第4話 醜い私
その日は朝も暗いうちから慌ただしく、いつもであればせいぜい大釜に湯を沸かす手筈を整え始めようかと言う時間であったと思います。外で騒がしい声が聞こえたかと思うと、しばらくして下男を先頭に侍女たちが私たちの部屋に踏み込んできました。
「ラーヴィ! キミリはどこへ行った!」
彼女のベッドを見やると確かに姿が見えません。
「い、いえ私は存じません……」
下男は舌打ちすると、侍女を連れて部屋を出ていきます。
私は何事かとシュミーズの上からケープを纏い、裸足のまま廊下を覗きに行きます。
彼らは侍女たちの部屋を覗いて回っていました。
「本当に知らないのかい?」
不意に声をかけてきたのは侍女長でした。
「は、はい。夜は疲れて早くに寝てしまうので……」
「そういえば昨日、地階の部屋の戸締りをしたのはあんただったね?」
「はい……」
「氷室の戸締りを忘れてなかっただろうね!?」
「は、はい……」
強い言葉にとっさに答えてしまいましたが、私はしまったと思いました。
氷室はそもそも鍵を開けていないことが多いので、そこまで確認したわけではありません。体裁を保つためのいい加減な言葉が出てしまったのです。
私はこれではいけないと訂正の言葉を発しようとしましたが、上手く喋りだせません。こちらを見ているわけではありませんでしたが、侍女長の顔が怖くて何も言い出せませんでした。
「なんだい?」
まごついている私を訝しんだ侍女長が声をかけてきますが、それでも私は正直に言い出すことができませんでした。
「い、いえ、何も……」
そしてさらに嘘を重ねてしまったのです。
◇◇◇◇◇
身支度を整えた私は大釜の準備を整えに洗濯場へと向かいます。
すると、洗濯場に人が大勢集まっているのを目にしました。
中からはギャッっという悲鳴のようなものが聞こえてきます。
「あ、あの、何かあったのでしょうか?」
「なんだい首輪付きか」――侍女の中には私を首輪付きと呼ぶ者も居ます。
「――あんたの相棒が氷室の食料を食い散らかして、シロップ漬けで酔っ払ったままそこで寝てたんだよ」
「えっ、キミリが!?」
私は侍女たちの間をかき分けて前に出ました。
そこには痣をつけ、石の床に這いつくばったキミリが。すぐ傍には下男が居ました。
生まれて初めて、しかもこんな子供への暴力を目の当たりにした私はぽろぽろと涙を零してしまいます。
おやめください――この場でそう言うことさえできれば私の気持ちも軽くなったことでしょう。そして氷室の鍵をかけ忘れたことを問い詰められ、罰を受けることで禊となったことでしょう。ですが下男が、そして周りの目が恐ろしく、言い出す勇気がありませんでした。
キミリはそのまま、勝手口側の狭い倉庫に閉じ込められ、鍵を掛けられました。
◇◇◇◇◇
その日一日、私は暗い気持ちで過ごしました。ロスタルの侍女になった時でさえ、ここまで落ち込んだことはありませんでした。普段ならカルナ様のお姿をちらと目にするだけでも幸せな気分に包まれましたが、今日ばかりはそうはいきませんでした。
夜、人気が無くなった頃、私は食べずに置いたパンを携え、キミリの居る倉庫に向かいます。
「キミリっ、キミリっ」
倉庫の小窓を開けて声をかけると、キミリが起き出してきます。
「こ、これを」
パンを差し出すと、彼女は一心不乱にかぶりつきます。
「ごめんなさい。弱い私を許してください……ごめんなさい」
キミリは何も言いませんでした。
パンを食べ終えると、くたりとまた横になってしまいます。
部屋に戻った私は長包丁を見つめます。
醜い。醜い私が映る。
キミリに許しを請い、パンを分け与えるだけで許されたつもりの自分が醜い。
◇◇◇◇◇
翌日の夜もまた、キミリにパンを捧げに向かいました。
彼女は水だけは与えられているようでしたが、この辺りには水をそのままで飲む習慣がありません。水をそのまま飲むのは家畜だけです。私は少しの香りづけになるかと、パンに葡萄酒を染み込ませた物も小窓から挿し入れました。葡萄酒もまた、林檎酒と同じく半発酵の甘い酒でしたから、少量でも水は飲みやすくなると思います。
キミリは食事をとるとまた、くたりと横になります。
ただ、私は彼女の息が荒いことに気づきました。胸を上下させ、苦しそうに見えます。
私は夜番の侍女にキミリのことを話しました。
