第7話 熱狂
カーレアの兄はどうやら亜麻織物の取引先に潜り込んでいる様子だった。店の取引先のどこかかもしれない。そうカーレアは言う。カーレアは兄を追い返すつもりらしい。私はカーレアが直接兄に接触するのは危険だからと、代わりに接触を試みた。
カーレアの兄、ゼレクがリネンを運び込んでいる。私は店の者が居ない隙に倉庫に忍び込んでゼレクに声をかけた。
「カーレアのお兄さんでしょうか」
彼女の名前にはっとした彼。
「……君は?」
「彼女と同室の者です。代理で来ました」
「カ、カーレアは元気にしてるか?」
「ええ、でもそんなことを聞きに来たわけではないでしょう? ――彼女は帰って欲しいと言っておりますが」
「そうなのか……」
私は外に漏れないよう、小さな声で尋ねる。
「まさか、考えもなく連れ戻しに来たわけではないのですよね?」
「実は――」
彼は店を捨てて逃げるつもりだと答えた。妹二人はそれぞれ父と母が迎えに行く算段だけれど、どこまで上手くいくかはわからない。そして協力者が西の地に導いてくれると。どこまで信じていいのか自分には全く見当もつかなかったけれど、抗うなら力を貸すまで。
「そのつもりなら協力してあげます。彼女に何か伝えておくことは?」
そうして私は怪しまれないうちに彼の元から立ち去った。
◇◇◇◇◇
夜、カーレアにゼレクのことを伝えた。部屋の外に声が漏れないよう、彼の家族の事、店の事、協力者の事。近いうちに古いリネンをまとめて引き取るので、その際に大籠に隠してカーレアを逃がそうという。妹二人も同様の手段で逃がす予定だと伝えた。
「でも、私が逃げたらあなたが!」
「しっ。……静かに。私のことは心配しなくてもいいの」
「心配よっ。あなたとキミリは私を助けてくれたんだもの」
「一人で逃げ出すくらいはたぶん、難しくないと思うの」
「あなた、私より華奢じゃない」
「ううん。私には祝福があるから。地母神様がついている。それに毎晩、少しでも鍛えてるでしょ?」
「それでもこんな細い腕で……」
カーレアは優しい。こうやって妹たち二人を守ってきたんだろう。できることなら彼ら全員を無事に逃がしてあげたい。そして守らなければならない。そんな使命感が沸き上がる。もう貴族などではないのに、私の血がそうさせるのか。
「あなたたちは絶対に助ける」
◇◇◇◇◇
決行の当日、思ったよりも私たちは忙しかった。先日、下男がカーレアに手を出したことから、男の使用人の二階への立ち入りを制限されたためだった。シーツの交換を一度に行うために年のいった下女の仕事を手伝わされた。
建物はいくつもあるけれど、二階に立ち入るのはこれが初めてだった。二階の部屋はどこも香水の匂いがきつい。そして下着のような薄着にショールを羽織った程度の服しか着ていない女性ばかりが居た。幸い、清潔にはさせて貰っているのだろう、中には大桶で湯浴みの最中の女性もいて驚いた。ただ、多くは辱めを受けたに違いない。弱弱しく、怯えた者ばかりだった。
買ったばかりの私たちを二階に上げない理由がわかった。こんな彼女たちを見せられては喩え殺されようとも逃げ出したくなる。そして二階への階段はどの建物もひとつしかなく、必ず見張りが居た。まだ一階に居る間の方が逃げ出せる可能性はある。二階を見せたと言うことはつまり、私たちも移される可能性は高い。
私は歯痒さを隠し切れずにいた。短絡的で頭の回らない自分には、どれだけ強くなれば全員を解放できるだろう――そんなことしか考えることができなかった。
――人質を取られたら――皆殺しにするつもりなら無駄なことはしないだろう。
――囲まれたら――狭い屋内で戦い続けるのだ。
――助けた後は――彼女たちを養っていく伝手が無い。
ふと、いつの間に自分はこんな物騒な考え方になったのだろうと自嘲した。
――長包丁が帰ってきたから? ――違う。手段に過ぎない。
――祝福を手に入れたから? ――違う。力に過ぎない。
――キミリが死に瀕したから? ――違う。きっかけに過ぎない。
違う。自分はもともと身勝手で嘘つきで醜かった。
民の上に居ると言うことを理解していなかった。
体裁ばかり気にしてのうのうと生きてきた自分が憎かったんだ。
あまつさえカルナ様を裏切って――。
腹立たしさをぶつける体のいい悪人が欲しかったんだ。
◇◇◇◇◇
「おい、ラヴィーリア」
あの長身の男が声をかけてくる。名はターレンとかなんとか言っていた。
屋敷の主人ではないけれど、下男を束ねている男。
「なんでしょう?」
「カーレアを見なかったか?」
「先に部屋へ戻っていると思いますが、用ですか?」
もちろんそれは嘘だった。カーレアは今頃、大籠の中。
「ああ、いや……あの男、確か……」
ゼレクの顔とカーレアが繋がったのだろうか?
