第6話 祝福
「ラヴィ! キミリは!?」
部屋に戻るとカーレアが呼びかけてくる。
私は錠前が掛けられる音に耳を澄まし、あの男が立ち去るのを確認する。
「落ち着いて。私の言うことを聞いてもらえる?」
カーレアは戸惑うけれど、涙ぐんだ目で頷き返してくれる。
「扉に耳を当てて廊下の音を聞いて。誰か居ないか、通らないか確認して」
カーレアは私の様子に察してくれた様子で扉の傍に行く。
私はなるべく部屋の奥に行くと、先ほど
「いま、離れていってる。――――静かになった」
カーレアの言葉を受けて、私は目を瞑り、
「お願い、
私は魔法の言葉を唱える。
それは慣れ親しんだ聖堂の祈りではなく、地母神様の、神殿の祈りだった。
地母神様はこの地方の古い神様。
民の信仰であり、多産の神。
そして魔女の力の源。
東の魔王と戦うため、この地に聖堂を築いたのが主神様。
その聖堂を中心に作られたのが鉱国の王都。
城下には地母神様の古い神殿もあったはず。
そして主神様と地母神様とは協力関係にあったはず。
それなのに今の王都では地母神様は蔑ろにされている。
《
◇◇◇◇◇
――乳白色の湖畔に私は立っていた。
一面が波立つこともない白。遠くに輝く光。一歩を踏み出すと水、というよりは乳の上に足が浮く。光に向かって進むも、徐々に体が重くなり、沈んでいく。膝まで沈みそうになったとき、いつの間にか傍に立っていた少女が私の腕を取り、引き上げてくれる。
少女は私よりも上背は低いが体は引き締まっている。その顔は精悍さと共に慈しみを携えている。少女は小柄ながらも戦士なのだと感じた。
少女の助けで光まで辿り着く。
それは人知を超えた存在に思えた。神々しさに自然と膝をつく。
光が私に触れると、私は悦びに包まれた。
隣に跪いていた少女は私に重なりひとつとなる。
これは女神様の祝福なのだと感じた。
そして少女は祝福の前の主。
進むべき道が見える。
その先には――。
◇◇◇◇◇
「――ラヴィ! ラヴィ!」
カーレアの呼ぶ声に気が付く。私は気を失っていたようだった。何か夢を見ていた気がする。そしてナイフを通してキミリの魂に触れた気がした。
「大丈夫。キミリは大丈夫だよ」
カーレアはナイフと私が不思議な光を放ったと言った。だけど私の安心が伝わったのか、彼女は身を寄せてきた。キミリは蘇生した。最近はご飯もたくさん食べてたから大丈夫。誰かに助けを求めればもう自由だよ。そうカーレアに伝え、抱き合って喜んだ。
◇◇◇◇◇
その後、カーレアとは同室になった。そして当然のように、どちらかが逃げればもう片方を殺すと言われた。以前なら怯えていたかもしれないけれど、今ではむしろカーレアに逃げ出して欲しかった。
カーレアは私の雰囲気が変わったと言う。そうなのだろうか。私はあの時、決別しようと思った。弱い自分から。そして醜くてもいい、どんな嘘を吐いてでもキミリを救いたいと。或いは祝福が変えたのかもしれない。ただ、心の奥底にあるあのカルナ様への償いの気持ちは消えない。不意に思い出すと泣き崩れそうになる。
キミリは救われたと思いたい。次はカーレアだ。彼女を護り、救ってあげたい。まだ泣く時じゃない。そして私はあの人に償わなければならない。
◇◇◇◇◇
同室になったカーレアとはキミリの時と同じように髪を梳かし合った。カーレアは愛らしい女性で表情が豊かだった。
「カーレアは素敵ね。私もそんな風に可愛らしく笑いたかった」
「何言ってるの、ラヴィの方こそかわいいでしょ」
「私は……」
私もカルナ様と共に居るとき、こんな風に表情豊かだったのだろうか。あの頃の彼は私のことをそんな風に言ってくれていた。鏡の中にはそんな自分を見たことが無いのに。
カーレアはここに売られてきたという。彼女の兄は最後まで反対してくれていたそうだ。けれど、店を売りに出さねばならなくなるからと、後継ぎの兄だけ残してカーレアと妹たちは売られてしまったそうだ。同室だったひとつ上の少女も売られてきたと言っていたそうだ。彼女らのような少女は街では珍しくないと言う。
