨房に引き返した。
◇◇◇◇◇
深夜、上の階も静かになる。言い訳できなくなってしまう代償はあったが、私は足枷を切って行動を開始した。
音が出るためブーツは脱ぎ、上着の靴下留めにそれぞれの紐を括り付けてスカートの中に隠した。以前ならブーツを脱いで歩き回るなんて恥ずかしいこと、考えもしなかっただろう。そんな自分が少しおかしくてクスリと笑った。
廊下にはさすがに人は居なかった。一人でも誰か居れば避けようのない長い廊下なので、そうでないと困るのだが。廊下を進み、地下室へ続く扉まで来た。が、扉には錠が掛けられていた。ジーンは錠のこじ開け方も教えてはくれたが、そんな繊細な技術は自分には覚えられなかった。
鍵か或いは力業でこじ開けられる物を探さないと……。私は近くの厨房に忍び込んだ。鍵のありかはわからなかったけれど、丈夫な火かき棒を見つけた。火かき棒を掛け金に引っかけ、体重をかけると徐々に掛け金を留めていた大釘が抜けていった。
ガシャ――柱側の掛け金が外れた音にビクリとする。
どこかで物音がしないか耳を澄ました後、ゆっくりと扉を開ける。
――中に進み入り、扉を閉めると完全な闇。
私はあらかじめ準備していた灯り――牛の角を薄く削りだしたものや油を染み込ませた羊皮紙で覆いを作り、中に魔法で永遠に光り続ける石を入れ、さらに筒で遮蔽したもの――の蓋を緩めると光が漏れる。漏れた光で確認した壁の鍵を手に取り、石段を下りていく。
――寒い。本当にこんな場所に閉じ込められているのだろうか。まともな人間のすることじゃない。
長い階段を降り切った。真っ暗な広い地下室には本当に灯りがひとつも無かった。そして臭い。異臭がする。
広めの廊下には左右にいくつも扉が並ぶ。扉には格子の入った除き窓が付いていた。
「レテシア? レテシア居る!? レテシア?」
扉をひとつずつ開けていくと、鍵のかかった扉が。
私は鍵束の鍵を使って扉を開けた。大き目の鍵がそうだった。
中には毛布に包まった何かが。
毛布を退けるとまず異臭が鼻を突いた。そこには人骨があった。
「ひっ」
私は思わず後退る。人骨は閉じ込められていただけでなく、枷を付けられていた。
「なんて酷いっ――」
口を押えて嗚咽を漏らさないようにするだけで精一杯だった。
「お願い、出してっ。もう逃げません。出して。怖いよ――」
背後で泣きながら訴えかける声が。私は飛び跳ねるように身を起こし、扉の鍵に取りつく。
「レテシア? 怪我はない? すぐに出してあげるからね」
「お姉ちゃん?」
「ううん、でもカーレアの友達。助けに来たの。だから静かに待ってて」
「うん……」
扉を開けると私よりも背の低い少女が抱き着いてきた。
私は後ろの部屋が目に入らないよう、灯りを背ける。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
少女は憔悴しきっていた。ふらふらとした足取りで心もとなかった。
私は後ろの部屋の扉を閉め、上に戻ろうとした。
「待って。もう一人どこかに女の子が居るから助けてあげて」
「んっ、わかった」
カーレアに似て優しい子だ。私は他に鍵のかかった部屋を探していった。すると、いちばん奥の部屋に、鍵を掛けられたうえ、両腕に枷を付けられた少女が閉じ込められているのを見つけた。
鍵束の小さめの鍵は手枷の鍵だった。
「大丈夫? 名前は? 怪我はない?」
枷を外しながら聞いた。
「スカルデ……」
「スカルデ。いま助けてあげる」
私はスカルデの枷を解き、彼女を抱き上げると地下室を後にした。
◇◇◇◇◇
廊下を抜け、入り口の酒場まで出られさえすれば、ジーンが広場のどこかに配置した仲間が見つけてくれるはず。
ただ、その目論見通りにはすんなりと上手くは行かなかった――。
「よう、こんな夜更けまで働き者だな」
そこを曲がれば酒場というところで酒を飲んでいた男がいた。あの昼間の男だ。
酒場からの灯りで姿がはっきりと見える。
私はスカルデをレテシアに委ねると、背中から長包丁を抜いた。
「おいおい、何だそれは。冗談だろ」
「冗談ではありません。邪魔すれば斬ります」
「お、おい! 警笛を吹け!」
男は酒場の方に向かって叫んだ。すぐに笛が鳴らされる。
同時に私は彼の脇を狙って突きを空振らせ、引く刀で横腹を削いだ。
ギャッという声と共に男はたたらを踏んで尻もちをつく。
「手を出したら次は容赦しません」
私はレテシアとスカルデを連れて酒場の方へ。
酒場には店の男らしき者が二人。客はいない。夜の見張りだろう。
一人がカウンターの裏から剣を二本取り出し、一本をもう一人に投げた。
私はレテシアとスカルデに部屋の角に向かうように指示すると、二人を隠すように付いて横に移動した。すぐに男が一人、テーブルの間を縫って斬りかかってくる。
私は低い姿勢で構えると、男の踏み込みに先んじて踏み出し、相手が振り下ろす前に相手の腕を斬り裂いた。男は剣を取り落とし、腕を抱え込んで蹲る。
私は二人に――回り込んで出口へ――と叫び、蹲った男を踏みつけ、テーブルの上を駆け、そのままカウンターの男に斬りかかった。
跳躍し、宙返りと共に男の肩口を斬り裂き、体を捻って着地すると間髪入れずに足をかけて転ばせる。祝福の記憶がそうさせた。
その隙にレテシアとスカルデを連れて店を出ると、ジーンの手の者らしき人影が走り寄ってくる。マスクをしているが一人はジーンだった。
「お見事。怪我はないようだな。お嬢ちゃんたちは負ぶってやろう」
その後、私たちは無事、ジーンの家まで送り届けられたのだった。
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