しかし、彼女は捨て置けとばかりの返答しか寄越しません。
私は強く言うことができず、そのまま部屋に戻りました。
長包丁に映る私の顔は醜いまま。
◇◇◇◇◇
さらに翌日の夜、キミリの元へ向かおうとすると呼び止められます。
「こんな夜更けにどちらへ向かわれるのかしら?」
セアラ様でした。彼女は供も連れずに地階にいらっしゃっいました。
私はこの機会にと思い、キミリの体調が優れないことを話しました。
「そうですか……。可哀そうですが、私はこの屋敷に仕える者へ直接の口出しはできません。明日、カルナ様にお口添えしておきましょう」
ああ、やはり。ですがセアラ様であれば何とかしてくださると信じております。
「ただ、あなたが看病する分にはお力添えいたしましょう。鍵は開けたままにはできませんから、明日の朝、開けに参ります」
「ああ、ありがとうございます!」
私は急いで桶に水を汲むと倉庫に向かいました。その間にセアラ様は鍵を準備してくださり、倉庫の扉を開けてくださいました。私はキミリに駆け寄り、抱きしめました。彼女は熱を出しており、意識がはっきりしません。彼女の上半身を膝の上にやり、パンを包んでいた手拭いを水に浸し、絞って彼女の額に乗せ、ケープを体に掛けてやりました。
背後でカチャリと錠の閉まる音がします。
明日まで持ってくれればきっとセアラ様が何とかしてくださるはず。
キミリは口をぱくぱくと喘がせます。
私は果実酒を浸したパンを水に入れ、持ってきたパンを小さく千切って水に浸し、彼女の口元にやりました。少しずつでしたが水を飲んでくれています。
「神さま、お願いします。どうかキミリに生きる力を……」
そして私に謝らせてください。
私の我儘をお聞きください。
この年まで吐いた嘘は全て覚えています。
最初の嘘は父の玻璃の杯を割ってしまったこと。
いちばん大きな嘘はカルナ様を裏切ったこと。
どうか、ひとつだけでも償わせてください……。
◇◇◇◇◇
「らヴぃーりあ……」
はっと目を覚ますと、私を見上げるキミリ。
「気が付かれたのですね。よかったぁ」
私はキミリを抱きしめました。
「ごめんなさい。私がちゃんと氷室の鍵さえ掛けていれば、正直に打ち明けてあなたを庇っていれば……」
「鍵……を開けてくれたのはラヴィーリアじゃないよ……」
「えっ」
「シロップ漬けがおいしいって教えてくれた……」
「ええっ?」
私にはキミリの話がよくわかりませんでした。
彼女の真っすぐな瞳は嘘をついているようには見えません。
まるで誰かに唆されたかのような話に聞こえます。
私は自身があまり賢くない自覚はありましたので、その話はとりあえず横に置き、まずはパンと水をキミリに差し出し、滋養を得るようにと告げました。彼女はちゃんと食べられているようで私もほっとします。
◇◇◇◇◇
そしてまた、彼女を膝に寝かせ、うつらうつらとし始めた時でした。
カチャリ――錠前が開く音がしました。
そろそろ夜明けが近いのか――そう思って振り返ると、開いた扉の向こうにはセアラ様の姿ではなく、背の高い男性の影が。
「ひっ……」
私の悲鳴にキミリも目を覚まします。
男性はずかずかと倉庫に踏み入り、後退る私たちの前に腰を落とします。
「上玉じゃねえか。これは色を付けてやらんとな」
背の高い男に続いて、別の男が二人、倉庫に入ってきます。
「連れてけ」
背の高い男が指示すると、二人が私たちを取り囲みます。
「やめっ、キミリを連れて行かないで」
私はキミリを必死で抱きかかえました。
「お前も一緒だよ! 殴られたくなけりゃ大人しくついてこい!」
私とキミリは男たちに脅され、勝手口から外に出ました。
まだ空は白んでさえおらず、人の気配もありません。
私たちは勝手口側に止めてあった馬車に押し込まれました。
屋敷の出口で門番に助けを求めようとも思いましたが、男たちは門番とも普通に話をしている様子。
顔を出して門番の様子を見、目も合ったのですが素知らぬ顔。
私は絶望して声も出せず、そのまま馬車で連れ去られたのです。
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続きません。
復縁物スキーの皆様にお届けします。この話は復縁モノなのでご注意ください。
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