キミリの事と言い、貴族たちは何をしているのか。私にはこの城下の街は、そして王都は病んでいるように見えた。
「ラヴィは綺麗な髪。肌も白いしお姫様みたい」
私は困惑した。本当のお姫様としての自覚があったなら、あなたをこんな目には合わせていなかったのに……。
それから彼女はこの屋敷。ここは娼館だと小さな声で教えてくれた。
私は娼館というものを知らなかった。男の客が店の女を買うのだとカーレアは言う。なるほど――とは言ったものの、自分にはよく理解できなかった。とにかく辱められることだけはなんとなく分かった。
いずれは自分たちも客を取らされるだろう。そう、カーレアは言う。特に自分は、そう遠くない時期にお呼びがかかるだろうと。
私にはそんな理不尽は絶対受け入れられない。
◇◇◇◇◇
しばらくはカーレアと厨房で忙しく働く日々が続いた。しかしある日、カーレアがいつになく、落ち着きがないのに気が付いた。休憩の際にどうしたのか聞いてみると、屋敷の中に兄に似た人を見かけたという。もしかして店を捨ててきたのかとカーレアは嘆いた。何のために自分たちが売られたのかと。
彼女の言うことは正しいのかもしれない。けれど、彼女の兄が抗っているのであれば、彼女は嘆くべきではないと思った。そして何とか力になってあげたいとも。
◇◇◇◇◇
カーレアの兄はここに住み込んでいるわけでは無いようだった。日中、その姿を見かけることは滅多にない。おそらくは出入りの商人か何かのところに入り込んだのではないだろうかというのがカーレアの見立てだった。
そしてついにある日、我々に接触してきた、いや、正確には
「……」
私は喋りだせないでいた。
彼は部屋を見渡す。
「すまないラヴィ、こんなことになっているとは……」
「……」
「ここまでするつもりは無かったんだ。どこかで手違いが起きた。すぐに取り返しに来るから」
「……」
「お願いだラヴィ、何か言ってくれ」
「私は……あなたに謝罪しなくてはなりません。不義も嘘も、全て私の弱さが原因です。申し訳ございません」
「それは……僕だって憎かった。いや、今でも憎い。ただ一人の人だと思っていた」
「私もです。貴方こそがただ一人の人だと……なのに」
「もう十分だ。君は十分罰を受けた。その首輪も外してあげよう」
「――これは……これは戒めです。貴方がくれたものだから……」
「……もう少しだけ我慢してくれ。必ず取返しに来るから。それとこれを――」
彼は長い包みを差し出してきた。私はそれが何か何となく分かった。
「――辺境伯の酔狂だ。侯が目に掛けたラヴィの元にこれが無いなら自分を無下にしたものとして殴り込みに来るといい始めて……」
私はなんだか嬉しくなった。侯はこんな大きなお守りを死んでも離すなと言っているのだ。東の辺境はどれだけ過酷なのだ。女性にこんなものを贈るだなんて。だけど今の自分にはありがたかった。
彼は去っていった。どのような伝手を辿ってきたのだろう。あのような恰好、ただ普通に父親から聞き出したわけでもあるまい。人の売買は禁止されてはいないとはいえ、人目を憚るような行いだ。そして彼の優しさは変わってはいなかった。やはりこの首輪は戒めの首輪、彼からの私を案じた贈り物なのだ。
◇◇◇◇◇
「ラヴィ? 大丈夫?」
しばらくして部屋に戻ってきたカーレアは、涙を流す私を見て声をかけてきた。
「ええ、大丈夫。私、もっと強くならないと」
涙を拭きながら答える。
私は彼が置いていった包みを開けた。
長包丁には革製の鞘が付けられていた。
「それは?」
「お守り」
「ぇえ……」
「おかしいでしょ? これがお守りなんて」
私はカーレアに微笑んだ。
そして久しぶりに眺めた刀身には、醜くはあるが愛らしさも見え隠れする少女が映っていた。
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今回も続きません。
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