「呼んできましょう」
私はもしもの場合に備えて布に包まれた長包丁を取りに戻った。長包丁は携帯するには目立ちすぎる。無くても祝福の力があれば多少は何とかなるかもしれないけれど、この細腕では下男たちとやり合うにはいささか分が悪すぎる。
◇◇◇◇◇
「いやいや、やめてくれ。こんなところでシーツを引っ張り出されたら仕事にならない」
戻ってみると案の定、ゼレクがターレンに捕まっていた。
大籠の中身を引っ張り出しているが、そう簡単に全部出せるものでもない。
「いいや、お前の顔には見覚えがある。くそっ、全部調べきれねえな。引っ繰り返せ」
「これだって売りものなんだ。こんな場所で広げるのはやめてくれ」
ゼレクたちが運んでいる籠にはカーレアは入っていないはずだけど……。
「ちぃっ、行けっ」
ゼレクともう一人の男が大籠を抱えて出て行く。
何とかなりそうでホッとする。しかし――。
「きゃっ」
ゴトンという音と共に廊下の奥で声がした。覗き込むと、あの
「兄貴! 居たぜぇ!」
「くそっ、お前ら、やっぱりか!」
ターレンがナイフを抜く。
私は柄をいつでも掴めるようにしていた長包丁を布から引き抜くと、ターレン目掛けて走り込んだ。
私は両手に持った長包丁でターレンの右の上腕を切り上げると、怯んだ彼のひかがみを踏みつけた。片膝を着いたターレンの首に長包丁を突き当て――。
「動くな! 皆を逃がしてあげなさい!」
そう叫んだ私の声は震えていたかもしれない。
「くそっ、誰だ? ラヴィーリアか? 構わんから捕まえろ」
「あなた、自分は死なないと思わない方がいいですよ」
鋭利な長包丁の先端を食い込ませると、ギャッという悲鳴と共に、やめてくれと彼は懇願してナイフを手放した。
カーレアたちが十分距離を取ったのを見て、私は踏みつけていた足を退ける。
「追えば斬ります」
私はターレンたちを置いて屋敷の出口に向かった。
道は憶えている。あの夜、キミリを連れだしたときに憶えたから。
屋敷の前まで来ると、事を察したのか馬車の者と屋敷の者が対峙していた。
馬車の一団は武装していたため、カーレアは既に馬車に押し込まれていた。
私は手近に居る剣を持った下男の腕を斬りつけ、返す刃でもう一人の脚を斬りつけた。
「行きなさい!」
ゼレクたちは馬車に乗り込む。彼は私を待つそぶりを見せたため、早く行け! ――と強く言うと御者は馬車を走らせた。
どうして彼らと共に行かなかったのか。自分でも可笑しくなった。
――私は表に居た四人のうち、さらに一人に斬りつける。
怒りをぶつけることに興奮したのだ。
――さらに脚を斬った相手の腕にも斬りつけた。
どこまで通用するかも見たかった。
――残った一人の剣も絡めとりながら手首を斬り上げた。
どすっ――そして鈍い音と共に腹に焼けるような違和感。
長包丁を切り上げて、ガラ空きとなった横腹にナイフが突き立っていた。
ターレンが迫ってきていた。下男から剣を受け取るとこちらに構える。
痛みには耐えられる。
祝福が力を貸してくれている。
私は祝福が
ターレンは離れた位置から、想像を超える速さで踏み込んできた。そういう祝福なのかもしれない。一瞬で詰まった距離とともに剣が振り下ろされる。――しかしそれだけの速さであっても、この祝福の
ターレンはすんでのところで頭を逸らしたが、首に刃が通った。
「追えば斬ると言ったでしょう!」
私はそのまま通りを走った。追っては来ているけれど、ターレンほどの者は居ないようで追いついては来ない。ただ、ナイフの突き立った腹は何とかしないとと思った。人の多い通りではないし、治安も悪いと言うが、それでも出くわす人間は私を避け、訝しんだ。
ただ、ひとりだけこちらを興味深そうに見ている男が居た。男は手招きすると、路地に入っていく。私は路地に飛び込むと、足を緩めてため息をつく。男の姿が無かったのだ。
「こっちだ。匿ってやる」
声がした方を見上げると、男はレンガのでっぱりを足掛かりに登ったのか、近くの小屋の上に居た。そしてさらに別の建物の屋根の上に上がっていく。私は男についていった。
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続きませんぬ。
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